疲れも知らず   作:おゆ

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第八十八話 488年 7月  苦闘

 

 

 この短時間の戦闘でフレーゲルの別動隊も総崩れになる。

 

 注意深く様子を見守り、危機に陥るようならフレーゲルのため無理にでも攻勢に出ようとしたアンスバッハは、それをする前にフレーゲルの死を知った。

 

 そうと分かれば後始末にかかる。無駄な戦闘継続など考えもしない。

 

「全艦に通達、直ちに撤退だ。逃走経路は各艦個別に決定せよ、つまりバラバラの方向で構わん。再集結は逃げおおせた後でいい。どうせ向こうに追撃してくる余力はないはずだ」

 

 

 アンスバッハの言う通り、ラインハルト側の追撃はなかった。回復力のないラインハルト側には勝ちをフイにする可能性がある冒険をするゆとりはなかったからだ。

 とはいえ、再集結できたブラウンシュバイク側艦艇は多くない。当初の九万隻のうち四万隻もが撃沈もしくは自沈、そして必死の逃走中に故障から失われる艦も多い。

 結局残されたのは四万四千隻にしかならない。

 半数以下になったのだ。アンスバッハの力量により、逃亡や反逆がなかったのがせめてもの救いかもしれない。

 

 

 敗北してオーディンに戻ったアンスバッハをブラウンシュバイク公は一時間ほど罵倒する。

 その中にフレーゲルを悼む言葉はついになかった。

 たったの一言も、である。

 フレーゲルは高慢かつ偏狭ではあってもブラウンシュバイク派閥にこれ以上なく忠実であった。ブラウンシュバイク公に対し、叔父ということで慕ってもいた。

 それが見事に使い捨てられたのだ。これをもし知ることができたら何と言っただろう。

 

 そしてブラウンシュバイク公は感情が収まると、今度は恐れがとってかわった。

 艦隊戦で二度までも破れた。

 しかも二回目はほぼ全艦隊を繰り出しての討伐なのに返り討ちにされた。今に至って、ようやくラインハルトの軍事的実力の意味が分かってきたのだ。

 権勢や爵位など実力の前には何の役にも立たない。ブラウンシュバイクからすればそれが全てだったのだが、実は砂上の楼閣に過ぎなかった。

 

 おまけに敵はラインハルトだけとも限らない。軍事的敗北のために帝室の権威は有名無実になり、ブラウンシュバイクもいつ寝首を掻かれるか分かったものではない。派閥というのは厄介な面があり、貴族というものはいつでも強い方になびき、裏切りや変節は当たり前だ。

 

 ブラウンシュバイクに不安と焦りが急速に膨れ上がる。

 そうなると逆に頼りになるのはアンスバッハしかいない。

 

 

 

 そのアンスバッハはブラウンシュバイク公の許可を得る前に帝国辺境星系にいるだろうメルカッツとファーレンハイト両名を確保するべく動いていた。

 だが、大いに失望することになる。

 わずかな差でもう出奔されていたのだ。

 

 

 その二人はすっかりブラウンシュバイク家の私物と化し、道理も何もなくなってしまった帝国軍を横目に見て、愛想を尽かしていた。体裁はまだ帝国軍ではあっても変質してしまい、かつての帝国軍とは別物である。

 

 メルカッツとファーレンハイトはアスターテ会戦以来の知り合いであり、互いに親しみを覚えている。しかも力量を知り、尊敬さえしていた。確かにメルカッツの近接戦闘やファーレンハイトの速攻は余人の及ぶところではない。

 今後の身の振り方について相談する。

 

「メルカッツ提督、我らの皮肉な運命について思う所を忌憚なく聞かせて頂きたい」

「卿も儂も、よほど運命というものに嫌われているようだな」

「ローエングラム元帥府と戦った以上、もうそこに帰参する道はないでしょう」

 

 二人は先に、勝手に辺境艦隊を集めようとしたレンネンカンプを敗死させている。それはもちろん帝国軍として当然の命令に従っただけだ。しかし、結果としてラインハルトに敵対行動をとったことには変わりない。

 

「ファーレンハイトよ、儂は長いこと帝国軍のために働いてきた。今さら賊軍と定められたローエングラム元帥府に降ることはせん。しかしながら帝国軍の方も昔と違う。ブラウンシュバイク家の私領艦隊といってもいいくらいだ。それに味方することもできん」

「これほどあからさまに私物化されるとは。お飾りの皇帝などあってなきが如し、ブラウンシュバイクの専横は今後いっそう激しくなるでしょう」

 

 それは一昔前なら極刑にされるほど不敬な言動である。しかしファーレンハイトは言葉を繕うことなく言い切った。

 

 元々ファーレンハイトは「食うために軍に入った」と周囲に公然と言い放っているほどの人物である。

 それは本音でもあり嘘でもある。

 辛酸を舐めた貧乏貴族出身として世に拗ねている、その発露なのだ。つまり、信念や愛国心という美しいものを純粋に信じてこれた貴族出身者への当てつけである。

 そういう裕福で食うことに何の心配もない人間は簡単に信念を口にする。

 自分はそうではない。食うことで精一杯なら美しい信念なんか持てるものか。そんな自分という存在を見ろ、という意味なのだ。

 

 だが心の中身は違う。

 

 忠誠心の拠り所を誰よりも求めていた。尊敬できる者のために働いて、そして死にたいと願っている。

 メルカッツもまたそれに似て、帝国軍に単純な忠誠心を持っているわけではない。軍歴が長いだけファーレンハイトよりむしろ帝国軍内の実情をよく知っていた。

 

 それでもメルカッツは皇帝陛下のためであれば従うという忠誠心を持ち合わせている。ゴールデンバウム王朝皇帝に従う帝国軍の誇りと忠誠は失われていない。

 ただし、それは正統な皇帝である。先にエルウィン・ヨーゼフを殺し、そしてクリスティーネ・フォン・リッテンハイムを亡き者にしたブラウンシュバイク家の傀儡に過ぎない皇帝ではない。

 

「ファーレンハイト、もうこの帝国に居場所はないのかもしれん。副官のシュナイダーとも相談しているところだ」

「では…… やはり亡命ですね。お供します。メルカッツ提督」

 

 

 二人の出奔を知ったアンスバッハは、その心情もまた理解できた。

 それに、多少の羨ましさもあった。アンスバッハは今もなおブラウンシュバイク家に縛られ、忠誠を求められている。その二人のように解き放たれることは最初から望めない籠の鳥である。

 

 しかし、現実的に軍事的実力によってラインハルト側へ反攻することは不可能になった。

 艦数の上では四万四千隻、ラインハルト側の四万隻ちょうどに比べてまだ優位である。

 しかし優秀な人材がいなければどうにもならない。

 何度戦ったところで同じことだ。

 

 

 だがまだ方策はある。

 今からは政治的経済的に仕掛ければいい。

 最初にやらねばならないことは、すっかり捨て鉢になってしまったブラウンシュバイク公を立ち直らせることだ。ブラウンシュバイク公はやがてやってくるだろうラインハルトの艦隊に怯えている。そして、いつ裏切って暗殺を企むかもしれない貴族にも怯えている。日中から現実逃避の酒浸りだ。

 

「儂を裏切るつもりだな! あの孺子に尻尾を振りおって、いくら貰う約束をした!」

 

 周りの貴族にそう言って怒鳴り散らす。

 派閥に長いこと属する忠義の貴族にさえそう言うのだ。これでは心あるものから真っ先にブラウンシュバイク家から離反する。残るのは既得権益にしがみつくしか能のない貴族だけだ。その意味のないおべんちゃらがブラウンシュバイクには耳触りよく響く。

 権勢を誇ったブラウンシュバイク派閥は急速に瓦解しようとしていた。アンスバッハはそこをなんとかしなくてはならない。

 

「しっかりなさいませ。戦いはまだこれからではありませんか」

「何だアンスバッハ、まだ孺子を討ち取る方策があるのか」

「残念ながら、早急に討ち取るのは無理かと存じます。ただし、向こうもこちらを易々と攻められないでしょう。我々が宇宙の中心オーディンを人質にとったようなものである以上、何もできないと存じます。仮にオーディンを爆撃などで破壊すれば文化文明は失われ、人間は原始時代に逆戻りですから」

「そ、そうか……」

 

「そしてもしも地上戦で制圧しようと思うならば、兵士の数もこちらが圧倒的に有利です。何よりあの方が負けるはずはありません」

「地上戦で、あの方? そうか、お前が言っているのはオフレッサーのことか!」

「そうです。オフレッサー装甲擲弾兵総監閣下、地上戦でこれ以上頼りになる方はおりません」

「なるほど、あ奴がいる限り最後の最後で負けることはない。その通りだアンスバッハ!」

 

 ブラウンシュバイク公はようやく生気を取り戻した。

 今二人が言ったのはオフレッサー装甲擲弾兵総監、肉弾戦で上級大将にまで成り上がった人物のことだ。

 その強さは歴代最強、いや人類史上最強と誉れ高く、もはや伝説である。特にゼッフル粒子がある場所での強さは際立っている。敵兵の数もボウガンの雨もものともしない。オフレッサー専用の重く強靭な戦斧やメイスを目にした敵兵は、それがこの世で見た最後の物体になる。

 

 オフレッサーの性格も実に都合がいい。

 帝室へ単純な忠誠心を持ち、そして反ラインハルトで知られている。ラインハルトなど権力者に姉を差し出し栄達を図った奸臣と思っているからだ。

 しかし、残念なことに宇宙で装甲擲弾兵が活躍する場は多くはない。普通は制宙権の確保がそのまま星域の確保につながるからだ。活躍するのは有人惑星での地上戦や要塞争奪戦、あるいは強襲揚陸艇での超接近戦の時に限られてしまう。

 

 そのためオフレッサーは常に戦う場を求めている。

 今の情勢がここオーディンを戦場にしそうな気配に意気軒高であると聞く。

 

「皇帝陛下の御前に我ら装甲擲弾兵の戦う勇姿を見せん。そして金髪の孺子の首を差し出し、御心を安んじ参らせる。早く来い、孺子!」

 

 

 

 ブラウンシュバイク公がここに至って生気を取り戻し、そしてアンスバッハへ聞く耳を持ってくれたのは喜ばしい。

 

「お互い手詰まりになり、膠着状態に陥れば、時はこちらに味方します。向こうが破竹の勢いで勝っているからこそ向こうになびく者もいるでしょう。しかし、変化がなくなればそれだけで失望へと変わるものです。それが人の心というものです」

 

 アンスバッハは軍人だ。しかし私領艦隊の将というものは、その性格上純粋な戦いではなく貴族家のことに深く関わっている。アンスバッハもブラウンシュバイク公の執事や秘書という立場ではないが、長いこと相談役のような形をとっているのだ。また、それができる能力をアンスバッハは持ち合わせている。

 

「もちろん膠着状態では皇帝の権威は損なわれており、仮にローエングラム元帥が帝国内に独立勢力を構えようと図っているならば、時が経つほど不利になりましょう。しかし幸いなことに向こうはそれを企図せずあくまでオーディンを狙っているものと見ました」

 

 そしてアンスバッハは視野が広く、政治経済を含めた総合的なところで考える。

 

「まだまだこちらにも反撃のしようがあります。経済的にはオーディンを抑えている方が圧倒的に優位です。資本も工場もそうです。全ての活動の拠点なのですから」

「なるほどアンスバッハ、金と物は確かにこちらにあるな。逆に無いのは艦隊だけだ」

「それに何といってもこちらが銀河帝国政府という名を持つことは有利です。例えばフェザーンを味方に引き入れるのも妙手かと存じます」

「フェザーンか。信用できぬ輩ではあるが、確かにまとまった勢力はそれくらいかもしれん」

「おそらくそれには大幅な自治権の譲歩が必要でしょうが。フェザーンがこちらに付けば、向こうはどこにいたところで立ち枯れるのみです」

 

 

 ここから勝てる方策、その糸口が見えてきた。アンスバッハは艦隊を正面決戦に使わず、あくまでオーディンへの航路防備に使う。そして物資も生産力もないラインハルト側を締め上げるのだ。

 

「艦隊だけで帝国を支配するのは不可能、金がなければ長く人は従いません。つまり家に猛獣がいると思えばいいのです。確かに恐るべき事態ですが、やることは一つ、その疲れを待って捕らえるだけです」

 

 

 

 




 
 
次回予告 第八十九話 会議の行方

フェザーンの会議の行く末は……


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