疲れも知らず   作:おゆ

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第六話 482年10月 政変

 

 

 さて、卒業を見送った後、ミュラーもこの二人も無事に艦隊勤務についたことを知った。

 エカテリーナもやっと気が抜けた。

 そしてさすがに寂しいものを感じる。遊び相手という以上に彼らは大きな影響力を持っていたのだ。

 

 

 

 ところが運命はエカテリーナに暇を与えない。

 

 本当ならあと一年間、エカテリーナは女学校にいるはずだったのに。

 急遽フェザーンに呼び戻されることになったのだ。女学校は繰り上げ卒業の形になるが、貴族の女学校のカリキュラムなどいかようにもなる程度でしかない。

 

 急な卒業の原因はフェザーンの政変にあった。

 

 フェザーン第四代自治領主ワレンコフが事故のため不慮の死を遂げた。

 そのため第五代自治領主が立てられなければならない。

 それにはアドリアン・ルビンスキーが最もふさわしいと衆目が一致している。本人の意志、能力とも充分だ。いやむしろ歴代自治領主と比較しても実力は高いと見積もられている。

 

 しかし何事にも百%はあり得ない。政変があればここぞとばかりに野心を持つ輩もいるのだ。野望と邪心が頭をもたげると、平時には善良な人間さえ悪人に変える。

 

 アドリアン・ルビンスキーは周囲のきな臭さを感じ、エカテリーナをフェザーンに戻して保護しようと考えたのだ。

 これはエカテリーナにとって否やはない。

 別にオーディンにこだわる必要もないし、まして退屈な女学校を出られるのだから。

 

 

 

 秋の晴れた日、女学校を含めた各種の挨拶回りと手続き、そして出迎えのためにわざわざフェザーンからオーディンに兄がやって来た。

 

 兄はルパート・ケッセルリンクという。

 

 エカテリーナとは腹違いの兄である。父アドリアン・ルビンスキーはその兄のことを身分の低い女が生んだ子供としてルビンスキー家の者と認めず、籍も変えていない。

 そのため兄と母親は貧乏暮らしを続けざるを得なかったそうだ。

 あまり態度に出すことはしないけれどその兄は父のことをひどく憎んでいるらしい。

 ある時、エカテリーナはたまたま聞いたことがある。兄ルパートがアドリアン・ルビンスキーの執務室から出て、廊下を曲がるまでの短い時間で呟いた言葉を。

 

「実力主義のフェザーンを自慢するアドリアン・ルビンスキーか、笑わせる。身分が低いからといって母を認めず、貧しさで病死させたのは一体誰だ!」

 

 

 確かに兄の言うことも一理ある。

 しかし、結局のところその兄が法律学の大学院まで行けるよう援助したのも父、それも事実だ。しかも卒業と同時に末席補佐官に登用という破格なこともしている。

 

 おそらく、父は後悔しているのだ。

 父アドリアン・ルビンスキーは子供を完全に忘れ去るほど冷たい人間ではない。ルパート兄さんのこともずっと気にかけている。それは兄の方でも分かっているはずだ。

 要するに二人ともうまく感情を出せずに仲良くできないでいる。

 

 

 

 そんなルパートはエカテリーナにとても優しい。

 いつも子供扱いして心配し、世話を焼き過ぎるほど焼くのが常である。

 

「引っ越しの用意はできたかい? エカテリン。自分が見てなけりゃだめだよ。何を捨てていいのか分からないだろ?」

 

 そう言いながら思い出品の仕分け作業を手伝う。それは決して少なくはない。

 

「これはどうしたらいいだろう。女学校の席割りや時間表。一応取っておくかい?」

「捨てちゃっていいわ。もういらない物だし。今憶えていないような思い出なんていらないもの」

「エカテリンは本当に後ろを振り返らない主義だなあ。感心するよ」

 

 自分も決して暇ではないはずなのに、ルパートはエカテリーナのためならこうして駆けつけて来ては世話を焼く。

 エカテリーナもまたそんな兄のことをとても好きである。

 いつか兄と父とを和解させ、家族で力を合わせてフェザーンのために尽くしていきたいとまで思っている。

 その姓もいずれルビンスキーにして。

 

 そういえば、父アドリアンは言っていた。

 

「本当なら、お前と姓が違っていてもおかしくなかったな。昔の風習で言えばエカテリーナはルビンスカヤという姓になっていたはずだ。全てがルドルフ大帝の命によって今の帝国風に変えられる以前であればな。そしてついでに帝国からフォンなどという物を付けられたら、先祖は何と言うだろうか」

「その話は聞いたことがありますわ。昔の家系ではそうだったと。でも、姓と名を逆にさせられた家よりはマシかもしれません。姓が先に来る家系もあったそうですから」

 

 その時は、どうせならルパート兄さんをルビンスキー姓に、とは言い出せなかった。

 

 

 

 

 女学校内では私と特に親しい者はいなかった。

 この繰り上げ卒業に際しても涙を流して別れを惜しむべき友達はいないのだ。

 教師の中でも、せいぜい嫌いではないという程度であり、仲良くなった教師もいない。

 

 ただし一人、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人だけは別だ。

 

 彼女は女学校の芸術科目の非常勤講師として来ていた。男爵夫人が直接絵や音楽をするわけではないが、各種芸術の見方と正しい批評についての講義をするのだ。

 それがまた的確で楽しい。

 男爵夫人は明らかに快活な人柄ということが分かる。まるで晴天の空のように屈託がない。いつも授業では毒舌で笑わせてくれた。

 

「絵画で、異常に目の大きい人物像が出てきたら、その絵描きの目はたいてい小さいものですのよ」

 

 エカテリーナは教師の中で一番気に入っている。

 男爵夫人の方でもこの行動力のある生徒を気にかけた。そしてついでに、もう一人、エカテリーナからすれば2学年下の令嬢と引き合わせたのだ。同じような性質を持つと思って。

 

 エカテリーナにとり、その年下の令嬢はある意味衝撃的だった。

 

 まるで少年にしか見えない!

 見かけも立ち振る舞いもそうだ。せっかくきれいなブロンドを持つのにばっさりと短髪にしている。単純に動きやすいからそうしたのだろう。髪が嫌いだからでも反抗しているからでもなく、本当に単純なことだ。

 そして彼女は乗馬に長けている。乗馬は女学校で唯一スポーツに近いものだったが、本当に上手いものだ。優雅なレクリエーションが迫力のスポーツに見える。

 

 

 

 それ以上に、語ることがまた驚きだった!

 

「世の中を知らずして何が楽しい。この時代に足跡を残さないでは生きた甲斐がない」

 

 こんなことを言ってのける令嬢は他にいない。流されるままに生きるのは死んでもご免だと言うのだから。

 これが名門マリーンドルフ家の令嬢だというのだ!

 マリーンドルフ家は代々帝国の文官を務め、国務尚書を出したことすらある名家である。

 

 聞くところによると、この令嬢は野山を駆け巡ることばかりしていて、とても淑女になりそうもないから女学校に押し込められたそうだ。

 だからエカテリーナ以上に彼女は女学校を窮屈そうにしている。

 

「ああ、もっと広いところに出たい! 生まれた時代が合っていたら」

 

 ちなみにヴェストパーレ男爵夫人は彼女が将来殿方と出会い、うまくやっていけるか密かに心配していた。そして今ならうまい具合に、知り合いの弟に性格や趣味が合いそうな者を知っているのだが…… その者は幼年学校を卒業してしまい、未発に終わっている。

 

 

「エカテリーナ様、残念です。もう女学校を出ていかれるのですね…… 何だかもっと学校が退屈になりそうです」

「ヒルダ、一緒に遊べなくなってごめんなさいね。私にも急なのよ」

 

 その彼女、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフと別れの挨拶を交わす。

 

「フェザーンは楽しいところと聞いていますわ。活気もあると。私も行きたいです」

「楽しいけど、世渡りも必要な場所よ」

「だからいいんじゃありませんか。頭脳で勝負、権謀術策何でも来い、です」

「ふふ、あなたが並の令嬢でないことを忘れていたわ。でも、オーディンでもその類はあると思うわ。あなたの活躍するところは必ずあるはずよ」

 

 

 

 全て準備を済ませると、いよいよオーディンを出発だ。

 ルビンスキー家所有の宇宙艇は数あれど、一番の高速旅客艇にルパートと一緒に乗って行く。

 

 今、数々の思い出を残し、オーディンから星空に出る。

 

 今度は帰省や旅行ではない。本当の意味で出立だ。

 先に星空に出たミュラーやラインハルト様はどういう気持ちだったのだろうか……

 

 エカテリーナにとって、オーディンは子供時代を良かれ悪しかれ育んでくれた星だ。

 目をやると、小窓から見えるオーディンはまるで黒衣の上に無数のきらめきをまとって美しい。

 さすがに全宇宙の中心だ。

 だがしかし、次第に小さくなり、やがて見えなくなった。

 それでいい、エカテリーナは思った。

 オーディンではなくフェザーンの繁栄が宇宙を覆いつくすようになればいい。

 私もその一助になりたい。

 

 

 

 

 若干の感傷を持ちながらエカテリーナが進む頃、陰謀もまた進んでいた。

 

 それはもう具体的な形になっている。

 帝国軍の払い下げられた駆逐艦一隻が、出所がわからないように転売を繰り返された末、ついに目的を与えられ出航していく。

 

 密かにエカテリーナの乗る高速旅客艇を追尾にかかった。

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第七話 欺瞞の逃避行

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