会談は最後に驚くべき言葉で終わった。
オーディンを陥落させてみせるというのだ。それをラインハルトらに明言したヒルダはブリュンヒルトを後にする。
もちろんそこからラインハルトらは話し合う。
「あの嬢の言う通りだ。オーディンを陥とすのは困難を極める」
実はヒルダに改めて言われるまでもなく分かっている。オーディンで地上戦など余りにも悪手、どんなに困難なことか。
しかし、ブラウンシュバイクの握る帝国政府を倒す最後の一手をきっちり詰めないことには、これまで艦隊戦を勝ってきたことに全く意味がなくなる。
オーディンを何としても攻略するのだ。だが、どうやって。
「ラインハルト様、オーディンは決して破壊してはならないものです。市街を守り、臣民に被害を与えないために艦からの砲撃や爆撃はできません。もちろん艦載機も大気圏内で使えません。自ずと地上戦が必至になります。これまでのようにはいかないでしょう。何といってもオーディンには装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将がおります」
「あの石器時代の原始人か。キルヒアイスも俺も奴と一対一では逃げるしかないだろうな。いや、ニ対一でも俺は逃げる」
「わたくしも逃げます。ラインハルト様」
二人の顔に思わず笑みが入った。しかし、それは現実であって冗談では済まない。オフレッサーと戦う地上戦は論外である。
「オーディンを決して破壊せず、か。もし絵の一枚でも燃えたらメックリンガーは軍を辞めて贖罪のために絵描きに専念するに違いない」
さすがにこれは冗談の範囲内だ。
そんな二人の会話にオーベルシュタインが割って入る。
「恐れながら申し上げます。オーディンを地上戦で力押しにするのは愚の骨頂。ならば内部分裂に持ち込むのが上策でしょう。おそらくマリーンドルフ嬢もそれを狙っているはず」
「それは確かに言う通りだが、何か方法があるのかオーベルシュタイン。オーディンに叛乱を起こさせる謀略を仕掛けるのか。今さらこちらと結ぶ貴族を作り、組織化するのは時間もかかり、また下手な貴族を使ったのでは後顧の憂いを残すぞ」
「そのような迂遠な方法を取るまでもありません。別の方法がございます。残念ながらオーディンを全く破壊しない方法ではありませんが」
「ほう、その方法とは何だろう」
ラインハルトは少し興味を持つ。そんな方法があるなら重畳、わざわざヒルダの策の成就を待つまでもない。
「閣下、最小の労力で最大の効果が得られます。すなわちオーディンのどこかを選び、空爆を敢行するのです」
「そんなことか。しかし地下に退避されたら意味がない。それなりの退避施設を作っていることだろう。しかもブラウンシュバイクをピンポイントで狙うには、どこにいるか確実な情報が必要だ」
「閣下、ブラウンシュバイク公を狙うと申しておらず。必要もありません。オーディンのどこか、と申し上げました。この攻撃は通常のものではなく、核攻撃を使用します」
「何! 何を言っているのか分かっているのかオーベルシュタイン。それは禁忌のはずだ!」
これにはラインハルトもキルヒアイスも驚かざるを得ない。
惑星表面に対する核攻撃!
これは威力もさることながら、まさに非人道的な虐殺になる。恐ろしいことだ。人命を人命とも思わぬゴールデンバウム王朝でさえ、それを禁忌としたのだ。叛徒との戦争でもそんなことをした記憶はない。
「禁忌を破るから効果的なのです。この先はどうなるのかという恐怖によって混乱するのは必定でございます。オーディンは人口が多いだけにいったん統制がとれなくなれば崩壊するばかりでしょう。何も手を下さずともノイエ・サンスーシーは暴徒の波に飲まれ、後は頃合いを見て降下し、ブラウンシュバイク公も皇帝も始末するまで。もちろん暴徒によって死んでいればこれ以上望ましいことはありません」
「そんなことで人が従うのか! 事が終わった後でどんな申し開きができるというのだ。オーディンを核攻撃した支配者が赦されると思うか!」
確かにこの方法を使えば、オーベルシュタインの言う通りのことになるだろう。惑星中の騒乱はとどまることを知らず、帝室保護もままならないだろう。
しかし、それは地獄を作り出してこそだ。
「その後のことはご心配には及びません。すみやかに国庫を開いて金品を恵み、善政を施けば誰も記憶には残しますまい。死んだものに口はなく、生きている者の記憶は簡単に塗り替えられます。少なくとも数十年も続くものではございません」
死人に口なし。
もちろんラインハルトが帝国の支配者にふさわしい善政を施くのが前提ではあるが、なんという恐るべき手段だろうか。
「加えて申し開きはいとも簡単でしょう。ブラウンシュバイク公を早く退場させ、戦乱による犠牲を減らすため断腸の思いで決行したやむを得ない核攻撃だった、と喧伝するだけのことです。しかもその大義は事実なのですから」
「オーベルシュタイン、残念だがその策が有効なのは認めるとしよう。それは策を考えてくれた卿への褒美だ。だが言っておく。その方策は決してとらない」
「閣下、では手詰まりになり、地上戦で予想される損害は時間が経つほど増加する計算になります。核攻撃の損害など比較にならないほどに」
「……いや、オーベルシュタイン、待つのも一つの手だ。確たる自信があるわけではないが、待ってみよう。あのマリーンドルフ嬢のやりようを見るのも面白いではないか」
ラインハルトはその策を検討することもなく却下した。
その様子を見てキルヒアイスはいっそう微笑む。自分のラインハルト様は焦土作戦の結果を知り、成長された。
民を慈しむことなくして善政はない。効率で人の命を測ることはできないのだ。
一方、ヴェスターラントに降り立ったエルフリーデは得意の工作活動を開始する。
ヴェスターラントはブラウンシュバイク領の末端にあるちっぽけな惑星だ。
正に
一応居住可能な大気を保てる適度な重力を持ち、熱環境や地殻も安定しているため開拓されているが、鉱物資源は乏しく、何より水が少なかった。点在するオアシスで細々と農業を営む以外の産業は育っていない。工業を興そうにもそれには農業以上に水を要するからだ。もちろん人口も多いはずはなく二百万人ほどしかいない。
この貧しい開拓惑星をブラウンシュバイク公の代理として治めていたのは甥のシャイド男爵だった。
シャイド男爵というのは典型的な門閥貴族であり、貴族の優越を頭から信じ、領民に何の遠慮もない。それに平素からこんな田舎惑星に住むことに対して不満がある。自分だってオーディンの社交界に出て、舞踏会で貴族令嬢と踊りたいのだ。
結果、憂さ晴らしとして領民に必要以上の重税を課し、蓄財することを趣味にしていた。領民は苦しみ、開拓は遅々として進まなくなるという悪循環である。本当にぎりぎりの生活を強いられ、領主シャイド男爵に対し怨嗟の声を漏らすしかない。救いがたいことにこういった惑星は少なくはない、というより普通に存在する。
こんな下地がある以上、エルフリーデが領民に叛乱を起こさせるのはいとも容易いことだった。いや、工作の必要すらなかったかもしれない。
ラインハルトの艦隊がここに進軍、という噂を流せばいい。
ついでにエルフリーデが表に出なくて済むよう、叛乱のオピニオンリーダーになりそうな活発で見栄えのいい少女を調査して選んだ。
直ぐにエルフリーデはその少女に偶然を装って近付き、ある考えを吹き込む。
「あの方を頼りましょう。ローエングラム元帥を」
それで充分だ。
領民は吹き込まれた考えをあたかも自分たちで考えた名案のように思う。
自分たちのような平民に近いラインハルトならば、きっとこの辛い生活を理解してなんとかしてくれる、傲慢な貴族による搾取をどうにかしてくれる。そんな気体である。
ついに蜂起した。ブラウンシュバイク家の領地から脱し、ラインハルトの保護下に移ろうと実行に移したのだ。
シャイド男爵は領主として当然叛乱を抑えようとしたが、直ぐに無理を悟って逃走にかかった。
いったん事を起こした領民たちは決死の覚悟をもって戦っている。叛乱には、その理由の如何に関わらず重罰をもって対処するのが、ブラウンシュバイク家のみならず銀河帝国の掟なのだ。それでもやるからには叛乱を起こす側には覚悟がある。
シャイド男爵の方にとことん対峙する根性などありはしない。
逆に言えば、平民の村を見せしめに全滅させるとか、首謀者を虐殺するなどの無慈悲なことは考えなかった。一応領主として装甲車両やロケット弾などの兵器は持っていたのだ。しかしそれを鋤や鍬、せいぜい小火器しか持っていない民衆に撃ち込むことはせず、放棄している。
そこまでの悪人ではなかったからこそ逃げる方を選んだ。
エルフリーデはシャイド男爵が無事に脱出できるように手を打った。逃走路を確保し、それとなく誘導する。領民の集まっている場所を避けながら宇宙港に辿り着けるように。
死なれてしまっては困るのだ。
領民の目を免れ、生きて惑星を出られるようにしなくては。
そしてシャイド男爵を罠に追いやらねばならない。
それは宇宙に浮かぶ巨大な要塞だ。帝国軍でイゼルローンに次ぐ規模を誇る大要塞、ガイエスブルクである。
この要塞は単なる物資の集積や、艦隊停泊、修理のためのものではない。帝国内の貴族が内乱を起こそうという気持ちそのものを刈り取り、未然に防ぐことを企図して作られた。そのため貴族私領の入り組んだ結節点に置かれている。
何より帝国軍の威信を目に見える形で示すために必要以上の大きさと力をもった要塞だ。
特に要塞主砲ガイエスハーケンの威力は凄まじく、絶対の防衛力を備えている。ラインハルトも防衛力の薄いガルミッシュ要塞は襲ったが、ガイエスブルクを攻略して物資を奪うことは選択肢にも入れなかった。イゼルローン要塞ほどの規模ではないが、数万隻の艦隊を退ける力がある。というよりガイエスブルク要塞建造のノウハウを使い、スケールアップして作られたのがイゼルローン要塞なのである。
ただし場所はオーディンと離れているため、アンスバッハも戦略的使用は考えていない。単純に防備だけさせているに留めている。ラインハルトの方も攻略対象にすることはなく放置の構えだ。
そこでうまくシャイド男爵に暗示のように一つのアイデアを入れる。
「叛乱の鎮圧もかなわず、行くところがない。オーディンへ向かっても運悪くローエングラム元帥の艦隊と出会えば一巻の終わり、捕らえられて処刑を待つのみだ。安全な場所は、どんなことがあっても艦隊を退けられる要塞しかない。幸いにもガイエスブルク要塞は皇帝に従う帝国軍の勢力圏内にある。そこに逃げこめば大丈夫だ」
こうしてシャイド男爵は一路ガイエスブルクを目指した。
そこをタイミングよく、艦隊が待ち構えている。
リッテンハイム家残存艦隊である。ヒルダが遺児サビーネの名代としてそれらを引き連れていたのだ。
そしてシャイド男爵をわざと緩慢に追尾にかかる。
「シャイド男爵の艦と距離を保ち、時折撃ちかけて下さい。しかし決して当ててはいけません」
もちろんシャイド男爵の側では驚き慌てる。
「な、何だ! リッテンハイム家の艦隊だと!? とにかく逃げなくては! 早くガイエスブルクへ」
艦隊戦の経験などないシャイド男爵は、相手艦隊の砲撃が意図的に外されていることなど分からない。必死で逃げ、いや意図的に逃げ切らせてガイエスブルク要塞に入らせた。
「要塞に向かって盛大に無駄な攻撃をするのです。その後、反撃を食らう前にすみやかに撤退して下さい」
艦隊指揮というほどのものではなく、そんな命令を下すだけなら経験のないヒルダでもできる。苦労といえば、相手のシャイド男爵がブラウンシュバイク公の縁者だと知る艦長たちが復讐を考えるのを抑え、命令を徹底させることくらいだ。
ガイエスブルク要塞の方では領民の叛乱にあった貴族が逃げてきたのだ。
それもブラウンシュバイク公の甥であるシャイド男爵である。これを保護するのは当然のことだ。
そしてヒルダと艦隊は退いた。目的は達成した。
「これでいいわ。あとはオーディンね」
ヒルダは艦の窓を通して漆黒を見る。
そこは虚無だ。
しかし本当にそうだろうか。
目に見えないだけで、宇宙は陰謀の糸が渦巻いている。
次回予告 第九十二話 籠の鳥
終結の時が