疲れも知らず   作:おゆ

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第七十五話 488年 2月  利と理と情と

 

 

 ついにヒルダはラインハルトに対し、正式にリッテンハイム陣営との共闘を申し込んだ。

 

 このタイミングしかないと読んでの行動だ。

 案の定、会談自体は断られなかった。ラインハルトは今や周辺の文官や貴族の悪意に晒され、身動きが取れない。更には姉アンネローゼを守らねばならない足枷がある。皇帝フリードリヒ四世が生きていても不予というのは最も困る状態だったのだ。アンネローゼを連れ去って守ることもできない。

 

 会談には何ら飾った言葉は必要ない。

 ヒルダの話は単刀直入な言葉から始まる。ラインハルトが率直さを好み、回りくどい言い方を嫌うのも理解していた。

 

「ローエングラム元帥、帝国の情勢について改めてわたくしが説明するまでもなく分かっておいでだと思います。そこでわたくしどもの擁するリッテンハイム家クリスティーネ様の皇位継承に助力いただけないでしょうか。むろんお互いの利益になることであり、こちらだけではなく元帥の利益にもなります。いえ、敢えて言えば元帥にとって他の道は無いものと確信いたしております」

 

 ところがラインハルトは話のこれ以上ない重大性とそこに潜む危険を感じ、先ずは牽制を仕掛けた。

 

「ほう、皇帝が存命の内からそんなことを言われるとは、フロイライン、それこそ不敬なのではないか。皇位継承に絡んだ協定とは、今の皇帝の逝去を前提にした話だろう」

「元帥の方からそう言われるとは思いませんでした。いえ、皮肉ではありません」

 

 現在のところ参内の遅滞により、皇帝に不敬という大合唱を受けているのはラインハルトの方なのだが。分かり切ってることを敢えてヒルダも指摘しない。

 

 

 

「それはともかく、フロイライン、今一度整理しておこう。こちらは帝国軍に属する者であり、皇帝のみに忠誠を誓う。貴族家のいざこざに対しては基本中立が正しい。新しい皇帝に誰がなろうがそれに忠誠を尽くすのみだ。反対に貴族家の側としても帝国軍に手を出す道理もない。すなわちフロイライン、こちらとしては中立で一向に構わないのだ」

「それは筋論としては正しいと存じます。しかし、元帥の本心からの言葉とは思えません。軍について言えば、仮にブラウンシュバイク家が権力を握った場合、帝国軍もまた変容するのは必至でしょう。帝国軍三長官の人事もどうなりますやら」

 

 それはラインハルトも重々承知している。

 ブラウンシュバイク公が権力を振るえば、叛徒との戦いなどどうでもいいことになるだろう。

 思うがままに人事が決まる。

 どんな滅茶苦茶でも通るのだ。軍功や能力に関係なくブラウンシュバイク家に連なる者が要職に就く。

 ブラウンシュバイク公にとって軍というのは単なる利権や名誉を得る格好のものであり、実力をもって戦うものだとは考えもしていない。

 帝国軍の弱体化などどうでもいい。

 どうせ戦いで勝った負けたは平民出身の兵がわずか死ぬか、多く死ぬかという違いでしかない。前線のどんな怨嗟の声もオーディンで優雅にダンスを繰り広げる宮廷社会には届かない。

 

 最悪、ブラウンシュバイク公の甥フレーゲルが三長官の立場に立ったらどうなるだろう。

 ラインハルトがフレーゲルの下で働かなければならなくなる。それも、ラインハルトが粛清されなければの話であり、粛清されないだけでもどんな卑屈な態度を取らなければならないのか。

 そんな笑えない冗談をラインハルトが容認できるはずがない。

 

「リッテンハイム家に味方して頂ければ、元帥にそんな心配をかけることはないでしょう。これまで同様、いや、それ以上に元帥の立場が確立されると約束します」

 

 ヒルダはこのように利をもって誘った。しかも充分に現実的な利である。

 しかしラインハルトはこれに乗らない。

 

 

 

「フロイライン、心配してくれるのは結構だが、それには及ばない。降りかかる火の粉を振り払うことくらいはできるつもりだ。火の粉を払い、ついでに火元を叩き伏せる、それだけのことだ」

 

 ヒルダとしてはラインハルトがこれに乗ってくれたら重畳だったのだが、そうでないとしても予想の範囲内である。ラインハルトの矜持は追い込まれたからやむなくこちらと手を組むなど良しとしない。

 

「元帥の実力はよく存じているつもりです。けれどもうお分かりと思いますが、帝国というものは実力のみが物を言うのではなく、風評、大義名分が必要なものです。それを手に入れる道があるのでしょうか」

 

 実のところその道はヒルダが断っている。

 ヒルダの策によってラインハルトは踊らされ、その忠誠具合を暴かれている。それをリヒテンラーデ侯がしっかり見ているのだから、幼児エルウィンの後ろ盾になる道はない。リヒテンラーデ侯は何より帝室に忠義の者を求め、そうでない者を最も危険視する。自分の駒に加えるはずはない。

 ともあれ、このまま何もしないではラインハルトが大義名分を得られることはない。

 

 

 こうして次にヒルダは理を説いたことになる。

 それでもラインハルトはうん、とは言わない。

 ラインハルトの目的は帝室も貴族も打ち倒し、帝国の腐った秩序を焼き払うことだからだ。。

 

「まだ道がないことはない。仮に内乱になったら、それこそ帝国軍が仲裁し、宥和させる鍵を握るということもできるのではないか。それならば名分もあり、しかも主導権を握れる」

 

 そんな可能性についてはヒルダが即座に否定する。

 

「現実的に言ってそれは無理でしょう。両家は長年に渡る怨恨があり、よほどのことがない限り宥和することなどあり得ません。それに帝国軍が仲介をしようとも、実際に砲火を交えることまでしないのなら、少なくともブラウンシュバイク家には侮られたままでしょう。大変失礼ながら、元帥の出目で」

 

 それは事実だ。典型的な没落貴族出身のラインハルトは姉の威光で成り上がったお飾りの元帥と思われている。少なくともブラウンシュバイクの側では。

 これでは仲裁を聞き入れるはずがない。そして争いが終わった後、ラインハルトの立場は余計に悪化する。

 

 

「だがフロイライン、最後にもう一つ道がある。私に敵するというなら、旧来の勢力を全て相手どって戦うということもありえるではないか。大義名分がなく、兵力も少なく、いったん困難に見えたところで、私とキルヒアイスが最終的に負けることなどない」

 

 実力をもって事を成すなら、ラインハルトに負けるつもりはない。

 

 ブラウンシュバイクだろうがリッテンハイムだろうが、あるいは両方を相手にすることになっても。

 その上ブラウンシュバイクの息のかかった保守的な帝国軍が敵に回ってもだ。

 

 自分の元帥府にとどまる将兵だけで戦いを挑んでくれる。仮定の話とはいえこれは決して言葉遊びなどではなく、ラインハルトの最も本心に近い。

 

 

 

 ヒルダはラインハルトの圧倒的な覇気をまともに受けた。

 普通なら思わず怯むところだが、今のヒルダはたじろぐことはない。ヒルダもまた自分の守るべき者のために戦っているのだ。

 

「ですが、閣下はよろしくとも閣下の姉君アンネローゼ様のお立場はどうなりますか」

「何! それを言うのか。フロイライン、言葉に気を付けねば墓穴を掘るだけなのを知っておいてもらおう」

 

 ラインハルトの鋭気が場を切り裂いて暴れ狂う。

 正に綱渡りだ。ヒルダの言葉使い一つで場の空気はどう変化するだろう。

 アンネローゼ! まさにそのためにラインハルトもキルヒアイスも遠い日に誓いを立て、全ての戦いを戦ってきた。

 

「では事実を申し上げます。閣下が帝室も貴族もないがしろになさるということは、逆賊と罵られることが必然ということにつながります。もちろん、アンネローゼ様もそうならざるを得ません。これまで帝室に寄り添ってきたアンネローゼ様が今さら全てを失うのです」

「全てを失うだと! それは、あの日に決まったことではないか! 皇帝の手によって」

 

 そう、あの日アンネローゼがラインハルトとキルヒアイスの手に届かない所へ連れ去られた。

 あの時から時は止まったのだ。

 

 だが、いったん檄したラインハルトもヒルダの言う意味が分からなくはない。

 自分の意志ではなくとも結果的にアンネローゼほど皇帝に寄り添い、最後までその力になった者はない。

 

 そんなアンネローゼが逆賊とは、耐えられる仕打ちではない!

 あまりに事実と異なるからだ。

 また身の置き所と安全確保という面をとっても、ラインハルトが激戦の最中に身を投じる以上、多少の困難さは避けられない。やはりアンネローゼには帝国の反逆者のレッテルではなく、安全な庇護が必要になる。

 

 

 こうしてヒルダは情に訴えたのだ。

 ラインハルトが覇王に徹してアンネローゼを見捨ててまでも上を目指すということはあり得ないと分かっている。

 

「なるほどフロイライン、そういうことか。話は分かった。一両日中に返事はする。」

 

 

 

 その後、ラインハルトはキルヒアイスに相談した。

 

 オーベルシュタインに相談しても言うことは明らかだ。どうせ軍事力で片をつけるなら、一方と組んで取りあえず勝ち、その後で切り捨てれば最も効率がいいと言うだろう。それもまた合理的だが、こちらから裏切って武力を行使するのが前提になる。

 

「どうすべきだろうキルヒアイス。あの嬢の言うことは多少不愉快だが、決して間違いではない。だが本来ならもう少し麾下の将兵を結束させ、一気に帝国と貴族を葬れればよかった。あるいはいったん幼児を強奪し傀儡の皇帝に立ててもよかった。しかしどちらも今すぐには不可能だ」

 

 キルヒアイスには珍しく時間をかけて熟慮した上で答えた。重要過ぎる戦略上の決断なのだ。

 

「ラインハルト様、難しい選択だと考えます。確かに現状で考えればリッテンハイム側と手を組むのが適切でしょう。ただしこの話はあまりにタイミングが良すぎ、随分と乗せられたもののように思います。もう一つわたくしが気になりますのはそのマリーンドルフ令嬢の人となりです」

「確かにそうだな。協定も何も、信頼できるかどうかが第一歩だ。信頼できぬ者と組んでも仕方がない」

「ラインハルト様、そうではありません。わたくしの考えていることは逆のことです」

「何だキルヒアイス、逆というのは」

 

「カストロプ家の動乱の際に会った感じで言えば、マリーンドルフ令嬢は義に厚く、揺るがない性格のようでした。おそらく裏切ることはないでしょう。闘争に勝った後で切り捨てられる恐れはないように思います。ただし、逆にこちらが何かしようとしてもなかなか隙がないのも確か、これは良いことか悪いことか難しいところです」

 

 キルヒアイスが言いたいのは、派閥のどちらかと組むなら、愚かな方と組む方がいいということだ。

 順番からいえば先に賢い方を確実に倒しておくべきなのである。

 そうすれば残りをどう扱うにせよ御しやすくなる。

 

 

 ここにキルヒアイスとヒルダ、二人の頭脳戦が展開されている。それは見えない火花だ。

 

 ただし現実的なことを考えれば、ブラウンシュバイクと組む選択肢は最初からない。また幼児エルウィンを立てようにも、声がかからなければいかに帝国元帥でも近付くすべがない。

 

 ヒルダの案に乗るしかないのだ。

 

 密約は成った。

 その内容は、もしも内乱が起きて軍事的な実力を行使せざるを得ない事態になった際には、ローエングラム元帥府は皇位継承者クリスティーネ・フォン・リッテンハイムに支援をする。

 そして逆にリッテンハイム側はラインハルトにクリスティーネを守るという大義名分を与え、加えて事が終わればそれ相応の地位を与えるというものだ。

 

 銀河の歴史はここに大きく動いた。

 

 

 




 
 
次回予告 第七十六話 最後の忠臣

巨星墜つ! 今こそその生きざまに泣け!

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