疲れも知らず   作:おゆ

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第九十三話 488年 9月  発端

 

 

 オーディンではいよいよ離反していく貴族が顕在化してきた。ブラウンシュバイク派閥は本格的に空中分解していくのだ。

 

 そんな貴族たちは来たるラインハルトに媚びを売るため、実績を求めている。

 何かの設備を奪ったり、帝国軍施設の爆破を企むものもいる。パニックになった平民の暴動と一体になり治安などという言葉はあってなきが如しだ。

 

 当初、それらは散発的に起きていたため対応も容易であった。しかし、ついにその暴動が組織的になりそうな気配がある。

 なぜなら粛清寸前にまで追い詰められていた旧リッテンハイム派閥の貴族、そして要職を追われた文官貴族などが組む動きを見せてきたからである。

 

 おまけに暴動はとある有力貴族が旗印になる。

 それは武勇の名門トゥルナイゼン子爵家である。

 代々武官を輩出してきた家柄であり、帝国史に残る提督たちを輩出してきた実績を誇る。

 そしてオーディンの屋敷にも私兵を多く抱えている。平時なら無駄なほどの数を揃えているのだ。

 

 重要なことに、今の当主はその次男イザーク・フォン・トゥルナイゼンを軍幼年学校に入学させていた。その者は優秀な成績で卒業後、あろうことか反貴族の色彩が強いローエングラム元帥府に加わり将官にまでなってしまっている。当然ブラウンシュバイク家からは睨まれ、トゥルナイゼン子爵家は今や全ての官職を奪われている。

 だがそのことがかえって幸運に転じているのだ。

 

 ここオーディンで数少ないラインハルト元帥につてを持ちうる立場にいるからである。

 そのため、ブラウンシュバイク家から離反しようとする貴族たちに求心力を発揮しようとしていた。

 

 この動きに対し、アンスバッハはむろん警戒を怠らない。ある程度の軍事的行動すらやむなしと覚悟した。これがうまくいけば一罰百戒だが、下手をすれば大騒動になる。トゥルナイゼン子爵家に対し懐柔で済ましたい。細心の注意を払って接近し、交渉可能にまで持っていく。

 この一連のことでまたしてもアンスバッハの手腕が発揮されている。

 

 その後のことをアンスバッハは同僚のシュトライトに任せようとしたが、今度は不思議なことにシュトライトの態度が煮え切らない。元々能力も高く、しかも誠実そのものの性格であるシュトライトが、まさにそれゆえにブラウンシュバイク体制の維持に積極性でない。「民衆の幸せを第一にしなければならない。文字通り第一に」それがシュトライトの信条である。

 それは美しいとアンスバッハも認めるが、騒動が大きくなればいずれ罪もない民衆が苦しむことになる。それをどう考えているか問いたい。

 ともあれ、いっそうアンスバッハに負荷がかかり、このトゥルナイゼン子爵家の問題もアンスバッハが最後まで片付ける他はない。

 

 

 これほど重要かつ緊急の仕事をしていたため、ブラウンシュバイク公と顔を合わせる機会がしばらく減ってしまったのは仕方がないことだ。

 だが、結果的には取り返しのつかない大きな失策となって跳ね返ってきた。

 アンスバッハはそれを直ぐに思い知る。

 

 いきなりブラウンシュバイク公が呼びつけ、言いだした。

 

「アンスバッハ、面倒なことはもうよい! 儂はガイエスブルクに行く!」

「な、なんということを! 閣下……」

 

 アンスバッハは絶句する。

 あらゆる意味でその選択肢はあり得ない。だがブラウンシュバイク公が大真面目でそう言う以上、慌てて反論する。

 

「失礼ながら、お気を確かに。ここオーディンを捨て、軍事要塞に籠るなど愚の骨頂ではありませんか。…… ああなるほど、気付くのが遅くなりましたが、今確信しました。流れていた数々の噂も一本の線につながります。それはこちらをオーディンから誘い出そうとする向こうの謀略だったのです!」

 

 さすがにアンスバッハは理解した!

 

 ラインハルト側はオーディン攻略の困難さを重々承知、ならばブラウンシュバイク公をオーディンから宇宙に誘い出して始末しようと考えたのだろう。先にヒルデスハイム伯爵らがガイエスブルクに辿り着けたこと自体がよくよく考えれば不自然なことである。しかし謀略と仮定すると納得がいく。

 

 やっと治まる目途が立ったトゥルナイゼン子爵家の怪しい動きも謀略の一つだったのではないか。もしかするとシュトライトにも既に手が伸びていたのかもしれない。

 

 そして今、看破するだけではいけない。

 謀略ならば阻止しないと負けるに決まっている。

 

「アンスバッハ、儂は行くと決めのだ! さすればもう孺子の艦隊に怯えなくて済む。少なくとも殺されることはない」

 

 迫りくるラインハルト側艦隊への恐怖がここまで醸成されていたとは。

 しかしここをなんとか抑えなければ万事休すだ。

 

「いかにガイエスブルク要塞といえど純軍事的な勝負などもっての他です! それこそ向こうの思う壺、翻意頂けねば困ります。オーディンを押さえているから向こうも手出しできないのです。オーディンこそ人口、文化、生産、権威の全てであり、死守すれば逆転の芽も出てきましょう。要塞なんかにいては先細りするだけ、何もできません」

「アンスバッハ、孺子が来てからでは遅いわ! 孺子は儂を空爆でどこまでも追い回し、高笑いしながらなぶり殺しにするに決まっている」

「そんなことは絶対にありません、閣下」

「いや、それこそ儂は何もできず無様に逃げ惑い、焼かれるのを待つばかりではないか!」

 

 ブラウンシュバイク公はガイエスブルク要塞に行くといってきかない。

 

 アンスバッハの考えではラインハルトがオーディンを破壊することは絶対にない。それを前提にして物事を組み立て、それで持久戦や地上戦を想定している。向こうがどうやってもこちらを早期に打倒できない以上、政略戦で勝ち目があると算段している。

 しかしブラウンシュバイク公はそう思っていない。自分が向こうの立場ならばオーディンの半分を殺しても玉座を手に入れるだろう。平民なら全員殺しても構わない。空爆でも禁忌の核攻撃でもためらうことなどない。

 自分をベースに思考する以上、相手もまたそうだろうと思ってしまう。それが人間だ。

 

 アンスバッハが理詰めで説得するのはもう無理だ。

 日頃の考え方がアンスバッハとブラウンシュバイク公、二人の決定的差なのである。

 

 

 

 実はそういうこともエルフリーデは見切っている。

 ブラウンシュバイク公の側近にも頭の切れる者はいるだろう。そういった者が誘い出しに気付き、謀略阻止に動くくらいのことは予測の範囲内だ。

 それでもブラウンシュバイク公は必ずや誘いに乗る。

 

 謀略の戦いは、やはりエルフリーデの勝利に終わる。

 

 結局、ブラウンシュバイク公はアンスバッハの反対を押し切る。

 ほとんどの貴族をオーディンへ置き去りにするつもりだ。疑心暗鬼に駆られてどんな身近な貴族でも怪しい者は切り捨てる。裏切って自分の首をラインハルトへの手土産にされたら話にならない。

 むろんアンスバッハは連れて行く。それだけは別であり、唯一の頼りなのだから。

 

 連れていくべき者はもう一人いる。

 今後どういう情勢になろうとも、必ず必要になる者だ。

 

 

 銀河帝国皇帝アマーリエである。

 

 正統性を主張するためには不可欠であり、また帝国軍への命令権という意味でも絶対に必要なのである。

 また、ラインハルトが全く新しい国を一から作るというのも考えにくい。それなら、ラインハルトが銀河帝国を受け継ぐにはアマーリエからの禅譲という形式が必要となる。

 とにかくアマーリエの確保が重要なのだ。

 

 ところがここで驚くべき事態となる。

 

「妾はここオーディンを動きません。ガイエスブルクに行くというなら一人で行ってらっしゃいな」

「何! ふざけるなアマーリエ、お前が旗印になって儂と一緒にいなければ、いつ賊にされるか分かったものではないわ。ついて来い!」

 

 当たり前のようにブラウンシュバイク公が皇帝アマーリエに同行を命じたが、意外なことに真っ向から拒否されてしまった!

 

「もう一度言います。ここを動きません。どうせあなたはあなたに相応しいろくでもない末路を辿るのでしょう。要塞に行っても同じことです。ならばオーディンにいた方がまだマシというものでしょう」

「儂が連れて行くといったら連れて行く、分からんかアマーリエ!」

「どうしてもというなら、銀河帝国皇帝としての実力で拒否します」

「何……」

 

 これにはブラウンシュバイクも絶句する。梃子でも動かない気であることがわかったからだ。

 

「何が実力だ! アマーリエ。よくもそんなことを。儂がお前を皇帝に立てたから皇帝になっただけではないか。ここで儂の思い通りにならないことなど何もない」

「もう夫とは思いません。最後まで自分のことしか考えず、他人はどうでもいいと思っているんですのね。妾も娘も利用する道具にされ、いつ使い捨てられることか」

「うるさい! 儂に逆らうことなど許さん!」

 

 ブラウンシュバイクは顔を赤くして怒鳴りつけるだけだ。

 

 逆にアマーリエは静かに刺すように答える。瞳に深い怒りを湛えている。

 なぜこれほどまで強硬にアマーリエはブラウンシュバイク公に逆らうのだろうか。

 それは単なるわがままではなかった。

 

 

 そうなるべき深い理由があったのだ。

 

「だったら聞きます。甥のフレーゲルはどうしました? あんなに可愛がっていたようなのは、見せかけだったのですか!」

 

 むろんフレーゲルはブラウンシュバイクの側の親戚だ。アマーリエとはあまり関係がない。

 しかしフレーゲルは偏った考えながらルドルフ大帝を非常に崇拝し、その理念に心底共鳴していた。当然、その子孫である帝室を敬う心を持っていた。

 そのためブラウンシュバイクの腰巾着でありながらアマーリエにも丁重に礼を尽くしていたのだ。

 

「皇女叔母様」とても語呂の悪い言い方であったが、フレーゲルは敬意を込めてアマーリエのことをそう呼んでいた。そしてお土産品を持ってきたり、誕生日には豪勢な祝会を企画したりしてアマーリエを喜ばせたものだ。

 フレーゲルにはそんな純粋な一面があった。

 そういうフレーゲルであるからアマーリエはたいそう可愛がっていた。

 

「本当に痛ましい。フレーゲルはとても大事な甥でした。軍人だから死ぬことがあり得るとはいえ、フレーゲルは最後まで忠義を尽くし、我が家のために勇ましく戦って死んだのです」

「何を……」

 

「それなのに負けて死んだからどうでもいいのですか! もう役に立たないから忘れていいのですか! いくら頼んでもあなたはフレーゲルを国葬にしてやらず、いいえ、あなたという人は弔いにさえ来なかったではありませんか!」

 

 

 最後はアマーリエの叫び声だ。

 心からの悲痛を表している。

 

 

 しかしブラウンシュバイクは反省どころかたじろぐこともない。自分の考えしか心に入れる余地がないのだ。その鈍重な感性は心からの嘆きや訴えですら簡単に遮断し、胸に響かせることはない。

 

 もはや問答無用、どうしてもアマーリエをガイエスブルク要塞に連れて行くため、前に出て掴みかかろうとしたブラウンシュバイクだが、視界の横から出てきた物体に驚いて歩みを止める。

 

 それは戦斧の刃だった。

 

 それも特別製の重量級のものと一目で分かる。

 威圧感は半端ではない。しかし一瞬前にはなかったはず。その戦斧が驚くべき速さで出現し、ブラウンシュバイクの目の前五十cmのところに静止している。

 

「何のマネだ!」

 

 そしてブラウンシュバイクが見る先にはあの装甲擲弾兵総監、オフレッサーの巨体があった。

 

「オフレッサー、この儂に何をするか!」

「皇帝陛下を守護奉る臣として当然のこと。このオフレッサー、アマーリエ陛下のため忠義を尽くし、手足となって働くのみ」

 

 

 ブラウンシュバイクは続けざまにうまくいかないことが重なり、怒りに目もくらむばかりだ。

 しかし何も言えない。もはやブラウンシュバイクは一歩も進めない。

 もしもオフレッサーが本気になればまばたきの間に挽肉にされるだけと分かっている。

 オフレッサーは忠義か同情かは判然としないが、とにかくアマーリエの側に付いてしまっている。ならばもちろん装甲擲弾兵たちも一緒だろう。

 

 ブラウンシュバイクは引き下がるしかなかった。

 夫婦の亀裂が長い時間をかけて進んでいた。修復不能に至るまで。よもやこんな時に問題になるとは。

 

 

 いったん退いたブラウンシュバイクだが、それでもアマーリエを置いていくつもりはない。

 

「おのれ、力づくでも連れていくぞ。儂に逆らうことはできんと教えてやる!」

 

 即座に兵を動員してノイエ・サンスーシーにけしかけた。もちろんアンスバッハに知られれば反対されるのは分かり切っているので、アンスバッハには別の方面への視察を命じて遠ざけておくくらいの頭は使った。

 

「ええい、こんな面倒なことになるとは。おそらく、アンスバッハの奴が装甲擲弾兵をノイエ・サンスーシーに招いたからだろう。余計なことをしおって!」

 

 そしてオーディンの動乱はここに一つの転機を迎える。

 

 よもや皇帝の玉座において白兵戦が展開されるとは、長い帝国の歴史でも例がない。

 その凄惨さは長く語り継がれることになる。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第九十四話 勇士と美姫

この勇者を見よ! そして泣け!


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