疲れも知らず   作:おゆ

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第七十三話 488年 1月  癒されぬ傷

 

 

 ラインハルト麾下の将兵たちは撤退命令を受けて意気消沈する。

 せっかく要塞攻略戦を進めてきたのに。

 

 ただし皇帝の変事があったことを敢えて匂わせれば、すぐに納得させられる。それならラインハルトが悪いのではなく、仕方のないことなのだ。

 ただし、それでも尋常ではなく悔しがる者がいた。

 ケンプは艦載機戦が膠着状態になってしまっていたことに苛々し、このままではラインハルトに叱責されると思い込んでいたからだ。命じられた掃討は実現できそうにない。

 それで撤退の命令を出すのに若干の躊躇があった。

 

 そこを突かれた。帝国の艦載機ワルキューレたちは、帝国艦隊に動きがあることでわずかな不安に駆られる。自分たちの母艦である空母もまたそれに含まれるからだ。

 捨てて行かれるとまでは考えもしないが、少なくとも補給までの道が遠くなってしまう。もしも艦載機で補給が滞る事態になれば待つのは敵中での無力な漂流であり、むろん絶対的な死しかない。

 そして激戦中では、そんなわずかな心理状態の変化が影響してしまう。

 

「ワルキューレの動きが鈍い。よし、回り込んで一気に叩く機会だ」

 

 第二空戦隊隊長イワン・コーネフが的確にそれを捉えた。改めて全体指示を出し、戦いをより優位に持っていく。

 たまたまそこのワルキューレの中に帝国のエース、ホルスト・シューラーがいた。スパルタニアンが有利な態勢であったにも関わらず逆撃にあってしまったことで、コーネフはここに帝国のエースがいることを確信する。

 

 ポプランだったなら強敵の発見に躍り上がって喜び、即座に勝負を仕掛けただろう。

 しかしコーネフはあくまで冷静に、きちんと追い詰め、確実に叩く方を選ぶ。逃してはならない。

 結果ホルスト・シューラーは孤立させられてしまう。それでも個人技は充分に脅威であり、うかつなことはできない。最後はコーネフが自分で相対する。

 むろんワルキューレとスパルタニアンで通信など通じるわけがない。それでもお互いにエース同士、力量を認め、勝負にかかる。

 

 ホルスト・シューラーは一歩及ばなかった。

 同盟のエース、イワン・コーネフに斃されてしまう。

 

 これを後で聞いたポプランは「ちぇ、帝国も見る目が無い。いや俺様に恐れをなし、せめて師範代に勝負をかけたんだな」としか言わない。むろんコーネフとしてはそんなわけがあるかという思いもあるが、余計ポプランを悔しがらせても仕方がないので黙っている。そういうところは大人だ。

 

 

 逆に帝国の方ではケンプがシューラーの喪失を聞く。

 大いに嘆き、艦載機の全面撤退を改めて指示した。

「悪かった、シューラー。俺のせいだ」

 

 

 

 帝国艦隊はイゼルローン要塞から転じ、オーディンへの帰途につく。ヒルダのリッテンハイム侯私領艦隊は一足早く進発していた。そしてヒルダは一文だけ通信を送っている。

 

「よく決断なさいました。元帥の行動はわたくしが証言いたします」

 

 それに対し、ラインハルトは返信を送っていない。今さら、よしなに頼みたいというのも卑屈な感じがしたからだ。

 むしろラインハルトは別の方向に向けて通信を送ろうとした。

 

「そうだキルヒアイス、イゼルローン要塞に通信文でも送ろう」

「ラインハルト様、どういう言葉を送られますか」

「勇戦に敬意を表する、戻ってくるまで要塞を預かっていてほしい、それまで掃除を忘れぬように、と」

 

 いつもの微笑みのまま、キルヒアイスがそれを要塞に送る。別にこんな言葉に深い意味は無い。

 

 

 

 その帝国艦隊の撤退はイゼルローン要塞からも見える。

 

「ありゃあ何ですか。おかしいなあ。どう見ても撤退していくようにしか見えませんが。欺瞞ですか、先輩」

「うーん、どういうことだろう。あの動きは欺瞞とも思えない。それに今さらそんな誘い出しなんてする意味もない。とすれば本当に撤退するんだろう」

「今撤退なんて、帝国の奴らはここまで遊びにきたっていうんですか。ステーキを作って、皿に並べて、さあこれから食うぞって時に店じまいだなんて」

「確かに意味が通らない。急な撤退命令でも出たのかな」

 

 ともあれ助かった。

 このピンチから救われるのなら別にどんな理由でもいい。

 

 そして帝国艦隊の不可解な撤退を認めて直ぐに通信文が届く。それを見てヤンが言う。

 

「そう言われても、掃除は苦手なんだがなあ。特に家には猫がいるからすぐ汚れる」

 

 そんな感想はどうだっていい。その文を帝国艦隊へ返信として送れるものか。

 アッテンボローはやれやれと手を上げる。どうせなら「要塞はもう返さないから来なくていいぞ」くらいに言ってほしいものだが。

 そのヤンらしいことに司令室の面々も呆れるしかない。

 

 

 しかし皆が安心した瞬間、凶事が舞い込む!

 

 たった一発の魚雷がついに守りを破り、トゥールハンマー砲台に到達したのだ! それは砲台の放射器の一つに当たって爆発する。

 

 これに全員が色を失う。

 

 トゥールハンマーは莫大なエネルギーを扱う以上、砲台に少しの傷があっても使用できない。万が一エネルギー充填中に暴発したら要塞の方が吹き飛んでしまうからだ。

 入念な修理が必要なのは当然なのだが、そんなに簡単な話ではなく、期間もかかる。貴重な資源を使わなくてはならないのは当然だが、おまけに元々は帝国軍のものであるからには各種規格が同盟のものとは合わず、いちいち修正しなくてはならない。

 

「トゥールハンマー砲台ダメージ、報告いたします。放射器一台大破。修理は可能ですが概算で数ヶ月はかかる見込みです」

 

 フレデリカが肩を落として報告する。砲台を守り切ることはできなかった。

 

「仕方がないさ。良いこと尽くしの人生ってものはない。しばらくはか弱い要塞になってもしょうがないね。虎からせいぜい猫にってところだ」

 

 フレデリカは一瞬「また猫の話を」と考えたが、それより言わねばならないことがある。

 

「ですがヤン提督、今砲台に損傷を受け、トゥールハンマーが使用できないことは帝国軍からでも見えているはずです。反転してまた攻略に来ましたら」

「いや、来ないだろう。少なくとも今直ぐには。あの通信文を見る限り、帝国軍の指揮官はそんな人物じゃない。敵に対して言うのはなんだけど独特の美学を感じるんだ。信頼感という言葉に置き換えてもいい」

「そんなものでしょうか。提督」

 

「それよりも中尉、帝国軍がいないのであれば、しばらくぶりで紅茶を頼むよ」

 

 フレデリカはヤンに紅茶を淹れる。

 そっとブランデーも二滴にしておいた。

 

 

 

 イゼルローン要塞は同盟が守りきり、帝国領再侵攻、そしてアムリッツァ会戦から続く長い戦いはここに終結した。

 

 ヤンは要塞攻防戦を戦いながら、最悪の場合は温存してある第十三艦隊を使い、将兵と民間人を脱出させようと考えていた。

 重要なのは人間の命だ。ついで第十三艦隊という機動戦力である。帝国が嵩にかかって同盟に侵攻してきた際にはそれが何よりも重要になる。

 要塞は要といえどどうせ動けないものであり、最悪帝国に返せばいい。

 

 だがヤンの思考はその次にある。

 要塞を自爆させるかどうか、である。

 なるほど要塞を自爆させた方が奪われるよりもいい。しかし、その結果、帝国軍がむしろ同盟領に積極攻勢をかけてきたらどうなるだろう。物量を単純に行使されれば同盟は守れない。

 その場合、逆にイゼルローン要塞を帝国軍に持たせた方が良いのではないか。精神的に帝国を落ち着かせ、積極策をとらないようにするためには。

 なぜなら人間は盾があるからこそ安住してしまうものだ。

 するとかえって同盟の軍事力再建の時間が稼げるということだ。戦術的に故意に負けることが戦略的な勝利になりえる。

 結果的にヤンの迷いは不必要なまま済む。

 

 

 

 

 しかし一連の戦いはその最後だけがまともであったに過ぎない。

 

 意気揚々と帝国領再侵攻を図った同盟軍は歴史的惨敗を喫した。これまで幾度もあった敗戦、例えばアスターテ会戦なんかよりほほど大きな文字で歴史書にその哀れさが書かれるのだろう。

 

 自由惑星同盟軍の大きな損失と深い傷は総括される。

 これほどの膨大な犠牲を出した責任は先ず総司令官が取らなければならない。

 だがそのロボス元帥は更迭されることも降格されることもなかった。

 撤退の途中、ロボス元帥旗艦アイアースもまた沈んでしまっている。ロボス元帥は死んでいたのだ。

 幸せなことだ。敗戦の非難をまともに浴びなくて済む唯一の道を辿ったのだから。

 

 本人がそんなことを志向するはずがない。

 事実、とにかく生き延びようと逃げにかかっていた。そんな同盟総司令部の混乱を見逃さない帝国艦隊がいたのだ。ワーレン艦隊がそこを襲いにかかる。思わぬ乱戦の中、防御の固い旗艦アイアースだが、そのシールドを流れ弾がたった一つだけ通過した。その被弾が偶然にも動力炉の近くに到達したのが致命傷になる。

 動力を失って漂うしかなくなったアイアースは帝国艦に補足され、包囲された。

 そのままメッタ撃ちにされたのだ。降伏信号が故障して出せなかったのか、濃密な通信妨害のために伝わらなかったのかは判然としない。

 ただしはっきりしていることが一つある。

 近くに何隻もいた同盟艦はアイアースが囲まれて救出困難と判断した時点でさっさと見捨てて後退していた。

 ただの一艦も決死の覚悟で突入することはない。アイアースの盾になり、身代わりになることなど考えもしなかったのだ。

 

 

 アムリッツァの戦いの結果、第十一艦隊ルグランジュ中将は捕虜になった。

 第八艦隊アップルトン中将も同様だ。

 これは二人の将が共にアムリッツァの戦いに意義を見出していないことが根底にある。

 

 二人は命を賭してまで戦い抜くべき決戦と認識していない。

 

 物資の欠乏と戦力差、最初から負けると分かり切った戦いだ。こんな馬鹿な戦闘はなく、総司令部が命じるような意地の反攻など何になろう。もはや無意味な消化試合に過ぎない。怒りは総司令部に向くことはあっても帝国軍ではない。

 

「戦いは無駄だ。こんな諦めの気持ちで戦うとは、帝国軍にも申し訳ないくらいだ。せっかく下らない戦いに付き合ってもらっているのだからな」

 

 この二人の猛将は戦う意義があれば自分を含めた最後の一兵まで戦い抜いただろう。しかしここでは配下の将兵を逃がすことが第一だ。

 それが終わってしまえば、敢えて玉砕など選択することもない。包囲されたら降伏するだけである。

 

 第九艦隊アル・サレム中将は死去している。

 これは重傷の身でありながら無理をして指揮を執り続け、命数を使い果たした結果だ。応急処置ばかりで出血も止まらないのに艦橋から移動せず、医師の鎮静剤をも拒否した。

 

「ここで眠るわけにはいかんだろう。儂はいつも眠ったようなぼんやりした艦隊指揮だと言われていたものだ。しかし最後に本当に眠っていたらしゃれにもならんではないか」

 

 

 

 同盟軍の艦隊指揮官が八人もいた中でイゼルローンに無事戻れたのはパストーレ中将だけといっても過言ではない。

 

 ところが同盟市民はパストーレを英雄になど思わなかった。

 多大な犠牲に呆然自失した同盟市民は責任者を探し始める。ロボス元帥が死んだ今、戦死者の遺族はまだ生きているパストーレ中将を非難するしか感情のやり場がなかったのだ。

 それに反論することなく、パストーレ中将は激しい非難を甘受する道を選んだ。

 責任を感じていたことも確かだった。生きて帰った将だからこそできる責任の取り方を選ぶ。

 その結果、この孤独な英雄は精神を病んでしまうことになる。

 軍病院での療養を続け、正式に退役を受理される。

 

 アムリッツァから帰った同盟艦隊の再建は当分できそうにない。

 

 今の同盟にはクブルスリー第一艦隊、パエッタ第二艦隊、ビュコック第五艦隊、ウランフ第十艦隊、そしてヤンの第十三艦隊しかない。

 

 同盟の機動兵力は下らない冒険の結果、四割以下になった。

 そして同盟軍のトップである統合作戦本部長の席は空席のままだ。

 シトレ元帥にも若干の間接的責任を問う声があり、本部長への復帰は無理である。

 

 しかし長くその席を空白にしてはおけない。結局、クブルスリー大将、ビュコック大将、グリーンヒル大将、ドーソン大将の四人の大将を候補にして選ばれる。

 こんな大変な時期に本部長になるのは完全に貧乏クジとしか言いようがない。ただし、四人とも自分が選ばれれば全力で責務を果たすつもりであり、逆に自分がならなければ選ばれた者をやはり全力で支える気概を持っていた。

 

 結局、着任順と実績を考慮されクブルスリー大将が選ばれた。

 

 クブルスリー大将は高潔な人格と高い見識に定評がある。若くから猛将として幾多の戦いに臨み、何度も軍功を立てている。ウランフ中将などから尊敬を集める存在だ。年を取るごとに円熟して更にバランスが取れている。

 長く第一艦隊の司令官であったが、ここしばらくは統合作戦本部に勤務していた。第一艦隊はハイネセンを含むバーラト星系付近をその管区とし、首都ハイネセン直衛にもなっている。ほぼ遠征に出ることはなく第一艦隊司令官と兼任していても問題はなかったからである。

 今、難局の中で一歩一歩進み出す。

 

「同盟軍の傷を癒すのに魔法などない。正しく、焦らず、努力を重ねるだけだ。ただし、帝国がそれを待っていてくれるだろうか。」

 

 

 

 




 
 
次回予告 第七十四話 冷気

帰還したラインハルトらを待ち受けるものとは


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