疲れも知らず   作:おゆ

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第五章 帝国の崩壊
第五十話  487年 8月  波の間に


 

 

 エリザベートはまたもう一つのことを思った。

 なぜ帝国軍が追ってこなかったのか?

 

 その理由について、うっすら想像するしかできなかったが、まさしくそれは外れていない。

 

 

 事件の終結から少し前のこと、宇宙艇で脱出したヒルダとマリーンドルフ伯の二人は安心というところから程遠いところにあった。

 何と、惑星表面から対空ミサイルが追ってきたのだ!

 

 二人に限らず、慌てて宇宙港から脱出してきた宇宙艇は少なくない数に及ぶ。それらに次々とミサイルが当たり、堕とされていく。

 もちろんマクシミリアンの指示により逃げ出そうとする人間を皆殺しにするためだ。命だけは守ろうとした人々は結局それもできず、宇宙艇もろとも散っていく。

 

 ヒルダの宇宙艇の周りにいくつも眩い火球が生じては外壁を照らし出す。

 その度ごとに小窓から強く明かりが差し込み、ヒルダの瞳に輝く光点を作る。

 内心の焦りは相当のものだったが、それでもヒルダは操作を進めていく。

 先ずは救難信号を上げた。

 その上で的確に操舵していく。ミサイルの発射地点から遠ざかるようにジグザグを描く。その上、他の艇にミサイルが先に当たるよう、先読みして航路を交わらせるのだ。多少悪辣だが仕方がない。

 緊張する読みの勝負、ヒルダはそれに全て勝った。

 

 救難信号を受けたキルヒアイスと帝国艦隊が二人の保護に全力を挙げる。

 

「急ぎ弾幕を張って下さい。惑星への降下は中止です。保護を優先させます」

 

 弾幕だけでは撃ち漏らしが出る。小型のミサイルというものは本当に厄介だった。そのため艦艇ごと間に割って入り、戦闘用艦艇の強力なシールドでミサイルを弾こうとした。

 それでも間に合わない。

 

 

 ヒルダの宇宙艇の周りには、もう一隻も他の宇宙艇はなかった。ただしその前に爆散の破片が飛んでいたのだ。それがヒルダの艇に当たっていた。

 この宇宙艇に次々と異常が生じていく。

 

「第二エンジン緊急停止。第一エンジン出力低下。冷却系に損傷あり、現在出力40%」

 

 合成音声が状況を知らせてくる。あまり良くない報告だ。

 もうミサイルを避ける操船どころか航行まで不可能になりつつある。

 

「外壁に複数の亀裂、船内気圧の低下、自動修復開始」

 

 不気味な振動に加え、あちこちから機器の作動音が聞こえてきて本当に心臓に悪い。

 どこかで鈍い爆発音が聞こえた。

 ふいに髪に風を感じる。音声が言う通り、どこかから艇内の空気が漏れているらしい。いくつも風船が流されていくのが見える。これは粘着性樹脂でできた風船だ。船体に損傷個所がある場合に作られて浮かぶ。空気漏れに緊急で対処するためのもので、当たると破裂して損傷個所を塞ぐ。隔壁閉鎖までそれで凌ぐのだ。

 危急を知らせる赤い明滅と警報音まで加わってきた。これは本当に危ない。

 

 

 

 ところが、唐突にミサイルの雨が止んだ。

 

 カストロプの館でミサイル発射を操作していたオペレーターがマクシミリアンとエリザベートの対決を見て逃げたためなのだが、この時点でそれは知らない。

 

 そこで帝国軍はようやく救助を成し遂げる。

 

 ヒルダの宇宙艇を囲み、危険な箇所に急速冷凍措置を施す。そして壊れかけた扉を外部から開けて二人を移乗させた。

 これで帝国艦隊は人質になっていた伯爵家二人の救助を達成できたのだ。

 当然、艦隊司令官が挨拶をする。

 

「本艦隊を任されています、ジークフリード・キルヒアイス少将です。お二人ともよくご無事で。以後は安心して当艦でおくつろぎ下さい」

 

 その司令官は赤毛で長身だった。勇猛な軍人にはとうてい見えない。想像していた将官級帝国軍人のイメージとは大違いだ。

 

「ご厚意に感謝します。キルヒアイス提督」

「お気遣いなく。フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵。

……しかし、不思議なことに宇宙艇にはお二方の他に誰もいらっしゃいませんでしたが、どなたが操艦を?」

「はは、驚かれるかもしれませんが、実はうちの娘がそれをやっていたのです。少々お転婆が過ぎる娘でして」

 

「ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフと申します」

「お嬢さんが、あの操艦を? にわかには信じられませんが…… わたくしもその操艦を見ていましたが、驚くほど的確で見事なものでした。帝国軍人でもあれだけのことはできないでしょう」

「本職と比べられるとは、過分なお言葉いたみいります」

 

 

 そんな会話をしながら、ヒルダはキルヒアイスを観察している。

 穏やかな表情と真摯な姿勢は本物であり、人質の救出ができて心の底から安堵していると感じ取れる。任務達成という意味ではなく、二人の人間が助かったことを喜んでいるのだ。

 

「ともあれ本艦隊は作戦が終わり次第、帝都オーディンに帰還する予定です。お二人はどうされますか?」

「私は帝国政府に経緯説明のためオーディンへ一緒に参りますが、娘はできればマリーンドルフ領にお送り頂きたい」

 

 フランツ伯は娘ヒルダのことを気遣っていた。

 娘は今回の動乱に関わり、あのマクシミリアンに対応しどんなにか消耗しただろう。最後の脱出劇も大変なものだった。しかも事の発端は気乗りしない娘を連れてきた自分にあるのだ。マリーンドルフ領にてゆっくり静養すればいい、と考えていた。

 

 それをヒルダがきっぱり断る。

 

「いいえ、一緒にオーディンに参ります、お父様。帝国政府への証言は私もしなくてはなりません。何より、まだ惑星に残っているエリザベート様のために」

 

 キルヒアイスには言葉の意味自体は分からなかったが、この賢そうな娘が何かを意図しているのが分かった。

 

「今もキルヒアイス提督に申し上げます。今回の反乱を企んだのはマクシミリアン・フォン・カストロプただ一人です。カストロプ家の一員とはいえ、妹エリザベート様は関与しておりません。いいえ、それどころかエリザベート様は兄マクシミリアンを止めようと死ぬ覚悟で残りました。その証言を私がいたします! そもそも私たち二人を脱出させてくれたのはエリザベート様なのです」

 

 

 なるほどそういうことだったのか。

 キルヒアイスはエリザベートが防衛衛星を無力化したことをもちろん憶えている。

 そのおかげで指向性ゼッフル粒子を使わなくて済んだのだ。その内応には感謝してもしきれない。

 どうやらエリザベート・フォン・カストロプは必死に兄を止めようとしていたのだ。

 

 ただし、ヒルダの証言があっても、帝国がどうするかは別のことだ。

 

 単純な罪でさえ縁者まで揃って罰を与えるのが帝国だ。

 ましてやこれほどの大反乱、首謀者の妹を帝国が助命するなどとは考えられない。むしろそんなことを主張するヒルダの方が反乱への深い関与を疑われたらどうするのか。

 先に、マリーンドルフ家は脅されてやむなくということで反乱への関与は不問にすると通達されている。もしもそれさえフイになったら。

 

 キルヒアイスの見るところ、目の前の娘は非常に聡明であり、そんなことは分かり切っていると思える。しかし断固として言うのだ。

 

「救われた私はなんとしてもそう主張しなくてはなりません。私はそうします、お父様」

 

 

 

 ともあれ、オーディンへの帰還前に艦隊は惑星降下作戦に移る。

 

 ベルゲングリューンが装甲擲弾兵の指揮を任され、ビューローは工兵隊を率いる。

 二人はカストロプ側が地上戦に持ち込んで徹底抗戦するつもりが全くないのを知る。

 

 懸念は杞憂だった。

 凄惨な地上戦にはならない。

 それどころかカストロプの警備兵は怯えて逃げるだけだ。時折来る射線も思わず撃ってしまったというだけで、戦意は全くない。何をどうしたらよいのかも分からないようだ。

 装甲擲弾兵は何も抵抗を受けないうちに主要な箇所は押さえた。工兵が通信設備やエネルギープラントを調べ、トラップや自爆装置などがセットされていないかチェックする。

 

 司令部があると思われるカストロプ家の館は何もする前から発火していた。

 

 もう消火は無理かもしれないが、まだ猛火ではなく、装甲擲弾兵の重装備であれば多少の炎は跳ねのけることができる。

 

 そのまま内部の探索にかかった。

 

 反乱の首謀者マクシミリアン・フォン・カストロプをやっと発見したが、既に死んでいた。仮司令室らしい広間に死体が寂しく残されている。

 自殺などではなくナイフの刺し傷が無数にある惨状だった。

 更に調査したところ、カストロプ家の残りであるエリザベートはフェザーンの手の者に救助され、既にフェザーンへ向かっていると判明した。

 

 キルヒアイスの任務は惑星占領ではなく、反乱の討伐である。その完全遂行のためには、まだ生きている関係者を根こそぎ捕らえてオーディンへ連行すべきなのである。見せしめに行われる処罰は生きている者にしか下せない。

 そしてキルヒアイスの手腕をもってすればフェザーンに向かう艦隊に追い付くことは充分可能である。追い付いて撃滅する脅しをかけ、エリザベートの引き渡しを要求すればそれがかなう。

 

 だがこの時、キルヒアイスはエリザベートの捕縛のため追うことはなかった。

 ヒルダの言葉を信じた。

 復讐や見せしめのために罪のないエリザベートを捕まえることはしない。

 

 この惑星の混乱を鎮め、秩序を保つことが必要という理由をつけて動かなかったのだ。

 

 

 

 

「遅かったじゃないかキルヒアイス。お前のことだ、また余計なことをしたんだろう?」

 

 討伐作戦を全て終了し、オーディンに引き揚げてきたキルヒアイスを出迎えたラインハルトが最初に言ったのはそんな言葉だ。

 

 特にねぎらいはしない。

 

 戦いに赴くのは軍人として当たり前のことだと思っている。更に言えば、ラインハルトにとって戦いが嫌なものだという認識はどこにもない。

 加えて結果については言及する必要すらない。キルヒアイスが勝って武勲を上げるのは当然のことと思っている。それ以外はあり得ない。

 

「申しわけありませんラインハルト様。カストロプ家の者がいなくなった後、領民の混乱がひどく、多少手を貸す必要がありました」

「なるほどそうか」

 

 遅くなったのは事実である。

 キルヒアイスは勝っただけで戻りはしなかった。きちんと領民を安堵させ、秩序を取り戻し、暮らしが安定するように取り計らったのだ。

 キルヒアイスの優しさの発露である。

 むろん、気持ちだけではなくそういった行政的施策にもキルヒアイスは極めて有能だった。

 混乱はほどなく収まり、食糧分配や治安維持も問題ない。

 

「一時はどうなることかと思いましたが、カストロプ家の頃よりもずっと良くなりました。このままキルヒアイス様が治めて下さったら、どんなに嬉しいか」

 

 心の底から感謝する領民たちはそう言ってキルヒアイスが離れるのを残念がったほどだ。

 

 

 

「まあいい、キルヒアイス。お前がいない間にいよいよ始まったぞ。今回は俺の出番はないから、年寄りがどこまでやれるか、見物といこうじゃないか」

「ついに始まったのですか…… うまくいくでしょうか」

 

 特に説明しなくとも二人にとって自明のことである。

 帝国軍はイゼルローン要塞を獲られたままにしてはおけない!

 

 要塞奪還作戦が始まっていたのだ。

 

 今回は元帥に就任したばかりのラインハルトが作戦を担当することはなかった。帝国軍で最も信頼感のあるベテランのミュッケンベルガー元帥がその任をになう。

 動員戦力は何と四個艦隊六万隻にも及ぶ。帝国が一度に動員する戦力としては近年にないものだ。

 それらをミュッケンベルガー元帥が率い、イゼルローン回廊に向かった。

 

「キルヒアイス、うまくいくものか。その程度で陥ちるものなら叛徒がとっくに陥としている」

「ラインハルト様もお人が悪い。であればそれとなく助力してみては。司令官はともかく艦隊の一般兵たちがむざと死ぬのは頂けません」

「いいや、あの年寄りもまるっきり無能ではない。たぶん、ひと当てしてみようというだけじゃないか。まだこの時期なら、叛徒があの要塞を完全に運用できるとも限らん。そこに勝機があればよし、無ければ戻ってくるだろうな」

 

 ラインハルトは、その年寄り、ミュッケンベルガー元帥を最低限は評価している。

 実際のところミュッケンベルガーの心づもりもラインハルトの言ったことと一致していた。

 

 

 

 

 それと同じ時、オーディンの片隅で、ある者の心にわずかな波が立っていた。

 

 ヒルダは今回のカストロプ領での出来事を思い出す。

 様々な事があり、嫌な記憶も多く、できれば消し去りたいほどだ。

 

 危機も多かった。

 父親共々よく無事に脱出できたものだ。

 最後は帝国艦隊に保護された。それは心から感謝する。特に、いつも穏やかで心優しいジークフリード・キルヒアイスという司令官に。

 戦艦に逗留していると、将兵と話す機会もある。むしろヒルダの方が積極的に話しかけたものだ。兵たちと会話をしていると、キルヒアイスがいかに凄い司令官であるか、いかに卓越した指揮をとるか、心酔しているような言葉を聞くことが多い。

 

 確かにそうなのだろう。

 ヒルダもキルヒアイスの行った艦隊戦のあらましは知っている。

 

 ただし、ヒルダは何か別の感情が起きるのも自覚していた!

 それは全く理不尽であることも自分で分かっている。

 けれど思ってしまうのだ。

 キルヒアイスが悪いのではなく、感謝のみあるべきだと理解していても。

 

「私がいくら策を考えても、あの心優しい将には何も通じなかった。アーサー・リンチ提督も、一万隻以上の艦隊も何もできずに負けている。私が戦いの条件を整え、情報を得て、万全の戦力を用意したつもりなのに…… 私の考えなどは何の価値もなくただ粉砕されるだけのものでしょうか」

 

 いいえ、それは違う。

 ジークフリード・キルヒアイス提督という別格なまでに優れた将が相手だったからであり、他の者相手なら勝ったはずだ。

 しかしここでキルヒアイス提督に打ちのめされ、最初から風下に立つと認めてしまうのは、早すぎる。

 

 もちろん同じ正義に立つならば頼もしい味方としか言いようがない。しかし仮に相反する立場であったとしたら、その時はどうなる。

いや、自分はどうする。

 

 

 後世にその名を轟かす稀代の大戦略家、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフが終生の好敵手と認め、知謀の限りを尽くす相手と巡り合った。

 

 まさにその瞬間である。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第五十一話 新天地へ

今、ここからエリザベートの冒険が始まる

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