帝国はイゼルローン要塞奪還が成らなかったことに失望した。
この戦いは非常に局地的なものであったが、いくつかの波紋をもたらす。
直接的にはミュッケンベルガー元帥の発言力が低下してしまう。出撃しても奪還を果たせなかったのは事実なのだ。
むろん、戦いについて見る者が見れば、単にひと当てしただけに過ぎないことが分かる。
非常に戦理にかなっていることは明白であるし、むしろ損害を最小限にするため潔く撤退した方を賞賛するべきだと。
ただし末端の兵にはそこまで分からない。
自然、ミュッケンベルガーの評価が下がる。
兵たちはもちろん死ぬのが嫌であるが、自分が死ぬのでなければ帝国が負けるのは我慢ならないのだ。
帝国政府の文官もまたその通りである。相対的にもう一人の帝国元帥であるラインハルトの評価が上がり、次の軍事作戦はラインハルト・フォン・ローエングラムが行うものという空気が生まれていた。
そしてもう一つの波紋はいっそう深刻なものである。
皮肉なことに、防衛に成功した側の自由惑星同盟がその舞台である。
この防衛戦の少し前、イゼルローン要塞奪取成功を市民たちは大いに祝ったものだ。その大戦果に心から酔った。長年の悲願であっただけにその余韻が長く続いている。
次第に好戦的な空気になるのは自明のことだ。
スポーツチームでさえ大勝利すれば関心が増し、ファンも増える。ましてこれは自由惑星同盟の国是に関わる現実の戦争だ。勝ち負けは即刻雰囲気に反映される。
その感情的な濁流を、現実派官僚や反戦派代議士が必死になって押しとどめている。依然として人口・国力とも帝国が上であり、現有機動戦力もまた数段の格差がある。それが厳然とした事実だ。
同盟最高評議会国防委員長ヨブ・トリューニヒトもそんな現実派の一人である。
「今、帝国軍と戦うべきではない。むしろ、絶好の休息の機会ととらえるべきだ。生産リソースを拡大再生産に振り向け、確固たる基盤を作らねばならない。人口や経済の成長率が帝国より常に上回る状態になるようにもっていく。戦略的にそれが最も重要であり、いやそれなくして最終的な勝利は無い。成長こそが戦略的勝利の鍵となる。実際の戦術などはそれが軌道に乗った後の話だ」
この時、トリューニヒトは、帝国との和平条約交渉まで夢想していたヤン・ウェンリーには及ばずともそれに近い考えをしていた。
そしてヨブ・トリューニヒトは自分の支持者のみならず、広く市民にそう呼びかけた。
反戦派代議士と宥和し、その協調をアピールすることさえも考えた。
これは警戒心ばかり強く、独善的かつヒステリックな反戦派の方から拒絶されたのだが。
ところがミュッケンベルガーによるイゼルローン要塞奪還作戦とその撤退は、そんな和平努力を一気に無駄にしてしまった。
市民は同盟軍の積極攻勢を渇望してやまない。
その熱気がメディアの論調を覆い尽くす。連日テレビでは楽観的に過ぎる予想が流される。
タレント出身の安っぽいコメンテーターたちはこぞってにわか評論家になる。
どこから捻り出したかと思われるグラフなどを用いて、同盟の戦力優位を言い立てる。一部を誇張し、都合の悪い部分を故意に隠されたデータが次々に出てくるものだ。
それだけなら国家が動くわけではない。
だが、ついに同盟最高評議会にその議題が出る時が来た。
一般市民の井戸端会議ではなく現実政治に及んだのだ。
いかにも客観的に出てきた議題であるかのように装いながら、議長ロイヤル・サンフォードが軍事的積極策を決めたくてたまらないものだということは、多くの評議員にとって明白である。
国防委員長としてその場にいたヨブ・トリューニヒトもうんざりした気分だ。
議員たちを見渡す。その中でもホアン・ルイなどは最初からだるそうにあくびをしている。自分とはあまり話したことはない議員だが、その心中は同じなのだろう。
しかし、気を引き締めなければならない。自由惑星同盟のためこの会議だけは的確で説得力のある演説をする。
目をぎらつかせ、今日の議題を賛成多数で通したくてたまらない議員たちの方を向いた。自分の得票のために軍を利用しようと思っている連中だ。
軍事作戦が仮に上手くいったら「たかが数十万人死んだだけで、それは相手より少ない」と言うであろう。そして失敗に終わったら「残念なことに数百万人が死んでしまった」としか考えない。
この連中は同盟がどうなろうと関心が無い。極端に言えば、自分が議員である任期の間だけ同盟が存続していればいいのだ。
会議は順次進み、一般的な討議事項を終え、最も重大な議題に差し掛かる。
議長ロイヤル・サンフォードが帝国への積極的侵攻作戦についての方針を説明する。
そしてここからいよいよ討議だ。
「議長、発言してよろしいでしょうか。帝国への出兵に関して、人的資源委員としては実現不可能と主張します。理由は申し上げるまでもないでしょう。労働人口、生産力はマイナス成長に入って久しい。そのため現在、同盟の社会システムは現状を維持するのに精一杯であり、かろうじて破綻しない程度であります。それはまさにガラス細工と言うべきもの、帝国への出兵はそれにハンマーを振りかざすごとき愚行でありましょう」
ホアン・ルイが機先を制して堂々と反対意見を述べた。
ありがたい。
ヨブ・トリューニヒトも続けて語る。
「国防委員からも説明させて頂きます。わが同盟の現状機動兵力は帝国の六割程度に過ぎず、帝国領への出兵による戦線の急拡大は自滅行為になります。戦力を投入すればするほど帝国の思うつぼの結果を生むでしょう。加えて言えばせっかくイゼルローン要塞を奪い、守りの拠点を得た意味がなくなります。よしんば緒戦で勝ち進み、ある程度進軍できても、占領星域を確保し続けられる見込みは全くありません」
無駄だった。
帝国領への出兵は議員賛成多数で可決された。
論理的な反対意見も、ウィンザー交通委員の下らない精神論の賛成意見も、最初からどうでもよかったのだ。
この会議は出兵という結論ありきの出来レースだった。
ヨブ・トリューニヒトは最後まで抵抗し、議決には反対を押し通した。
ただし、ここで投げ出してしまっては政治家ではない。
落胆はするが、次善の策を練るのをやめてはいけない。現実というのは100%うまくいくことは望めないものだ。それでもふて腐らず努力を継続する。それが政治家の責任というものではないか。
「出兵に決まったものは仕方がない…… しかし、同盟の傷を最小限にする方法を考えよう」
この会議の後も、ひたすら各委員と粘り強く折衝する。国防委員長としての権限を活かしながら味方を増やす努力を惜しまない。
後は軍部から提出されるだろう作戦案が理性的なものであることを望み、それに判断を付けるだけだ。
一方、具体的な出兵計画を検討する同盟軍統合作戦本部も決して一枚板ではない。
ビルの高層階の一室において、それについて話し合われている。
「今回は事が事だけに私も我儘を言うつもりなのだがね。グリーンヒル君。帝国本土へ向けて侵攻とは、今までにない規模のものになるだろう。しかも未知数は多い」
「シトレ本部長、私は全く同意します。ロボス元帥が指揮をとれば、おそらく無秩序な戦線拡大を図るでしょうから。そうなればリスクは計り知れないほど増大します。ここは是非とも本部長が侵攻作戦の総指揮を」
「多少悪辣ではあるが、策を講ずることにしよう。私としては同盟軍内でそんなところに配慮しなくてはならないのが残念なことだがね」
いち早く同盟軍の統帥作戦本部長という職をうまいことロボス元帥に譲り渡さなくてはならない。意図を気付かれる前に。
それはうまくいった。
もともとロボス元帥は別に好戦的というわけではない。第一線で帝国軍と戦いたいという気持ちはない。今までどちらかといえば積極的に戦いに出たがっていたのは、自分の出世の手段にするためだ。
自分が安全な範囲内ならば戦う。負ければ部下や情勢のせいにすればいい。もちろん勝てば自分の功績として出世に使う。戦う理由は単純だ。
結果的に恨みを買うこともあるが、それ以上に人が集まってくる。権勢が増していく人間にはおこぼれにあずかろうと人が寄ってくるものだ。
そんなロボス元帥にとって自由惑星同盟軍最高の地位、統帥作戦本部長という職は涎が出るほど魅力的だった。
シトレ元帥と交替にその職に就き、地位の上では逆転したのだから得意満面だ。
こうしてうまく出世に見せかけながらロボス元帥を躍らせ、艦隊戦の現場から引き離した。
その直後、帝国領出兵について政府から具体的作戦案作成及び提示の要求が来た。
ロボス元帥はここでようやくシトレ元帥の真意を理解できた。
自分を出兵作戦に加えないためだったのか! それは若干不快なことではあるが、それ以上ではない。本部長の椅子を手に入れたことも事実だ。それに満足感があり、わざわざそれを投げうって第一戦に出るとまでは言い出さなかった。
さて、シトレ元帥とグリーンヒル大将が中心となって作成した侵攻作戦案は手堅いものだった。
できれば出兵などしたくないに決まっている。
しかし、政府が命じることであるならば従わざるを得ない。文民統制の軍としては。
ただし、現場に携わる者としてリスクを最小限に抑える案にするのだ。
幸いにも政府は作戦内容に関わることは言ってこない。単に帝国領へ侵攻をするというだけである。
案は決まった。
最大の懸案である規模に関して、五個艦隊で出撃する。中途半端な規模ではかえってリスクが高い。綿密に検討を繰り返し、この規模に決定した。
侵攻ルートはとにかく手堅く、主要航路を離れない。
そして決して分散せず、周辺星域を探っていく。
作戦目的は航路の確定と惑星住民の実態を知ることだ。それ以上のことではない。今までもそういった情報は手にしているが、あらましを伝え聞いた程度と実際に目で見ながら調べるのではきっと違いがあるだろう。
決してこちらの方から帝国艦隊との会敵は求めない。
それは虫のいいことと言わざるを得ず、いずれ帝国側は実力で排除しようと迎撃してくるであろうが、なるべく接触を避ける。
また、帝国の生産設備の破壊といった戦略的打撃を与えることもしない。なぜなら、どのみち帝国にとって辺境星系の重みなど大したことではなく、逆にリスクが大きくなるので見合わないのだ。
つまり、まとめて言えば派手ではない。艦隊がまとまって帝国領に入り、そして引き返すというだけだ。
華々しい戦果を求めることは最初から放棄している。敢えていえば、ただの偵察だ。
同盟軍からこんな作戦案の提示を受けたヨブ・トリューニヒトは大変満足した。
それは驚くほど自分の意に沿っている。
今まで、軍部を好戦的な集団、資源や生産力を食いつぶしてはばからない集団と色眼鏡で見ていた。しかしこの作戦案は見事に理性的だ。
この案をそのまま最高評議会に提示するが、あまりに消極的であると不満が噴出した。
帝国を一気に征服などの威勢のいい言葉をなぜ入れないのか、と。
そして得られる予定のものが、余りに地味で、市民にアピールできない、と。
しかし、シトレ元帥やグリーンヒル大将は評議会の席上に赴き、数字を使って丁寧に具体的に説明していった。特に出兵にかかるコストについて入念に説明した。評議員にはこれが一番効き目があると分かっている。
グリーンヒル大将はこのためついに切り札を使った。軍の後方部からドーソン大将を同行してきたのだ。
「同盟最高評議会の皆様、艦隊維持の経費、そして作戦行動に移った場合の経費、戦闘で損害が出た場合の復旧経費、どのくらいかご存知じでしょう。一艦当たりに換算して」
ドーソン大将は思った通り、莫大な作戦コストと当初予算との不調和について熱弁を振るった。
「物資は消耗だけでなく、貯留しておくだけでもコストがかかります。その上イゼルローンどころか帝国領とは、膨大な輸送コストまで必要です」
それはシトレ元帥やグリーンヒル大将も唸るほどの説得力だった。
「さあ、皆さんのお手元にそれぞれ計算機を用意しました! 実際に自分の手を使って計算して頂くためです。より具体的にお分かりになるでしょう。今から言う数字を打ち込んで下さい。まずは通常国防予算の何日分に値するか比較計算です」
後方部らしい思いもよらないパフォーマンスまで用意していた。
これに最高評議会の委員たちは音を上げてしまう。
元々自分たちの選挙の票のための出兵計画である。戦果は欲しいが、コストはかけたくない。しかもコストは勇ましい精神論でも隠せない。現実の数字だからだ。もしも選挙の対立候補に後々攻撃材料として利用されてはかなわない。
終わってみると、ほぼ最初の提出案がそのまま通る結果となっている。
「おいドーソン、やってくれるじゃないか! お前を呼んだ甲斐があった。委員たちも目を白黒だ」
「ドワイト、俺は嘘は言ってないぞ。数字は嘘をつかない」
「分かっているさ、もちろん。だが助かった。これで出兵計画が修正と称して拡張されることはないだろう。牽制をかけられたのだから上々だ。どうだ、今夜家で飯でも食おう。礼代わりに何か作ってやるぞ」
「お前が作るのか。士官学校から器用な奴だと思っていたが。お前がするから娘が飯を作れなくなったんじゃないか」
娘フレデリカ・グリーンヒルの料理下手は噂でドーソン大将も知っていた。
しかもその理由まで正確にその通りだったのだ。
「まあ、それを否定はしないが、娘はたまたま別の方向に才能が偏っただけだ」
かわいい娘のことだけにドワイト・グリーンヒルも反論する。それには根拠もある。娘は士官学校次席卒業の才媛、歩く記憶装置と呼ばれているのだ。
「俺も料理の才能があるわけじゃないが、ジャガイモの皮は向こうが見えるくらいに剥いてやれるぞ」
倹約を申し渡すのにジャガイモの皮の厚みまで調べたというドーソン大将の噂を使い、ドワイト・グリーンヒルも逆襲した。
二人はその夜、笑いあって厨房に並び料理を作る。
それを聞いた者は、「家の厨房なんかに同盟軍のルークとナイトが揃って、言うべき言葉もない」と呆れたという。
次回予告 第五十五話 帝国領侵攻
シトレ元帥出陣!