疲れも知らず   作:おゆ

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第八十四話 488年 7月  覇王の道

 

 

 フレーゲルがラインハルトを討伐するといって勝手に出撃していく、それを知ったアンスバッハは嘆息するしかない。

 

 もう何度目のわがままなのだろう。

 本人は自分なりの理由を持っているのだろうが、そういう問題ではない。

 

「軍とは、目的に沿った作戦をきちんと検討し、命令系統に従って動くものだ。費用や補給も考えなくてはいけない。ただ声を掛けて聞こえた範囲の艦を引き連れていく、それでは子供が公園でやる遊びではないか。到底まともな軍とは言えない」

 

 フレーゲルはブラウンシュバイクから将来軍務尚書へ、との約束を得ている。だがそれが何だというのか。今はまだ一介の少将でしかなく、それなら少将のわずかな権限内で動くべきだ。

 だがフレーゲルはもはや自分を特別視している。

 ブラウンシュバイク公の覚えもめでたき甥ということで、軍に関することなら何でも私物化していいと思っている。

 

 アンスバッハは止むを得ずブラウンシュバイク公に伺いを立てる。フレーゲル本人に何を言っても無駄だからだ。

 実はアンスバッハはブラウンシュバイク公私領艦隊を統率する身分であり、正確には帝国軍の所属ではない。

 ただし両者の統合が既に始まっている。分裂して弱体化した帝国軍と、数だけは多い私領艦隊の統合は合理的であり、多くの予算をかけたくないブラウンシュバイク公の意向でもある。それならばアンスバッハはフレーゲルのやることに知らぬ存ぜぬを通すわけにもいかない。

 そもそも敵であるラインハルトはフレーゲルや帝国軍ではなく、ブラウンシュバイク家を倒しに来るのだ。それなら尚のことアンスバッハが対処すべき問題なのである。

 

「公爵閣下に申し上げます。ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が公然と敵対し、艦隊を率いてオーディンに近付いています。侮って勝てるような相手ではありません。元帥自身の力量もさることながら率いる将帥も並大抵ではなく、まさに精鋭中の精鋭です。これと戦うにはよほどの準備と戦術が必要となりましょう」

「何だアンスバッハ、あの金髪の孺子のことか。さっさと片付けてしまえ」

「ここが正念場なのです。戦うためには全軍をまとめなければいけません。今、憚りながらフレーゲル男爵閣下が迎撃に出ました。早急に呼び戻し、態勢をしっかり整えてから戦うべきと存じます」

 

 だが、ブラウンシュバイク公の返事は思いもかけず気のないものだった。

 

「なんだ、フレーゲルがもう戦いに出たと申すのか。ならばアンスバッハ、それでよいではないか」

「いえ、決してうまくいかないだろうと愚考します」

 

 ブラウンシュバイク公もまたフレーゲル同様の考え方をする。法の順守という概念はなく、フレーゲルの勝手を咎める様子もない。

 憮然とせざるを得ないが、ただしそれはアンスバッハも予測の範囲内だ。伊達にブラウンシュバイク公に長く仕えてきたわけではない。

 それでも、自分の意見はしっかり言っておくべきである。

 

「もう一度申しますが、全戦力をまとめるのです。向こうの艦隊数はおよそ五万から五万五千隻、対してこちらは数だけはその倍近くを集められます。それらを使い、オーディン近くに万全の迎撃態勢を敷けばよいでしょう。向こうはどのみちオーディンへやってくるのですから。万が一にも破れぬよう、大軍を使い二重三重にも罠を構築しておけばよろしいかと」

「そんな必要があるのかアンスバッハ」

 

 

 やはり、もうブラウンシュバイクはアンスバッハの言うことを聞いてはいなかった。

 既に帝国の実権を手に入れたと思い、軍事などはもう遠い話だ。いっとき必要があって関心を向けたが、元からブラウンシュバイクにとっては地位と権力、つまりオーディンの貴族社会が全てなのであり、軍など野蛮な乱暴者がすることだ。ラインハルトのことも眼中にない。

 

「どのみちフレーゲルが片付けるだろう。もうよい。儂は忙しい。このところ立て続けに舞踏会なのでな」

 

 空しくアンスバッハはブラウンシュバイクのいる部屋から出された。扉の外で呟くしかない。

 

「もう終わりかもしれないな、この家は。時代の流れが分かっていない。もはや爵位や権勢など砂上の楼閣に過ぎないというのに」

 

 アンスバッハがこれからできることは、せいぜいフレーゲルの応援のため今からでも艦隊を進発させることぐらいだ。もしもフレーゲルの艦隊が大損害を受けてしまえばこれからの戦略にとって痛すぎる。

 むろん、戦いに間に合うかどうかも分からないし、間に合ってもフレーゲルに感謝などされないのは分かり切っているのだが。

 

 悔しい思いを抱きながら手に持った書類を掴み潰した。

 アンスバッハが考える、軍事力を決定的に強化する切り札についてのものだった。すなわち辺境に留まっているメルカッツとファーレンハイトの両名を大将に抜擢し、艦隊指揮を任せるという建議書が握られていたのに。

 

 

 

 

 それと同時刻、ゆっくり進行するラインハルトの艦隊に一つの通信がもたらされた。

 その通信はあまりに短かったが内容の重大さはそれに反比例している。

 

「グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼ、及びヴェストパーレ男爵夫人、無事。オーディンを脱し現在フェザーンにて保護」

 

 もちろん、ラインハルトとキルヒアイスにとってこれ以上ない吉報ではないか。

 

「ラインハルト様、待ちに待った報告です。本当に良かった」

「はしゃぐなキルヒアイス、お前らしくもない」

「ではラインハルト様は、なぜ歩き回っておいでです?」

 

 それはもうじっとしていられない程の喜びなのだ。

 

 この二人にとって帝国軍、すなわちブラウンシュバイク側の艦隊と戦うこと自体に何も不安はない。だが、アンネローゼのことが気がかりでオーディンに急進できなかった。

 

「リッテンハイムの艦隊がキフォイザーで負けたと聞いてから、長かったな」

「そうですね、ラインハルト様。とても心配でした。よもやアンネローゼ様が人質にされたりしないかと…… マリーンドルフ嬢がなんとかしてくれるとは思っていたのですが」

 

 二人がブラウンシュバイク側に帰順など考えもしなかったのはヒルダの知恵を信じていたからだ。

 自分たちがオーディンにいない以上、アンネローゼの保護はできない。あの時点ではまだ皇帝は崩御しておらず、アンネローゼを連れ出すことはできなかったのだ。ならばアンネローゼのことはオーディンのヒルダに任せるより他にはない。むろん、ヒルダが約束をたがえることはないという確信はある。

 

 しかしそれでも不安は尽きなかったのだ。

 アンネローゼこそ何にも代えがたい。他に何を失ってもアンネローゼだけを守る、それは二人にとって言葉通り絶対である。

 

 だが今、アンネローゼは無事、ヒルダからのその通信を受けて心は限りなく軽くなる。

 もう何も心配なく決戦に挑めることになった。

 

 

 

 

 それは正に絶妙なタイミングだった。

 

 既にフレーゲルの艦隊が近付いていたのだ。フレーゲルは威勢よく大艦隊を引き連れている。編成や将帥はともかく、数だけ見れば七万隻以上にも及んだ。

 それは皇帝の軍だから帝国軍と呼称するのは間違いではないが、内実はブラウンシュバイク家私領艦隊が大半を占める。いや、フレーゲルが勝手にする以上、形の上でも私領艦隊のようなものだ。

 対するラインハルトは五万一千隻を擁している。

 

 大艦隊同士、互いに察知し、ふさわしい決戦場を選ぶ。

 どちらも自信を持って完勝を企図しているのだ。ならば下手に障害物があったり狭かったりする場所は大艦隊戦に適さない。航路上でもやや開けているところが必要である。

 その舞台には、有人惑星を持たないながらも帝国航路の主要結節点であるアルテナ星系が選ばれた。

 

 

 

「帝国の禄をはみながら、ここにきて歯向かうとは叛徒にも劣る所業! 金髪の孺子、言い逃れができると思うな。恩を仇で返すとはこのことだ。犬にも劣る!」

 

 会戦に先立って威勢よくフレーゲルが啖呵を切る。

 通信を申し込み、自分に大義があることをを高らかに示す。それもフレーゲルの好む貴族の美学というものだ。

 

「よく吠えるな。犬とは貴様の方だフレーゲル。こちらに躾をしてやる義務もなし、そして今さら躾をしても無駄だ。ここを墓場にするため来たのだろうから、さっさと墓に入れ」

「うるさい! 言うに事欠いて開き直ったか孺子。かくなる上はこのフレーゲルが皇帝の威をもって、帝国に逆らう犬畜生を成敗してくれる!」

「せいぜい頑張るのだな。最後まで面倒な奴だ」

 

 ラインハルトは舌戦などする気もない。その必要もない。軽くいなしただけだ。

 

 その音声を聞くミッターマイヤーやロイエンタールも苦笑する。

 ラインハルト以上といってもいい程二人にとって因縁あるフレーゲル相手、戦意はもちろん高いのだが、気合いを入れるというよりは楽しいことを待つという表情だ。

 この戦いは死闘というほどになるはずがない。

 相手が帝国軍でも名のある将、例えばメルカッツなどが率いているならよほど気を引き締めるところだが、フレーゲルなどという門閥貴族の小物が相手とは拍子抜けもいいところだ。戦理と戦術をもって戦いを進めれば、勝ちたくなくても勝ってしまうだろう。

 

 

 そして会戦が始まったのだが、ミッターマイヤー、ロイエンタール共に予想外なほど早く出番が来てしまう。

 最終攻勢の局面で指示を受けるくらいだろうと思っていたのに、そうではなくなっている。

 

「ミッターマイヤー、ロイエンタール、麾下の艦隊を用いて速やかに逆撃に出よ。具体的なところは任せる」

 

 そうなったには理由がある。

 当初、ラインハルトの方ではフレーゲルがまとまった陣をつくり、ひたひたと押してくるものと予想していた。

 それこそ大軍が危なげなく勝つための常道だからだ。しかもフレーゲルは貴族の優越を信じ切っている。単純に踏み潰す方を選ぶだろう。

 ラインハルトはそれに対し、各艦隊の機動力を生かして翻弄すればよいと思っていた。大軍でも切り裂き解体すれば何も恐ろしいことはない。

 そして、ラインハルトはそれが可能な力量を持つ提督を何人も持っている。

 

 ところがフレーゲルは全艦隊をいきなり急進させ、突っ込んできたではないか。

 もはや編成も何もなくひたすら雪崩れ込んできた。

 会戦はただの殴り合いから始まる。

 

「なるほど、乱戦に持ち込むつもりか。フレーゲルの奴もまるっきりの馬鹿ではなかったのだな。下手な軍事上の常識に捉われない柔軟性があったとは」

「ラインハルト様、乱戦は犠牲は大きくなりますが、数の優位を生かすのに適した戦術でもありますね」

「そうだ。しかし、戦いの序盤から乱戦とは意表を突かれた。この俺が後手に回らされてしまったか。見れば向こうに後詰も予備兵力もあったものではない。一丸といえば聞こえはいいが、随分とふざけたマネをしてくれる」

「フレーゲル男爵も思い切った作戦をとったものです」

 

 ラインハルトとキルヒアイスが嘆息するのには理由がある。

 乱戦というのはフレーゲルの最適解かもしれない。もちろん、そうなってもラインハルトは負ける気は微塵もない。どのみち各艦単位、あるいは小隊単位で見ても圧倒的に強いからだ。ラインハルト麾下の将兵の練度は数段上なのである。

 

 ただし乱戦では勝ててもそれなりの損害を被ってしまう。それが問題となる。

 

「確かに向こうにとっては一回勝てばそれでいいのだからな」

「そうなのでょうね。悔しいですが、勝ち続けなければならないこちらと違って犠牲を考慮しなくて済みます」

 

 この会戦に参加している戦力が全てではない。

 ざっと計算してもブラウンシュバイクと帝国側には余剰戦力がまだまだあるはずだ。それを考えたらラインハルトの側は痛み分けは許されず、また大損害も受けるわけにいかない。

 

 おまけに短期決戦に終わらなければ、帝国の財貨と生産能力は望めば艦隊を立て直すのに充分である。そんな回復力のある敵を相手にしている。

 そして数回会戦を行い、一度でもブラウンシュバイク側が勝てばそれでいい。いや、そこまで至る必要もない。ラインハルトが壊滅せずとも、後退したという事実を作り出せばいい。そうなればラインハルトの不敗神話が崩れ、麾下の将兵は動揺し瓦解するだろう。

 歴史上、最初だけ勢いのある叛乱が一回つまずいただけで雲霧消散する例は多い。

 

 まさかあのフレーゲルの思考がそこまでの戦略的深みに及んだというのか。

 

 

 それだけではなく、二人には別の憂慮がある。

 

「キルヒアイス、まさかフレーゲルの奴はあれにも気が付いているのだろうか」

「どうでしょう、ラインハルト様。しかし看破されていれば…… 少しばかり苦しくなりますね」

 

 それは物資面のことだ。

 元々艦隊数に比べて物資の少ないラインハルト側は、均一な配分をするには足らない。

 どうしても集中させて用いる他はない。今、艦隊の右翼左翼に配置しているミッターマイヤーとロイエンタール、及び艦隊中央のラインハルト本隊に物資を優先的に配備してある。しかし後衛のメックリンガーやケンプらには物資を多く回せず、その艦隊は一瞬の局面しか稼働できない状態なのだ。乱戦がそこに及んだら長くは保たない。それを巧妙に隠しているつもりなのに。

 そのため、ミッターマイヤーらを序盤で動かし、乱戦を早めに治めようとしたのだ。

 

 

 実際のところ、ラインハルトもキルヒアイスもフレーゲルを買い被っていた。

 フレーゲルは単純にラインハルトを侮るあまり、何も考えず片付けようとしただけの話である。それがたまたま最適解に近かったのだ。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十五話 一周回って

更なる誤算が続いて


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