疲れも知らず   作:おゆ

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第六十一話 487年10月  回りだす歯車

 

 

 マリーンドルフ伯爵家はリッテンハイム派閥の一員として協力する。

 

 このニュースはオーディンを駆け巡り、多くの者に驚きをもたらした。

 今頃になってマリーンドルフ家が中立の立場を崩す、これも理由だが、やはりブラウンシュバイク派閥ではなくリッテンハイム派閥だということが最大の理由だ。

 

 どうして明らかに劣勢のリッテンハイム派閥に?

 

 憶測は憶測を呼ぶ。

 少なくとも血迷った結果ではなく、またリッテンハイム侯がうまく騙した結果とも思われない。マリーンドルフ伯爵家の高い見識は信用がある。

 こうして貴族の間に波紋が広がることもヒルダの計算の内である。

 

 

 逆にブラウンシュバイク公は地団駄踏んで悔しがる!

 ヒルダからの返答は礼節を逸しない大変丁寧なものであるが、中身としてはきっぱりと助力を断るものだ。あれこれ理由は付けない。付けても仕方がない。

 

「おのれ! 儂の陣営に加えてやろうと言うに断ってくるとは! 馬鹿にしおって! あんな娘、妾にすらしてやるものか。死ぬよりも辛い屈辱を味わわせてくれよう」

「当然です叔父上。この銀河帝国でブラウンシュバイク家を愚弄した罪より重いものがありましょうか」

「事が終われば名門伯爵家から平民に堕としてくれる!」

「叔父上、いっそのこと農奴にまで堕とし、開拓惑星に送り込むというのは」

「そうか、それも面白いなフレーゲル。そこで一生ドレスを着ることもなく、粗末なパンを食い、舞踏会の代わりに畑を耕して終わるがいい。いずれ必ず後悔し、儂に懇願してくるだろうが、その泣き顔を見るのが今から楽しみだ」

 

 

 

 

 この頃、銀河の反対側でも動きがある。

 ここ自由惑星同盟では後悔している者、溜息をつく者が何人もいた。

 

「グリーンヒル君、私の思い違いだったらしい。これほど同盟市民の熱狂が激しいとは計算違いだった」

「その責は私も負うべきものです。正に裏目に出ました」

 

 シトレ元帥もグリーンヒル大将も、一度帝国領に侵攻すれば政治家も市民も納得すると思っていた。どのみちある程度のガス抜きが必要なのだ。それなら手堅い作戦で行えばいいと考えた。熱狂が収まれば市民は理性的にもなるだろう、と。

 

 しかし事実は逆だった。

 

 尚のこと市民は熱狂的に直接的な戦果を求めるようになってきたのだ。そして目に見える戦果を持ち帰らなかったシトレ元帥に対する不満にもなる。あれほど神経を使う帝国領侵攻が全く評価されていない。派手な戦果の有る無しだけが問題なのだ。

 皮肉にも、ルフェーブル中将が言ったことが現実になりつつある。

 

「同盟は一度手痛い目に遭わなければ目が覚めないのかもしれんな、グリーンヒル君。だが、ここで一つ忘れてはならないことがある。戦いで死んだ者は生き返ることはない。いくら後悔しても、恋人や家族が泣き叫んでも戻ってこないのだ」

「……シトレ元帥、誠に残念です」

「もし死者が自分は何のために死んだのか問う権利があったとしたら、自国の市民の熱狂を冷ますためと知るだろう。そんな理由のために死んだとは、その魂が納得してくれるとは到底思えない」

 

 

 この晩秋、ハイネセンポリスの日は短い。もう夕陽の時間だった。

 統合作戦本部ビルの大きいガラス窓を通し、赤に近いオレンジの光が横から差し込んでくる。

 それが二人の表情を更に沈痛なものに見せている。いや、その落日の光こそが心情を表わすのにふさわしい。

 

「元帥、この上は善処しましょう。甲斐がないとしても」

 

 その二人の心情を理解できる者がたった一人だけ存在する。今はハイネセンではなく、イゼルローン要塞の司令室に座っている。

 ベレー帽を手に取り、きつく握りしめ、そのままコンソールに叩きつける。

 

「シトレ元帥があれほど見事に偵察を成功させたというのに…… 同盟は帝国に滅ぼされるんじゃない。いや、それならまだマシだ。歴史書に堂々と自由惑星同盟の名を載せられるだろう。だが、これでは史上稀にみる愚かな国として書かれるだろうさ。自分から滅びに行った国として」

「先輩……」

 

 たまたま側にいたアッテンボローがおや、という顔をする。ヤンがそこまで感情を発露するのは滅多にないことだ。

 もちろん、その理由も心情もよく分かる。もしもヤンが冷静だったら、かえってアッテンボローがベレー帽を床に叩きつけていた。ヤンがそういうセリフを言ったからそうしなかっただけだ。

 

 たった先ほど、イゼルローン要塞防衛司令官と駐留する同盟第十三艦隊司令官を兼ねているヤン・ウェンリーに通信があった。

 

 ハイネセンから決定事項として通達されている。

 

 それは、帝国領再侵攻、であった。

 

 

 

 同盟最高評議会はまたしても賛成多数で侵攻を可決した!

 

 しかも前回の可決では棄権も何人かいたが、今回はいない。

 反対を投じたのはまたしてもホアン・ルイ、ジョアン・レベロとヨブ・トリューニヒトのたった三人だけである。

 徒労感を感じながらもヨブ・トリューニヒトはここで投げ出すことはできない。また同じことをやって、同盟のために傷の少ない作戦にする努力を傾けるだけだ。

 

 

 

「何か、お疲れでしょうか。国防委員長」

「オーレリー嬢、あなたにもそう見えますか。これは失敬。あなたを誘った方が疲れを見せて気を使わせるなんて、僕はエスコート役として失格ですね」

「いいえ、素直にそう言って頂いた方がはるかに気が楽です。しかし、それなら休んでいられたほうが……」

「いや実は、休んでいる方がかえって気が焦るのですよ」

 

 それは本当である。ヨブ・トリューニヒトは同盟による帝国領再侵攻のことばかり頭に浮かび、四六時中心の休まる時がない。それを忘れ、穏やかな気分になれるのはこの時だけなのだ。

 

「こうして誰かと話している方が楽なのです。あ、これはまた失敬。さっきから自分の都合ばかり言っている」

「そう言って頂けて、とても嬉しく思います。私でよければ話相手にでもなりますわ。話甲斐のある相手になれればよろしいのですけれど」

「有難いですが、きっと退屈なことでしょう、オーレリー嬢」

 

 ヨブ・トリューニヒトはそう言ってくれるのが嬉しい。できればこの悩みを共有したいくらいだ。しかし、それは彼女には決して興味を引く話にはならないだろう。

 

「確かに私は政治の難しい話は分かりませんし、知識も理解力も乏しいと存じております。失望されてしまいますわ」

 

 エリザベートはエリザベートで気を回している。

 この国防委員長がもっと晴れやかに、楽しそうになればいいのに。

 

「政治の話をするなら、国防委員長の周りにはもっと相応しい方もおいででしょうが…… それこそ、女の方も」

 

 

 これはちょっとエリザベートが言い過ぎてしまった。

 あまり深く考えず、感情に突き動かされて思わず素直に言ってしまったのだ。こんな探るような言葉を。

 まったく、エリザベートらしくない。

 

「いえ、そんなことはありません。あなたと話しているのが僕にとって一番、いいのです」

 

 例えれば、二人はまるで十代のウブな生徒のようだった。

 今は手探りの気遣いこそ大事なのである。

 相手は真摯な心を持ち、決してスレていることはなく、真実を尽くしてくれると分かっている。

 

 

 

 あの舞踏会の後、ようやくヨブ・トリューニヒトはエリザベートを誘い出した。

 心で何十何百回とシミュレーションを繰り返し、さんざん逡巡した上でのことである。

 

「ぜひ今度は食事などご一緒したい」

 

 たったこれだけを伝えればいいのに。

 意を決して伝えたトリューニヒトの誘いは断られなかった。そして次の約束まで取り付けることに成功したのだ。

 結果、このように昼食と散歩を共にできるようになったのである。

 その時間はヨブ・トリューニヒトにとってとても幸せな時間だ。

 

 エリザベートの方では、もちろん誘いを断るはずはない。

 相手は一つの国家を代表する最高評議委員という立場にあり、秘書見習いとは目もくらむばかりに違う立場である。エリザベートにはあたかも帝国尚書のように感じられる。

 だが、そんなことは感情とは関係がない。

 一人の純真な青年という面を見てしまう。とても好ましく、吸い寄せられるくらいに。

 

 エリザベートがエカテリーナやアドリアン・ルビンスキーから言われていたのは、帝国から同盟への情報漏洩を探り、その流れを掴むことである。

 別に同盟の情報を知ることではない。

 それであればヨブ・トリューニヒトとのことは任務に関係がない。気兼ねなく、純粋に不器用なデートを楽しんだ。顔は自然と華やいでいる。ようやく、カストロプ家で暗い影を宿していた頃の姿を終わらせたのか。

 

 

 

 

 任務と言えば、エリザベートは先日不思議なことを目にしていた。

 

 秘書見習いの業務の一つとして、掃除や片付けをしていた時のことだ。

 エリザベートはもちろん貴族令嬢であるが、そういう雑用をあまり苦にしない。むしろ体を動かすのは好きな方だ。

 雑巾を持つのも新鮮な驚きになる。

 それに汚れものも気にならない。なぜなら手が汚れは心の汚れに比べればどうというものではなく、人にとって心こそが大事なのである。エリザベートは今までの壮絶な経験でそれが分かっている。

 

 そんな時、一つのことに気付いた。

 シュレッダーにかけられ、細かく裁断された廃棄書類を処分する際、目に留まった文字がある。

 もちろん情報抹消のために文字よりも細かく破砕されているのではっきり確認できるわけではない。

 

 だが紙を見た瞬間、エリザベートには浮き上がって見えた文字があった。

 

 なぜならそこにはカストロプ、と書かれているように感じられたのだ!

 

 普通ならそんな紙くず同然を見て誰も思い浮かぶことはなかったろう。

 しかし、エリザベートにはそうではない。

 二十年以上使ってきた自分の名前なのである。シュレッダーで崩されていても感覚で分かってしまったのだ。

 その上おかしなことに周辺書類の日付けがあまり新しいものではない。フェザーン弁務官事務所にカストロプ家反乱の情報が伝わるよりもかなり前の日付なのである。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第六十二話 疑惑の弁務官



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