疲れも知らず   作:おゆ

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第五十二話 487年 9月  魅かれ合う者

 

 

 ハイネセンポリス到着後、エリザベートは早速フェザーン弁務官事務所に赴任の報告に行く。

 

 ゆっくり観光をする時間などあるはずがない。

 しかし通りすがりに見るだけでも、街並みや人々の服装に驚く。想像以上に帝国とはまるで違う光景だ。

 

「オーレリー・ボアヌです。フェザーンから只今到着しました」

「君が新しく来た補充要員だね。まあ、気楽にしてくれ」

 

 フェザーン弁務官事務所で緊張しながら到着の挨拶をすると、ここのトップであるプレツェリが対応した。

 そう答えながらも、先に送られている人物情報ファイルをめくりながら項目の確認をするようだ。

 

「オーレリー・ボアヌ、フェザーン文科大学卒業、その後も大学に残り研究生を続けた、と。それはここ自由惑星同盟に興味を持ったのが理由とあるが」

「そうです。帝国ともフェザーンとも異なる歴史、文化、風物、とても面白いと思いまして、もう少し自由惑星同盟について研究を続けたいと。ついでながら同盟語もその時に学んでいます」

「それでこのハイネセンポリス駐留フェザーン弁務官事務所の欠員補充に応募したのかな。しかし、同盟に来るだけなら民間でも良いのでは?」

「いいえ、最近では帝国と同盟の戦闘が激化したおかげで、なかなか首都星ハイネセンまで行けるような募集はありません」

 

 

 それは本当のことだ。

 近年は帝国も同盟も出入りが厳しく、制限が設けられている。

 むろん比較すれば同盟の方がゆるやかなのだが、最近だけに限ればそうでもない。一時期は治まっていた戦闘がこのところ激しくなったのが大きな理由だ。

 

 しかしそれだけではない。

 帝国から脱出してきた亡命希望者を同盟が喜ばなくなっている。昔はそれこそ手放しで歓迎したものだ。帝国の圧政から逃れた同志として温かく受け入れていた。ところがそういう亡命者が必ずしも善良というわけはなく、年々犯罪者まがいの者の割合が増えているのが現状なのだ。

 同盟はそれに倦み、段々と保守的になってきている。

 

 尤も、貿易自体は帝国と同盟、どちらにも必要なものである以上、今も活発に行われている。

 元々レアメタルなどはどちらかにしか産出しないものもある。

 それに加え、工業製品の多くがいずれかの領土のみで製造されることが多い。これは長期間の貿易のせいで劣勢な方の工業分野が淘汰されたためだ。長期間続けば続くほど、貿易が無ければお互いが成り立たないような構造になってくる。

 

 それを知っているフェザーン人は帝国と同盟のイデオロギーを賭けた戦争など鼻で嗤う。

 しかし帝国と同盟が完全に仲良くなれば、嗤ってばかりもいられないことになるのは当のフェザーン人も知っているのだが。

 ともあれ政治的なことを抜きにすれば、産業的には帝国と同盟、どちらも互いに依存する体質に変わったのだ。一方が混乱すれば必ずもう一方にも波及する。

 

 締め付けが厳しくなればどちらの側でも自国籍の艦船でなければ航行できなくなる。すると当然貿易はフェザーンがその中心になる。フェザーンで貨物を積み替えることが多くなり、中継貿易の利が否が応でもフェザーンを繁栄させるのだ。

 

 

 

「まあ、君はその後、倍率の高い選考を突破し、実際にハイネセンに来れて念願かなった、というところかな」

「そうです。本当に夢のようです。自由惑星同盟の首都星ハイネセンをこの目で見られるなんて。しかも仕事として来れたのですから」

「おめでとう、と言うべきかな。しかしここに憧れている君に厳しいことを言うようで申し訳ないが、仕事は多い。それ以上に文化が違うんだ。人々の気風も、食べ物も違う。馴染めればいいのだが。現に最後まで馴染めずにホームシックにかかる人間も多くてね。今回の欠員補充も、そうしたホームシックで帰りたがっていた事務員を帰すために長いこと要望していたのだよ」

 

 プレツェリは今、完全にフェザーン弁務官を演じた言葉を投げかけながら、素早くファイルにある他の項目にも目を通していく。

 何気ない態度だったが、到着した補充職員のあらましを高速でチェックしながら記憶していくのだ。

 

 弁務官事務所の上司として当然やるべきことではあるが、もちろんプレツェリには別の目的がある。

 

 この目の前の者が、ありきたりの補充要員なら問題ない。仕事ができてもできなくとも。

 問題は帝国、あるいはフェザーンの諜報員であるのかどうかだ!

 確かにここは情報の通過場所として非常に重要だ。プレツェリの正体を知らず、このルートで諜報員を送り込むことも充分考えられる。フェザーンの者か、帝国の者かは別にして。

 

 ファイルの情報で分かる限り、理屈が通っており怪しいところは全くない。

 おまけにその雰囲気ではとうてい諜報員には思えない。

 それどころか普通の娘よりも浮世離れしたような感じなのだ。馬鹿ではないが感覚的に鷹揚とし過ぎている。諜報員のような鋭さや、あるいは逆に平凡に見せかける擬態というのを感じない。

 

 それでは普通に職員として扱うまでだ。

 先ずは見習いの地位に置こう。大学に長くいたのなら、実社会は初めてなのだろうから。

その期間が終われば秘書の補充要員なのだからその仕事をさせよう。

 

「では、君の最初の仕事は私の秘書の、そのまた補助だ。新たに勉強するべきことは多いので、しっかり頼む」

 

 こうしてオーレリー、いやの任務が始まった。

 

 

 

 一方、ここハイネセンの同盟政府中枢部は超多忙な中にいる。

 

 ヤン・ウェンリーによるイゼルローン要塞攻略はもちろんここにも激震をもたらしている。

 長年の夢だったとはいえ、まさかあっけなく実現してしまうとは!

 帝国との関係は、軍事的力関係という観点では同盟が持ち直し、大いに改善したと言える。

 ただし喜ばしいことばかりではない。

 かえって帝国が焦り、軍事作戦をこれまで以上に頻発させることも充分に予想できる。そうなると同盟に決してプラスではない。

 まして貿易・経済の観点では未知数なことだらけだ。

 それでも情報をまとめ、予測を立て、レポートを作らねばならない。多大な負荷がかかることだがそれは政府の責任だ。同盟のどのセクションでもそれを喉から手が出るほど求めている。

 

 しかし、そんなことだけなら多忙という範疇で済むことかもしれない。

 

 政府要人にとってはもっと頭の痛いことがある。

 それは市民の政治的関心、有権者の意見だ。

 イゼルローン要塞の攻略以来、次第に好戦的な意見が目立つようになってきた。

 積極的な軍事作戦を主張する論説が多数出され、市民もそれになびく。あたかも市民の総意であるかのごとく熱気が高まる。

 それは帝国の軍事的能力を知っている者からすれば、深刻に憂うべき事態である。やれば成功する、そんなはずはないのだ。

 

 このままでは浮かれた同盟がどのような冒険をしないとも限らない。確かにイゼルローン要塞を取ったことは大きいが、それは防衛に適するということであり、じっくり帝国をいなしていけばいいのだ。それがもっとも有効な使い方である。

 何もこっちから積極的に仕掛ける必要はない。

 

 良識ある政治家はこれらのことをきちんと市民に説明する義務がある。

 根拠のない無謀な熱気を収めるために必要なのだが、反発と支持率の低下を招かずに行うのは至難の業である。

 

 

 

 ここでヨブ・トリューニヒトも苦慮していた。

 国防委員から国防委員長に繰り上がったばかりだった。そのタイミングでこの事態に遭遇している。

 

「賭け事でも最初に勝つとのめり込んでのっぴきならない事態になる。国も同じだな。むしろ少しずつ負け続けた方がいいのかもしれない」

 

 更に嫌なことがあった。

 現在の同盟政府トップである最高評議会議長はロイヤル・サンフォードであるが、政治家としての説明責任を放棄している感がある。自身の支持率ばかり気にして、確たる意見を持っていない。

 良い言い方をすれば真の民主主義、悪い言い方をすれば存在価値がない。どっちつかずの態度など、トップである人間のすべき態度ではない。

 

 そのため市民の側へのスポークスマンとしての役割も、最高評議会の一人としての根回しも、更に軍部との意見交換もほとんどヨブ・トリューニヒト一人の仕事となる。

 むろんその一環としてヨブ・トリューニヒトはフェザーンとの交渉をすることもある。経済的分野であれば他の委員の仕事なのだが、軍事的な視点では自分が話し合う必要がある。

 

 自由惑星同盟とフェザーンは元々微妙な関係だ。

 

 フェザーンが帝国の一部という名目上の立場で捉えるなら、明らかに敵同士である。しかし実態はどちらかというと逆であり、対帝国陣営の味方に近い。しかしそんなことは決して明文化できず、流動的なものでしかない。潮流に応じてどうなるか分からないのだ。意見交換は重要な仕事である。

 

 そこでヨブ・トリューニヒトはハイネセンポリス駐在フェザーン弁務官事務所トップのプレツェリと話すことが多い。

 

 そんな中、プレツェリの連れている秘書団に見慣れない顔があるのに気が付いた。

 その者と直接話をする機会もあるはずはないが、どういうわけか忘れられない顔なのだ。

 

「国防委員長、何か気になりますか。あの者はオーレリーという新しくフェザーンから来た補充の秘書ですよ。まだ見習いですが」

 

 プレツェリは別段他意もなく、あっさりと説明した。

 

 

 

 そんな時期である。

 同盟とフェザーンの外交の一部として親睦のための舞踏会が開催された。

 

 舞踏会を開くこと自体は珍しいことだ。自由惑星同盟にはそういった文化・風習は一般的なものではないのに。

 それが開かれたのは、同盟がフェザーンともっと親密になりたいというメッセージの意味を含んでいたからだ。フェザーンの好むことを敢えて同盟がする、これに意味がある。

 しかし実のところ同盟の考え過ぎであり、フェザーンがいかに帝国の一部であり文化も帝国風なところが残っているとはいえ、そんな風習はない。そのため実際のところ弁務官事務所の職員で舞踏会が楽しみな者は少なく、むしろありがた迷惑なこと甚だしい。

 

 各自舞踏会の準備をする。

 エリザベートはしまい込んであったドレスを着た。一応同盟まで持ってきていたのだ。さすがに貴族社交界に着ていった頃のような豪奢なものではないが、シンプルでもかなり上質のものである。それくらいがカストロプ家の悲しい遺産といえる。

 エリザベート自身も今のところドレスの方がよほどしっくりくる。いずれはスーツの方が体に馴染み、ドレスは着なれないものになるのだろうか。

 

 舞踏会というのも懐かしい。

 以前は一日置きに舞踏会があったといっても過言ではない。オーディンの女学校の上級生だった頃が一番多いだろうか。気を使うことも多々あるが、基本的には楽しいものだ。軽やかな音楽、きらめくシャンデリア、絢爛たる会はやはり心躍る。

 久しぶりの舞踏会なのだ。

 今は銀河帝国指折りの大貴族令嬢という立場ではないが、楽しもう。

 エリザベートはそのドレスを着こみ、舞踏会に臨んだ。

 

 

「何だ、あの新任の秘書見習い、やけに上手いな」

 

 そんなエリザベートの姿を見てプレツェリにちょっとした驚きがある。

 ダンスが上手い。

 それもテクニック的に身に着けたという程度ではなく、もはや基礎が完璧なのだ。これは長い年月をかけてようやく到達するレベルである。

 しかしプレツェリが注目したのはそこではない。ダンスが上手いだけならば、そういう家に育ったということも考えられなくはない。おかしいのは堂々とした雰囲気なのである。

 

 秘書見習いという立場は当然この同盟政府主催の舞踏会において最も下っ端の地位になる。大多数の者にとってどうでもいい取るに足りない存在だ。

 政府高官が多数集うこの場所では、秘書見習いは必要以上に委縮するくらいが普通ではないか。

 

 ところが、あたかもこの舞踏会の主役のように輝いているではないか! それも自然な立ち振る舞いのままに。

 放つオーラは他を圧して、人々の視線を釘付けにする。

 

 

 

 そういば、とプレツェリはもう一つのことを思い出す。

 おかしなことと言えば、普段からあの秘書見習いオーレリーにはおかしなことがある。

 

 身に付けるアクセサリーや靴など、よくよく見るとちぐはぐな点が多過ぎるのだ。やたら高価なものと、どこにでもある安価なものとが混在している。

 あまりに奇妙なことに思えたので、プレツェリが聞いてみたことがある。

 

「他意はないのだが、オーレリー君に聞きたいことがある。今君が付けているペンダント、それの宝石に見える物が模造品であればいいのだが。もしそうでなければ窃盗に狙われたら大ごとだ。ハイネセンポリスの治安は安定しているが、完全でもない。そんな心配をしてしまうくらい随分と高そうな物に見える。本物であれば、それは何か先祖伝来だったりするのだろうか」

「あ、すみません。そこまで考えませんでした。このペンダントの宝石のことでしょうか? これは本物です。本物でなければ輝きが薄くなりますから。つい先週街で見つけて買ったのです。なんだかいいペンダントだな、と思ったもので」

 

 プレツェリが最初に理解したのはこの秘書見習いにとんでもなく金銭感覚が欠如しているということだ。

 ちょっと妙である。情報ファイルでは彼女の父親の職業は特に高給だという感じはない。であれば代々の金持ちなのだろうか。買う物の値段を見てから買っているとはとうてい思えない。

 

 次に思うことがある。

 秘書見習いは、自分の感性のみ信じて買っている。

 高かろうが安かろうが、自分に合うものを自信を持って選んでいる。これは成金の育ちではない。普通なら、値段がそのまま価値と感じてしまうところを、そうではなく自分が主体となっているのだ。

 最初からとんでもなくハイクラスの家庭に育ったのではないか…… おかしなことだ。

 

 しかし、むしろこのせいでプレツェリはオーレリーという秘書見習いが諜報員の類いであるとは少しも考えなかった。もしも諜報員であればそんなおかしなことをして目立つわけがない。

 

 

 

 このエリザベートの踊る姿をヨブ・トリューニヒトもまたじっと見ていた。

 幾度か逡巡し、溜息をつく。

 ついに意を決し、近付く。それはダンスを申し込むためだ。

 

「オーレリー嬢、新しく弁務官事務所に赴任してきた方とお聞きしました。私はヨブ・トリューニヒトと申します。あなたはダンスがとてもお上手ですね。ついていけるか分かりませんが、どうか私と一曲お願いします」

「オーレリー・ボアヌと申します。まあ、それではあなたが自由惑星同盟の国防委員長でいらっしゃいますのね。お名前はかねがね存じております。ええ、私でよければ喜んでお相手させてもらいます」

 

 口で謙遜するほどにはヨブ・トリューニヒトのダンスは下手ではなかった。二人は流れるように踊り、回り、手をたおやかに繋ぎあった。

 この舞踏会の白眉ともいうべき麗しいダンスは周囲を魅了するほどに美しい。

 

 結局、四曲もそのまま踊った。

 

「とても楽しい時間でした。オーレリー嬢。また機会があれば踊りたいものです」

「こちらこそ、国防委員長。是非」

 

 そのまま満足の笑みで二人は離れるはずだった。

 

 だが、いきなりエリザベートの目に涙がこぼれてしまう。

 自分でもなぜだか分からない。

 特に悲しいわけではない。舞踏会は楽しかったではないか。

 

 おそらくダンスをきっかけにして昔の記憶がごちゃごちゃに動き、深い所で情動になったのだろう。

 ここしばらく偽名を使って新天地で別人のような生活をしているため押し込められていたものが、舞踏会という懐かしい場でひょっこり出てきたのだ。

 

 

「どうされました?」

 

 言ってからヨブ・トリューニヒトはしまった、と思った。

 本当なら見なかったふりをして離れるべきだった。

 それが紳士の態度だ。女の涙の由縁などどんな時でも聞いてはならない。理由を聞くなどほぼ最悪の態度だろう。

 

「いいえ、済みません。何でもないのです。私にもよく分からなくて」

 

 正直にエリザベートが言う。それしか答えようがない。

 

「そうですか。つい気になってしまったもので。オーレリー嬢、何か、できることは」

「いえ、こちらこそ気を遣わせてしまって。ありがとうございます、国防委員長」

 

 

 こうした会話をして二人は離れた。

 ヨブ・トリューニヒトは初めてプレツェリの秘書団の中に彼女を見たときから気になっていた。

 何かが違う。この嬢は他の人間にはない何かがある。

 普通とは違う、強い生き方をしてきたような。

 

 そしてこの涙はヨブ・トリューニヒトの心を動かす決定打となった。

 

 エリザベートの方でも、この闊達な青年政治家が見かけ以上に魅力あふれる人物であることを知った。手腕や経歴、地位から想像するよりもよほど純真だった。そんな人間は真っすぐ何かの理想を追い求める人間でもあると知っている。

 しかも暖かく、優しい。

 

 

 何年一緒にいても親しくならない間柄もある。

 時間をかけてゆっくり熟成される恋もある。

 ふと気が付いた時、恋であることを知ってしまうこともある。

 

 だがこの場合には、たったこれだけの時間で充分だったのだ。

 

 二人が恋に落ちるには。

 

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第五十三話 奪還作戦

イゼルローン要塞白熱! 要塞攻防戦第一幕開始!!

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