疲れも知らず   作:おゆ

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第九十五話 488年10月  ノイエ・サンスーシーの死闘

 

 

 一方、ブラウンシュバイクの兵たちは無憂宮に突入し、皇帝に向かうということに多大な惧れを感じる。

 想像もしなかった事態だからだ。

 おまけに兵たちは知っている。無憂宮には今、恐るべき装甲擲弾兵が詰めているのではないか。

 

 あのオフレッサー総監と装甲擲弾兵を相手に戦うなど自殺志願にしか思えない。戦意など最初からあるはずがなかった。

 それでもブラウンシュバイクの非情な命令によって兵たちはおずおずと進み出る。

 貴人が馬車でくぐるべき無憂宮の優美な門、そこを装甲服の兵たちが通り、庭園に足を踏み込む。

 

 だが、一瞬で命のない血塊に変えられた。

 

 門のすぐ後ろでオフレッサーが待ち構えていたのだ。オフレッサーとしてはアマーリエのいる無憂宮まで近寄らせることもしたくない。複雑な建物の中はなるほど防御には都合がいいかもしれないが、逆に討ち漏らしが出る可能性がある。一兵たりとも進ませてはならないのだ。

 ここで兵たちは一気に恐怖に染まる。

 足はすくみ震えがくるが、後ろから次々に背を押され、進む以外にない。しかし門から庭園に入った瞬間が絶命の時だ。

 

「儂の運動不足を心配して来てくれたというのか。では遠慮なく解消させてもらう!」

 

 突然オフレッサーの大音声が響いた。

 

「皇帝陛下の過ごされる無憂宮を何と心得る。不埒な行いを今すぐ悔いて帰るならばよし、でなければ体が二つになって帰ることもできんが、それでもよいか!」

 

 オフレッサーの言葉に一つも嘘がないことを誰もが知っている。兵の死体を見れば分かる通り、その戦斧によって本当に体を二つに分けられて転がっているのだ。まるで巨大工場の裁断機に誤って巻き込まれたような惨状である。

 普通ならば装甲服に刃物は通らない。

 叛徒のトマホークが当たると衝撃で骨が砕けるくらいはあるが、重要臓器までダメージが来ることは少ない。

 しかしオフレッサーの戦斧を受ければ別だ。服ごと体を叩き斬られる。オフレッサーの尋常でない力に合わせて刃こぼれしない強さ、折れない柄を持つ特別製の戦斧である。しかも普通のものより二回りも大きい。

 それが凄まじい力と風を切る速さを持って襲い掛かる。しかも二本同時だ。通常両手で扱う戦斧をオフレッサーだけは片手で易々と操る。

 

 かつて大帝ルドルフは艦隊を率いては陣頭で戦い、より若い時は白兵戦でも自ら打って出て刃を振るった。その姿に敵は怖気づき、味方はこれ以上なく奮い立った。鍛え上げた強い肉体とそれを危険に晒しても平然としている胆力、それこそ帝国を貫く貴族精神の根幹だ。それが民衆を熱狂させ帝国の礎を築いた。

 今、ノイエ・サンスーシーの誰の目にもそれが具体化して見えている。

 

 寄せてきた兵たちは気も狂わんばかりに泣く。そんな人外と戦って勝てるわけがない。味方であればこれ以上なく頼もしいが、戦うならば魔物としか思えない。

 その場に断末魔の悲鳴と戦斧の唸りが果てしなく交互に響く。

 命のかき消えていく二重奏だ。

 

 

 ようやく数だけを頼みにして庭園への突入を果たしたが、そこにも絶望の光景が広がっていた。

 銀河帝国で最も美しく高貴な場所、普段なら上流貴族たちが優雅に談笑するべき場所だ。寸分の狂いもなく整えられ、貴人を迎えては楽団の音楽と笑いさざめく声の満ちるところだ。

 

 それが今や簡易な要塞のようになっているではないか。

 

 相当な広さのある庭園にいくつも遮蔽物が急造されていた。簡単に無憂宮の建物へ近付けさせないためである。装甲擲弾兵たちは単に力が強い者が選ばれているのではなく、戦場の条件に合わせ、最適の陣地を短時間のうちに作り上げるという頭脳を持ち合わせている。

 しかも遮蔽物は強靭な即硬化材料を使って作り上げられていた。白兵戦に有利な遮蔽という意味だけではない。地中から建物への攻撃も防ぎ、何よりも車両さえ阻める。

 ブラウンシュバイク側には車両があり、その速さで一気に突入されたら危なかったが、それはもう不可能になった。

 

 攻める方はやはり数を頼みの白兵戦だ。

 広く、同時に多くの白兵戦が展開された。激戦に見えるがむろん圧倒的に装甲擲弾兵が強い。数の差を逆転し、装甲擲弾兵たちは有利に戦いを進めている。

 何よりオフレッサー総監が陣頭で戦っている。

 銀河帝国上級大将が戦斧を振るっている。その横で無様な戦いはできない。それにこの戦いは皇帝のまさに膝元で守護する正義の戦い、戦士としての最高の晴れ舞台だ。装甲擲弾兵たちに士気の上がらぬわけがない。

 

「オフレッサー総監閣下に続け! 我ら装甲擲弾兵、閣下に力は及ばずともせめて勇気で劣ってはならない!」

「勇気も儂に敵うものか。ヒヨッ子どもが。死なない程度に軽く戦っておけ」

 

 オフレッサーは指揮官としてあえて余裕を演じる必要もある。それ以上に部下たちに対して充分な愛情を持っていた。不器用な表現しかできないが、それは確かだ。

 もちろん、部下の方もそれは充分承知している。

 

 

 

 戦闘開始から一時間が経過した。

 

 もはや庭園には足の踏み場もないほど死体が積み重なる。しかしそれを越えて無憂宮の建物へ辿り着いた兵はいない。白兵戦における装甲擲弾兵の強さはやはり別格だ。どんな末端の装甲擲弾兵でも最初から怯んでいるブラウンシュバイクの兵など寄せ付けはしない。

 

 戦況を見るブラウンシュバイクは業を煮やし、重火器で吹っ飛ばしてやろうと考えたが思いとどまった。ゼッフル粒子発生装置が庭園のあちこちに転がっている。それだけなら敢えて砲撃を加え、敵味方ごと殲滅することも実行したに違いない。しかし、ゼッフル粒子発生装置は門から外にも広く飛ばされ、散布された粒子は意外なところにまで分布している。

 つまりどこからどう分布し、つながっているか分からない。

 ゼッフル粒子の爆発力は凄まじく、いったん発火すれば次々と伝わって誘爆する。つまり誘爆が線で結ばれて続くのだ。これではどこまで被害が及ぶか見当がつかない。

 

 しかしこのままでは戦いがどうにも進展しないのが分かる。素人目にも装甲擲弾兵が白兵戦で無類の強さを持つことがはっきり認められる。

 

「次々に行け! よいか、尻込みする者は分かっておろうな」

 

 そう言って兵をけしかけても戦局が好転する様子はなく、ブラウンシュバイクは焦り出す。

 

「おのれオフレッサーめ、奴には疲れるということがないのか。よし、白兵戦で奴を倒せんのならば無憂宮ごと空爆してやる! それなら白兵戦などどうでもよくなる。アマーリエをいぶり出してやるぞ!」

 

 実際は無憂宮の内部にはシェルターが備わっており、先のリヒテンラーデ侯暗殺以来大幅に強化されていた。通常の空爆で破壊されることはない。ただし空中から攻撃できるという脅しの意味もある。それに投石にとどめればゼッフル粒子に引火しないで済む。

 

 ブラウンシュバイクは試しに駆逐艦一隻を急行させた。

 ところが脅しにすらならなかった。無憂宮のどこに隠してあったのか、小型の強襲揚陸艇が発進し、たちどころに接舷したではないか。接着し、艦壁を溶かして乗り込まれる。この移乗攻撃を敢行したのはむろん帝国最強の装甲擲弾兵だ。通常の陸戦隊などとは格が違う。駆逐艦などものの数分で完全に制圧され、降下した。

 同時にこのことは落下傘降下によりノイエ・サンスーシーの建物へ直接取りつくことも不可能であることを示す。

 

「くそ、何か方法はないのか!」

 

 ブラウンシュバイクはそう息巻いてはみたものの、打つ手がない。もちろん多数の戦艦を動員し、宇宙から砲撃する手はある。それなら防御のしようもないだろう。

 だがそんな方法は現実的ではなく、無憂宮を程よく破壊などできるわけがない。しかも照準が正確とも限らず、おそらくかなりの広範囲に被害が及んでしまう。

 何よりそんな派手な方法を使ったのでは皇帝アマーリエを害することが満天下に知られてしまうではないか。自分が謀反人と誰の目にも明らかにされれば人心は完全に離れ、どうにもならなくなるだろう。それくらいは理解していた。

 

 

 だが、ついにブラウンシュバイクは禁断の方法を思いつく。

 他の人間の命など一欠片も考慮しないからこそやってのけられる方法だ。

 

 ボウガンを遠くから装甲擲弾兵へ向け雨あられと放たせたのだ。

 ただ射たのではない。

 何とこちら側の兵もまた戦っているところに射かけた。それは装甲擲弾兵を隠れさせず、釘付けにするための道具扱いだ。およそ考えられない非情さである。

 ボウガン自体は装甲擲弾兵の側も準備していたが、それはブラウンシュバイク側がグライダー兵などを使ってきた場合に備えてのことであり、応射はしない。そもそも数が違い過ぎて全く無駄だ。

 

 悲惨なのはブラウンシュバイクの兵たちである。

 理不尽にも装甲擲弾兵に斬られながら、自陣からの矢まで背中に突き立てられるのだ。こんなに哀れなことはない。

 

「やめてくれ! どうして、まだここにいるのに!」

 

 生きている人間が、それまでの人生など何も意味がなかったかのように動かぬ物体になってしまう。

 どれほど無念だろう。

 

 まるで虫けらだ。父として、息子として、あるいは兄として弟として生きてきた。家族や恋人、友人たちと昨日まで楽しく語り合っていたのだ。

 あっさり命と将来を奪われ、消えていくとは。

 

 射られるのは地獄、射る方もまた涙目と共に絶叫している。

 

 訓練を受けた兵士といえども味方を殺していくことに平気でいられるわけがない。

 今日の今日まで冗談を言いながらふざけあっていた僚友を自分が殺したのだ。

 僚友の名前や性格どころではなく、互いに家族の写真を見せ合い、妻や子供の数も年齢も、あるいは婚約者の名前も分かっているというのに。死ねば誰がどれだけ悲しみ泣き叫ぶか知っているというのに。

 

 それまでとは比較にならない速度で死体が量産されていく。庭園の敷石は血の色で余すところなく染められ、文字通りの血の池になる。

 

 ただし効果はあった。

 矢だけだったなら簡単に防がれただろうが、装甲擲弾兵といえど手は二本しかなく、敵兵と矢を同時に防ぐことはできない。装甲擲弾兵にも傷つき倒れるものが続出する。

 

 

 

 もちろん最大の障害物オフレッサーに集中して矢が降り注ぐ。

 

 オフレッサーの装甲は、その筋力に合わせてあらゆる強化を施された特別製だ。チタンセラミック多重装甲が厚く施され、戦斧の刃も強酸液もはねのける。結晶炭素の矢といえど貫通できない。

 ただし関節の可動部だけは別である。そこは強化繊維装甲でつながれているが、比較的脆弱だ。角度によっては矢が通ってしまう。

 オフレッサーはむろんそれを分かっていて留意していたが、戦斧を振るって戦いながらのことだ。ついに射抜かれた。

 

 だが痛みなどまるで感じないごとく動きが止まる様子はない。

 

「なんのこれしき。このオフレッサー、陛下への約束を必ず守り通す!」

 

 しかし、隙をついて二本目が刺さった。そしてそんな継ぎ目には動脈が近いのだ。激しく流れ出した血が装甲服の内側を流れゆく。

 戦いで動くごとに血しぶきとなって周囲に注がれる。

 

 

 それでも倒れない。

 それでも戦斧の威力にいささかの衰えもない。

 むしろその刃音は鋭くなったのではないか。美姫アマーリエを思う心が折れることなどあり得ない。

 一人でも二人でも、十人が相手でも、ものともせず戦い続ける。

 

 もはや兵たちの精神は限界に達した。

 人間が戦える相手ではない。恐怖により精神が崩壊し、逃げ始めると全員がどんな制止も聞かず逃げた。

 

「分かっておろうな。逃げたら家族共々皆殺しだ。妻も幼子も命はないものと思え!」

 

 人として言ってはならない非情な脅しだ。ブラウンシュバイクのそんな脅しによって兵は泣きながらも白兵戦を戦い、弓を射ていたが、もう正気を失っていれば意味がない。

 

 

 兵たちは逃亡し、戦いは終わった。

 悔しさに顔を真っ赤にしながら、ここに至ってブラウンシュバイクも無憂宮の制圧を断念せざるを得ない。もうアマーリエのことは諦めるのだ。

 

 四時間にも及ぶ戦闘の末、残されたのは五千もの死体だ。半分は戦斧、半分は矢で死んでいる。そのほとんどはブラウンシュバイクの兵である。二百人いた装甲擲弾兵は三十人ほどが失われ、百人は負傷している。

 凄惨な戦いだった。

 

 

 敵兵がどこにもいなくなったのを見て取ると、ようやくオフレッサーは戦斧を取り落とした。もはや握る力も残っていない。

 

 そして膝から崩れ落ちる。一瞬後、音を立てて地面に倒れ、そのまま横たわった。

 もう意識はない。

 いったいいつからだろう。それでも戦い続けていたのだ。

 

 美姫アマーリエを守り抜いた。

 これまでの生き様が、最後に大きな華となって報われた。

 

 自分のやってきたどんな戦いよりも満足だ。いや、この最後の戦いのために今までがあったのではないか。

 

 

 オフレッサーは今、一人の勇者として後悔のない戦いを終えた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第九十六話 微笑み

泣くなアマーリエ!


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