疲れも知らず   作:おゆ

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第七十四話 488年 1月  冷気

 

 

 一方、既に撤退を始めたラインハルトも魚雷がようやくトゥールハンマー砲台に命中したことを知る。

 今ならイゼルローン要塞はトゥールハンマーを撃てず怖くはない。攻略も容易だ。

 しかしそこで反転して再度攻略にかかることはしない。ラインハルトはそんな色気を出して決定を曲げることを考えもしなかった。

 この戦いを教訓にして、いずれ流体金属内でも迎撃できる何らかの防御策が講じられるだろう。二度と同じ手は使えない。しかし攻略のため立てた戦術は正しかったのであり、果実は得られなかったが矜持は守られる。

 

 まあそうだとしても悔しさを全く忘れたわけではない。

 皇帝不予の報はあまりにもタイミングが悪く、たったの数日遅ければよかったのだ。要塞攻略は決まったも同然だった。

 

 しかラインハルトは思う。

 欲を言えばタイミングとしてはもっと遅ければよかった。

 

 今はまだ元帥府を開いてまだ日が浅い。

 帝国と正面切って戦うことはリスクが大きい。

 この時点でそれに踏み切れば将兵の動揺がひどく、戦いにならないかもしれない。たとえどんなに腐った帝国であってもゴールデンバウム王朝と戦うというのは普通の兵にとって驚天動地、絶対にあり得ないことだからだ。謀反の汚名を着て帝国に逆らう、そんな覚悟を普通の人間に求めるのは無理だ。

 

 むろんミッターマイヤーやロイエンタールのような将帥は別だ。ラインハルトの力量を正しく理解している。また、自分たちもゴールデンバウム王朝の存続を良しとしておらず、その意味でも心は一つだ。将帥たちはラインハルトの元から離脱せず、共に戦う。

 日が過ぎ、一般兵までもを完全にラインハルトの私兵と化した時こそ万全の戦いができる。現時点のミッターマイヤーやロイエンタールのような信頼を得てからの話だ。

 

 日が経つだけでそれが成せるだろうか。

 一般兵にはラインハルト・フォン・ローエングラムの天才を見せつけ、輝く勝利の美神と信じさせなければならない。ついていけば必ず勝利し、敵対する側につけば必ず負けると思わせるほど。

 むろんアムリッツァで半ば以上は成功している。

 イゼルローンの攻略は成功すれば最後の一押しだったはずだ。もちろん魚雷戦術という誰も考えつかなかった戦術を駆使し、陥落寸前まで要塞を追い詰めただけでも兵たちは驚き、賞賛を送っている。しかしやはり陥とした場合とは違う。

 

 

 

 オーディンに帰還したラインハルトらがなすべきことは多い。

 

 軍内においては賞罰が最も大きな仕事になり、これまでの戦いをまとめて、将兵の評価を付けなければならない。

 この場合はそれほど難しいことではなかった。

 アムリッツァ会戦に参加した将兵の多くは昇進することになる。帝国軍が歴史的大勝を挙げたので当然のことだ。普通に仕事をこなしていれば何らかの戦果に関わることになる。これにより兵士は給料が増して単純に喜ぶ。

 

 戦果の全くない者、怠慢をした者でさえ据え置き程度で済む。

 しかし、降格となるのはよほどのことだ。物資の横流しや捕虜虐待などの軍規違反を働いたごく少数に限られる。

 

 将帥も多くが階級を上げる中で、わずか一人だけが軍規違反を理由に降格を言い渡された。すなわちクナップシュタイン少将が准将に下げられたのだ。

 その代わりに、見事な戦いをしたミュラー准将が少将へ昇格する。

 

 上司を下げ、その部下が取って代わる。この賞罰はあてつけではないか、少なくともミュラーはそう思った。

 

「お待ち下さいロイエンタール閣下! クナップシュタイン少将は領民のことを思うがゆえにわずか気が逸ったのです。それだけのことであり、積極的に利敵行為をしたのではありません。結局のところ戦線を離脱したのは敵の逆撃のためであり、恣意的なものではなかったではありませんか」

 

 普段おとなしいミュラーがロイエンタールの下に具申しに行く。

 それをロイエンタールは興味深げに聞いて返答した。

 

「それでもあのときクナップシュタインの艦隊に遅れがでて、結果我が艦隊に乱れが生じたことには違いない。勝利はしたが一時は不利な局面にならざるを得なかった。特に不公平な報告を元帥府に上げたつもりはない」

「ロイエンタール閣下が不公平なことをする方でないことは充分に承知しております。それに疑いを持ったことはありません。しかしこのクナップシュタイン少将の降格、その原因が領民への配慮である以上、苛烈に過ぎるのではありませんか。他に降格となる将がいないのでは尚さら」

 

 降格の将が一人では確かに目立つ。

 人の噂となるのは必定で、将以外の一般士官や兵にまで侮られるようになるだろう。

 

「しかも閣下、同時に小官が昇格とは、どのようなことかと」

「卿の昇進はその働きによるものであって他意はない。ほう、卿は普段優しい顔ばかりしているが、こういう時には決意が顔に出るのだな。なるほど推察するに卿は自分の昇格を打ち消す代わりにクナップシュタインの降格を取り消させるつもりのようだ。違うか」

「そこまで分かっておいででしょうか、閣下。もちろんそうして頂ければありがたく存じます」

「卿の決意は人間的に賞賛に値するものだと言わせてもらおう。しかし残念なことに結論は変わらない。卿もよく知っているだろうと思うのだが」

 

 仕方がない。ロイエンタールの方はやはり公明正大であり、何も悪意がないのだから、ミュラーはそれ以上何をどうしようもない。

 ミュラーはクナップシュタインの所に行って自身の昇格を済まなそうに告げた。

 

「ミュラー、卿がそんな気を使うことはない。今回の降格は私の不手際により艦隊全体に迷惑をかけた結果によるもので当然だ。そして卿の昇進もまた正当なものだ。卿の戦いは見事であり、あの時の防御がなければ私の命も危なかった。あ、いや今度からは私の上官になるのだな。申し訳ない。言葉を変えねばならん。ミュラー少将、私などにお気遣いとは身に余る光栄ですが、無用のことと存じます」

「済みません、クナップシュタイン准将……」

 

 先に帝国軍がとった焦土作戦、そのことでもやもやしている将は多い。

 ミュラーももちろんその一人だ。悲劇、それも帝国軍があえて招いた悲劇を忘れるものではない。

 ここではっきりとした形になってくる。帝国軍の在り方は何かが違う。

 

 

 実はミュラーは知らず、ロイエンタールもまた呟いている。

 

「確かに苛烈に過ぎた人事だな。クナップシュタインも情に流されやすいだけで、元々力量はあるのだ」

 

 ロイエンタールはクナップシュタインの律儀だが感情の豊かな性格を知っている。手柄を立てさせ、雪辱の機会を与えようと取り計らった。

 結果、ほどなくして少将に復帰した。

 そんなロイエンタールの配慮にクナップシュタインはいたく感動し、ますます傾倒することになる。

 

 

 

 ラインハルトやキルヒアイスの方は間もなく細かい人事などに気を使う余裕はなくなる。

 

 思い違いをしていた。

 やはり、帝国と帝室を心のどこかで軽んじていた。いつか倒すべきものと断じ、忠誠心どころか強烈な反逆心を隠し持っているのだから当然かもしれない。

 それが招いた結果を思い知らされることになる。全くヒルダの言った通りだ。

 

 オーディンに戻ったラインハルトは官僚や貴族の冷ややかな目に晒された。

 

 とうていアムリッツァで帝国軍を大勝に導き、叛徒から帝国を守った帝国元帥が凱旋するような雰囲気ではない。実際何の式典も行われなかった。皆が少しずつ持つ悪意が固まってそういう結果をもたらす。

 

 帝室の大事に遅滞したというのはそれほど大事なのだ。

 そのわずかな差が帝国にとって絶対である。

 ラインハルトはそんなことなどイゼルローン要塞を獲れば補いがつくと思っていた。皇帝はあくまで不予であり、死んだというわけではない。

 だがそれさえも多分違う。イゼルローンを獲ったところで何も変わらなかっただろう。

 

 それどころではない。

 ラインハルトにとって致命的になる噂が出て、いっそう追い詰められた。

 

「ローエングラム元帥は謀反を企んでいる。イゼルローン要塞へのこだわりは尋常ではなかった。それは決して帝国のためではなく、そこを拠点にして自分が独立したいためだ。難攻不落のイゼルローン要塞ほど独立するのに適したところはなく、獲れば帝国に叛旗を翻すのもたやすい。いや、それ以上かもしれない。本気で戦っていたのかさえ怪しいものだ。実は叛徒とも裏で手を組んでいるのではないか」

 

 まことしやかな噂だ。

 

 実はヒルダがラインハルトを追い詰めるとすれば同様な噂を作り出すことを選択肢の一つに考えていた。しかしそんなことをするまでもなく、自然と流れている。しかもヒルダがそうしようと思っていたよりもはるかに苛烈な表現で。

 無責任に憶測だけで物を言い、あたかもそれを真実であるかのように囃し立てる人間というのはいつでもいるものだ。

 

 ラインハルトの周りの空気は急激に冷え込む。

 特に、ある者にとって決定的な変化となった。これが後々まで計り知れない違いを生む。銀河の歴史は些細なことで大きく歩みを変えることがあるのだ。

 

 

「なるほど、ラインハルト・フォン・ローエングラムはやはり忠義の者ではなかったの。単に血気に逸り、戦いの方を優先したのやも知れぬ。帝室に含むところはないのかも知れぬ。道理を弁えなんだのは若さゆえかもしれぬの。ただし、帝室を第一に思わぬことは分かった。それで充分じゃ。これでは儂と共にエルウィン様の後ろ盾にするわけにはいかぬ。危険過ぎるからじゃ。もう一度考え直さねばならん」

 

 本当に残念そうに戦略の修正を行う。

 もう一つ、些細な手を打った。最初に前線まで通達された皇帝病状悪化の報の出所を分からぬように取り計らった。それがヒルダとの暗黙の了解なのを忘れていなかったからだ。

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第七十五話 利と理と情と

ヒルダ、いよいよ最後の詰め

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