疲れも知らず   作:おゆ

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第九十話  488年 7月  孤軍奮闘

 

 

 フェザーンの会議の後、さっそくヒルデガルトはフェザーンから旅立った。

 

 行く先はもちろんラインハルトのところだ。

 ヒルダはラインハルトに必ず確認しておくべきことがあった。

 

 先に密約を交わしているが、それが今も有効であること、である。

 密約はクリスティーネ・フォン・リッテンハイムを擁立することであり、そのクリスティーネが亡くなっている現在、既に破綻している。しかし、まだその子サビーネが皇位継承権保持者として残されている。

 約束を今一度確認して、リッテンハイム家への助力とサビーネの即位を明言してもらわねばならない。

 

 その心配があるのは、クリスティーネが斃されたというだけの理由ではない。

 

 ラインハルトがリッテンハイム家側に立っていることを公にしていない点にある。確かに一時期クリスティーネへの助力を口実にして、麾下の艦隊の崩壊を防ぎ、進軍を始めた。しかし実際の艦隊戦の前後からは何も言っていない。

 もはや約束は終わったものとして意に介していない可能性がある。それはどうにもヒルダには不安なことだ。

 

 

 ラインハルトの旗艦ブリュンヒルトに接舷するのは妨げられなかった。直ちにヒルダは艦橋に上り、ラインハルトに会おうとした。しかし、予想外にも直ぐには許可が下りない。

 この時点でヒルダには嫌な予感しかしない。

 ようやく許可を得て謁見するが、そこにはラインハルトの他にキルヒアイスがいるのは予測の内なのだが、それに加えて三人目の者がいた。それは見たことがない痩せた銀髪の将だった。

 

 

 

「フロイラインマリーンドルフ。話のおおよその予想はついている。しかしその前に紹介しよう。我が元帥府の参謀、パウル・フォン・オーベルシュタイン中将だ」

「ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 礼を持ってヒルダが返す。

 この時、不思議なものが見えた。男の両眼に細くて赤い光が走ったのだ。

 

「失敬。私の眼は義眼で、時々調子が悪くなるのです。話には不都合無いので、どうかお気になさらず」

 

 言葉の内容よりもその言い方が気になった。オーベルシュタイン中将は悪びれるわけでもなく、開き直るでもなく、丁寧ではあるが感情を感じさせない言い方はまるで自分と関係ない物事のようだ。

 しかしそんな事を考え続ける時間はない。

 ヒルダは率直にラインハルトへ問う。

 

「では、端的にここへ来た目的を申し上げます。先の約束の確認と、今後の具体的内容の保証についてです」

 

 

 この質問に答えてきたのはラインハルトではなく、遮るようにその義眼の将が話し出した。ヒルダの言うことを予測し主にその中将が応対するよう事前に決めてあったのだろう。

 

「こちらの陣営とリッテンハイム家が交わした密約については聞き及んでおります。マリーンドルフ伯爵令嬢。こちらはそれを遵守、といいたいところです。しかし今となれば既に形骸かと存じます。まことに残念ながら」

 

 その意味するところを知りながらヒルダは反論を始める。

 最初にそう返されるくらいは想定の範囲内だ。

 

「形骸と言われましたが、それが正しいかどうかは主観によりましょう。フェザーンにクリスティーネ様の子、サビーネ様が残っていらっしゃいます。血統が絶えていない限り、約束の遵守を求めます」

「ですが密約はあくまでクリスティーネ様に味方、と聞いております。主観と言われればそれまででしょうが、事実は事実、もはやクリスティーネ様がいらっしゃらない以上成しようがありますまい。不可能な約束になったのであれば、破棄されたも同然と申し上げます」

「それは否定できません。ただし、繰り返し申し上げますがサビーネ様という皇位継承者が存在する限りいらっしゃれば約束は今も生きております。しかも亡きエルウィン・ヨーゼフとは異なり幼児ではなく、自分の判断のできる年齢です」

 

 多少の歩の悪さをヒルダが感じないわけがない。それでも主張すべきところは主張する。

 

 

 だがそれは直ぐに否定されることになる。やはりラインハルト側はサビーネを立てることをもはや考えていない。戦いでブラウンシュバイクを破り、実権を手に入れたなら帝国を一から刷新するつもりだろうか。

 既存のゴールデンバウム王朝の血統も権威も必要ないのだ。

 

「ご納得は難しいようです。マリーンドルフ嬢。ならば理屈を細かく申しましょう。恐れながらサビーネ様は皇位継承者とはいえ、今の皇帝アマーリエ様と争える継承順位ではなく、それを立てるのはメリットとして極小と存じます。せいぜい完全な賊軍ではないといったところで、簒奪者、あるいは賊軍のレッテルを剥がし切るには力不足かと」

 

 ヒルダは痛いところを突かれた。

 

 ブラウンシュバイク家と対等な立場の内乱にできる看板なら意味がある。

 そうでなければメリットはない。

 

 サビーネは血統を受け継いではいるが、皇孫にしか過ぎない。

 そもそも皇位継承順位で皇女たるアマーリエ・フォン・ブラウンシュバイクとは争うこともできないのだ。加えてもう既にアマーリエが皇帝であるし、賊軍とされたことは事実である。

 つまり今さら幼いサビーネを立てても誰も納得しないだろう。継承者争いに手を貸すのではなく明らかにごり押しにしか見えないからだ。

 確かにラインハルトからすれば密約は形骸になっている。

 

 

 

 しばし言い淀んでいるヒルダにラインハルトから声が掛けられた。

 

「だがこちらにメリットがなくなっても、約束は約束だ。決して忘れたわけではない。それに何よりもフロイラインには姉上をオーディンから連れ出してもらった。その巨大な恩義がある。フロイライン、こちらはその遺児サビーネの命を保証し、リッテンハイム家の領地も保全してあげよう。そうすれば内乱前と同様の大貴族でいられる。銀河帝国の7%に及ぶ領地だ。サビーネとやらも何不自由なく暮らせるだろう」

 

 これはラインハルトの親切から出た言葉だ。

 約束を反故にすることをラインハルトは決して良しとしない。少年らしい潔癖さの表れである。キルヒアイスとも話し合い、そこまでの譲歩を決めていた。もちろんキルヒアイスも賛成だ。

 アンネローゼを救ってもらった恩をやっと返せる。

 

 だが逆に言えば、これがギリギリの線である。帝国を刷新し、無能な門閥貴族を一掃し、ルドルフの血脈を断つのがラインハルトの本来の目的なのだから。

 この譲歩を聞いた義眼の男も表情にはっきり出さなくとも不満であるような感じがした。想像だが、事前に相談されていなかったか、相談されていてもこの譲歩について反対なのだろう。帝国貴族の一掃を望んでいると思われる。

 

 ラインハルトの律儀さと親切を感じ、心苦しいながらヒルダは尚も言ってのける。

 

「ローエングラム元帥、そのお心遣い、まことにありがたく思います。本心を言えば感謝にたえません。それでもこちらといたしましてはあくまでリッテンハイム家との共闘、そして皇帝位を手に入れることが密約の骨子であったはずだと申し上げます」

「だがそれならこちらも言うことがある。フロイライン、忘れたわけではあるまい。共闘を図るという約束、それが守られたであろうか。それどころかリッテンハイム家の艦隊は勝手に出撃し、自ら敗北を招いたのではないか」

 

 ラインハルトは甘いだけではない。リッテンハイム家が戦いにおいて何ら役に立たず、密約の実が何もなかったことを忘れてはいない。ヒルダが譲歩案に乗ればそこまで言う気はなかったのだろうが、ここに至ればラインハルトも指摘する。

 いや、ラインハルトにとってはサビーネの継承権順位などよりもこっちの方が重要なのかもしれない。同じ陣営というならば、やはり轡を並べて戦うことが必要だったのだ。

 

 義眼の将がその話を引き取り、簡潔にまとめる。

 

「つまり、実際に戦ったのはこちら側だけであり、こちらの実力で勝ってきたという訳です。リッテンハイム家は共闘を待つこともできず、自ら密約を放棄したと言っても過言ではありますまい。今さら約束の遵守を言い立てることができるものかと。それでお分かり頂けたでしょうか。まだ否定できる言葉をお持ちなら伺いましょう」

 

 これもまたヒルダへの痛打になった。

 否定できない事実だからだ。こちらが先に約束を守らなかった。戦いで物を言ったのはラインハルトの実力だけである。

 

 

 もはやヒルダは外堀内堀ともに埋められている。

 

 

 しかもラインハルトとは違い、この義眼の男に感情面での揺さぶりは通用しないように思われた。ヒルダの交渉相手としては相性が悪く、手強い。

 

「否定の言葉はありません。密約は結果的におっしゃる通りになりました」

 

 

 

 だが、それでもヒルダは反撃をしなくてはならない。

 サビーネを皇帝にする、その道をなんとしても開くのだ。綱渡りでもなんでもいい。そこに至る道筋を絶やすわけにはいかない。

 

 

 ここでヒルダは最後のカードを切る!

 

 それはリッテンハイム家の側も勝利に貢献、いやそれ以上に勝利に必須であったとラインハルト側に認めさせることである。

 このカードを最大限有効にするためヒルダは弁舌をふるう。

 

「ですが、本当に結果が見えているのでしょうか。未だ勝利は確定していないのではありませんか。オーディンに皇帝アマーリエがおられ、帝国は何も変わっていません。ならば密約は決して過去のものではありますまい」

「フロイラインマリーンドルフ。今さら我が艦隊の勝利を疑うのか。既に決戦に勝利した。いったい何を見てきたというのだ」

「わたくしは事実を申し上げました。オーディンを陥落させたわけではございません。首都オーディンにある玉座を手に入れ、支配権を握った時こそ初めて勝利と言えるではないでしょうか」

 

 それには義眼の男が淡々と答える。

 

「確かにその理屈自体は認めるとします。ですがもう艦隊を妨げるものは存在せず、いずれオーディンも陥落させられるでしょう」

「いずれとはいつになるでしょう。短時間にオーディン攻略がかないますでしょうか。しかも、この艦隊の物資が切れる前に。失礼ながら物資が万全ではない以上、困難を極めると予想します。ここの艦隊将兵はざっと五百万人もの数がいるでしょうから、陸戦隊もそれなりの数と推察します。しかし、オーディンには二十億の民がいるのです」

 

 

 確かにラインハルトは艦隊戦では完勝した。

 そしてオーディンには防空衛星のようなものもない。いくらアンスバッハが残存艦隊を使って妨害しても、それを撥ね退け、制宙権を取って包囲するまでは可能だろう。

 しかしながらブラウンシュバイク側が降伏せず、徹底抗戦されたらどうなるか。

 むろん地上戦になってしまう。

 どれほどの血が流れることか、決して少ないものであるはずがない。

 古来より惑星一つを地上戦で完全制圧など絵空事で、軍事上の禁忌である。

 

 仮に皇帝アマーリエが激を飛ばし、将兵を立ち上がらせれば、ラインハルトは単なる言葉上の賊などではない。二十億の民の怨敵となる。その後の治世がどれほど困難になることか。

 

 

 おまけにヒルダは指摘した。

 ラインハルトの側には経済活動はなく、物資の生産などない。艦隊の物資を今のところなんとかやりくりしているが、消耗していくだけである。要するに維持するだけでもタイムリミットが存在するのだ。もしも安定的に調達しようと思えば、むしろオーディンを諦めてどこかの裕福な領地を占領し、独立する他はない。それは戦略の大転換であり非現実的である。

 

 義眼の将も否定はできず、率直に認めた。

 

「困難さがあることもご指摘の通りかと。ですがその不利をわざわざ言い立てるとは、実りなき議論になるだけでしょう」

「話は先にあります。改めて申し上げます。オーディンでの戦いこそわたくしどもリッテンハイム家の出番となります。ローエングラム元帥、はっきり申し上げます。リッテンハイム家との共闘が勝利に不可欠であったと認めてもらうため、わたくしどもがオーディンを陥落させてごらんにいれましょう」

 

 表情に出さないだけで義眼の将も驚いたようだ。むろん、ラインハルトの方は驚きを隠しもしない。

 

「何、何だと! フロイラインマリーンドルフ、そんなことが可能だとでも言うのか! にわかには信じがたい。今となってはリッテンハイム家に戦力など無きに等しいではないか」

 

 実際はリッテンハイム私領艦隊の残存艦がフェザーンに逃れている場合が多く、一万隻、いや一万五千隻は存在する。だがヒルダはもちろんそんなものを使う気はない。

 

「いいえ、こちらにも実力はあります。元帥におかれましてはしばらくここに留まり、オーディンに近付かず結果をお待ち下さい。その間の物資のことについては、元帥が気を遣うことはありません。多少の物資であればフェザーンから融通してもらえる約束を取り付けてあります。フェザーンがサビーネ様を見込んでのことです。これもまた、リッテンハイム家から元帥への手土産だとお考え下さい」

 

 

 そしてヒルダは念を押すように強く言い切った。

 

「わたくしどもの成果をしっかり見て頂き、約束を思い出してもらえれば幸いです。ローエングラム元帥」

 

 もう後には引けない。

 実のところ計略は既に動き出していたのだ。

 

 綿密な打ち合わせの後、ドミニクがオーディンに潜入している。

 

 その一方、エルフリーデはブラウンシュバイク公に連なる貴族の一人、シャイド男爵なるものに目を付けている。その者はブラウンシュバイク領の星系一つを任され、未だオーディンには来ずにとどまっていたからだ。

 エルフリーデが計略のため赴いたのは、そのシャイド男爵の治めるちっぽけな開拓途上惑星だった。

 

 その惑星の名は、ヴェスターラントという。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第九十一話 大それた罠

暗躍する二人

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