オフレッサーは下級貴族出身であり、その立身出世は驚くべきものだ。壮年と青年の中間の年齢でありながら帝国軍上級大将という帝国元帥のすぐ下の地位にまで昇っている。
むろん戦果もさることながら、そればかりの理由で出世したのではなく、帝国の気風というものが関係している。貴族の美学というものがたなびいている帝国軍にあっては、自分の肉体を使い、目の前の敵を恐れず立ち向かうということに高い価値が置かれている。
つまり、白兵戦こそ貴族の精神を最も体現するものだ。
その象徴としてオフレッサーは称賛され、順調に出世を遂げてきた。
その反面、上級大将らしい戦略眼も指揮能力も求められていない。そのことはオフレッサー自身も分かっている。
ただし勇者の筆頭として白兵戦では無敵であらねばならなかった。どんな戦いでも平然と挑まねばならない。どんな不利な状況になっても逃げることは許されない。その勇気と忠誠心のため、味方だけではなく敵である同盟軍兵士さえ多大な恐怖とともに賞賛もしている。
オフレッサーはそんな過酷な責務を見事果たし続けてこれた。
大きな体格と筋力がそれに大いに貢献している。しかも体格に見合わない俊敏さと身のこなしもあり、戦闘技術全般に秀でている。
かつて帝国軍でも白兵戦で勇名を馳せたリューネブルクなる者がいた。
確かに強く、武勲も華々しい。だがその者でさえオフレッサーとだけは競おうともしなかった。その嗅覚で、自分とオフレッサーの差は鍛錬や技術で乗り越えられる程度ではないと分かっていたからだ。猫がいかに鍛錬しようとも虎にはかなわない。
オフレッサーとはかように生まれながらの戦士である。
行動は粗野と言われ、オフレッサーは怖がられることも多い。事実多少はそういう面もあるが、見かけと大きな声によって過剰に判断されていることが多い。
加えていかにも数多くの人間を殺しまくったように言われているが、数だけで言うならそれは不当であり言いがかりに近い。なぜなら艦隊戦で失われる人命は何百万人にもなり白兵戦の比ではないではないか。一機の艦載機が一隻の巡航艦を斃せば、それで数百人殺してしまうではないか。しかも艦隊戦での緩慢な死の方がむしろ白兵戦の死より惨いものである。
しかし、オフレッサーは有言実行の武人、そんな反論をすることはない。
普通には煙たがられてもおかしくはないが、意外にも上流貴族や帝国軍中枢部との折り合いは悪くなかった。
それはオフレッサーに元帥や軍務尚書を狙う政治的野心がなく、そういう意味では安心感があった。
何よりもオフレッサーには帝室へ単純な忠誠心があった。
確かな忠誠心、それには理由がある。
華やかな上流社交界に対する憧れが妬みよりもはるかに優ったからだ。
それは自分が求めても得られない美や洗練の満ちる別世界だ。上級貴族の優雅な振る舞い、完璧なマナー、どれもこれもお伽話の世界に見える。戦場をさすらう自分からすれば天界の住人たちだ。
特に貴婦人の美には共にいるだけでいたたまれなくなり、自分を振り返って恥ずかしくなる。
そんなオフレッサーなのだから、貴族の頂点である帝室に憧れと忠誠を持つのは当たり前のことである。
その一点において、美に何も不自由したことがなく、当然気後れするはずもないラインハルトと決定的に異なる。むろん、ラインハルトの方が珍しい例なのだが。
むろん部下からは惧れと尊敬の両方を受けていた。
装甲擲弾兵は名誉の職である。
帝国軍内で尊敬され一目置かれている。もちろんそれと引き換えに過酷な戦闘と、それに備えるための厳しい訓練を強いられる。指揮官オフレッサーが充分な信頼を受けていなければ、そんな装甲擲弾兵をまとめることはできない。いかに白兵戦といえど個人技ばかりの世界ではなく、通常は集団戦である。オフレッサーは自分の目が届く範囲の指揮はできるし、部下がついてこなくては戦果を上げるはずもない。
そんなオフレッサーに先日、ブラウンシュバイク公側近アンスバッハから無憂宮への出動命令が出された。これは異例のことだ。無憂宮は銀河帝国皇帝の過ごすところ、普通ならば一握りの高官や側近、上流貴族やその子弟しか入ることができない。オフレッサーは望んでも叶えられない場所に行くことができるのだ。正に夢見心地で無憂宮に足を踏み入れた。
そして皇帝アマーリエの閲兵という名誉を受けた。
実のところ閲兵自体は初めてではない。フリードリヒ四世の時代にもあったのだが、それは正に一瞥というにふさわしい程度のものだった。
だがアマーリエは違った!
「兵士の皆、臣民にその勇姿を見せ、落ち着かせよ。その方らにはそれができる力があるのじゃ」
装甲擲弾兵たちの整列のわずか数メートルにまで近付き、直々に声を掛けた。
もしも裏切り者がいれば命のない距離だ。しかしアマーリエはそんなことを気にしない。
その態度と言葉に奮い立たぬ装甲擲弾兵などいるはずがない。当然オフレッサーは人一倍感激した。
「無用な混乱と不安におる臣民は可哀想じゃ。救わねばならぬ。妾の願いを聞いてくれるか。その方らの忠誠と働きを期待しておるぞ」
アマーリエはかつて社交界一の美姫と謳われた。
その圧倒的な美貌はいささかも衰えを見せていない。今、皇帝として身に付けている最上質のドレスもきらめく飾りも、アマーリエの美に勝つことができず脇役に甘んじている。
そういう見たことも想像したこともないレベルの美姫が無骨な装甲擲弾兵たちに願ったのだ。もちろん彼らの意気は天を突くばかりになる。
残念なことに、そこで一杯になってしまったオフレッサーは総監としての返答を忘れてしまった。
部下にせっつかれるまで無用な間が空いてしまい、思わずアマーリエもクスリとしてしまった。それもまた例えようもなく魅力的だ。
オフレッサーは心に誓う。
この皇帝アマーリエのため全力を尽くす。
もしもアマーリエが危機の際には、絶対に守る。どんな敵が相手でも、絶対に守り切ってやると。
そして今、ここ無憂宮が戦場になるとは。
オーディンを離れることを納得しないアマーリエに対し、ブラウンシュバイク公が兵を向けたからだ。
オフレッサーは予測したローエングラム元帥の軍ではなく、何とブラウンシュバイク公配下の帝国軍が敵になってしまったことに驚くが、誰が相手だろうと関係はなく、戦うだけだ。
出動する前にアマーリエに挨拶をしようとしたが、思いがけず通路で鉢合わせしてしまった。
わざわざアマーリエの方から出向いてきてくれたからだ。
「陛下、謹んで申し上げます。安んじてお待ちあれ。我ら装甲擲弾兵、必ずや陛下をお守り奉りますゆえ」
オフレッサーは跪いたまま言上する。
アマーリエから返答はない。白い顔をいっそう青白くして立ちすくんでいる。
オフレッサーは敵兵を恐れているのか、と考えた。それも当然だ。何と自分を目指し兵たちが来るのだ。しかも見通せるくらいの距離にまで。貴人にこんな事態は想像もできなかったことで、身に走る恐怖はいかばかりだろう。
「何の心配も無用に存じます、陛下」
アマーリエに気を遣い、その恐怖を解くために重ねて言葉を投げかけた。
だがアマーリエの心配はまるっきり別のことだった。
「妾のために戦うと申すか。ブラウンシュバイクの兵は多いじゃろう。戦えば死ぬやもしれん」
何とアマーリエは自分のことではなく装甲擲弾兵の身を心配していたのだ!
震える長い睫毛も、わずかにかすれる声も、その気持ちが本物であることを示している。
アマーリエの心配には理由があるのだ……
それははるか昔、その生い立ちから始まっている。
もちろんアマーリエは戦場など縁があるはずもない。しかし、宮廷というものはそれ以上に危険な場所なのである。
現にアマーリエの母も死んでいる。ある日突然倒れ、口のきけない危篤の中、最後までアマーリエを心配しながら死んだ。急病とされたがそれは絶対に嘘だ。急に倒れるまでは元気だったのに、たった一日で逝ってしまうものか。それは明らかに毒殺である。犯人は結局のところ分からずに終わっている。
当時寵姫に上がったばかりのベーネミュンデ侯爵夫人が妬んで事に及んだと思う人間は多かったが、確証はない。当時の寵姫は別に一人ではなかったからだ。宮廷は悪しき思惑が渦巻く伏魔殿である。こういう毒殺など宮廷では珍しいことではないという救いがたい事実がある。
この母の死で、アマーリエはその心に身近な人を失う恐怖を刻み込まれた。
それだけならまだしも、毒見役を兼ねていた乳母もまた失っている。
給仕や侍女を毒見役として別に立てたのでは買収される恐れがある。毒見役は最も近くにいる者が担うのだ。
そして失っていった乳母は一人二人ではない!
優しい乳母、アマーリエが懐いていつまでも共にと願った乳母が死んでいく。数年以上一緒にいられた者はいない。
「ずっと妾と一緒にいるのじゃ! 妾を一人にするな。約束じゃぞ!」
不安があるからこそ、そう言って泣きじゃくったこともある。
「はいはい、甘えん坊さん。私めでよければいつまでもアマーリエ様のお側におりますよ。いいえ、アマーリエ様が飽きてしまわれても側にいてやりますから。さあてどうしましょう」
そう言って明るく笑ってくれた乳母もいた。共にいると約束してくれた。
それなのに…… やがてアマーリエを残して逝ってしまうのだ。
乳母たちの記憶はいつも死に顔で終わる。
それがどんなにアマーリエの心を引き裂いても。
中でもアマーリエはゾンネという乳母に懐いたものである。それは特別だった。
「そちは母に似ておるの」
初めて会った時、アマーリエはそう言った。
「それは光栄ですこと。では母のように躾をしてもよろしいでしょうか、アマーリエ様」
ゾンネは茶目っ気たっぷりに返してころころ笑った。
そして母に似ているのは見かけだけではなく、アマーリエに心からの愛情を注いでくれたのである。ゾンネはよく微笑んでいた。「可愛いアマーリエ様」そう言いながら見せる柔らかな微笑みがアマーリエを包みこんだ。
アマーリエの方も幸せの中にいる。二人は仲良く押し花を作ったり、絵本を読んだりした。
その時も「楽しいな。二人は楽しいな、ゾンネ。ずっと一緒におろうな」と言っていたものだ。
だがゾンネを含め、乳母たちがした約束は本心ではない。
アマーリエを安心させてやるためだけの嘘だ。
あの国務尚書リヒテンラーデ侯といえども全ての謀略を砕くことはできない。すなわちその守りも絶対ではなく、アマーリエのもっとも身近にいる毒見役がずっと無事でいられるわけがない。成功すれば儲けものという毒殺の試みが絶えることはないのだ。
乳母たちは皆、アマーリエのためを思い、自分が身代わりとなって守るため覚悟を決めている。皇女の乳母たる者の務めだからだ。
「可愛いアマーリエ様。どうか、あなた様はご無事に。共にいられて幸せでした」
そして乳母たちは皆予定ともいえる死を受け入れて逝く。
その覚悟が、アマーリエに突き刺さる。
こうしてアマーリエは自分を守ろうとした人間が死んでいくのを目にすることになる。それも皆突然に。
「一緒にいると約束したではないか! そうであろう! 嘘を言うな!」
その度ごとに涙を枯らしてきた。心が壊れるほど痛いのに、まさにその分かち合う人間がもういない。
それは言うまでもなく、ゾンネの死に対しては狂乱というにふさわしいほどひどかった。
手から血を流してもなお死体を叩いている。
「妾が命じる、動け! 目を開けよ!」
無理やり引きはがされる。
死に顔には微笑みが消えておらず、それはせめてゾンネがアマーリエのために残したものだろうか。
「生き返って参れ! また二人で遊ぼう。ゾンネ、お願いじゃ」
鎮静剤を打たれてもなおアマーリエは叫ぶのをやめない。完全に意識を失うまで続いた。
「それなら、妾も連れて行ってくれ。もう一人は嫌なのじゃ。頼む、ゾンネ……」
誰かを失うごとにアマーリエは伏してベッドから起き上がれなくなったものだ。
それは、夢うつつの時だけが現実から逃れ、心が壊れないでいられる。夢の中でだけ会いたかった乳母に会える。
皇女に生まれた宿命、背負うにはあまりに悲しく重すぎた。
アマーリエの美しい顔は変わらない。しかし、その陰で心に負った傷がどれほど積み重なってきたことか。
長じては犯人を挙げることに血道を上げる。そのためなら皇女の絶大な権力を遠慮なく駆使する。使える者は憲兵や、社会秩序維持局のラングさえ使った。有能だからだ。
どれほどの過去に遡ろうと諦めず、細い筋道からでも犯人を突き止める。そしてもちろん容赦のない残忍な復讐をした。どんな下っ端で、端役に過ぎない者でも極刑以外にすることはない。
「後悔していると言うか。ならば自らの血と肉で贖え。弁明があるなら地獄で続きを申すのじゃな」
犯人がどれほど高位の貴族でも高貴な血筋であっても決して赦しを受け入れることはなかった。血筋や家柄を言うなら皇女アマーリエにかなう者などいない。命乞いの涙など踏みにじって処刑台に送る。
復讐の夜叉アマーリエと呼ばれることすらあった。
アマーリエの異母妹クリスティーネも同じような運命を背負ったが、こちらは少しばかり穏やかな人生を送ることが出来ている。アマーリエの方が勝ち気であったが、同時に鋭い感受性を持っていた分だけ心が水晶細工のように脆かった。
出会いの数だけ別れに別れを重ね、魂が壊れてしまっている。
そんな一面を知っていたからこそ、リヒテンラーデ侯はアマーリエらを立てることにためらいがあったのかもしれない。
アマーリエは既に傷つき過ぎていたのだ。
そして今、この無憂宮に兵が来る。
ここで再び自分を守るために死ぬ人間が出てしまうのか。アマーリエは取り乱さないのが精いっぱいだ。
そんなことは容認できないと心が泣いて、泣いて、叫んでいる。
「陛下、地上で戦う限り、我ら装甲擲弾兵は無敵ですぞ。敵を陛下のお側に決して近寄らせることはありません」
オフレッサーは更に頼もしい言葉を言った。しかし、アマーリエの顔は晴れない。
「いや、戦いが不利になれば傷つく前に降伏という手もあろう。しかも裏切ればブラウンシュバイクからの恩賞は思いのままぞ」
「さようなことは決して! このオフレッサー、先の言葉、嘘偽りは申しておりません!」
「済まん。妾の言い方が悪かった。忠義を疑ごうてはおらんぞ。そうではなく、ただ一つ分かってくれればよい。妾のためにそちが死ぬことなどあってはならんのじゃ!」
「陛下、陛下はその御身だけをお考え下さい。塵あくたに過ぎぬこの身にそのような気遣い頂くとは、なんと感謝申し上げれば」
オフレッサーは直接の返答を避けた。必ず戻るなどと軽く約束するのは武人のすべきことではない。アマーリエを守り切るつもりであるが、そのための戦いが決して簡単だと考えてもいない。
「なれば御厚情、この戦斧への力に変えて礼といたします」
皇帝の臣としての忠義、最強の装甲擲弾兵の誇り、そんなことのために戦うのではない。
ただ一人の戦士として立ち向かおう。
美姫アマーリエを守る。
それだけが理由でいい。迷う必要は微塵もない。命ある限り全力で戦うのだ。
今オフレッサーは戦場へと歩き出す。
おそらくこれが人生で最後の戦場になる。後悔などあるものか。
アマーリエはオフレッサーの背を見ながら、かつて自分を守って逝った、還らぬゾンネの姿を重ねる。
尚も呟き続けるのだった。
繰り返し、幾度も。
「無事に帰ってくるのじゃ、オフレッサー。頼む。無事に」
次回予告 第九十五話 ノイエ・サンスーシーの死闘
戦え! オフレッサー! 全てを背負い、今こそ美姫のため英雄となれ!