疲れも知らず   作:おゆ

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第六十六話 487年11月  友と手を

 

 

 だがしかし、同盟艦隊の悲劇はこれだけで終わらなかった。

 八個艦隊全てが各個撃破され、大打撃を受けても、総指揮をとるロボス元帥はまだ戦う気でいたのだ。

 

「このままでは帰れん。シトレの奴にそれ見たことかと笑われる。奴は帝国領から戦わないで帰った。臆病者だ。そんな奴よりもしっかり戦った儂の方が評価が低くなるとは道理に合わんではないか! 少しばかり兵を損じたことが何だ」

 

 このままでは自分の評価が地に落ちる焦燥感に捉われる。

 少しばかりの兵、その言い方がロボス元帥の自我をよく言い表している。

 

「帝国軍も何で今頃仕掛けてくるんだ! 儂に悪意でもあるのか。儂は悪くない。シトレよりも運が悪かっただけだ」

 

 肥大した自我がひたすら一人相撲を続ける。

 同盟将兵の悲鳴も絶望も頭にない。

 

「とにかく戦果だ。うまく言い逃れるためには戦果を一つでも挙げればいい。たったそれだけでよいのだ」

 

 この時点で同盟艦隊は総数四万隻を切っている。実に半分以上が失われ、戦史に記載される大敗北だ。困難な撤退戦を続け、奮闘しながら逃れてきた艦艇はこれしかいない。

 だが、それすらロボス元帥の目には四万もいると映っている。確かに普通の会戦なら四万隻は戦力として大きく、一矢報いるには充分だろう。

 ただし各艦艇は物資の不足と損傷でボロボロだ。何より、ここまで痛めつけた帝国の大戦力が相手になる。今さら集まってもとうてい勝てるはずがない。

 ところがロボス元帥は命令を発動し、同盟艦艇をアムリッツァ星系に集結させ、決戦を挑んだ。

 単なる自分の正当化のためである。

 

 もちろん帝国側のラインハルトにとっては重畳この上ない。

 わざわざ全滅するために集まってくれるとは。掃除はゴミが集まってくれた方が簡単でいい。

 

 

 しかし、ここでラインハルトの元に驚愕のニュースが飛び込んでくる!

 

「皇帝フリードリッヒ四世、再び病状悪化」

 

 これを聞いてしまった臣下は全て皇帝のもとに馳せ参じなければならない。

 それは帝室に忠誠を誓う者として当たり前のことだ。

 誰一人として例外は無い。

 

 皇帝より重要なことがこの帝国においてあろうはずがないのだ。

 

 その時何をしている途中なのかは一切合切問題ではない。例え重要な軍事行動を行なっている最中であろうとも。

 いやむしろ、皇帝が弱ってる時に軍権を発動している方が謀反の疑いがある。

 とにかく今は馳せ参じなければ、逆臣と断じられても仕方がない。どんなに地位のある高官でも、権力のある大貴族であっても、功績のある将であっても。

 

 この重大事にラインハルトは迷った。

 目の前には傷ついた敵艦隊が集結し、全滅を待つばかりの美味しい獲物になっている。

 

 ラインハルトの幕僚たちの中でもオーベルシュタインは落ち着き払っていた。表情を変えず、何も言わない。

 誰もその思惑は分からない。ラインハルトの覚悟を試そうとしているのか、あるいは帝国とラインハルトの間に溝ができるのを望んでいたのか、後世の人間は想像するしかない。

 

 そしてラインハルトは決断した。やはりチャンスを逃す手はない。

 

「敵を撃滅する。この好機をむざむざ逃がしはしない。直ちにアムリッツァへ急行せよ」

 

 

 

 そして行われたアムリッツァ会戦は悲劇にしかならなかった。もちろん同盟将兵にとってである。

 乏しい物資と低下した士気をもって帝国の大軍を相手にした勇気は褒められるべきである。戦いの趨勢は黒色槍騎兵に突破され、周りを包囲され、後背からも攻め立てられ、万に一つも勝機はない。

 

 戦闘終了後、生きてイゼルローン要塞へ辿り着いた艦はわずか二万七千隻を数えるばかりだ。他の五万隻もの艦と、もちろん乗っている将兵がこの帝国領再侵攻で永遠に失われた。

 これでもう自由惑星同盟は機動兵力において帝国と正面切って戦える相手ではなくなったのだ。

 歴史の主役から滑り落ちた瞬間である。

 

 

 ここで全滅までしなかったのは、帝国軍の攻勢がいったん弱まり、しばらく混乱をきたしていたせいだ。

 

 それには理由がある。

 帝国領再侵攻の無謀さと、そのリスクを危惧していたヤン・ウェンリーは撤退支援の意見をハイネセン統合作戦本部に出していた。

 

「現在帝国領に展開する同盟艦隊は分散し、星系の占領を始めたと聞いています。それが事実なら、帝国の手に踊らされ、いや自ら踊っているのは明らかでしょう。このままでは大きな打撃を被る危険があります」

 

 言葉は丁寧だが、その中身は辛辣なものだ。

 対応するのは統合作戦本部長から一歩退き、それに準ずる宇宙艦隊司令という地位にいるシトレ元帥である。

 

 ヤンの上層部批判がその範囲にとどまっているのは、そこまで思っていないからではない。ヤンはシトレ元帥が同じことを考え、内に憤りを持っていると確信している。

 

「私もそう案じている。それで何を言いたいのかね、ヤン中将」

「シトレ元帥、少なくとも我が第十三艦隊をイゼルローンから帝国領出口まで移動させ、帝国軍に対する牽制に使うのです。決戦を図る帝国軍にとり、こちらが大規模な援軍送るかどうかは常に気がかりのはず、第十三艦隊をわざとゆっくり進ませればその懸念を認識させられるでしょう。多少の早い遅いは問題ではなく、必ず勝てる大戦力を用意しているように誤解させます」

「なるほど、こちらを大きく見せかける、というわけだな。」

「そうです。たとえ第十三艦隊が戦場まで駆けつけても戦力は相対的に小さく、おそらく戦局全体を覆すことはできません。それなら牽制に使用した方が意味があります。帝国にとっては同盟がそれこそ存亡を賭けた大勝負に打って出る可能性も捨てきれないはずですから」

「よろしい、分かった。君の最善と思う行動をしたまえ。私がそれを許可する」

 

 同盟艦隊の将兵のことをシトレ元帥は心の底から心配している。

 そしてヤンが最大限有効な手を打てると信じてもいる。提案してきたこけ脅しはまさにぴったりの作戦だ。

 

 

 

「何、敵の増援だと! この後に及んで増援とは何の意味がある。敵は狂っているのか!」

 

 ラインハルトが声を上げた。

 最初から敵の増援を警戒していたラインハルトは、優秀な偵察隊をイゼルローン回廊へ派遣していたのだ。それらから同盟第十三艦隊が回廊出口付近に遊弋しているという急報がもたらされた。

 

 だがラインハルトでなくとも誰にも分かる。

 今さらイゼルローンから増援を繰り出すなど一番悪いタイミングではないか。

 もうアムリッツァ会戦の大局は決している。戦力の逐次投入そのものだ。

 

 

「閣下、これはまたしても好機です。敵の増援があるならばもう一度ここまで引き付け、まとめて殲滅するのです」

 

 控えていたオーベルシュタインが順当なことを言う。

 

「攻撃を一旦中止し、退くのがよいと心得ます。いかにも攻撃に息切れしたかのように装って。敵の全滅を先に延ばせば、必ずここに増援が吸い寄せられましょう。もちろん遠くから迂回し、大きな包囲網を構築し、完全に退路を断ちながら行うのです」

「確かにそうだろう。だがそれを行なうのには一つ懸念がある」

 

 ラインハルトは珍しく逡巡する。

 オーベルシュタインと少し離れたところから、キルヒアイスの目があった。

 

 実はアムリッツァにおける決戦前にキルヒアイスから言われていたことがある。

 

「ラインハルト様、焦土作戦のために帝国辺境領民の生活はおそらく限界に達しています。餓死者すら出始まっていると報告がありました。決戦をできるだけ早く終わらせ、すぐにでも領民保護に向かう必要があります」

 

キルヒアイスは本当に心を痛めている。直接的な非難はしないが。それはラインハルトも分かっている。各星系での戦いに勝ち、もうそれで充分なのである。どんどん戦い続けることはない。

 そこでラインハルトもアムリッツァの戦いをできるだけ早く終わらせ、それ以上のことはしないと確約していたのである。

 

 

 

 ここでオーベルシュタインの言う通りにすれば領民の救援は限りなく遅くなり、どれだけ凄惨なことになるか想像もつかない。

 

「オーベルシュタイン、辺境領民のことが気になる。その手を使うかは慎重に考える必要がある」

「閣下へ率直に申し上げます。辺境領民の数は決して多くはございません。たかだか数千万人、その中から焦土作戦で死者が出たとしても百万人にも及びますまい。これは閣下の艦隊将兵の十分の一以下でしかありません。完全に勝つことの方が重要なのは自明のことです」

「餓死は百万人。それが少ない数だから判断しろと言うのか」

「そうです。それにこの餓死は閣下にとり決して悪くは働かないと存じます。」

 

 オーベルシュタインの義眼がマキャベリズムの極致を告げる。

 

「何、それはどういうことだオーベルシュタイン。卿の言い間違いか。珍しいことだ」

「いいえ、閣下、言い間違いでも聞き間違いでもございません。百万人の領民の犠牲は帝国政府にとって何の痛痒もないでしょう。それどころか感謝される要因になりえると考えます」

 

 ラインハルトの目が鋭くなる。血迷ったような発言を聞いて。

 

「感謝? オーベルシュタイン、何を言っている。領民を餓死させて感謝だと?」

「根拠がございます。帝国政府はそんな犠牲より叛徒の共和思想とやらの蔓延を最も危惧しているはず。帝国の屋台骨を揺るがす思想こそ何よりも重視するでしょう。すなわち叛徒の艦隊が訪れた惑星は帝国にとって癌です。思想が汚染された危険性のある領民は丸ごと消えてもらったほうが良いと考えるものと確信します」

 

 それは絶対零度の合理性だった。

 ラインハルトは理解すると同時に、わずか血の気を失う。

 なぜならラインハルトにとって死とは戦死であって、戦いの結果だ。少なくともそこには高揚がある。しかしこの場合はただの掃除だ。もちろん掃除される側にとって地獄の虐殺である。おまけに自分で望んで思想を変えたわけでもない。いや、実際共和制を支持した証拠もないというのに。

 

「人間を害虫のように駆除するというのか。思想一つで」

 

 だが、確かにそれはあり得る。

 オーベルシュタインのいうことはおそらく間違っていないのだろう。これまでの帝国の在り方を考えたら当然のような気もする。血迷っているのは帝国の方だ。

 

 しかし、それなら帝国を倒すことを心に秘めている人間はどうなるのか。

 餓死に追いやられる領民など比較にならぬ害虫以下の存在なのか。

 

 

 

 ラインハルトは大事なことを忘れていたことに気がついた。

 

 自分が達成すべき目的は姉アンネローゼを助け出すことだ。そして、姉を奪うことが堂々とまかり通るような腐った帝国を倒すことだ。

 かけがえのない友キルヒアイスと共に必ず成し遂げる。

 だが、それを行なうのに帝国の暴虐を利用するのであれば、自分が帝国になったようなものである。

 それは滑稽なパラドックスだ。

 ルドルフを倒すのにルドルフになるというのだから。

 

「閣下、ご決断を。餓死が増えるほどよいのです。そしてこれは皇帝の病いに駆けつけなかったことに対する詫びとしてふさわしいものでしょう」

「オーベルシュタイン。結論を簡潔に言おう。これ以上の焦土作戦は無用である。アムリッツァにおける戦いは間もなく終局する。それが最後であり、再び持久策を取ることはない」

「閣下、それは僭越ながら合理的な策とは申せません」

「これは決めたことだオーベルシュタイン」

 

 もう迷いはない。これを言い捨てて、ラインハルトはキルヒアイスの方を見た。

 

 

「キルヒアイス、頼む。お前が指揮を執り、困窮した領民たちのところへ急行し、救え。これ以上の餓死者など出させるな」

 

 焦土作戦を始めて以来、しばらくぶりで直視した気がした。

 友は優しい微笑みで返してくる。それはいつもと少しも変わらない。

 

 直接言葉を交わし合うことなど必要ない。

 

 信頼は取り戻された。

 

 ラインハルトは思う。

 二度と、この信頼を手放すことはするまい。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第六十七話 秘策

恐るべきはヒルダ ついに罠が発動する……


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