第七十七話 488年 4月 責務
無憂宮襲撃事件、そして皇帝候補者エルウィン・ヨーゼフ殺害は当然ながら帝国内に大きな波紋を投げかける。
いよいよ事態は逼迫してきた。
襲撃をかけ、エルウィン・ヨーゼフはおろか国務尚書リヒテンラーデ侯まで殺害したのはブラウンシュバイク陣営の貴族だ。
それが明らかでありながら、当のブラウンシュバイクが知らぬ存ぜぬを貫けば、誰も罪に問うことはできない。直接の襲撃者らもブラウンシュバイクのもとに隠れれば何の問題もない。むしろ望んだ褒美をもらっているくらいだ。
官警はブラウンシュバイク公の警備員すら突破できず、すごすごと帰らざるを得ない。
この事実は、帝国が法と秩序ではなく力だけが正義の世になったことを表わしている。
実質的に帝国はもはや瓦解しているのだ。その変容がこれで誰の目にも明らかになった。
だが、重要なのは結果である。
これで皇位継承者を持つのは二人だけになってしまった。
エルウィン・ヨーゼフが皇帝に立てられ、二大貴族ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が共に引っ込むという穏便な方法の可能性が消えた。
二大貴族のうちどちらかが頂点に立つ。
もはやブラウンシュバイクとリッテンハイムが共に天を頂くことはない。
実力で決着をつけざるを得ないという認識に、どちらもオーディン近くへ私領艦隊を呼び寄せる。
オーディンからの航路は閉ざされ、首都星の住民たちはいつ戦火が及ぶのか気が気ではない。動乱がオーディンを丸ごと破壊するかもしれないのだ。
銀河帝国の中心にして皇帝のお膝元、永遠の首都オーディン、どんな動乱からも絶対の安全圏だったオーディン、なのに今では怯えるしかないとは。
二大陣営はお互いに牽制しあい、睨み合いが続く。
緊張が危険水準まで増している。
この時、ラインハルトらは既に宇宙に出ていた。
ヒルダを通して結ばれたリッテンハイム侯との密約に従い、艦隊を集め、軍事的に介入するためだ。
ところが、それには案外と時間がかかった。。
ブラウンシュバイク側も広く貴族子弟の士官に呼びかけ、味方するように通達していたからだ。これにはラインハルト麾下の艦隊においても動揺する者がいる。ブラウンシュバイク領の出身で家族をそこに残している兵士も将官もいるのだ。その離脱はやむを得ない。
それ以上に野心のある者がいた。勝ち馬に乗って栄達を夢見ているのだ。見た目の勢力を重視し、ラインハルトの実力を過小評価し、ブラウンシュバイク側についた方がいいと思っている者たちだ。
更に言えば、そういった者を最大限引き入れるべくフレーゲルなどが蠢動している。
対するラインハルトとしては多少数が減ってもいい。ふるい落とすだけのことだ。
多少数が減っても負ける気はなかった。
万が一明らかに艦隊維持ができないほど将兵が抜けるような事態になれば方法もある。クリスティーネ・フォン・リッテンハイムが帝位につくようお味方する、つまりその密約を公にすればいい。そうすれば将兵の動揺は一定範囲に収まるだろう。
ただし、今すぐそうしないのは理由があった。
別の問題がある。信用できない兵や艦を内部に抱え込むことはできない。戦いの重要な局面で裏切りに遭い内部から崩壊すれば、いかにラインハルトが華麗な戦術を駆使しようとも無駄になり、敗北につながる。
ブラウンシュバイク側のスパイを内部に含むのが一番怖い。誘いに動揺するような将兵ならむしろ峻別すべきなのだ。
リッテンハイム陣営は私領艦隊約四万五千隻を集め、ラインハルト元帥府艦隊の到着を今か今かと待っていた。
しかし、対するブラウンシュバイクの側にはもっと大兵力があった!
私領艦隊合計で十万隻を超えている。勝ち組につこうとした貴族らが次々となけなしの艦隊と共に馳せ参じているのだ。
その上、ラインハルトに先んじて、帝国軍からの離脱組をまとめたフレーゲルがこの陣営に加わった。少なくない数の若手貴族士官がフレーゲルに従っている。
フレーゲルの自己陶酔したような貴族賛歌のプロパガンタでも賛同するものは多かったのだ。
「今こそ帝国貴族の底力を見せる時! 我らが帝国を本来あるべき姿に戻すのだ! 貴族によって運営されてこそ帝国なのである! 平民に蚕食されつつある帝国を救い、再び帝国の栄華を取り戻そう。それができるのはブラウンシュバイク家以外にない! 味方せよ、その素晴らしき未来のために!」
その数は何と三万隻にも及び、主だった将ではシュターデン中将なども加わっている。
これでブラウンシュバイク側とリッテンハイム側とで予想以上の戦力差がついた。差があってもせいぜい数割程度かと思われていたが、よもやそれをはるかに越えるとは。正に地滑り的な勢いだ。
勝利を確信したブラウンシュバイクはリップシュタットの館に賛同する貴族を集め、高らかに宣言する。
「銀河帝国はここに新たな未来を開く。わが妻アマーリエ・フォン・ブラウンシュバイクこそが帝国の後継者である。それに賛同し、ここに集いし貴族が共に新しい帝国を作り上げるのだ。しかしこれに反対する愚かな者どもがまだ存在する。我らが初めに成すべきなのはそんな者どもに鉄槌を下すことである。愚か者はその愚かさゆえに報いを受けるであろう」
二千家に近い貴族家がこの宣言に署名し、気勢を上げる。どの顔もこれから勝利し、分け与えられるだろう利権の匂いに酔っている。
この様子が伝えられると、リッテンハイム陣営の貴族にどうしようもなく不安が膨れ上がってくる。やはり選択を誤ったのか……
リッテンハイム侯自身も心痛激しく、ヒルダに相談するしかない。いつの間にかヒルダがリッテンハイム陣営の頭脳になっていた。
だがこの厳しく見える状況下でも、ヒルダに不安など微塵もない。
「リッテンハイム侯、何も心配ないとどっしり構えていたらよいのです。そのリップシュタットの盟約など気にする必要はさらさらありません。なぜなら、そんな威勢のいい言葉を言うくらいならば、さっさと即位した方がいいのは明らかです。しかしそれをしない、いやできないのです。つまりここにリッテンハイム側がいる限り、即位まで強行はできないことを表わしています。もちろんこちらも同じことですが」
「なるほどそうか、言われてみればそれも確かだな。こちらに付いている貴族の動揺が激しくて、つい埒もないことを聞いてしまった」
「下手に動くのは危険です。お互いここオーディンを焼け野原にするつもりがないのなら、逆にオーディンこそ一番安全です。ローエングラム元帥の援軍が来るのを待ちましょう」
ヒルダは確信をもって告げる。
「いずれローエングラム元帥が必ず決着をつけます。この戦い、先に動いた方が負けになります」
ところがここでブラウンシュバイク側は妙手を打った。
提案してきたのはブラウンシュバイク家私領艦隊の参謀長を長く務めているアンスバッハ准将だった。
アンスバッハは准将という地位でありながら事実上ブラウンシュバイク家の大艦隊を統率している。ブラウンシュバイクはアンスバッハの力量とその思慮を高く評価しているのだ。おまけに軍事に限らず数々の謀略を相談している。准将という比較的低い地位に留め置いているのは、単に甥のフレーゲルが帝国軍少将だからである。いつか将来フレーゲルが私領艦隊を率いる含みを持たせている。そうなった暁にはアンスバッハはおそらくブラウンシュバイク家の家宰にでもなるのだろう。
ともあれブラウンシュバイク家の知恵袋とも言われ、切れ者で通っているアンスバッハが提案した。
「公よ、このままリッテンハイム側と睨み合いを続けても益がないでしょう。オーディン近傍にいる限り、惑星へ被害を及ぼすことはできず、会戦を行えません。あたら大戦力がありながら無駄となります。先ずはリッテンハイム側を引き剥がす策を打つ必要があります。宇宙での戦いに持ち込んだらしめたもの、一気に片付けられます」
「それはそうだがアンスバッハ、そういうからにはうまい方法でもあるのか」
「こちらには余剰兵力があります。艦隊を分けて、別動隊が向こうの領地を全て奪う、いや奪うフリをするのです。そうすればリッテンハイム側は出て来ざるを得ません」
「なるほど、それで釣り出すのか。いい案だ。アンスバッハ」
アンスバッハが言うのは本拠地を脅かすという古来からある手である。しかし戦力差があればこれほど有効なものはない。
これを聞くブラウンシュバイク公は尊大であるが理解力が不足していることはない。
「感謝します、ブラウンシュバイク公。ではさっそく」
「よし、やってみろ。ただ……そうだな。フレーゲルも連れて行け」
最後の言葉にやや眉をしかめたがアンスバッハは作戦を実行に移す。たぶんブラウンシュバイク公は甥のフレーゲルに功績を上積みし、今後のために地位を固めさせるつもりだ。
艦隊を二分しても数は充分に足りる。
余剰兵力を有効活用する手に出る。進発した別動隊がリッテンハイム側貴族の領地を襲い、押さえにかかった。
リッテンハイム派閥の貴族たちから今度こそ悲鳴が上がる。
このままではブラウンシュバイク家に全てを奪われ、たった身一つでオーディンにいることになるではないか。
これに対し、やむを得ずリッテンハイム侯はオーディンを出ようとする。
ヒルダは慌てて押しとどめにかかった。
「もう一度同じことを申します! ここは動かないのが得策なのです。リッテンハイム侯がオーディンにおられるから向こうも過激なことができないのです。しかし宇宙では単純な力勝負になるでしょう。今、領地の方を襲っているのも、侯爵閣下をオーディンから誘いだすための見え透いた罠です。そうせざるを得ない向こうをむしろ笑ってやればいいのです」
「いいや、そうはいかないのだ。ヒルデガルト嬢。これはリッテンハイム家の責務なのだ。ここまで追い詰められながら裏切ることもなく我が家に忠誠を尽くしてくれている貴族たちがいる。今領地を奪われているのはそういう貴族たちだ。見捨てることはできない」
「それは後でいくらでも取り返しがつきます。軽挙はいけません」
「ヒルデガルト嬢、派閥の長というのは庇護の責任と不可分にある」
寂し気に笑う。
誰もが羨む派閥の長、しかしそこには余人の知らない苦悩と重さというものがある。
ヒルダの言う合理的なやり方ばかりもできない。
「それが生まれもって派閥を率いてきた私の取るべき義務なのだ。済まないな」
次回予告 第七十八話 幕開け
運命の行きつく先