この五十七話が本来の順番になります
「しまった! 結局逃げられたのか。叛徒どもは艦隊戦をする気が無く、すぐに戻るつもりだったとは…… 忌々しいほど理性的だ」
こう言ってラインハルトが悔しがる。
敵艦隊が帝国領に深く入ったところを満を持して反撃にかかる予定だった。
逃さず叩き、全てを討ち果たすために。
多数の艦隊を準備し、取り掛かろうとしたその矢先、敵は間一髪のところで消えていた。
戦いたかったラインハルトは大いに悔しがる。
ところがその様子を見るオーベルシュタインの方は何も表情を変えず、事実だけを言った。
「敵は撤退しました。帝国領を守り切ったことこそを功となさるべきです。戦う機会はこの先いくらでもあるでしょう」
戦いそのものを欲していたラインハルトの内心を承知していながら言う。
ただし帝国の防衛に成功したことも間違いではない。
「オーベルシュタイン、問題はこの先だ。次に戦う機会とやらが嫌なタイミングでなけばいいが」
戦いの後始末をする者はもっと複雑な感情を抱く。
ラインハルト麾下の各将たちは焦土作戦を決して是としていたわけではない。単純に作戦の消極性そのものに不満を持っていたビッテンフェルトはともかく、焦土作戦の持つ民衆への損害は容易に想像できるからである。
今回、叛徒は早く退いて行った。そのため餓死者が出るほどにはならなかった。
しかし、暴動や混乱はひどいものだったのだ。なぜなら焦土作戦はイゼルローン要塞とオーディンを結ぶ線のほぼ半分に至る有人惑星に適用され、軽く三百を超える数だったのである。
おまけに直接戦闘がなかったことは、戦略眼のないほとんどの者にとっては中途半端に映る。侵攻した側の同盟では、犠牲を出すことなく帰還できて安堵しているシトレ元帥以外の者は納得しづらい。
それは帝国内でも同じことになったのだ。
帝国では相手の侵攻を撤退させた功がある以上、ラインハルトに対し表立って逆風にはならない。皇帝によるねぎらいの言葉さえ受けられた。
しかしながら、一部の者から過剰に侮られることになってしまった。
「あの金髪の孺子も大したことはないな。ただ眺めているしかできなかったではないか。叛徒の方が勝手に帰ったことで大きい顔をしているだけだ。僥倖に過ぎぬ。元帥などという地位がそもそも過剰なのだ」
喜んでこれを言うのは銀河帝国随一の大貴族オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵だ。
銀河帝国発祥の頃からの名家の当主であり、クロプシュトック家などと違うのは、血筋だけではなく領地も財力も膨大な力を有している。
真の帝国貴族、貴族の中の貴族を自負しているブラウンシュバイクは、かねてより成り上がり貴族を嫌っている。そのため、わずか数年で帝国元帥にまで昇りつめたラインハルトを苦々しく思っているのだ。
ブラウンシュバイク公の話を聞くのは、その一族に連なっている、甥のフレーゲル男爵である。
「叔父上、だから常日頃から言っているではありませんか。姉の威光を傘にきる成り上がり風情が運だけで元帥とは、いずれ化けの皮が剥がれるのは必然。あのような者、形ばかり貴族で卑しい血筋の者などに何の実力もあろうはずはありません」
「フレーゲル、だがそんな孺子が今や帝国軍で一番大きい顔をしているとはな。エーレンベルクやシュタインホフは引退した。唯一孺子以外で残っている元帥はミュッケンベルガーだが、最近は精彩を欠くとか。帝国の現状にも困ったものだ」
「なればこそ、帝国を我らが変える好機」
「不敬だぞ、フレーゲル。帝国は皇帝陛下のものであり、変える権利は陛下にのみある」
そう言いながら、ブラウンシュバイク公は言葉とはうらはらに楽し気だった。
ここはブラウンシュバイク家の山荘だ。
豪華な屋敷ではなく、敢えてこの小さい山荘で過ごすことも時々あるのだ。しかし、山荘とはいえ置かれた調度品の数々は間違いなく超一級品である。手にしたワイングラスも、その中身もそうである。
この夜、暖炉で焚かれている薪でさえ選び抜かれた一級品だ。それほどの権勢を誇っているのである。
オットー・フォン・ブラウンシュバイクは多少撥ねっ返りだが純粋なこのフレーゲルを親族中で一番気に入っていた。この山荘で過ごす時にはたいがい一緒だ。
「叔父上、ルドルフ大帝以来の名家が帝国の中心となり、正しい秩序を守るのです。由緒正しい血筋の者がふさわしい位置に立つこと、これしか帝国を保つ道はありますまい」
その名家というのが自分たちを指すのは自明だ。肥大した自尊心には甘く響く言葉である。
「そうだなフレーゲル。しかし、我らの思惑だけで動くものでもない。特にリッテンハイムの奴は何を考えているのやら。あ奴は開明派とかいう連中まで抱き込んでいるようだからな」
「なればいっそのこと、まとめて排除してみては。ブラウンシュバイクの叔父上が一声かければ、帝国貴族三千家、雪崩を打って従いましょうぞ」
「まあ待て。我が娘もまだ小さいのだ。その時になるまでは待っておれ」
二人はあまりに危険な野心を持っている。
だが、それを実現しうる根拠も充分にあった。
現皇帝フリードリヒ四世の皇太子は一昨年逝去している。その子供が一人いるがまだ幼児でしかない。現皇帝の子で成人している者はたった二人しかいないのだ。
すなわちブラウンシュバイク家に降嫁したアマーリエ・フォン・ブラウンシュバイク、リッテンハイム家に降嫁したクリスティーネ・フォン・リッテンハイムのことである。
皇帝はいずれ死ぬ。
いや、フリードリヒ四世は元々体が強い方ではなく、心臓に持病を抱えている。
その死後、皇位は三人の継承権保持者のいずれかが手にする。それ以外にはいない。本来皇族はもっと多くいるべきなのだが、皇位争いの度に繰り返された悲劇のせいでこんなことになった。皇帝の兄たちはまとめて既に死んでいる。
人口二百五十億人を抱える銀河帝国の皇室が、たったのそれだけになっているとは。
そして更に重要なことは、皇族はたいがい生まれても成人まで生きる方がずっと少ないという事実だ。原因がどうであれ、事実はそうである。皇太子の子供は成人するまで年月を要する。そこまで生きるとは限らない。いや、そうならない可能性の方がはるかに大きい。
であれば、皇位を受け継ぐのはぼ間違いなくアマーリエかクリスティーネのいずれかになる。
もう一つ重要なことがある。アマーリエにもクリスティーネにもそれぞれ娘がいる。仮にアマーリエが皇帝になり、娘がそれを引き継いだとしよう。
そうすればブラウンシュバイク家当主オットー・フォン・ブラウンシュバイクは国父の立場になり、もはや皇帝に近い存在に上り詰める。
これはリッテンハイム家に置き換えても全く同じことである。
帝国の全ての人間は当然のようにそれを知っている。だからこの二つの家は貴族の中でも特別なのである。それぞれを中心として周りを巻き込み、争いを続けていた。
帝国の安定を願うリヒテンラーデ侯が苦心する由縁である。
もしも皇族が多くいたならば、帝国を揺るがす危険要因のブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を単に排除すればいいだけだ。随一の陰謀家であるリヒテンラーデにはたやすいことであったろう。策略を駆使して、裏切り者を使うか濡れ衣を着せるか、方法はともかく一つ一つ無力化すればいい。
だが、現実にはジレンマがある。
両家のどちらも失ってはならない。確実に次代の皇帝を出すからには、ただでさえ少ない皇位継承者をこれ以上減らすなどできるわけがない。両家が帝室に忠義がないことは分かりきっていても、粛清するわけにはいかないのだ。
リヒテンラーデが手をこまねいているうちにこの二家は力を持ち過ぎた。
ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を比べてみると、どちらもルドルフ大帝以来の名家である。しかし家格としてはわずかブラウンシュバイクの方が上といえる。
権勢も大差はないとはいえ厳密にいえばブラウンシュバイクの方が強い。
更にリッテンハイムの派閥に大きな痛手があった。派閥の中核に位置していたヘルクスハイマー伯爵家の謎の出奔と死がその原因である。
元々領地の大きさで比べるとリッテンハイムの派閥の方が劣る。しかし経済力では逆にブラウンシュバイクの派閥を凌駕していた。
これは高度工業惑星を持つヘルクスハイマー家のおかげだった。強い競争力を持つ工業製品を手にしていれば、それを組み込む多くの産業でやはり優位に立てる。リッテンハイム派閥はそのネットワークを基盤に強勢を誇っていたのだ。
しかしそれはもはや失われた。そうなると経済力でさえ劣勢に追い込まれてしまう。
人間というのは正直なものだ。いや、貴族であればこそ機を見るに敏だ。
誰しも勝ち組になりたい。
国父を頂く派閥の一員として今以上の権勢を誇るか、破れた派閥として冷や飯を食わねばならないかの差である。下手をすれば社交界追放の憂き目を見るくらいで済まないかもしれない。
沈みゆくリッテンハイムの派閥から何とか抜け出し、ブラウンシュバイク家によしみをつなごうとする寝返り貴族が出てくるのは必然だ。
それが分かりながらリッテンハイムの方では焦るばかりである。逆にブラウンシュバイクは黙っていても勝負がつく情勢に笑いが止まらない。
先頃、ブラウンシュバイクの持つ富が帝国の富の実にほぼ六分の一にもなることが分かり、六分の一殿という言われ方まで囁かれている。それが加速度をつけて肥え太るのだ。
もう少し待ってアマーリエの娘エリザベートが社交界に出てしっかり認知され、誰もがブラウンシュバイク家の隆盛を認めた時、すなわち帝国を継ぐのが当然とみなされた時、何もせずとも勝負がつく。
ところが多くの人間の思惑をよそに情勢がいきなり変わる。
現皇帝フリードリヒ四世が心臓発作で倒れた。
豪華絢爛たる銀河帝国はその内部に弱点を抱える砂上の楼閣だった。それが誰の目にも分かるようになるまで、それほど時間はかからなかった。
次回予告 第五十八話 歓迎
ヒルダの思惑はいかに