疲れも知らず   作:おゆ

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第五十九話 487年10月  二者択一

 

 

「お話は分かりました。即答はできませんので、いずれ後日に」

 

 こうしてヒルダはリッテンハイムの屋敷を退出した。

 驚くことも多かったが、心に留め置き、そして冷静に比較検討しなくてはならない。重大なことは感情に流されてはならない。

 

 ヒルダは自分の屋敷に帰り、父フランツ伯に報告する。

 

「あまり政治的な話はできませんでした。正直申し上げれば、リッテンハイム侯は策略を弄するタイプではないようです。ですがもっと大事な話をしたような気がします」

「そうなのかい。では結局どうするのだね、ヒルダ」

「それはまだ決まりません。リッテンハイム側とブラウンシュバイク側の比較をした後で決めるべきでしょう。そこでお父様にお願いがあります。ブラウンシュバイク公の耳にマリーンドルフ家とリッテンハイム家が会談をしたという事実だけは伝わるようにして下さい」

 

 ヒルダの明晰な頭脳は止まることがない。

 この会談のことが伝わったら、ブラウンシュバイク家はいったいどういう反応をするだろうか。

 

 一つの可能性として、まるで無視するかもしれない。

 その場合はブラウンシュバイク公は両家ごと踏み潰せる自信があるのか、と推察できる。

 あるいはもう実力行使を決めているため、今となっては武力のないマリーンドルフ家などどうでもいいと思っているのか。

 

 一つには慌ててブラウンシュバイク側もこちらに会談を申し込んでくる可能性がある。

 それなら勝てる自信が足りないということに通ずる。もしくは勝つために念には念を入れる周到さがある策略家とも考えられる。

 

 一つには会談ではなく、裏に回り、策をもって両家を離反させる手を打ってくるか。

 それはそれで策を用いる知力が備わっている証拠になる。

 

 こういったように、出方を見るだけでブラウンシュバイク家の思惑と力量を推し量れる。ヒルダはそこまで考えているのだ。

 

 

 

 

 

 結果はほどなく出た。

 ブラウンシュバイク家からマリーンドルフ家に会談の申し込みがあった。

 むろんこれに応じ、またヒルダが赴く。

 

「儂はブラウンシュバイク家の当主だぞ! その儂が呼んだのに当主が来ないとは何たることだ。娘などでは話にならん!」

 

 会談の第一声はある意味予測通りだった。

 ブラウンシュバイク公の尊大で短気な性格は既に聞いているところだ。

 それにヒルダは理解しているが、ブラウンシュバイク公の言うことは別に間違っておらず、当主が来ないのは確かに非礼である。口に出すか出さないかは別として。

 

「大変申しわけなく存じます、公爵様。なれど父フランツは政治的なことを全てわたくしに委ねると決めておりまして、それゆえ会談には差し支えないと存じます。どうか宜しくご寛恕下さいませ」

「この銀河帝国でそのような無礼が許されると思うな。儂は無礼なものは嫌いだ」

 

 そこまでは言い過ぎだろう。

 ルドルフ大帝の御代から続く古い貴族家どうし、本来優劣はないはずだ。

 もちろん家格も権威もブラウンシュバイク家が遥かに上なのは事実だが、マリーンドルフ家がその臣下というわけではない。この会談自体も事前の相談があったわけでなく、一方的に日時を指定して通告してきただけではないか。もはや会談の申し込みではなく呼び出しに近いものだった。

 

 しかしヒルダは別に腹を立てることはない。ブラウンシュバイク公の意図を推し量っているからである。

 

 これほどの態度を示すとは、ブラウンシュバイク公が既に一般貴族より一段高いところに昇ったことを見せつけるということも含まれるのではないか。

 既に勝利し、国父となる道が見えていることを言外に示しているのだ。おそらくマリーンドルフ家以外の貴族に対しても同じ態度なのだ。

 これはこれで一つの示威行動としての策であり、理解できるものである。

 

 ともあれ、ヒルダは平伏とまではいかなくとも目を伏せる姿勢をとる。

 ここに喧嘩をするために来たのではない。

 

「マリーンドルフ伯の娘、まあそちらがそれで構わないというなら、言うだけ言おう。我がブラウンシュバイク家に助力せよ。リッテンハイムなどではなく」

「我がマリーンドルフ家を評価して頂き感謝します。なれどこれは難しいお話しと存じます」

「何が難しいというのだ。無礼な上に面白くもない冗談を言う。マリーンドルフ家にとって良い話ではないか。こちらはマリーンドルフ家が助力してもしなくても勝つ。絶対だ。その上で、これまで味方してこなかった咎を水に流そうというばかりか、今さらこちらへ加わるのを赦してやろうと言っている」

 

 

 

「叔父上の言う通りです。親切でマリーンドルフ家を助けようというのですぞ!」

 

 この声はフレーゲル男爵のものだ。最初から広間にいながらワインを飲んでいるフレーゲル男爵が話に加わってきた。

 今、まるで腰巾着のようにブラウンシュバイク公の横にすり寄っている。

 

「実に叔父上は寛大だ。名家の血筋が無駄に滅びるのを避ける、そのためにわざわざ時間を取るとは。これぞ帝国貴族のあるべき姿」

 

 ヒルダはこのフレーゲル男爵が最初から好きではない。生理的に。

 かつてのマクシミリアン・フォン・カストロプと同じように。

 

 感情にあえて理屈をつけるとすると、フレーゲルは見かけだけ上級貴族らしく小ざっぱりとまとめているが、その内面に矮小で暗いものを感じる。

 そこだけ見れば、フレーゲルはマクシミリアンより悪いくらいだ。

 マクシミリアンは歪な選民意識と世に対する怨念を持っていたが、少なくとも自分の足で立つ実行力を持っていた。褒めるわけではないが前を向く気概を持っていたことも確かだ。

 

 フレーゲルはあくまでブラウンシュバイクの腰巾着、虎の威を借る狐に過ぎない。

 

 ところでこの会談の場にブラウンシュバイク夫人のアマーリエとその娘はいなかった。噂ではオットー・フォン・ブラウンシュバイクとアマーリエの仲は良くなく、館を別にしているというが、その噂は本当のようである。

 

「今一度言うが、フレーゲルが今申したように、こちらはマリーンドルフ家を助けてやろうというのだ。リッテンハイムなどについたらマリーンドルフ家は踏み潰されるのがオチであろう」

「我がマリーンドルフ家に対してのご親切は本当にありがたく思います。しかし、せっかくの機会、公にお聞きしたいことがございます」

「うん? それはいったい何だ」

「今後のことです。物事が終わった後、ブラウンシュバイク家がどういうおつもりで帝国を動かすのか知らねば決めることができません」

 

 ここでブラウンシュバイクが口角を上げた。

 ヒルダにとっては全く不愉快な笑いだ。

 

「これはそうか、なるほど、そこを確認したいのは道理だな。なかなか思ったよりもしたたかな娘だ」

 

 ブラウンシュバイクは勝手に頭を回し、何か誤解したようだった。

 

「では約束しよう。我がブラウンシュバイク家に助力した場合、いずれマリーンドルフ家に国務尚書の椅子をくれてやろう。これは破格の待遇だ。分かるであろう」

「叔父上! いくら何でも国務尚書とは!」

「まあいいではないか。フレーゲル、お前は軍務尚書の方を望んでおったろう」

 

 そうブラウンシュバイク公にいなされてもフレーゲルは納得せず不満顔だ。今さら味方してくる貴族なんかに尚書の地位を獲られるのだから。おそらく政治を我が物とした場合の地位の割り振りまでフレーゲルなりに皮算用をしているのだ。

 もう一つ言えば、ブラウンシュバイク公は少なくともマリーンドルフ家が国務尚書を度々輩出しているのを知っているが、フレーゲルはそれすら失念している。おまけに、帝国の尚書は決して地位争いの道具にしていいものではなく、その地位に見合った責任と努力が必要なことを全く理解していない。

 

 

 

「娘よ、この重大さがそちでも分かるであろう。どうだ。これをそなたの父、フランツ伯が聞いたらおそらく涙を流して喜び、直ちに助力を言うに違いない」

 

 会談の最後までヒルダの名前を呼ぶことはなかった。名すら憶えるに値しないというのか。

 

「ただしその場合、こちらとしては古くからの血筋の貴族家もブラウンシュバイク家の前にひれ伏して忠誠を誓うとだけは宣伝させてもらう。先ずはそこからだ」

 

 ヒルダが回答を欲していた帝国の在るべき姿、そして政治手法の話など一つも出ることなく終わった。

 おそらくブラウンシュバイク公はこれまでの帝国政治を変えるつもりなど全くない。既にあるものを私物化するだけであり、良くしようなどはなから考えもしていない。それでは帝国は傾き、民衆は不幸になるのが目に見えている。

 

 ヒルダの質問の内容も助力と引き換えに与えられる報酬のことと勘違いしている。

 その意図も透けて見える。

 確かに国務尚書の椅子というのは大盤振る舞いに見えるが、どのみち政治権力を与えられることはなく、国父ブラウンシュバイクの使い走りにされてしまうだけだと予測できる。

 更に言えば、何のためにマリーンドルフ家に尚書の地位を与えるか。

 おそらく専横を隠し、旧来の秩序を崩していないとアピールするための看板の代わりに使おうとしているのだ。専横に反発する人間の目を逸らし、風聞を良くする。

 そんなお飾りの国務尚書では、肩書きに価値を見出す凡人なら別だが、ヒルダに何も魅力的なことはない。

 

 むろんその前もマリーンドルフ家の名前を使われるだろう。古くからの名門貴族が率先してブラウンシュバイク家に忠誠を誓えば、他の中立貴族も雪崩を打ってそれにならうだろう。これで確実の上にも確実にリッテンハイム家との闘争に勝利できる。

 その決定打に使えるのだ。利用価値はそこにある。

 

 

 

 もちろんこの場での即答は避け、ヒルダは帰った。

 ブラウンシュバイク公はヒルダのことをただの使い走りと見ていたのだから、そこを逆手に取って保留に持っていったのだ

 

 その後のブラウンシュバイクとフレーゲルの会話をヒルダがもしも聞くことができたなら、一ミリ秒も考えることなく即答しただろうに。

 

「フレーゲルよ、ブラウンシュバイク家当主のこの儂が直々に声を掛けたとは、マリーンドルフ家にとってまこと名誉なことだとは思わぬか」

「叔父上の仰る通りです」

「それなのに、即答できぬとよくも言いおった。何という不遜な娘か!」

「確かに。おそらく気が強いだけで道理も分からぬほど愚昧な娘なのでしょう。叔父上、今気がつきました! あるいはフランツ伯はそこが狙いで娘をよこしたのかも」

 

 フレーゲルの意見はまるで見当違いではあるが、ブラウンシュバイク公には心地よいものだった。

 

「なるほど。老練なフランツ伯が儂をけむに巻くために…… つまり鈍い答えを繰り返し、そこで儂が業を煮やし、報酬の上澄みの言質をうっかり漏らすのを期待した、と。不愉快だ。しかしフレーゲル、我が甥ながらよく気が付いた。お前の知恵もなかなか大したものだ」

「お褒めに預かり恐縮の至り。このフレーゲル、全力を挙げて叔父上にお仕えする所存」

 

 

「頼りにしておるぞ。まあ、あの娘については儂の話をフランツ伯に持ち帰るお使いになってくれればよかろう。そうだフレーゲル、事が終わったらあの娘をお前の妾にでもしたらどうだ。短髪とは変わった趣味だが、顔そのものは悪くない。血筋に対して敬意を払うよう、念入りに躾をしてやった上で妾に」

「叔父上、ご冗談を。むしろ叔父上の妾に。」

「あのような娘、願い下げだ。気が強いばかりの女などアマーリエで充分だからな」

 

 

 

 




 
 
次回予告 第六十話 約束

そして悲劇は繰り返される

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