疲れも知らず   作:おゆ

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第八十三話 488年 6月  見えない炎

 

 

 ラインハルトは帝国に反逆する賊とされても、おとなしく帰順するどころか公然と敵対する意志を示した。

 

 麾下の艦隊五万隻余りは帝国軍ではなくもはやラインハルトの私物だ。

 これを帝国が捨てておけるはずがない。一刻も早く撃滅しなくては新しい皇帝アマーリエの権威、ひいてはブラウンシュバイク家の権威が形無しだ。

 

 それ以前にラインハルトのことを感情的に許せない人間がいた。

 もちろんフレーゲルだ。

 ラインハルトがまだ将官ですらない時分から敵対し、常に隙を伺っては亡き者にしようと企んできた。それはティアマトやアスターテなどにおいても見られ、帝国軍の作戦を捻じ曲げるほどに執拗なものだった。いや、フレーゲルはラインハルトのみならずラインハルト麾下のミッタマイヤーなどにさえ因縁がある。

 まあフレーゲルは最も成り上がり、最も勝利を飾ってきたラインハルトを目の敵にしていただけで、基本的には平民出身の士官であれば誰彼かまわず追い落とそうとしてきた。特に人望のある者にフレーゲルは激しく嫉妬している。

 今こそラインハルトと決着をつけずにはいられない。

 

「正統なる帝室に逆らう不埒者が! いやしくも帝国軍にいた者が艦隊を奪って叛逆に走るとは、このフレーゲルの目は正しかった。いずれ奴が帝国に仇なす者になるだろうと見抜いていたのだ。やはり確実に殺しておくべきだった」

 

 フレーゲルはラインハルトの行動を非難しつつ、同時に自分の慧眼を誇った。

 それは皮肉にも的外れとはいえない。早めに潰しておけばこういうことにはならなかったのも事実である。

 

「こうなれば堂々と戦い、亡き者にしてくれる。銀河帝国の伝統と権威、そしてそれを支える我ら帝国貴族の力を思い知るがいい!」

 

 何と皇帝の裁可も得ずに、早急に集められる艦隊を率い、勝手に出撃していった。もはや帝国軍を私物化しているのはフレーゲルなのだが、本人はいたって真面目に帝国のためと思っている。

 それをアンスバッハは冷ややかに見送っている。

 

 

 

 それと同じ頃、ヒルダらがやっとフェザーンに到着した。

 

 ブラウンシュバイク艦隊の目を盗みながら進むため、だいぶ迂回した航路を通らねばならなかった。しかもただ迂回するだけでもいけない。二重三重に網が張られており、それをかいくぐるのは大変な困難さがあった。

 もちろんヒルダに限らず逃亡を図っている元リッテンハイム派閥貴族を捕えようという網である。それら貴族はもはや銀河帝国にいればブラウンシュバイク派閥に粛清されるのを待つだけであり、フェザーンを経由して亡命する他にはないからである。

 それらの網をかいくぐって進むためにはよほど深い読みが必要だったのだが、この場合は尋常ではない人間が二人もいる。明晰な頭脳を持つヒルダとエルフリーデの二人がいればそれは不可能から可能に変わるのだ。

 

 ともあれフェザーンに到着後、初めにしなければならないことがあった。

 当たり前だが滞在許可を得なければどうにもならない。

 通常なら別に何でもないことだが、ヒルダもエルフリーデも、アンネローゼも余りに名が知られ過ぎている。ブラウンシュバイク側にとってそれぞれがそれぞれ別の意味で不快な害虫であり、それを置くことはフェザーンにとって大きな政治的問題になるからだ。

 

 今、帝国はフェザーンに対して何か言ってきているわけではない。帝国のブラウンシュバイク体制はまだ始まったばかりであり、そういう余裕はない。さしあたってフェザーン側から干渉してくるのでない限り放置の構えだ。それはブラウンシュバイク公はオーディンの宮廷や社交界にしか関心がなく、帝国の辺境など視野に入っていないということが大きい。

 ただしいつまでもそうではなく、いずれ帝国の体制が固まれば、経済的繁栄を謳歌するフェザーンに対し何か仕掛けてくるのだろう。

 そんなことを考えれば、やはりヒルダらを置くことはフェザーンの立場上問題である。

 

 

 

 だがヒルダはごまかしてフェザーンに潜入することは考えなかった。

 それは、信頼する女学校の先輩エカテリーナへの裏切りになってしまう。

 発すべき言葉を考えつつ、フェザーン航路局管制からエカテリーナへ通信をつないでもらう。

 

「ヒルダ、フェザーンへよく来てくれたわ! 歓迎するわよ」

 

 ヒルダが言葉を言う前にエカテリーナから声をかけられた。それは予期せぬ暖かいものだ。

 

「エカテリン、いえ自治領主令嬢エカテリーナ様、正式な滞在許可を頂きたく申請いたします」

「そんな言い方はしなくていいわ。フェザーンにいるのは構わない。しかし、その硬い言い方があなたらしくないと言うか、あなたらしいと言ったらよいのか、実物より冷たく感じ取れるから損だわ。やめた方がいいわよ」

 

 挨拶代わりに冗談めいた忠告を言いながら、エカテリーナは到着した人物リストを見てまた声を上げる。

 

「だいたい予想してた通りね。あ! ヴェストパーレ先生がいる。先生がいらっしゃれば、同窓会ができそうよ、ヒルダ。そうだ、エリザベートも呼びたいところだけどあいにく遠くにいるから残念だわ」

「エカテリン、その、滞在についてはあなたじゃなくて自治領主の判断なの?」

 

 ヒルダはエカテリーナがあまりに軽く許可を出し、深刻そうなところが少しもないのを見て逆に心配になった。

 政治的な重さを理解できていないのだろうか。

 同窓会の算段を話している場合ではない。

 そこをヒルダに問われたエカテリーナは意図を分かって答えた。

 

「ちゃんと意味があるのよ。実は、フェザーンはもう帝国の附属物じゃない。帝国の混乱を機会に独立を仕掛けるの」

「それは驚いたわ! しかし、今それを私たちに言うなんて」

 

 

 ヒルダは理解した。

 フェザーンはもう帝国の顔色を伺うことはしない。綱渡りの交渉で汲々と自治を守ることはしない。力を持った勢力として対等の立場を目指すのだ。

 今フェザーンが沈黙を守っているのは、帝国の新体制がどうなるか右往左往する必要がなく、それより力を貯える方を重視しているためだった。

 

 だからヒルダらの滞在で将来の火種を呼び込むことなど問題としない。

 しかしながらこの段階でヒルダに重大に過ぎる政治判断を明かしてしまってよいかどうかは別のことだ。

 その答えは次に得られる。

 エカテリーナはヒルダの才能を買っていて、それなりに算段を立てていたのだ。

 

「それでせっかくフェザーンにいるなら、ヒルダ、少しは働いてもらっていいかしら。エリザベートも働いているのよ」

 

 それにエカテリーナは決してマキャベリズムの権化ではない。

 

「もう一つ言っておくわヒルダ。最初から追い返すつもりなんてなかった。ここフェザーンはね、逃れる者たちの拠り所なのよ」

 

 

 それでもヒルダは一つのことを確認する必要がある。それは自分のこと以上に重要な問題なのだ。

 

「それではエカテリン、リッテンハイム家の人間が逃れてきてもフェザーンに滞在できるのかしら」

 

 なぜならリッテンハイム家の者を置くことはヒルダらと比較にもならない程大きなリスクがあるからだ。

 下手をすればそれだけでフェザーンと帝国の戦争の引き金になりうる。ブラウンシュバイク公がそれを知れば、たぶん激怒するに違いない。口実に使うどころか正にその理由でフェザーンが潰される可能性が高いのだ。

 ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家はどこにいたところで仇敵であり、共存はできない。

 

 それはヒルダの期待以上の返事で明らかになった。

 

「ヒルダ、あなたが味方しているリッテンハイム家は、もうフェザーンに来ているわ。二日前に」

 

 もう来ていたのか! ここフェザーンに。

 ヒルダは安堵すると同時に、やはり自分の最も悪い予想になってしまったことを考える。返す返すも無謀な艦隊戦勝負を止めれば良かったのだ。リッテンハイム家の人間が生きていれば挽回はできるだろうが、実力を大きく削がれた現状からは道のりが遠い。

 

 そんなヒルダの複雑な表情を見て、エカテリーナの方もまた例えようもなく難しい表情になる。

 

 多大な決意を要する言葉を言わなければならないからだ。

 ヒルダの心情を思いやり、これから味わわなければならない痛みを知るからこそ。

 エカテリーナはそれに耐えられず、たった一言だけ言うと通信を切った。

 

「リッテンハイム家は……  サビーネ様お一人よ、ヒルダ」

 

 

 

 

 フェザーンに着いてからその二日間、サビーネ・フォン・リッテンハイムは人形のように過ごしていた。

 ここしばらくのことが夢のようだ。

 父と母と、自分がいたオーディンの暮らしがあまりにもあっけなく暗転した。

 宇宙で戦った結果、父は死に、母もそれに続いてしまった。今、自分だけがフェザーンに逃れている。これは現実なのだろうか。

 

 

 軌道エレベータから降りたヒルダは、真っ先にそんなサビーネの元へ駆けつける。

 リッテンハイム侯とクリスティーネ夫人は、それぞれキフォイザーとレンテンベルクで失われたと知った。たった一人、サビーネだけが残された。

 悔やんでも悔やみ切れない!

 自分を責めるしかない。ヒルダの失態だった。

 

 やがてヒルダはサビーネの姿を認める。それはのろのろと、虚ろだった。

 その心に受けた痛みを思い、ヒルダはさすがに一瞬ためらう。

 だが、せめてその悲しみを受け止めなくてはならない。そして、その悲しみの何倍もの幸せで包み、忘れさせてやらなければならない。それがせめて自分の成すべきことなのだ。

 

 ヒルダは少女をしっかり抱きとめる。

 今は言葉よりも先に行動だ。挨拶などしている時間は勿体ない。できるだけ面積を取り、触れ合った肌で感情を伝える。

 おとなしく人形のようにされるがままになっていたサビーネが突然泣き出した。

 

 その心に負った傷、深いところからの慟哭を、息もできないほど激しく泣くことで表している。

 

 ヒルダはそれをすっぽり包みこむ。

 そのまま両腕に強く強く力を込めた。おいおい泣く少女をまるで力で泣き止ますかのように。

 

「こんな、こんなことになるなんて。おいたわしいサビーネ様」

 

 両親を突然喪った少女の心を思い、ヒルダもまた大いにもらい泣きしてしまう。

 

 

 

 だが、ここでヒルダに凄まじい感情が溢れ出す。

 

「サビーネ様、私がついております!」

 

 もはや二人の姿はぴったり重なり、まるで一人のようだ。サビーネの耳元でヒルダの口が何事かを告げている。

 動きは止まったように見えるが、しかし、指先のかすかな震えがヒルダの全身全霊の決意を表わす。

 

「あなた様の敵は、必ずや私が倒します。全てを跪かせ、銀河帝国をあなた様の足元にひれ伏させてごらんにいれます」

「それは父上と母上も喜ぶこと?」

「そうです、きっと喜ばれます。それがかなった時、キフォイザーとレンテンベルクに花を持って参りましょう」

 

 

 ヒルダはうかつにも先走り、口に出してしまった言葉に自分を呪った。

 それこそ幸せな一家を象徴する言葉だったからだ。

 自分は痛めつけられた少女にまたしても過去の幸せを思い出させるという仕打ちをしてしまったのか。

 しかし、ヒルダが気を回したことを悟ったサビーネから逆に言われた。

 

「花を…… それはいつも庭から持ってきて、食卓に飾っていたように」

 

 二人で花瓶に飾った花。

 

 リッテンハイム家の食卓に添えられ、クリスティーネ夫人を大いに喜ばせた花。

 それはもはや二度と繰り返せない思い出だ。もはや淡い青い過去の一つになってしまった。

 楽しい記憶であるはずのそれが、今はどこまでも心を締め付けてやまない。

 

 ヒルダの方こそ耐えられず、それを思って大泣きに泣いてしまった。

 大粒の涙がサビーネへ雫となって降りかかる。

 

「サビーネ様、そうです。サビーネ様」

「絶対に持って行きたい。父上と、母上の元に」

 

 サビーネは背中が曲がるほど強く抱きとめられ、顔を上にあげながら、尚も目を閉じ涙を流している。

 

 しかしヒルダはサビーネの震えながらも強く言い切った言葉を聞き、涙の中で大きく目を開けた。

 胸はどこまでも苦しいが、熱い。

 幸せな過去に戻れないなら未来を作るしかない。

 

「このヒルデガルト・フォン・マリーンドルフにお命じ下さい。サビーネ様、一緒に歩み、必ず成し遂げましょう。ここに約束します」

 

 

 ヒルダの魂の底から発していた。

 それは、見えざる炎である。

 

 行く手を阻むものがあれば、何であろうと全て焼き尽くさないではおかない。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十四話 覇王の道

ついにラインハルトとフレーゲルの正面決戦! しかし、戦いは意外な展開に


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