疲れも知らず   作:おゆ

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第六十二話 487年10月  疑惑の弁務官

 

 

 元の文字はカストロプと書かれている。

 目をこらして見ても、絶対にそうとしか思われない。

 

 エリザベートは自分のことにも関係するのでとても気になる。

 周囲に聞いたところ、廃棄書類は弁務官トップであるプレツェリが自分でシュレッダーに入れているそうだ。他人に任せないのは意外だが、それは念をいれた秘密保持を遵守ということで理解できる。

 

 それが最近のことならば、カストロプ家のことが書かれていても不思議でも何でもない。フェザーンから帝国の内乱についての情報が通達されただけ、という単純なことだ。

 ただ問題はその時期だ。

 その廃棄書類はかなり早い時期に貯められたものだとエリザベートは見て取っている。

 

 自分の記憶と照らし合わせてもおかしい。その時期は、帝国の討伐艦隊が撃退された時期のようだ。かなり前なのである。

 しかしここハイネセンの弁務官事務所に教えられたのはそれよりずっと遅いはずである。帝国の情報統制をかいくぐり、ここまで届けられるのが早いはずはないからだ。つまりフェザーン政府が通達した公式情報の書類とすれば、時期があり得ないほど早く、説明がつかなくなる。

 

 

 どうして弁務官プレツェリがカストロプ家反乱の情報を早く手にしたのか。

 このちょっとした疑問を心に抱きながら日々仕事を続けた。

 

 エリザベートは本職の諜報員ではない。そういった訓練を受けていないのだ。

 そんな心持ちで過ごしていれば、何となく雰囲気に滲み出てしまう。諜報員としては失格だろう。

 当のプレツェリにもようやく疑問が浮かんだ。この秘書見習いが急に何か探るような目に変わったとは。

 プレツェリは再びオーレリー・ボアヌの情報を洗い直す。しかしどんなに見てもおかしなところはない。念のため、経歴に顔型照合までかけて検索した。それでも矛盾は出てこない。出るはずがない。実際はエカテリーナらが完璧に情報を仕上げているのだから。

 

 だが、プレツェリには敏腕諜報員としての勘がある。なぜかその勘が危機感を知らせてくる。今までそのおかげで何度も危機を乗り越えてこれた。最後はその直感を信じる。

 確認のための最終手段としてフェザーン文科大学卒業者に片っ端から当たり、オーレリーの経歴が本当か、実在するのか尋ねて回ることまで考えた。しかしその実行はほんのわずか遅かったのだ。

 

 

 

 その前に決定的なことが訪れる。

 

 今、プレツェリはオーディンのグラズノフから帝国貴族の動向についての報告を受け続けている。

 

 帝国内の不穏な動きは加速度的に速くなり、正に風雲急を告げている。

 これまで考えられなかった帝国貴族同士の内乱さえ予想の範囲内に入っている。帝国がどこへ向かっているか、とにかくこれまでの常識では考えられない。

 しかも今は同盟側から軍事作戦が予定されているタイミングなのだ。

 そのためオーディンからもたらされる情報はあまりに貴重で、逐一報告させる必要がある。

 

 今もまた劣勢側の貴族派閥にどうしたことか名門貴族家が味方に加わるという重大情報が来たところだ。

 

 

 弁務官事務所にフェザーンから来る通信は数多いが、プレツェリ宛に来る通信の場合は、それを受け取るのに一人だけで通信室に入るのが常である。

 エリザベートにはもちろん、他の弁務官事務所の人間にも通信内容は一切分からない。

 そうするのは機密保持のために当たり前だと誰もがみなしている。

 

 ただしエリザベートに分かることがあった。

 それは通信の内容ではなく、時間だった!

 その記録を取るのは簡単である。プレツェリが通信室に入る時間を見ておけばいい。

 エリザベートはプレツェリが通信を行った時間について、いくつか記録をとっておき、ある時内容の検索を試みた。

 

 何気ない気持ちからだ。

 最初から期待などしていない。通信の内容が検索で出るはずがない。

 プレツェリでなくとも弁務官事務所の通信内容は保存しておかないのが普通だ。本当に大事なものは紙に打ち出す。

 案の定、通信の情報は何も得られなかった。

「通信内容検索の結果、お知らせします。該当する通信、ありません」通信コンピューターがそっけなく告げてくる。

 

 

 しかし、エリザベートはおかしなことに気付いた。

 妙なのだ。

 内容以前の問題で、通信そのものが無いということもしばしば認められた。

 

「通信の内容が消えてるの? 通信が無いの?」

「通信の事実がありません」

 

 確認するとコンピューターがそう答えた。

 エリザベートの記録した通信時間に通信が無いとは? そんなはずはない。だったら考えられることは一つしかない。通信の後でわざわざコンピューターへ改ざんの工作をしている。

 なぜだろう。本来なら内容の消去で充分なはずだ。本国フェザーンから弁務官事務所への通信にそんなことをする必要があろうか。

 

 

 

 エリザベートに何かがおぼろげながら見えてきた。

 

 元々エリザベートはそういった方面が得意だ。であればこそ、かつてカストロプ領惑星の防空衛星の解除という難しい操作も可能だった。

 

 直ちにフェザーンへ自分が記録した通信時間を問い合わせる。

 

 すると驚くべきことが判明した!

 フェザーンからここハイネセンに通信した記録が無いのは、改ざんを受けたとして理解できる。

 ただし、同時に分かったことがある。

 フェザーンは各方面と膨大な通信をしているが、エリザベートの記録した時間とぴったり一致する特定の通信が浮かび上がったのだ!

 

 それはなんとハイネセンと関係ないはずの通信だ。

 帝国首都オーディンからフェザーンに向けた通信だった。

 

 もう結論は明らかである。

 フェザーンに秘密にしたまま、オーディンからハイネセンへ直接情報が伝わるルートが存在する。

 オーディンに誰がいるのかは分からない。

 しかし少なくともここのプレツェリが情報を受け取るキーパーソンなのだ。おまけに通信の改ざんをしているので知らぬ存ぜぬは通らない。

 

 

 プレツェリの隠蔽工作が裏目に出た。

 通信そのものの消去という念の入った改ざんをしていなければ、エリザベートが察知することはなかったろうに。

 

 それに不運でもある。

 エリザベートがここに赴任してきたことだ。

 

 エカテリーナらがエリザベートをハイネセンに送るのに、民間団体や企業などを使えるわけがない。エリザベートは本職の諜報員ではないのだ。万が一の場合、自分で自分の身を守れない。安全確保とフォローを考え、弁務官事務所に送った。この偶然によって発覚してしまった。

 

 エリザベートはプレツェリが悪い人間には思えなかった。弁務官という立場でありながらフェザーンを裏切っていたとは驚く他ない。

 少なくともエリザベートには気さくで面倒見の良い上司だ。

 都合のよいことに任務上では動機などについて調べなくていい。証拠を集めることも必要ない。エカテリーナらへ情報の流れの真実を教えるだけだ。

 

 

 

「お手柄よエリザベート! よく突き止めてくれたわ!」

 

 画面の向こう側ではエカテリーナが歓喜している。

 まさかこんなに早く、エリザベートが成果を上げるとは思いもしていない。いや、成果など最初から期待していなかった。

 エリザベートがハイネセンで新しい生活を送り、心の傷を癒してくれればそれで充分だと考えていた。

 それは過小評価だったようだ。

 

 エリザベートの方もエカテリーナの役に立ててほっとしている。ようやく借りの一部を返せた気分になる。

 

「しかし結果は驚くべきものだったな。まさかハイネセン駐在フェザーン弁務官のトップが同盟の諜報員だったとは」

 

 通信画面でアドリアン・ルビンスキーも嘆いている。

 

 

 この後の調査によりプレツェリが同盟出身で、フェザーン出身と偽って弁務官に就いた、つまり同盟工作員だと確定した。

 それだけではない。

 もう一つ、プレツェリが受けた通信、それはグラズノフからのものだと分かった。何とオーディンにいるボルテックの第一秘書が工作員だった!

 

 ハイネセンとオーディン、この二ヶ所のそれぞれ重要な場所に工作員がいて自由に通信できたのでは情報漏洩も当たり前だった。

 

 しかし、エカテリーナらはプレツェリやグラズノフを取り押さえることはしない。見て見ぬ振りをして泳がせる方を選択した。元々同盟工作員ならばフェザーンと利害が相反することはなく、諜報活動を止めさせる理由はない。

 フェザーンの通信網を使われることは不快だが、逆にいえば優秀な諜報員を雇ったと思えばいいのだ。しっかり監視を続け、利害が異なる事態になった時に取り押さえれば済む。

 

 

 

 もう一つ、任務を終えたエリザベートはどうするか。

 エカテリーナは本人に聞いてみた。たぶんフェザーンに帰ってくるだろうと思っていたのだが、これは当てが外れた。

 

「エカテリン、私なら、ここの空気が合うみたいで。もうちょっと居させてもらえれば嬉しいのだけど」

 

 むろんエリザベートは理由まで伝えられない。

 まさか恋人候補と一緒にいたいためとは恥ずかしくて言えないではないか!

 

 

 

 




 
 
次回予告 新章突入「氷の刃」
     第六十三話 日は陰りて


そして同盟軍の絶望的な戦いが始まる

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