疲れも知らず   作:おゆ

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第五十六話 487年10月  意見具申

 

 

 シトレ元帥の受けた最初の意見具申はウランフ中将からのものだ。

 

 もはや内容は聞くまでもなく分かっていることであるが、シトレ元帥は無下にはせずそれを聞く。

 

「シトレ元帥に申し上げます。小官も撤退の方向性は正しいと認識しています。ですが、その前にもう少し直接的な軍事的成果を求めてもよろしいのではないでしょうか。艦隊戦が望めないとしても。具体的には帝国軍補給基地の破壊、時限機雷を敷設しての通商妨害などを行ない、戦略的な打撃を与えるのです」

「ウランフ君。君が積極作戦を求めることは分かっている。そして私も君の意見を否定しない。だがおそらくリスク認識の違いだけだ。ここは敵地深くであり、航路の把握もしていない。更に補給は今のところ強く妨害されていないが、焦土作戦をとる以上、近いうち必ず相手は遮断してくる。そうなれば我々は物資が乏しく、推進剤もミサイルも残りを気にしながら困難な撤退戦を演じる羽目に陥る。要するに時間的な長期滞在はそれだけでリスクになるのだ。どのみち星系保持もせず、艦隊戦も避けるのであれば、敢えて細かな戦果よりもリスクの方を正しく認識すべきだと思っている」

 

 それを聞き、ウランフ中将は引き下がった。

 シトレ元帥の理性的な思慮を認めて納得したのだ。そういった潔さもウランフ中将の美点である。

 

 ウランフ中将は実績も能力もある将帥として同盟軍の至宝である。

 同時に主戦派の筆頭格である。その考え方は、軍事的側面では非常に単純明快だ。

 

「帝国軍を叩く。叩いて叩いて叩きまくる。自分の代で帝国が滅べば最高だが、そうでなくとも次の代で滅ぼせればいい。とにかく帝国軍と戦い、後の世代に託すのが今に生きる人間の責任だろう。いろいろな事を考えるのは、帝国が無くなった後でいいのだ。帝国は誰がどう言おうと民主主義の脅威である。その帝国が存在する限り、とにかく早く滅ぼすために努力するのが正しい」

 

 いつもそう思っているし、公言もしている。

 

 だが根っから単純なわけではない。。むしろ思慮があり、正しい判断力を持ち、冷静な分析もする。だからこそ第十艦隊は他の艦隊にも増して戦いに赴くことが多いが、これまで消滅もせず戦い抜いてこれたのだ。

 

 

 

 次にシトレ元帥に面会を希望してきたのはアップルトン中将だった。

 

 このアップルトン中将も主戦派に分類される。しかしウランフ中将ほど極端ではなく、柔軟な考え方をしている。これまで同盟軍内において、ウランフ中将やボロディン中将の主張する強硬意見に同調することも多いが、かえって彼らを抑えにまわることもしばしばだった。

 それは貴重なバランス感覚であり、ウランフ中将らもそれを認めている。軍内の人望も厚い。

 

 シトレ元帥はアップルトン中将もまた強硬策を主張してくると予期し、ウランフ中将に言った説明をもう一度しようとした。

 

 だが、その前に言われてしまったのだ。

 

「シトレ元帥、私の前に退出していったのはウランフ中将ですな。ということは、もう私が積極攻勢の意見を具申するまでもないようです。ただ、戦術的な一つの可能性を提示しておきたく存じます」

「ほう、どのような提示なのかな、アップルトン君」

 

 いったい何だろう。

 シトレ元帥は興味を持った。すっかり生徒の答えを採点する校長のようだ。

 

「帝国領を調査し、なおかつ最終的に撤退するのは何も来た道を戻るばかりではありません。違うルートがあります。ここから帝国領内をフェザーン回廊に向かって進み、そこを通って同盟領に帰還するという方法です。帝国辺境をかすめるコースなら会敵の可能性も低いでしょう」

 

 この案はさすがに斬新だった。シトレ元帥も虚を突かれた格好になる。

 

「なるほど、君の案は非常にダイナミックで面白い。ただし残念なことにそれを深く検討する時間はなさそうだ。それにフェザーン回廊までの航路確定は今後の作戦にあまり重要でもないだろう。」

「確かにそうです。それに艦隊の回廊通過はフェザーンの不興を買うやもしれません」

 

 これで面会は終わる。

 アップルトン中将もそのフェザーン回廊行きを検討の材料に提供するつもりで言っただけで、強硬に言い張るつもりはなかったのだ。

 

 

 

 

 ここまではシトレ元帥もさほどストレスではない。ウランフ中将やアップルトン中将はいわば話せば分かる将だからだ。

 しかし、三人目となるルフェーブル中将との面会には相当神経をすり減らされることになる。

 

「シトレ元帥! 何ら戦果もなく帰るとは、小官にはとても承服できかねる。わざわざここまで出兵してきた意義がどこにあるかと。今回帝国が焦土作戦など姑息な手を使ってきたのは、単に準備が不足して慌てている証左。我らを恐れて正面決戦を先延ばしにしている結果に過ぎないとしか思えない。ここで一気に帝国中枢部に迫ることこそ我らに課せられた使命と確信する」

 

 主張そのものはウランフ中将と似ていると言えなくもない。

 ただしそこに至るまでの思考過程の深さには雲泥の差がある。

 

「……ルフェーブル君、いくつか君に指摘させてもらう。先ず焦土戦術は立派な戦術だ。帝国軍は慌てているわけでも逃げているのでもない。物資を意図的に不足させておくという計画性がそれの証拠だ。距離を防壁そのものにするのは古来から常套手段の一つだ。君は士官学校で習わなかったかね。もう一つ、今回の出兵で航路などの幾つか重要な情報が手に入った。これは立派な戦果だよ。君には艦隊戦で敵艦を沈めなければ戦果に見えないのかもしれないが」

 

 それでもルフェーブル中将はせせら笑うだけで引き下がらない。

 ルフェーブルはロボス派の中核であり、ロボス元帥がバックについている以上シトレ元帥に遠慮する気持ちなど最初からない。不遜ともいえる態度を崩さないのはその理由からだ。

 

「そんなつまらないことを戦果と主張なさるなら結構。ただし、私のみならず同盟政府、そして同盟市民が同じ認識をするという保証はない。同盟市民はそんな詭弁ではなくもっと大きい戦果を望んでいる。私は断言するが、ここで撤退することは同盟軍のせっかくの勝機を手放すことと同義であり、チャンスを臆病のために棒に振ったと後世にまで語り継がれることになる。元帥がそういう評価を望んで受けたいと思うのであれば勝手になさるとよろしいが、小官もそれに名を連ねるのは看過できませんな」

 

 さすがにここまで言われ、温厚なシトレ元帥もわずか眉を動かした。

 

「臆病? 私のことを臆病と、君は言うのかね」

「その表現が端的かつ適切でしょう。同盟軍将兵は戦うためにいるのであり、戦わずに逃げる兵に何の意味があるのかと。ましてやそれを命じる司令部に何の存在意義が」

「では君に私の考えをはっきりと言っておこう。妄言を言う余地が無いように。二度とは言わないから承知しておきたまえ」

 

 シトレ元帥にしては大変珍しく相手の話を遮った。どんな相手のどんな話でも最後まできちんと聞くのが常なのに。

 

「ルフェーブル君、兵の命というものは貴重なものだ。一人一人に恋人も家族もいよう。今、我々はそんな一千万人もの兵の命と共に帝国領に入っており、彼らを無事に帰してやるのが私の考えることである。戦うべき時にはもちろん戦う。しかしリスクを常に正しく認識するのが司令部に課せられた責任というものではないか。当初の作戦目標を変更し、無駄にリスクを負うなど愚か者のすることだ」

 

 ルフェーブル中将はロボス派の中で昇りつめてきた。

 そしてロボス派以外からの評判は悪い。世渡りで中将になったという専らの評判である。

 もちろん、さすがに同盟軍一個艦隊の指揮官であり、とにもかくにも生き残ってこれたのだからあからさまに無能とは言えない。運だけではそうはならないからだ。多少なりとも戦理を理解する才覚はある。

 しかしロボス派にくっついていなければ、この地位に相応しくないと見られているのも確かなことである。

 誰もがルフェーブル中将をこう揶揄していた。「おべっかをいう以外に何ができるんだろう。そのおべんちゃらを言う口と同じ口で艦隊指揮もするんだとよ」

 

 ルフェーブル中将は納得せず、言うだけ言うと憤然として退席した。

 

「では帝国軍は勝手に勝利宣言をするでしょうな。戦う意気地すらない同盟軍は、帝国軍の陰に怯えて逃げ帰ったと。この政治宣伝に対しても、シトレ元帥は言い訳を準備した方がよろしかろう」

 

 この面会、シトレ元帥も後味は悪い。

 お互いに最後の言葉を飲み込んだのはどちらにとっても正解だった。

 もしもルフェーブル中将が心に思うだけで出さなかった言葉、利敵行為とまで口に出していたら。シトレ元帥も心に浮かんでいた言葉、艦隊指揮権の一時剥奪を申し渡していたに違いない。

 

 

 

 シトレ元帥は最後の四人目、ホーウッド中将と面会した。

 同じロボス派であるルフェーブル中将と同じことを言ってくるのではないかと予期し、シトレ元帥はうんざりした気分だ。

 だがホーウッド中将の言うことは全く異なったもので、少なからず驚かせられた。

 

「撤退の方針を示されたことについて、異議はありません。小官がお聞きしたいのは、今まで観察してきたドヴェルグ星系やビルロスト星系をどうするのか、ということです。そこの民衆は帝国の圧政のため、貧困に喘ぎ、労働を強いられてきました。この民衆をあっさり見捨てて帰るのでしょうか。帝国の支配が再び始まれば搾取されるだけです。帝国の民衆だからといって同盟の市民と区別してよいのですか。我ら民主主義の軍隊が来たのに、何もしないのでは何の価値があるのかと」

 

 それは意外な意見だった。

 

 元々ホーウッド中将はとにかく穏やかで地味な存在だ。

 ことさらおべんちゃらをいうわけではないが、危険な野心を持っていないことが周囲によく分かる。ロボス派に対し積極的な貢献はしていないものの、その穏やかさがむしろ操縦しやすいと受け取られた結果、艦隊司令という地位に就けられた。

 指揮官としての能力は水準以上と評価されている。ただし、これまでの戦いで積極攻勢の局面において輝くことはあまりなく、撤退の守勢で犠牲を少なくする方が目立つ能力だ。その性格によるのだろう。

 ロボス派に属している関係上それ以外からの評判は良いとはいえないが、ただしその人柄から嫌われていることもなかった。

 

 シトレ元帥はさすがに即答できない。

 この質問は同盟軍の政治哲学の根幹に関わることだからだ。

 

 

「ホーウッド君、それについては、大変に難しい……」

 

 先ずはそれしか言えない。

 シトレ元帥としても民衆を救いたいのは山々だ。

 だが、現実的には困難なことが多すぎる。

 民衆を同盟領まで移住させずに民主化など論外だ。直ぐに帝国軍が来る。中途半端に民主主義の種を播き、責任を取らないのは最悪の結果を招くだろう。

 帝国の弾圧と民衆の悲劇、おそらく流血で終わるのは火を見るより明らかだ。

 帝国は必ず民衆を危険思想に染まった病原体のように駆除にかかる。

 

 その場合同盟は、彼らを捨て駒に使ったという汚名を受ける。

 

 かといって民衆を同盟領に移動させようとした場合、はたして民衆自体がそれを望むだろうか。

 いいや、生活基盤を捨て去ってまでも同盟領に来るとは考えられない。今現在、民衆は民主主義を理解しているわけでも傾倒しているわけでもないのだ。同盟領に来ようという自発的な意志がないのにもかかわらず移住させれば、すなわちそれこそ民主主義ではない。

 

 最後に考えるべきは仮に帝国領民を同盟に移住させた場合、帝国の方はどう受け取るだろう。

 おそらく拉致略奪としか認識しない。

 帝国は今まで同盟領の有人惑星をしばしば掠めとってきた。人をまさに拉致して思想矯正という名目で事実上の農奴にしたことは多い。

 それに対し同盟はもちろん非難し、政治的プロパガンダに使い、同盟星系の結束に使っている。今後、同盟も同じことをしているではないかと口実を与えることになってしまう。拉致が堂々と正当化されてしまうことになる。

 

 答えに詰まるシトレ元帥に対し、ホーウッド中将もそれ以上詰問することはない。

 

「元帥、対応の困難さは小官も充分承知しているつもりです。ではせめて、農業技術書や工作機械を現地に置いていくことを許可願います。政治的なことはともかく、少なくとも彼らの暮らし向きが向上するようにしてやれればと思います」

 

 それは同時に敵国を富ませることでもある。戦略的にはやってならないことだ。

 しかし、シトレ元帥は快諾した。

 

「もちろん、それは許可しよう。人道的なことであるからには戦略より優先する」

「元帥、それともう一つ、今の段階で同盟への移住を希望する人間についてだけは艦隊と同行することも」

「それもいいだろう。入国審査や許可については私から取り計らう。今回、進軍できた星系の民衆だけでも救いたかった。それがかなわなくて私も残念に思っているのだよ。ホーウッド中将」

 

 その結果である。ホーウッド第七艦隊所属のヴァ―リモント少尉は帝国領で恋仲になったテレーゼを同盟に連れて戻った。ほどなく結婚して二人は幸せに暮らした。

 

 こうして帝国領出兵は少なくとも二人の人間を幸福にすることはできたのである。

 

 

 シトレ元帥と同盟軍五個艦隊は何ら戦わず、一兵も損じることなくイゼルローン要塞への撤退を完了した。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第五十七話 空洞の帝国

二大貴族の動き……


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