疲れも知らず   作:おゆ

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第八十話  488年 4月  二人の愛を受けて

 

 

 キフォイザーの戦いは終結した。

 ブラウンシュバイク側が勝利し、リッテンハイム侯は斃された。

 

 これで積年の両家の争いに決着が着いたのだ。ブラウンシュバイクのアマーリエが即位し皇帝になるのを阻止する者はいない。

 リッテンハイム艦隊の残存は決して少なくなかったが、リッテンハイム侯がいなければもはや戦いを続けても意味がない。散り散りになって逃げていく。

 アンスバッハはそれらを追わず、むしろ脱出艇の救助や補給を開始した。被弾した際の脱出すらままならない艦も多いのだ。お飾りである貴族の私領艦隊はそんな経験すら一度もないからである。

 

 ところがフレーゲルの方は尚も戦意が衰えない。

 

「戦いの途中から逃げて行った巡航艦隊はおそらくリッテンハイム家の者だ。皇位継承権を持つクリスティーネ・フォン・リッテンハイムもいるに違いない。これをまとめて消し、後顧の憂いを断てば、いっそうブラウンシュバイクの叔父上はお喜びになるだろう。急ぎ後を追うぞ!」

 また艦隊を率いて独断で出ていく。慌てて二万隻程度が命令に従う。周りの艦から補給物資をかき集めての急発進だ。

 アンスバッハはもはや言葉すらかけずに、残って後始末をするだけである。

 

 

 

 一方、逃走していったクリスティーネらはひとまず補給と休息が必要だった。もはや領地には戻れない。

 

 格好の補給地を見つけることができた。

 それはレンテンベルク要塞といい、小惑星を改造した帝国軍の要塞だった。貴族の反乱に備えて作られ、ちょうど航路の要衝を押さえている。しかも貯蔵している物資はかなりの量になる。

 

 その要塞を守備していた帝国軍将兵はクリスティーネからの通信を受けて戸惑った。何と貴族私領艦隊から物資補給の要請が来るとは。そんな前例はない。

 本来ならば筋違いな欲求であり、断ってもいいはずである。

 だが、クリスティーネ・フォン・リッテンハイムはれっきとした皇女なのだ。皇帝の血筋を引き、単なる高位貴族ではない。

 帝国軍は皇帝に従う軍なのだから、皇帝が空位である以上それに準ずる皇位継承者に従う方が正しいのではないか。結果、クリスティーネらを要求通り受け入れている。

 そのため補給と休息をとることができた。

 

 

 

 しかし出立する直前、悲報が舞い込む。

 尚もしつこく追って来たフレーゲルの艦隊が迫りつつある。

 

「レンテンベルク要塞に告げる。リッテンハイム家の者がいるなら聞くがいい。もはやどこにも逃げられん。だったら潔い態度を示したらどうだ。帝国貴族たるもの、常に美学を追求するのだ」

 

 フレーゲルからこんな通信が来た。

 何が言いたいのか分からないフレーゲルの自己陶酔に付き合っている暇はない。

 しばしクリスティーネは考えたが、娘を守るために返信した。

 

 何としても娘サビーネは守る。夫との固い約束だ。

 

「フレーゲル男爵、クリスティーネ・フォン・リッテンハイムです。先の戦いで軍事的に破れはしましたが、リッテンハイム家への丁重な扱いを要求します」

「今さら丁重な扱いなどふざけているのか。誰が降伏をしろと言った。きれいに消えるのも貴族の美学、せめて潔くヴァルハラに行くのを手伝ってやろうというのだ」

 

 やはり、フレーゲルはここでリッテンハイム家を抹殺しようとしている。

 皇女を手にかけるのは本来赦されざる大罪だが、向こうにはアマーリエがいて、それが即位すれば確かに何ほどの問題でもなくなる。勝てばなんでもいいのだ。

 しかも、悪いことにフレーゲルを説得しても意味がない。

 ここで降伏し、オーディンへ移送されたとしても、そこで待つのは死だけだ。

 

 クリスティーネが一度降伏を匂わせたのは、次の言葉を印象付けるためだ。ここで賭けに出た。

 

「黙れ下賤の者! 銀河帝国皇帝の娘たる妾に男爵風情が口をきくのもおこがましい! しかも何という言いざまか! 身分を弁えよ!」

 

 クリスティーネは穏やかな性格であり、日頃から大声など出したことはない。しかし、ここで普段はしないような啖呵を切った。

 それはフレーゲルの痛いところ突き、怒らせ、向かってこさせるためだ。

 

 とにかく乱戦に持ち込む。長距離から囲まれてじっくり攻められてはたまらない。

 娘サビーネだけは逃がすためである。

 

 

 そして頭を働かせ、乗ってきた私領艦隊の巡航艦ではなく、レンテンベルク要塞に元から停泊していた帝国軍の艦にサビーネを乗せて逃がした。

 つまり、貴族同士の争いに巻き込まれそうになり慌てて退去する帝国軍を装ったのだ。むろん、要塞にいた帝国軍兵士も一緒に逃がす。

 

 

 

「サビーネ、ここからは一人でお行きなさい」

「え、お母様は! どうして!」

「それは、母に皇位継承権があるため、一番に狙われているからです。母がいる限り追われ続けます。だからここにいなければいけません」

 

 クリスティーネもリッテンハイム侯同様、囮となることを心に決めている。サビーネのために。

 

「お母様、お母様!」

 

 サビーネは今度こそ叫ぶ。

 先に父を喪い、立て続けに母まで喪ってしまうのか。

 それは少女の耐えられる限度を超えている。

 

 クリスティーネは両手の平でサビーネの頬を優しく挟んだ。そして顔を寄せ、語りかける。

 

「サビーネ、よく聞きなさい。あなたの母でいられて幸せだったわ。母の人生はとても幸せだった。これだけは言っておきたいの」

「そんな、どうして、どうして!」

 

 サビーネはそれしか言えなくなっている。

 それは魂の慟哭が引き起こす叫びだ。この幼さでは感情をうまく表現できない。

 

「あなたを守らなくては、先にお父様にした約束が守れないのよ。行きなさい、サビーネ」

 

 決然と言い切った。

 そこに何の余地もない。父と母はサビーネを守るのだ。それは何よりも深い娘への愛だ。

 

「サビーネ、まだあなたは一人ではありません」

 

 最後にクリスティーネはそれだけを言っておく必要がある。

 まだこの帝国には娘を託せる者がいるのだ。クリスティーネはそれを知っている。

 

「あの方を頼りなさいサビーネ。ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ嬢です。きっと力を与えてくれます」

 

 クリスティーネはヒルダが聡明であり、その思慮は別格と言えるほど高いレベルにあることが分かっていた。

 

 しかも、もっと大事なことがある。

 ヒルダは賢くはあるが決して冷徹ではない。むしろ愛情深い人間だ。

 

 リッテンハイム家がここまで無様に破られても、もはやブラウンシュバイクの世になっても、希望が極小になっても、絶対に見捨てることはない。

 普通の貴族であればさっさと見切りをつけ、逃げ出すだろう。裏切ってブラウンシュバイクへ媚びを売るだろう。ましてやマリーンドルフ家は昔ながらのリッテンハイム派閥ではなく加わったばかりなのだ。裏切っても非難はされない。

 

 しかし、クリスティーネは分かっている。

 ヒルダだけはサビーネを捨てない。

 

 

 

 サビーネがヒルダに守られ、まばゆい道を堂々と歩いていく幻影が見えた気がする。

 いや、幻影というよりもはるかに確かな未来に感じた。

 

 

 

 

 サビーネをなんとか送り出した直後、クリスティーネに業を煮やしたフレーゲルは艦隊を率いレンテンベルク要塞に襲い掛かってきた。

 

 しかし二万隻の大艦隊といえどレンテンベルク要塞は破壊に至らない。元は人工物ではなく、大きな岩石を改造して作られた要塞なのだ。雨のようにミサイルやビームを浴びせられても通用しない。これを外側から破壊するのは至難の業である。

 

 フレーゲルはやむなく白兵戦部隊を投入した。

 

 すると再びクリスティーネはフレーゲルに挑発を仕掛けた。それは、クリスティーネがまだ要塞にいることを誇示し、脱出したサビーネの方を追わせないためだった。

 

「恥を知れ! 皇女を手にかけようとは。しかも、男爵など末端貴族の分際で。ブラウンシュバイクにたった一つ同情できることがあるとすれば、こんな甥を持ったことか」

 

 フレーゲルにとって思いっきり痛撃になった。

 

 実は爵位で言われたら、フレーゲルの爵位は貴族の中でかなり低い立場の男爵であった。ブラウンシュバイク公の甥という立場でも、爵位はそれだ。

 それはフレーゲルの肥大した自尊心に合わない。

 誰にも分かられないように隠し続けていたが、内心では気にしている。ブラウンシュバイク公にも爵位を上げてもらえるようねだったことはないが、早く察して上げてくれないか熱望している。

 爵位はフレーゲルの最大のコンプレックスだったのだ。

 それをなんとなくフレーゲルの反応から察知したクリスティーネは容赦のない言葉でそこを抉っていく。

 

「男爵など貴族というにもおこがましい。本来なら舞踏会の末席にいるものを。いや、フレーゲル男爵、本当に末席にいたのを見たことがある。たまたま目の端に入った時に。妾からすれば男爵など平民の方によほど近い。そんな男爵が偉そうにしているとは、小物ほど調子に乗るとは正にこのこと」

「黙れ黙れ黙れ! 誰でもいい、あの女をここまでひきずってこい!」

 

 それは皇女に対して言っていい言葉ではない。フレーゲルの粗末な本性が露わになる。もはや貴族の仮面は剥がれ、泡を吹きながら猛り狂っている。

 艦橋のオペレーターたちは唖然とし、首をすくめてやり過ごすしかない。

 

 

 やがてフレーゲルの遣わした白兵戦部隊が要塞に取り付き、その通路を制圧しつつ進んでいる。

 間もなく自分の居場所まで到達するだろうことを知ると、クリスティーネは要塞中心部にある反応炉を暴走させる所謂自爆スイッチを入れた。

 

 要塞そのものが壊れることはない。

 だが、そこに開けられている通路の全てから宇宙に向かってまばゆい光が迸った。

 無数の光の剣のようだ。あたりの宙域を白く染め上げ、続いて各種残骸も噴出する。レンテンベルク要塞は自爆でその使命を終えることになった。

 

 

 皇女クリスティーネはここに斃れる。

 

 愛娘サビーネ、たった一筋の愛を残しながら、その身は消えた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十一話 共同作戦

アンネローゼを救え! 意外な二人が手を組む

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