ラインハルトの命令を受けたミッターマイヤーとロイエンタールは的確な艦隊運動で対処を開始した。
自由を与えられたら、どちらも力量を最大限に発揮し、期待にたがわぬ将である。。
決して見た目の混乱に惑わされず、確実に相手に損害を強いていくではないか。
それは構えを作ることもなくやたら刀を振り回す相手に、急所へ一撃を加えるのと似ている。
これがラインハルト側艦隊の大きな利点なのだ。艦隊司令官級の人材が豊富にあり、しかもそれぞれが極めて有能である。他にもワーレン、ルッツ、ビッテンフェルト、メックリンガー、シュタインメッツ、ケンプ、アイゼナッハがいるのだ。いちいち細かい指示を出すこともない。
この乱戦の中にあってフレーゲルの側は刻一刻と艦数を削られていく。今は元の艦数が多いから目立たないだけで、いずれ破綻する時が来るだろう。
だがしかし、フレーゲルの側でもきちんとしている艦隊がないわけではない。
それはただ一つ、シュターデン中将麾下の艦隊である。
教科書通りの陣を組み、戦理に乗っ取った艦隊運動をする。普通ならそれで充分な指揮であり、事実最初は互角以上の戦いをしてみせた。
ところが、ついにある者がシュターデン艦隊へ目を付けた。
「あれは…… なるほど基本をしっかり押さえてある艦隊のようだ。整然と動き、しかも編成を初期から崩すことなく運用している。おそらくシュターデンの艦隊だろう。そういえば思い出した。講義室の黒板に書いてあった艦隊運用ではないか」
ミッターマイヤー艦隊がそれと見定めて襲い掛かる。
講義で聞いたような戦術がどれほど有効か、今暴いてみせる。
「教官殿の腕前を拝見といこうか。士官学校では学生同士とやるだけで、教官とシミュレーションはしなかったからな」
そしてその結果は直ぐに表れてくる。
見る者が見ればシュターデンの艦隊運用はかえって行動予測が容易なぶん組し易い。
とにかく意外性が無いために、ミッターマイヤーの側では安心して叩いていけるのだ。
結果、シュターデンの方は対処をことごとく読まれ、裏をかかれる。ミッターマイヤーの素早い攻勢に慌てて防御を図ればもうそこにはいない。やっと攻撃を始められると思えば逃げられ、計ったようなタイミングで思わぬ横撃が来る。シュターデンの一万隻がミッターマイヤーの七千隻の前に成すすべがない。
こうしてシュターデンの艦隊を充分に翻弄し、隊形を崩したと見たミッターマイヤーは一気に破って瓦解させた。正に神速の艦隊運動である。
最後は皮肉で締めくくった。
「講義室の話が実戦で通用するか、お分かり頂けただろうか。教官殿」
ラインハルト麾下の諸提督はこのように見事に期待に応えた。
ミッターマイヤーと同じ程度にロイエンタールもまた戦果を上げつつある。ミッターマイヤーほどダイナミックではないが、逆に危なげな局面が一切ない盤石の戦である。その中でも最前列に抜擢されたクナップシュタインの分隊が特筆に値される活躍をした。
乱戦はラインハルト側が制した。危惧していた消耗戦に入ることは避けられそうである。
ここを勝機と見定めたラインハルトは、もう一度各提督の艦隊をまとめ上げると、一気にフレーゲルの艦隊中心部を狙って突入する。もはや相手はそれを拒める態勢ではない。
防御を突破し、中心部を殲滅すれば戦意を丸ごと刈り取る。それでこの艦隊戦は決着となる。物資面での不安が現実化する前に終わりにできるはずだ。
思う通りに進み、確かに突入攻勢に成功したのだが、ここで不可解なことが起きた。
もう中心部を失ったにもかかわらずフレーゲルの艦隊は瓦解も逃走もしないのだ。通常の軍事行動ではあり得ない。
「何だ、何が起きた…… いったいどういうことだ」
「もしや、これが罠だったのでは。ラインハルト様、いわば囲まれた形になっています」
これが作戦であり、今までわざと無様に振る舞って突入を誘ったのか?
ある程度の犠牲を覚悟の、乾坤一擲の策として。
ならば確かに今、ラインハルト側は包囲下にさらされている。敵中心部を破った瞬間逆に死地にいたのだ。思わぬ危機に際しラインハルトもキルヒアイスも表情を引き締める。
「しまった、中心部こそ囮だったとは。フレーゲルのあの道化は芝居とでもいうのか。奴にこんな小細工をしてくる頭があるとは驚きだ」
だがここでラインハルトの覇気が一段と輝きを増す。
「奴の罠など何ほどのものか。食い破るのは決して難しくない。速度を上げて後背に食いつかれないように振り切り、大きく回ってもう一度叩き潰す」
実は罠ではなかった。
最初からフレーゲルは中心部に布陣する本隊にいなかっただけである。何と七万隻という大艦隊の総司令官でありなから思いっきり前線に出ていたのだ。
「あの金髪の孺子はこの手で斃してやる。このフレーゲルの手で」
フレーゲルの行動は軍事行動上からみてあまりに非常識、それがたまたま一周回ってラインハルトの意表を突くものになってしまった。
そして今、遮二無二ラインハルトのところを目指して進む。大艦隊で取り込んだ形のラインハルトに自分の指揮する五千隻の部隊で突進をかける。偶然にも相手の動きを制限した圧倒的に有利な態勢で。
だがフレーゲルの攻勢はメックリンガーに止められた。
メックリンガーは鋭鋒を惑わして鈍らせる。それは実戦的かつ高度な戦理に基づいたものであり、芸術家提督がまた一枚美しい芸術を描き上げた。そこへ横からアイゼナッハが加勢し、攻め立てる。これもまた効率的で容赦がない。
逆にフレーゲルの方が防御陣を失い、絶体絶命になってしまう。
「ええい、くそ! 孺子の手下どもが邪魔だてするか! 他の味方はどうした」
ラインハルト側を大きく囲んでいる味方の艦隊はそのまま包囲を縮めていくだけで良さそうなものだが、指揮系統の乱れのため動きがバラバラになる。包囲は何ら有効にならず、それを食い破りにかかったラインハルトの提督たちに各個撃破される体たらくだ。
しかしその時、またしても戦局が動く。
「新たな艦影発見! 急速接近中! 約四万隻!」
ブリュンヒルトのオペレーターが驚きつつそう告げてくる。
「何! 敵の増援か。なるほど、これが奴の決定戦力というわけか。フレーゲルめ、またしてもやってくれる」
ラインハルトは多少苛立った。
それは主に自分に対してだ。
取るに足りない門閥貴族のフレーゲル、口ばかりで実力などあるはずがないと思っていたフレーゲルが…… あの会戦前の下らないおしゃべりの影で高度な戦術を編んでいたとは!
しかも、それは大胆かつ緻密なものだ。ラインハルトの予想をはるかに超えていた。
「正直に認めねばなるまい。慢心し、フレーゲルを侮り過ぎた。予備兵力を残さず全て投入してきた段階で思い至るべきだった。時間差をつけた増援の可能性に気付けたろうに」
「そうですね。おそらくこちらの油断を誘い、決定機にのみ使う手筈だったのでしょう」
「こちらが疲弊し、あともう少しといったところで無傷の新手を来させる。そのために見えない位置に置いていたとはな」
「ラインハルト様、意外といえばなんですが、優れた心理戦術です」
キルヒアイスも同意する。
この時期の増援、しかもかなりの艦数というところから策略としか思えない。
「キルヒアイス、悔しいがフレーゲルの策は見事だ。俺は踊らされた」
「これよりいかがなさいます、ラインハルト様」
「ただし慌てるほどのことはない。結果的にタイミングとして敵の増援は少しばかり遅かった」
今相手にしているフレーゲルの艦隊はもう組織的な反撃は無理だろう。
ラインハルトはその増援とひとまとめに相手にしても勝てないことはないだろうと踏んだ。
しかしながら士気や艦数はともかく、物資の面において新たに四万隻を相手にするのは多少のリスクをはらむことも理解している。特にメックリンガーなどをもう戦力参加させてしまった以上、万が一物資不足が表面化すればそこから遊兵化してしまう。
「ここまでで充分でしょう、ラインハルト様」
「分かった。フレーゲルを倒せることもなく、多くの食い残しが出たのは悔しいが、いったん退くとしよう。不思議なことに敵の増援は攻勢を企図していないようだ。突撃の態勢でもなく、こちらの退路を断つように回り込んでくるわけでもない」
「わたくしには攻勢よりも先に味方の救出を図っているように見えます。前面に機雷を散布しているような気配がありますから、たぶんそうでしょう。向こうにすれば好機でしょうに、不思議なことです。ですがそのために撤退は容易でしょう、ラインハルト様」
アルテナ星域会戦はそれで終結した。
ラインハルト側艦隊と、フレーゲル率いるブラウンシュバイク側艦隊との正面決戦だ。
結果から見ればラインハルトの勝利であり、フレーゲルの方は大きな損害を被っている。
「遅いではないかアンスバッハ! なぜもっと早く来なかった!」
あわやという危機から救出されたフレーゲルが応援に来たアンスバッハを罵倒している。
アンスバッハの方は強行軍につぐ強行軍でやっと間に合わせたのに。
それがラインハルトたちが誤解した増援艦隊の真相である。
アンスバッハは最初から果断な攻勢を諦め、フレーゲルの救出を優先させた。それなのにフレーゲルは敗戦の八つ当たりをしたくてそう言ってくる。
もはやアンスバッハは言い返すことはない。
何を言っても、理屈もどうせ通用しない。
一方、ラインハルトは元々少ない物資が戦いで枯渇寸前の危機にあった。
そこでやむを得ず帝国軍の物資を奪うことを実行する。オーディンに直進することなく、やや寄り道してガルミッシュ要塞を占拠する方を優先させた。
それぐらいしか方法がない。帝国軍ガルミッシュ要塞は航路の要衝に位置する比較的大規模な要塞であり、ある程度物資の集積もある。
それで一息つき、再び艦隊戦が行える態勢ができた。
次回予告 第八十六話 シュターデンのアルバム
落とした涙が……