疲れも知らず   作:おゆ

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第八十七話 488年 7月  宴の終わり

 

 

 ともあれブラウンシュバイク公は敗戦に怒り、再びフレーゲルにラインハルト討伐を命じている。

 これからの戦いこそ真の決戦だろう。

 むろんアンスバッハもできるだけ支援をしなくてはならない。

 

「そうだフレーゲル、今度はアンスバッハと一緒に行け。そして作戦の指示を仰ぐのだ。その方が確実だろう」

「叔父上! それはあまりな……」

「よいか、儂の命だ。しかと言ったぞ、フレーゲル、アンスバッハ」

 

 珍しくブラウンシュバイク公が軍事行動に口を出してきた。ラインハルト迎撃のため退出しようとしたフレーゲルに対し、何とアンスバッハの言う事を聞けといっている。

 もちろんブラウンシュバイク公としてはフレーゲルを重用したい。

 だが、アンスバッハの能力も高く買っているのだ。負けられない戦いをするならアンスバッハを加えた方が確実だろう、そういうまともな判断をしている。

 

 

 

 思わぬブラウンシュバイク公の口添えにより、アンスバッハは若干ほっとしている。

 逆にフレーゲルの方はブラウンシュバイク公の言うことなので否の言いようもなかったが、屈辱的なことこの上ない。退出してから早速言ってきたこと。

 

「アンスバッハ、叔父上の言うことなので一緒に艦橋に置いてやるが、作戦には口を出すな」

 

 いかにも上からの口調だが、アンスバッハにとってはいつものことだ。感情的なフレーゲルは意味もなく攻撃してくる。

 それよりアンスバッハは言わなければならないことがあるのだ。

 

「そのことですが、確実な勝算はあるのでしょうか。艦を増やしただけで勝てるとは思えません」

「何! 二度までも不覚をとるというのかアンスバッハ。このフレーゲルが金髪の孺子に劣るとでも言うのか!」

 

 ここでアンスバッハは最大限下手に出るしかない。自分の持つ腹案を通すためには。

 

「いえ、男爵閣下の実力には疑いはございません。しかしながら向こうが強いのには理由があり、それは優秀な将帥が多いことです。それで実力以上になっているのでしょう。しかし、逆にこちらは男爵閣下の手足となる将が少ないと懸念しております。だからせっかくの男爵閣下の優れた実力が発揮されないばかりか、足を引っ張られることに」

「なるほど……アンスバッハ、確かにそうかもしれん。実力があっても発揮されないのなら意味がない。孺子との差はそこだ。そこしかない」

 

「これではせっかくの実力が生かされず、不測の事態がありえると心配です。そこで男爵閣下に提案があります。辺境星系に留まっているメルカッツ提督とファーレンハイト提督を急ぎ呼び寄せ、指揮下に加えるのです。今信頼できる提督はその両名くらいでしょう」

 

 フレーゲルは一瞬考えた。アンスバッハの言うことは一理も二理もある。

 しかし、出てきた言葉はそれを否定するものだった。

 

「ええい、そんな悠長なことができるか。辺境星系から呼んでくるのでは間に合わず、その間に孺子がオーディンまで来たらどうする。皇帝の権威を守り、ブラウンシュバイクの叔父上の御心をこれ以上騒がせないためには一刻も早く孺子を打ち破るのだ!」

 

 アンスバッハは知らなかったのだ。

 

 フレーゲルはメルカッツとファーレンハイトの名声を聞いていないわけではない。

 しかしどちらも下級貴族出身ということで侮っていた。その上フレーゲルにとって気に入らないことにメルカッツは中将という上官であったし、ファーレンハイトはフレーゲルと同じ少将であるがゆえに実力を比較され、揶揄されたことも一度や二度ではない。ほとんど全ての場合フレーゲルにとって全く受け入れられない評価をされた。 

 そしてフレーゲルは自分の感情を優先する。勝利のために気に入らない者にまで頼むこむなど考えられない。

 

 もはやアンスバッハにできることは何もなかった。

 フレーゲルの考えなど透けて見えている。もっと言い方を変えればよかったのかと後悔したが、やはり同じことだと思い返す。

 

「これほど狭量な者が大艦隊を率いるとは、世に悲劇が尽きることはない。シュターデン中将は結末を見ることがなく逝ったが、もしかして良かったのか。こちらは最後まで見届けなくてはならん」

 

 せめて詳細な戦術の検討と戦場設定を行い、少ない勝利の可能性を上げるしかない。

 

 

 

 

 再び衝突の時が来た。

 ガルミッシュ要塞の近辺でまたしても大会戦が繰り広げられる。

 フレーゲルが早く戦いたいのでここまで来たのだ。アンスバッハはわずか難色を示したが、結局はそれを了承している。

 

 戦力はラインハルト側が四万七千隻、対するフレーゲルなどのブラウンシュバイク側は何と九万隻の大艦隊を擁している。この九万隻はブラウンシュバイク側にとって動員できる戦力いっぱいなのだが、これで前回以上に数の優位を確保している。

 

「もはや問答無用、塵となって罪を贖え、金髪の孺子!」

「問答無用とはありがたい。無駄口を聞かなくて済むのだから感謝するぞフレーゲル。そしてお前などと戦うのももう飽きた。三度目がないようここで消えろ。」

 

 フレーゲルはやはり前口上を述べてくる。ラインハルトはそれにあっさり返し、フレーゲルもそれ以上言うことはない。

 

 このときアンスバッハはフレーゲルの元に控えている。

 ブラウンシュバイク家私領艦隊の旗艦ベルリンの艦橋にいるのだ。このベルリンはブラウンシュバイク家の御座船であり、かつてのリッテンハイム家御座船オストマルクをしのぐ豪華さである。

 アンスバッハは自分は艦隊を駆って縦横無尽に動かす能力など持っていないのを理解し、参謀職が本分なのを弁えている。だから分艦隊などに移ることなく、ここベルリンでフレーゲルのやろうとする作戦をなだめすかしつつ改良することに専念する。

 

 そんなアンスバッハの努力により、ブラウンシュバイク側艦隊は全体として落ち着き、破綻するような濃淡を見せない。

 

 

「今度は向こうの艦隊にも戦理というものが見えるようだな。フレーゲルにも学習する能力があったとは意外なことだ。まあ、それくらいの頭はあるか」

「ラインハルト様、先の戦いでも分かる通りフレーゲル男爵相手に油断は禁物です」

「分かった、キルヒアイス、冗談だ」

「それに向こうの戦術はまだ不明です。持久戦となれば難しくなるかもしれません」

「そうだな。敵は数ばかり多いが、こちらの物資を減らすのには役に立つ。最大限効率よく斃していくことにしよう」

 

 ガルミッシュ要塞の物資によって一息ついたが、全体としてラインハルト側の補給物資は完全とはいえない。何も考えず戦えば途中で息切れして、一気に逆転負けを喫する可能性がある。敵がいくら弱いといっても数があれば、物資を消耗するのは当たり前だ。

 

 

「よし、今度は徹底して乱戦を避け、こちらから先に仕掛ける。ビッテンフェルトに先陣を任せよう」

 

 そしてラインハルトはオレンジの髪を持つ猛将に短く命令を下す。

 

「たまには一番いい獲物をやろう。ビッテンフェルト、一撃を加え、あの図体ばかりでかい艦隊の足をすくって転ばせてやれ」

 

 

「元帥閣下の命が出た! 行くぞ、このケーニヒス・ティーゲルに続け!」

 

 ビッテンフェルトは前回の戦いでは活躍の機会がなかった。今、先鋒を命じられて勢い込んでいる。

 それが乗り移ったのか、艦隊はすさまじい破壊力を示しながら直線で突き進む。

 

「進め、撃て、進め、撃て。我が艦隊にはこの二つの言葉しか必要ない! 今がその時だ!」

 

 ビッテンフェルトの参謀オイゲン准将がそれを真に受ける。

 

「提督、それではいつ止まるので」

 

「馬鹿か貴様は。艦が爆散すればそれで止まるではないか」

 

 どこまで冗談なのか本気なのか。その見極めがつかずオイゲンは目を白黒させるしかない。

 

 

 

 このビッテンフェルトの突進を見てもアンスバッハは慌てることがない。

 

「これはかえって好都合、行動限界点までいなしておけばいい。向こうが何か仕掛けて動けば動くほど勝利は近くなる」

 

 アンスバッハはラインハルト側が絶対的に少数であり、物資も不足がちなことを知っている。

 確かにラインハルトの艦隊は強く、まともに相手はできないが、この場合は破綻なく保っているだけで必ず優位になる局面が来る。

 

 ところがフレーゲルはとても待っていることができない。

 更に今相手の猛攻を受けて精神が無駄に高揚している。

 

「よし、向こうが攻めるなら攻め返すまでだ。あの小癪な艦隊に集中砲火を浴びせて叩け。そしてこちらも艦隊を割いて出るぞ。このフレーゲルに続け!」

「しばしお待ちを! あんな艦隊はまともに相手をせず、鋭鋒を避ければいいだけと心得ます。そして戦いはまだ序盤、別動隊の駆使はまだ戦局を見極めませんと」

「うるさい! 臆病者は引っ込んでおれ」

 

「フレーゲル男爵、ブラウンシュバイク公のおっしゃられたことをお忘れか。作戦は相談の上と厳命されたのではありませんか!」

 

 フレーゲルは聞く耳を持たない。最初からこうなることは火を見るより明らかだったのだ。

 

「男爵閣下、翻意なされませ! 下手な分散は隙を生むだけ、大軍はまとまってこそ意味があるのですぞ!」

 

 

 二人の戦術構想には大きな隔たりがある。

 もちろんアンスバッハの方が堅実で順当だ。

 何しろ数で勝るのだ。間合いを保ち、後の先を取れば少なくとも負けない戦いができる。そして引き分けで終わっても何も問題はない。引き分けを繰り返せば、回復力のないラインハルト側の勢いは必ず衰える。すなわち戦略的にこちらの勝ちになるのだ。

 

 そのアンスバッハに比べればフレーゲルの方が浅慮なのだが、見方を変えれば大軍の利点を活かした臨機応変で大胆な戦術ともいえる。

 

 だがこの場合二人の組み合わせが最悪の形で艦隊指揮に出てしまう。

 それは二人の性格や相性の問題、つまり偶然だったろうか。いや、そうではなくまともな軍としての指揮体系ができていないのが問題であり、構造的なものだ。

 

 アンスバッハの制止を振り切り、フレーゲルは艦隊の半数を割いて出ていった。やや迂回して進み、ラインハルト側の中心部に狙うつもりのようだ。うまくいけば華麗かつダイナミックな戦術になるだろう。

 

 

 

「ぬるいな。そんな動きで何をしたい」

 

 ラインハルトは冷たく言い放つ。

 フレーゲルの別動隊など動きが遅すぎて無様なものにしか見えない。

 

「好機が来たな。キルヒアイス、これで終わりにしよう」

「ようやくでございますね、ラインハルト様」

「全艦隊、突撃せよ!」

 

 フレーゲルの方に目もくれず、半減したブラウンシュバイク側艦隊へ一気に攻勢をかける。

 この攻勢は行動限界点に近くなっていたビッテンフェルトの艦隊を救うため、そして同時に持久戦などとらせず決着をつけるためだ。

 ミッターマイヤー以下各将もようやく本領を発揮して勇躍する。

 

「ビッテンフェルトの奴にいいところを持って行かれるかと思って心配だった。ここからが本番だ」

 

 その攻勢をアンスバッハは支えきれない。信頼できる中級指揮官はなく、アンスバッハには過大な負荷がかかった。局地的な艦数において互角に持ち込まれた今、ラインハルト側の苛烈な攻勢に耐えられるはずがない。

 本当ならアンスバッハは陣をコンパクトに作り替え、決定的に破られる前に後退したい。じっくりと仕切り直しをしながら相手の疲労を待つのだ。そして隙をうかがい反撃する。それが順当であり勝利の条件だ。

 

 だがそうしたくともできない。

 何故なら、大きく後退してしまえばフレーゲルの別動隊を孤立させ、見捨てることになる。普通の陽動ならそういうところは臨機応変にするだろう。しかしフレーゲルは犠牲をものともせずに攻勢に終始するかもしれない。

 アンスバッハは粘るしかないのだ。別動隊の退路になる可能性がある以上、機雷を散布して防備することもできず、ひたすら艦列の補充に努める。

 

 しかし、それにも限界がある。

 ついに艦隊はバラバラに乱れ、損失が加速度的に増していく。通信には救援要請が相次ぎ、悲鳴がそれに取って代わる。

 恐怖に駆られて勝手に逃走する艦さえ出てくる始末だ。もはや組織的抵抗ができないところまで崩され、草食動物のように追い掛け回されるだけの無力な獲物に成り下がる。

 

 

「よし、これでいい。次に別動隊の方を片付ける」

 

 ようやくラインハルトらしい戦いができた。

 そこへやっとフレーゲルの別動隊が挑みかかってくるが、その前にラインハルトは艦隊を纏め、主砲の充填と斉射用意を命じている。

 

 満を持し、ラインハルトが必殺の攻撃を命じる。

 

「全艦斉射三連、撃て!」

 

 斉射により、シールドへ複数同時に被弾すれば破られる。たちまちフレーゲルの別動隊に爆散が相次ぎ、光の球が重なりあって巨大な一つの渦となる。

 これほど甚大な被害を受けても、尚もフレーゲルは進もうとした。

 

「ええい、怯むな! このまま突撃し、孺子を倒すのだ! 帝国貴族の誇りを見せつけてくれる!」

 

 だがそれは叶わなかった。

 フレーゲルはいきなり倒れた。

 艦橋にいた護衛兵たちが後ろから撃ったのだ。巻き添えになって無駄死にすることを恐れての決断である。「俺には妻も子もいる。こんなところで犬死になどごめんだ!」

 その様子を見たフレーゲル付きの参謀シューマッハ大佐は慌てた。しかし、そんな護衛兵たちを責められない。自分勝手で、高慢で、自分を特別だと思い込んでいるフレーゲルに忠誠心など持ちようもなく、とうに涸れ果てている。

 

 フレーゲルは何も成せずに死んだ。

 

 栄達も名誉も手にできなかった。

 しかも配下である平民から撃たれるというおよそ貴族らしくない不名誉な死に方である。せめて即死だったのが救いだったのかもしれない。

 自らのヒロイズムに酔い、甘い夢を見ながら斃れたのだから。

 

 

 




 
 
次回予告 第八十八話 苦闘

だがそれでも忠臣アンスバッハは苦闘する


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