疲れも知らず   作:おゆ

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第八十六話 488年 7月  シュターデンのアルバム

 

 

 敗残の艦隊をまとめてオーディンに戻ったフレーゲルを待っていたのは当然ブラウンシュバイク公の怒声だ。

 

「何をしておるフレーゲル! なぜおめおめ帰ってきた。オーディンの騒ぎは全てお前のせいだぞ!」

 

 

 ブラウンシュバイク公はフレーゲルを激しくなじるが、それには苛立ちに加え不安が混じっている。

 

 先の会戦でフレーゲルがラインハルトに破れたことは、もちろん皇帝の軍が敗れ、権威が失墜することを意味している。ラインハルトより大軍であるのにも関わらず敗れたことがいっそうそれを際立たせた。

 

 軍事力という面でラインハルトを止められなければどうなるのか。

 先行き不安のため、帝国の政府機構は麻痺しつつある。

 新体制はまだ固まり切っていない。それなのに現在の体制で存在し続けるのか不安があれば機能するはずがない。

 おまけに一般庶民レベルではラインハルトの方に人気がある。ブラウンシュバイク派閥のような高位貴族の出身ではなく、平民に近い没落貴族出身ということが大いにプラスとなる。それはブラウンシュバイクの専横に眉をひそめていたことの裏返しだ。

 そして面白いことに保守派の貴族や行政に携わる文官にもラインハルトの支持者が多い。それは前皇帝の寵姫の弟だということが、前体制を思い起こさせるためである。ラインハルトからすれば皮肉なことである。

 

 ともあれブラウンシュバイク派閥の跋扈する帝国政治に嫌気がさし、怨嗟の声を漏らしていた人々がここぞとばかりに息を吹き返し、語り合う。

 

「ブラウンシュバイク公もお終いだ。公の宴は短いものだった」

 

 

 

 だがフレーゲルはようやく顔を上げ、屈辱と復讐の表情を見せて言う。

 

「叔父上、雪辱の機会を与えて下さい。今回の戦いでは単に実力を発揮できないうちに終わっただけ、次こそ必ずや孺子を片付けてきます」

「当たり前だ。とっとと金髪の孺子を始末してこい、フレーゲル」

 

 

 そんな会話をうすぼんやりと聞きながら、別のことをアンスバッハは考えていた。

 戦いでは二万隻以上の艦が失われ、六千隻以上の艦が修復不能の大破を被っている。

 その中にシュターデン中将が乗る旗艦が含まれていたのだ。シュターデンは負傷し、そのまま亡くなっている。

 

 アンスバッハはシュターデンのことを悼む気持ちが大きかった。

 

 戦いが終わりかけた時、そのシュターデンの死を知った。そして戦った相手がミッターマイヤーの指揮下の艦隊だったことが分かるとアンスバッハは越権ながらとある通信を送っていたのだ。

 

「ミッターマイヤー提督、お見事でしたな。ただし一言だけ言わせてもらいますぞ。今あるのはシュターデン中将のおかげであり、中将が堂々たる武人であったことをくれぐれもお忘れあるな」

 

 こんな通信をアンスバッハから受けたミッターマイヤーは初め真意が分からず戸惑うしかなかったが、やがて思い当たることがあり頭を垂れた。

 そして戦場を去る直前、粛然と敬礼をとっている。

 

「シュターデン提督、いや我らが教官殿に感謝を」

 

 そんなミッターマイヤーの変化ぶりにもっと戸惑ったのは配下のバイエルラインやドロイゼンらだ。戦いの最中、あんなにも意気込んでシュターデン中将に向かい、叩きのめしたのではなかったか。それなのに今は最上級の礼をとっているとは。

 しかしとりあえず宇宙の漆黒に向かい、ミッターマイヤーに並んで敬礼をとった。

 

 

 

 シュターデンはあっさり斃されたように見える。ただしそれは戦いの結果だけの話だ。

 

 帝国軍人として節を曲げたことは一度もない。

 この戦いで明らかに不利な状況になっても逃げなかった。

 いやしくも士官学校の教官だったのだ。しかも戦術理論だ。ラインハルトが規格外の強さであることぐらい分かり切っている。この戦いもおそらく負けるだろう思っていた。

 

 実のところラインハルトが士官学校ではなく軍幼年学校出身であったことで、シュターデンとその意味では接点がなく、最初はほとんど意識していなかったものだ。

 そのため天才とも認識できなかったが、姉の威光を傘に着た甘ったれとは思わない。異例に早い出世のスピードはともかく、前線で幾度も戦い、生き残ってきたからには実力が無いはずはないからだ。叛徒の側にとっては相手が誰であっても遠慮して手を抜く義務はない。シュターデンは色眼鏡で人を見ることはしないつもりだ。

 

 だが、ある時からシュターデンはラインハルトを決定的に忌避することになる。

 

 かつての第六次イゼルローン攻防戦からだ。ラインハルトがその前哨戦において、奇策を好んで繰り返した指揮官だったからである。

 自分の考えた戦術を試す、たかがそんなことのために戦略的に意味のない無駄な作戦行動をしていた。そして結局、智将ヤン・ウェンリーの策に敗れ大きな損害を出してしまっている。

 それでシュターデンは赦せないほど憤慨した。

 

 その戦いではシュターデンの可愛い士官学校の教え子たちが何人も死んでいる!

 

「ベルント、なぜ死んだのだ! 人一倍臆病だったくせに…… フェルス、お前もだ」

 

 ラインハルトによる、まるで戦術シミュレーションを実戦で行ったような行動のために死んだ。

 死は軍人にとって背中合わせである。それでも無駄死にしていいはずがない。この戦いの結果はことのほかシュターデンに堪えるものだった。

 

「イゴール、オルベルトも。そしてダンツ、お前はもうすぐ結婚だったはずだ! 招待状まで送ってきただろうが!」

 

 

 教官というものは生徒のことを本当に長く覚えているものだ。生徒の側から考えるよりもはるかに。

 その例に漏れず、いや普通の教官以上にシュターデンもそれぞれの生徒の個性、テストの点、声も顔も覚えている。素直な生徒も、厄介な生徒もいた。みんな覚えている。

 

「そういえばこの学年は戦術シミュレーションさえ怖がって失禁した者がいたな。しかしそのおかげでシミュレーターが壊れて中断になり、試合は引き分けになった。それが戦術で漏らしたなら凄いと思わず笑ってしまったものだ。シミュレーション実習中に笑ったのはそれが最初で最後だった……」

 

 講義の中でわずか楽しいエピソードも覚えている。

 ただし、そんな楽しい思いは直ぐに消え、戦死者名簿を見ては溜息に変わる。

 

 そして、やめるべきと自分で分かっていても、どうしてもやめられないことがある。

 

 士官学校の卒業アルバムを取り出し、見てしまう!

 そこには生きていた生徒たちの希望に満ちた顔があるのだ。

 誰も自分の死など考えていない。好きな女にどう告げようか算段することや、軍に入る前に美味い物を思いっきり食うことや、出世や、親への恩返し、それぞれがそれぞれに将来を夢見ている。

 

 アルバムのところどころに教官シュターデンを囲んで撮っている写真まで残されている。

 

「お前たちに先に逝って欲しくなかった。この教官泣かせどもが」

 

 こんな思いになるのは分かっており、アルバムなど決して見たくないのに捨てられないのだ。

 そこにだけは彼らと共に過ごした時間が残されている。

 

 現実は、彼らの死によりもはや永遠に消えたと同じだ。彼らがいなくなれば、夢や将来もまた失われたことになる。ただしアルバムの写真は消えず、その痕跡だけをただ映している。

 何の意味もない。

 敢えていえば、シュターデンの心をこんなにも刺し貫くだけなのに。

 

 戦死を聞くとどうしても涙を落としてしまう。

 また一つ、また一つとシュターデンの持つアルバムに、滲みが加えられていくのだ。失われた生徒の数だけ繰り返し、繰り返し。

 

 

 

 実はそれがアスターテ会戦でシュターデンがラインハルトに敵対的な態度をとった遠因なのだ。あの軍律に厳しいことで有名なシュターデンが上官ラインハルトの作戦説明に最後まで反対したとは、シュターデンを知る者であればにわかに信じられないだろう。

 

 ただし、逆にアスターテでラインハルトの実力を見せつけられた。正に特等席で。

 遊びのような戦術を使って兵を無駄死にさせる者とばかり思っていたが、それは過去のことであり、今のラインハルトはまるで違う。シュターデンは理を重んじる教官として認めなくてはならない。ラインハルトは他の将帥とは次元が異なる。

 敵に回せばいずれ敗北する。

 それが分かっていてもシュターデンは軍人として最後の最後まで自己のなせる最善を尽くし、銀河帝国へ忠義を貫いた。そして半ば予定された死を選んで逝った。

 

 シュターデンは気弱そうであり、覇気が見えないから誤解されることが多い。

 教官時代は本当に生真面目に職務を果たした。融通が利かないことで一部の生徒から嘲られていることぐらい知っている。

 だが生徒のほとんどを占める凡才には基本こそ大事、だからごく一部の天才が用いる奇策ではなく基本だけをしつこいほど叩きこむべき、その固い信念を曲げることはなかった。

 

 それは卒業していった生徒たちが宇宙の戦いで死なないためだ。

 

 誰にも死んでほしくない。

 生真面目な教官の顔の裏にはシュターデンなりの深い愛情があった。

 

 

 

 

 この戦いで死ぬ前にシュターデンが言ったことがある。

 シュターデンは艦が爆散しての即死ではなく、艦橋に被弾した際に受けた怪我により、治療のかいもなく死んでいるのだが、その間いくつかの言葉を残している。

 

「ヴァルハラが近いか。そこは平和で戦術の授業など必要なければいいが。さて、どんな顔で生徒たちに会おう」

 

 一瞬後、満足の微笑みを浮かべた。そう、自分を敗北に追い込んだのもまさに生徒ではないか。

 

「最後の相手はミッターマイヤーだったな。敵味方になったのも運命。あの撥ねっ返りが。しかし見事に成長したものだ」

 

 シュターデンはミッターマイヤーについて多くの思い出がある。

 決して扱いやすいとはいえない生徒として。

 試験を出すと平気で白紙を出してきたこともあるミッターマイヤー。

 シュターデンの教えた基本に忠実な生徒を選んで戦術シミュレーションを吹っかけてくるミッターマイヤー。

 そして見事勝ち、それみたことかと得意になる、手に負えない異端児ミッターマイヤー。

 

 だがそんなミッターマイヤーであってもシュターデンにとっては育むべき生徒の一人だったのである。

 憎まれ口を叩く生徒だからといって愛情をかけないはずはない。

 その成長を喜ばないはずはない。

 

 もしも戦いでシュターデンが死なずにミッターマイヤーの方が死んだら、むしろシュターデンは嘆いただろう。

 そしてミッターマイヤーの載る卒業アルバムを取り出し、深く深く滲みを重ねたに違いない。

 

 最期を迎えたシュターデンの顔は穏やかなものだった。

 

「皆、そこにいるか…… 待たせて済まなかった」

 

 この時、シュターデンの脳裏に浮かんだのはやはり士官学校だ。

 緑の風が吹き抜けるあの場所。

 いつも教え子たちのジョークや議論の明るい声が響く場所。

 彼らの青春と希望が満ち溢れる場所。

 

 それきり苦しむことなく逝った。

 

 

 

 オーディンの書斎にあるシュターデンのアルバムは、これでもう誰も取り出して見る者はいない。

 そこに写されている者らの記憶に涙する者はいない。

 役割を完全に終えたのだ。

 

 

 もう二度と滲みが加わることはない。

 アルバムもまた永遠の安らぎについた。

 

 

 

 

 




 
 
 
次回予告 第八十七話 宴の終わり

最後の戦いに臨む者

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