エカテリーナは世の中の大局的な情勢に興味を持っていく上で、やはり自分の故郷フェザーンのことを思う。
フェザーンが繁栄しているのはもちろん肌で知っている。
オーディンには確かに人間は多い。文化も高い。しかしフェザーンの方が進歩が速くて賑やかだ。何より明るく楽しい。
そのフェザーンの富の源泉は銀河帝国と自由惑星同盟という国との中継貿易にあるのも知っている。
フェザーンは初めフェザーン回廊の貿易輸送艇の寄港地として、また税関としてその繁栄が始まったのだ。
航路も惑星フェザーンの位置もその自然条件も良かった。幸運の惑星なのだ。
人が集まり、やがてそこに目をつけた商売、娯楽で更に大きくなった。
繁栄が一定の規模を超えると市場としての価値が出てくる。
ついで商業取引の発展は金融の発達と情報の集中をもたらす。
それが最終的には資本の蓄積になるのだ。その資本はもちろん帝国や同盟のあちこちに再投資され、利潤というおまけをつけて戻ってくることになる。
ついでにフェザーンの看板そのものに価値が付く。それは信用だ。
帝国の産品がフェザーンにわざわざ運ばれ、フェザーン市場で値付けがされてから帝国に戻されるという一見馬鹿なことまで起きる。
今やフェザーンには富が集中し、溢れているのだ!
これがどこまでも続くように見える。
しかし、根本的に中継貿易に立脚していることもまた事実である。繁栄はこの細い脚一本で支えられている。もしもこれが失われたら今までとは逆の循環になり、いずれは金融だけで繁栄を保てることはなく、やがて瓦解するに違いない。
今の銀河の政治体制が続くのがフェザーンにとって最も望ましい。
エカテリーナは繁栄の続くフェザーンを見ていたい。富を奪われて衰退するフェザーンなど考えたくはない。いつしかフェザーンを中心とした宇宙になるという未来絵図を夢想するようになった。
奇しくもそれは父アドリアン・ルビンスキーと同じ夢だったのだ。
やがて季節は初夏に変わる。人にとって一番過ごしやすく爽やかな季節だ。
しかし、悲しいことにこの季節は同時に別れの時でもある。
ミュラーは士官学校を卒業する。それはエカテリーナにとって寂しいことだ。
ミュラーの方でもまた寂しいものだ。
士官学校卒業と、同時に軍に入ることについては若干の不安はあれど臆するところはない。ミュラーは優しい人間だが臆病者ではないからだ。
しかしエカテリーナとのことでは寂しさを感じる。
今まで度々エカテリーナには困らされたこともあったが、面白かったことも多い。士官学校の思い出を構成する重要なピースの一つなのである。
この先、また会うことがあるのだろうか?
いや、一生ないかもしれない。そもそもの身分が違う。フェザーンの大令嬢と一介の軍人では。
それよりもエカテリーナが大人になり、ミュラーのことなど思い出すこともなくなっていくのだろう。
今だけの仲間なのだ。
そんなに遠くない将来、脱皮して貴族の社交界という煌びやかな場に出れば全て忘れ去られる。オーディンの下町や野山で一緒だった平民軍人のことなどどうして覚えていられる、覚えている理由がある。
だったら一方ばかりが思い出を大切にしているのは客観的に見て滑稽というものだろう。
「やっと卒業だ。いろいろあったけど、楽しいこともあったなあ」
口調は寂しく、決して楽しそうではない。
「今さら何言ってるの。卒業なんだからもっと楽しそうにしてよ。卒業するために学校入ったんでしょ」
それはそうだ。
士官学校というものはそのカリキュラムのきつさに音を上げて途中でドロップアウトする者も少なくない。席次はともかく卒業まで辿り着くことも大変なのだ。
あるいは軍の実態を知るにつれ次第に怖くなり士官学校を逃げ出す者もいる。ここ最近の戦いは激しく、前線将兵の生存率もまたそれに従って下がっているからである。
「それはそうなんだけど。何となく寂しいこともあるんだよ」
ミュラーは、卒業の寂しさの大半がエカテリーナに起因するとまでは話さなかった。
気を遣わせないように別れの挨拶をしないというのもある。
それにエカテリーナの方では存外寂しそうではないのだ。
意外なことである。
気にしていないのか。これからもう離れてしまうのに。
普段あんなに率直なエカテリーナが寂しさを見せないようあえて明るく振る舞っているのか?
実はエカテリーナは本当に寂しくない。
ミュラーのことが気にならないわけではない。
理由がある。
もうとっくに手を回していたのだ! ミュラーは本人の希望通り最初は艦隊勤務につくが、いずれかの時点でフェザーンの駐在武官になるように手を打っていた。駐在武官の椅子は少ないためそれの一つが空きしだいミュラーがフェザーンに来る。
エカテリーナ本人は女学校卒業後はオーディンの社交界で活動をする気はない。
フェザーンに戻るつもりだ。つまりミュラーと必ずまた会えるではないか。
エカテリーナはルビンスキー家の力を使うのに遠慮はしない。
力は使うためにある。
手があるのにわざわざ手を使わずに文字を書こうとする人間などいないではないか。それと同じだ。
もう一つ、これはミュラーにとって決して悪いことではない。
駐在武官はどちらかというと出世に関して言えば栄達コースなのだ。戦場に出ない後方勤務としては珍しいことに。
なぜならフェザーンは帝国にとって最前線という認識なのである。フェザーンは帝国の一部という形式を纏っているが内容は別の国であるからには、弾が飛び交うことはなくとも前線だ。そして駐在武官は決して外交の添え物ではない。
「行ってらっしゃい、ミュラー、死なない程度に頑張って」
その言い方もどうかな、エカテリーナとミュラーは思った。
その次はあの幼年学校の二人もまた卒業式を迎える。
もちろん、ミュラーと違ってこちらの少年たちには寂しさの一欠片もない。
もう未来への希望で一杯だ。他の感情が入る余地が全く無い。
「いよいよだ。ここからだなキルヒアイス。宇宙を手に入れる第一歩だ」
「やっと始められますね。ラインハルト様」
その希望に溢れた姿は、はたから見ても眩しいくらいだ。
エカテリーナはこの二人が才能において充分なことは分かっていたが、それでも世の中というものは才能だけで渡っていけるほど甘くないとも知っている。
どうか二人がいつまでも無事であるように願うばかりだ。
「今日はお二人の卒業のお祝いと思って、サンドウィッチを作ってきましたわ」
「フロイライン、サンドウィッチが好きなのか。まあ、便利な食べ物だと思うが」
「今日のは特別ですのよ。私が今まで作った中で、最高傑作のものです。」
「そうか。それは楽しみだ」
食べる段になるが、そのサンドウィッチはラインハルトもキルヒアイスも見かけあまり大したものには見えなかった。
ただの白くて薄いパンのサンドウィッチだ。
具材として中にはスライスしたストロベリーが挟んである。ただそれだけだった。
他に何も入っていない。
ただし、食べてみるとこれが殊の外美味かった!
「エカテリーナ様、本当にストロベリーだけなのですね。しかし確かに美味しいものです」
「フロイライン、なるほど傑作だ。そう言うだけあるな。思うに他に何も入っていないからこそ美味いのだな」
「よくお分かりになりました。そうです。ストロベリーだけなのがいいんです。クリームも、ジャムも入れてはいけません。とたんに平凡な味になります」
二人は納得して食べ進む。
その通りなのだろう。ストロベリーの水分も、フレッシュな香味も絶妙だ。
「これが私の最高傑作です。素材の味だけでこれほどになります。この先いつまでも憶えておいて下さい」
サンドウィッチのことで令嬢は何を言っているのだろうか。
ずいぶんと強い言い方をする。二人の少年はしばし食べるのを中断して聞いた。
「いろんなことを付け足すのが良いことではなくて、それは成長とは言えなくて、そのままでいいということです。人もそうなんだと思います」
エカテリーナの言葉ではうまく説明できない!
言いたいことがあるのに伝えられない。
「エカテリーナ様、つまり、人も同じように本質をそのまま保てばいいと、そういうことですね」
さすがにキルヒアイスは分かってくれた。言葉を変えて説明を付け足してくれる。
「ふん、言われなくとも俺は変質などしない。変わりようがない」
「ラインハルト様、まっすぐ生きるのは難しいことだと思います。しかし、ぜひそれをやり切って下さい」
エカテリーナはこの純真な二人にそのままでいて欲しかった。
変わらない心でいれば、困難なことがあっても乗り越え、それが二人にとっても周囲にとっても一番幸せな道だと思えるのだ。
次回予告 第六話 政変
フェザーンの政変が運命を大きく変えて……