疲れも知らず   作:おゆ

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第八十二話 488年 5月  フェザーンへ

 

 

 リッテンハイム私領艦隊を撃滅し、リッテンハイム侯もクリスティーネも斃したブラウンシュバイク公はついにアマーリエの戴冠式を強行した。

 

 オーディンで邪魔をするものはいない。

 

 形式的にも皇位継承者はアマーリエで間違いない。

 クリスティーネの子サビーネの死は報告されていないが、継承権はアマーリエのはるか下に過ぎない。エルウィンは皇太子ではなく皇孫だったが、男子直系の子孫であればこそ候補の一人であった。しかしサビーネはそうではなく、皇位継承の対抗馬にすらなりえない。

 行政府の文官たちもこれからのことを考えて嘆息するが協力する他にないのだ。ブラウンシュバイク公の専横と悪政はもはや覚悟して甘受するしかない。

 

 戴冠式はさすがに準備期間が足りなかった。やたらと金をかけ豪勢に仕立て上げられたが、全く洗練されていなかった。アイゼンフート伯爵の代わりに宮廷尚書になったばかりのボーデン侯爵は無能であり役に立たない。音楽も段取りもぎくしゃくしたものだ。

 居並ぶ廷臣たちはというと、文官はまだしも武官は本当にちらほらいる程度だった。

 

 無駄に豪華な装飾が目立ったが、これが逆にブラウンシュバイク家の世になったことをアピールする結果になったのは皮肉である。

 普通の代替わりではないことが誰の目にも明らかだったからだ。

 ゴールデンバウム王朝ははっきりと一つの曲がり角に立った。

 

 

 

 とにかく銀河帝国皇帝はアマーリエ・フォン・ブラウンシュバイクと定まった。

 

 もはやブラウンシュバイク家とそれに味方する貴族は我が世の春と浮かれ、その権勢は天をも突く勢いである。

 他の帝国臣民は首をすくめてこれからのことを思いやる。

 

 新皇帝の名を借りてブラウンシュバイク公が初めに行ったことは、ブラウンシュバイク家に敵対してきた者全てを賊と断じたことだ。

 いかなる理由があろうと決して帰参を赦さないと明言した。

 これはブラウンシュバイク公の性格を考えたら予測がつくものだが、それでも厳しい態度と言わざるを得ない。

 旧来のわだかまりを解消して手を携え共に未来を作るどころではない。そんな甘さは微塵もなかった。かつての敵を抹殺し、きれいさっぱり掃除をするところから始めようというのだ。

 これでリッテンハイム側貴族の命脈は断たれた。奇しくもアンスバッハよりフレーゲルの方が正しかったのだ。

 

 

 

 ともあれヒルダやアンネローゼたちの脱出は的確な判断だった。

 リッテンハイム側と見なされていた貴族は全て財産を没収されていく。そしてさらに家族ともども爵位を没収されてしまう。

 しかしそれは下級貴族の場合だ。リッテンハイム派閥で主要な位置にいた貴族はそんなことでは済まされず、やはり粛清が待っている。

 

 誰しも粛清などされたくない。

 そして自分が粛清されないための方法がたった一つ残されている。

 オーディンには密告の嵐が吹き荒れた。

 自分が犠牲にならないためには、先に密告するしかない。主にターゲットにされたのはリッテンハイム側からブラウンシュバイク側へ寝返って日が浅い者たちだ。それらの者たちは事実か事実でないかさえもはっきりしないまま、密告によってあっさり粛清されてしまう。

 

 そんな密告による粛清に主に携わったのは内務省で地歩を築いていたハイドリッヒ・ラングである。ある意味ラングは職務に忠実な者であり、かつその方面で極めて有能だ。ブラウンシュバイク家の世になっても冷遇されなかった数少ない者の一人である。ブラウンシュバイク公もその有用性を認め、そのまま遂行させている。

 ラングは密告によって捕らわれた者を「自白」させ、それによって刑罰に処した。

 

 帝国を暗雲が広く覆った。多くの者が未来を悲観するようになる。

 

 最後まで中立を保った貴族すら財産没収の憂き目にあってしまうとは。

 オーディンの市街には今や没落貴族が群れをなしている。

 飽食と贅沢に代わり、その日の糧を汲々として得なければならない。そして、侍女や下僕からの仕返しに怯えるのだ。

 それまでにやってきたことをそっくりそのまま自分の身に受ける。心優しかった貴族は、暖かい無償の援助を受けて涙する。こんな時だからこそ人の本性が出る。善意は善意を呼び、お互い抱きしめ合って、これから助け合うことを誓う。

 しかしそれは貴族の中でもわずかなものだった。圧倒的多くの貴族は悪行を重ねてきた報いを受けなくてはならない。

 かつての下僕が強盗に変装し襲ってくる。なけなしの金を盗られ、身ぐるみ剥がれて途方にくれる。住むところもなく、行くあてもなく、どうすればいいのか。もちろん官警に訴えても相手にされない。

 中には直ぐに死体に変えられる貴族さえいた。しかし同情はされない。される訳がない。その者は、以前から下僕や侍女に電磁ムチを振るっていたのだ。

 

 

 

 しかし今の銀河帝国でブラウンシュバイク家に従わない者がまだいる。

 当然、ラインハルトの元帥府にいた将兵たちのことだ。

 

 当たり前のことだが銀河帝国に敵する賊軍とされた。

 しかし、本人がそれで怯むことは微塵もない。それどころか堂々と反論でもって返す。

 

「皇女クリスティーネ様を害した張本人たるブラウンシュバイク家に帝国を継承する資格など最初からない。不服であれば実力をもって正統性を示すがいい」

 

 こう発布した。

 既に帝国の皇帝はアマーリエなのだから、これは単なる詭弁にしか過ぎない。普通の遺産相続とは違い、いったん皇帝になったものが全てを握るのだ。その手段は何も問われず結果が全てと言える。

 

 しかし、ラインハルトとしては賊軍とされることに痛痒はないが、ブラウンシュバイク公に上に立たれるのは気分が良くない。それだけのことだ。

 実際、賊軍とされても今さら離脱するものは少なかった。

 麾下のものはラインハルトに心酔している者が大半であり、残りも直接の上官であるミッターマイヤーやロイエンタールといった諸将に忠誠を誓っている。

 

 長く戦いの場にいた者たちは実力が全てだということを知っているのだ。皇帝の権威など砲弾の一つにも値しないことを知っている。

 

 それだけではない。

 平民出身将兵の中には唾棄すべき貴族と戦うというだけで戦意を高める者も少なくなかった。ラインハルトが一応貴族出身とはいえほとんど平民の暮らしと変わらない没落貴族出身であることがここではプラスに働いた。

 確かにラインハルトの家は市井にあり、木の柵しかない質素なものである。兵たちから見て貴族同士の内乱とは捉えられなかったのだ。しかもこれまでの多くの戦いでラインハルトが門閥貴族派の軍中枢部から嫌がらせを受け、たびたび死地に追いやられたことも公然の事実である。

 

「貴族と戦うなんて最高じゃないか。こんな機会が逃がせるか。俺は叛徒なんかより貴族に恨みがあるんだ!」

 

 こんな声が兵の声を代表している。

 

 

 だがそれでも離脱する者が全くいないわけではない。

 その者は迷いつつも、元帥府からの離脱を上官に告げる。

 

「ロイエンタール閣下、その、ここまでお世話になって言うのも心苦しいのですが」

「みなまで言うなミュラー少将。卿の言いたいことは分かるつもりだ。ここで卿に離脱されるのは元帥府のみならず我が艦隊にとって痛いことだが、押しとどめることは卿を不幸にするだけだろう」

 

 さすがにロイエンタールは度量が大きい。

 ミュラーの心情を正確に分かった上でそれを赦した。

 言葉にしなくとも伝わっている。ミュラーは別にラインハルトが賊軍だから離脱するのではない。

 ましてや、新皇帝アマーリエとブラウンシュバイク側に寝返り、褒賞をもらったり栄達することなど考えてもいない。むしろそんな者がいればミュラーこそ真っ先に立ち向かったことだろう。ミュラーもまた誇りある武人なのである。

 

 ミュラーが気にするのは、これから帝国の内乱に向かえば同じ帝国人と戦わなければならないことだ。そんな同士討ちなどしたくない。できれば敵とさえ戦いたくないと思っているくらいなのに。

 もちろんこれまで過ごしてきた艦隊に思い入れはある。ロイエンタールを始め多くの人に世話になってきた。それを振り捨てるのは辛いことだ。

 思い余った末に出した結論なのである。

 

「ミュラー少将、艦を一隻用意する。これは、俺からの餞別だ。気にせずもらっておけ」

 

 ミュラーは驚いた!

 それは破格のことだ。普通なら離脱しようとする者など拘束するのが普通ではないか。それを許すどころか艦をくれるというのだから。

 

「ロイエンタール閣下、そこまで小官などのために。あまりに心苦しいことです」

「なに、叛乱など起こさず、最初から俺に談判に来た卿の潔癖さのお返しだ。そして卿の人望のため付いていきたいと思う者も結構な数がいるだろう。艦が一隻で済むかの方が心配だ。それにだ、俺の親友でもやはり同じことをするだろうな。今度そいつとワインを飲むときの格好のネタを提供してくれた礼でもある」

 

 

 その後、ミュラーはまた驚くことになった。その艦は駆逐艦などではなく、巡航艦でもない。就役したばかりの新鋭戦艦パーティバルだった。ロイエンタールがわざわざ餞別というだけのことはあり、ミュラーは最大限感謝しながらそれに乗って出る。

 行き先を考えた。

 それはどんなに考えても一つしか思い浮かばない。むろんフェザーン、帝国の内乱が及ばないのはそこしかない。

 

 

 

 ナイトハルト・ミュラーはフェザーンに来た。

 

 そして思いがけない歓迎を受ける。

 ミュラーも実は歓迎されるかもしれないという期待があった。しかし、論外として拒絶される可能性も考えていた。自分は今や何の身分もなく、ただの放浪の逃亡兵なのだ。帝国軍少将の地位も過去のことである。フェザーンとしては到着すら拒んでもおかしくはない。

 エカテリーナとの個人的な友誼はこの際当てにならない。そんなことを言える情勢ではなく、エカテリーナが常識的な判断をすれば逃亡兵など受け入れないのが当然だ。

 

 ミュラーの心は期待と不安、この二つの間で揺れ動いていたのである。

 

「来ると思っていたわ。ミュラー。遅すぎるくらいよ」

 

 なぜか自信満々にエカテリーナが歓迎する。自分の予測が当たったと言わんばかりに。

 

「へえ、待っていてくれたのかいエカテリン。正直嬉しいよ。でももし来なかったら」

 

 

 

「我らもお待ちしておりました。」

 

 ふいに横から声を掛けられた。

 見ると、以前フェザーン艦隊で世話になった二人が立っているではないか。その二人をミュラーは忘れていない。

 

「あ、あなた方は、確かオルラウ大尉とドレウェンツ中尉では……」

「根拠らしい根拠があるわけではないのですが、またお会いできるものと思っておりました」

 

 この二人もまたミュラーのことを待っていたと告げている。

 

「また我らの艦隊を指揮して頂きたい。いえ、あなた以外におりません」

 

 ミュラーを待っていた根拠について二人とも口を濁したが、実はミュラーの優しさであった。

 帝国軍には綺麗ごとばかりではない。

 若く、理想の高いミュラーは必ずや疑問を抱き、長くはいられないだろうと踏んでいたのである。

 

「ミュラー、教えるけどフェザーンにはもう一個艦隊くらいの艦隊戦力があるわよ。あなたにはそれを率いてもらうわ。これはもう決めてるの」

 

 実のところミュラーはアスターテの戦時艦隊指揮代行を除けば、帝国軍ではクナップシュタインの下でせいぜい五百隻程度の艦隊を率いていた経験しかない。

 

 それをいきなり一個艦隊の指揮、しかも、部外者だったミュラーが!

 

 

 

 この人事決定は全てエカテリーナの決断力によってなされる。

 決して縁故でもなくきっちり見据えた上での決断だ。

 それが破天荒に見えるのは、むしろ責任から逃げなかったゆえである。常識や慣習の範囲内で動くことは容易い。しかしエカテリーナにはそれ以上が求められているのだ。

 ならば決断しなくてはならない責任を踏みしめて、その上で決断できる能力を行使した。

 

「エカテリン、そんな。僕にできるかな」

 

 

 まごついたミュラーにまた優しいサポートがつく。

 

「いいえ、あなたであれば何の問題もなくできるでしょう。我らもお供します。」

「よろしくお願いします。オルラウ大尉。」

「あの、すみません、いつ言おうかと思っていたのですが、艦隊創設と共にお恥ずかしいことながら大尉から出世いたしまして、こんな小官でも今は准将であります」

 

 一瞬の間を置いた後、エカテリーナがけらけら笑う。

 つられてミュラーも笑う。

 

 それはこのフェザーン艦隊の明るい未来を示すような始まりだった。

 

 

 




 
 
次回予告 第八十三話 見えない炎

今こそヒルダ、新たな決意の時!!
本作品のターニングポイント!

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