疲れも知らず   作:おゆ

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第九十六話 488年10月 微笑み

 

 

 戦いは終わったが、オフレッサーは意識を失い動けない。

 無憂宮の建物に急ぎ運び込まれ手当てを受ける。もちろん重傷だが、なんとか一命は取り留められた。

 

 半日後、再びオフレッサーは目を開けた。

 何かが見える。

 仮設寝台に横たわっていた自分だが、驚いたことに皇帝アマーリエの顔が間近にあった!

 

「よくぞ、ここまで忠義を尽くし、妾のため戦ってくれた。見事じゃ」

 

 アマーリエは今、伏し目になり、ようやくそれを言った。

 

 

 オフレッサーはその顔を見て気付くことがある。

 頬に涙の線が隠れようもなく通っているではないか。おそらく、床には雫が溜まっているのだろう。

 それだけでも驚きなのに、オフレッサーが意識のないうちに触れたのだろうか、その手にも袖にも血が付いている。

 しなやかな手も、高貴な衣装も血で汚すことを何もためらわなかったのだ。

 

 

「皇帝陛下! なんともったいない、そのお姿は」

「オフレッサー、見事じゃった。よく約束を守ってくれた。妾にはせめて戦いぶりを見てやる義務があったものを、途中から見ておれなんだ。悪い皇帝じゃ」

「そんな、過分のお言葉にございます、皇帝陛下。装甲擲弾兵総監として陛下を護り奉ったまでのこと。臣下として当然のことをしただけにありますれば」

「済まぬオフレッサー。本当に済まなんだ。その方が傷つくことはなかったのじゃ。全ては妾の我儘から出たこと。妾がブラウンシュバイクめに最初から従い、白旗を上げておればこんなことにはならぬのに」

 

 オフレッサーは自分の体の痛みにもかまわず、多数の兵に屈することもなく、戦い抜いた。それは口先で何とでも言えるような浅い忠義ではない。

 そしてその忠義はただ一人、皇帝アマーリエに向けられたものだ。

 

 しかしアマーリエからすれば自分のせいでオフレッサーが傷ついた。それも事実であり、詫びるしかない。

 

「いえ、臣のこんな傷など陛下が心配あそばすに及びません! 陛下は陛下のお考えで動けばよろしいのです」

「その結果がそちの命も危うい重傷か? オフレッサー、妾のつまらない意地のためにそちが傷ついた。これほどまでに、深い傷を」

「とんでもない! 陛下に従うのが世の道理。陛下の意に沿わぬことがあってはなりません。今回武力をもって寄せてきたのはブラウンシュバイク公の方、どちらに非があるかは明らか!」

 

 だがオフレッサーはそれが当然と言う。アマーリエのために戦ったのだ。自分の傷に構わず、勝利を喜び笑ってほしい。

 

「皇帝陛下、美しいお顔を曇らせなさいますな。敵は逃げ去り、オフレッサーはこの通り生きております。陛下が気に病むことは何もございません。笑って下さいませ。それが下賤なる者のわずかな望みでございます」

 

 普段なら言えるはずがない。この時だからこそ言える願いをオフレッサーは言った。

 

 

 アマーリエは思い出す。かつて似たようなことを言われたことがある。「可愛いアマーリエ様、いつも笑ったお顔をお見せ下さいませ。このゾンネが心配の虫を退治してあげますから」

 

 もう一度泣いてしまう。

 アマーリエはオフレッサーの無私の心と自分に対する忠義に触れた。アマーリエへの深い思いやりが感じられる。

 その真心が、とてもとても暖かい。

 

「護ってくれて礼を言う、オフレッサー。いいえ、礼を言わせて下さい。ありがとうオフレッサー。どう償いをすればいいのか」

 

 アマーリエは深く膝を折った。

 その仕草は銀河帝国皇帝のものではなく、一人の女だ。

 再びその両手を伸ばす。仮設寝台から起きられないオフレッサーの左腕と肩に優しく添える。

 ふいに全ての指を握り込んだ。

 

「ありがとう。そしてよく生きて戻ってくれました。よく一人にしないでくれました」

 

 ついでアマーリエは顔を伏し、額をオフレッサーの腕に押し当てた。

 

「この先もずっとずっと、一人にしないと、今度はその約束を」

 

 美しい皇帝が号泣している。

 その涙は、これまで水晶細工の心に重ねられた傷の代価を払い、癒やすものなのだろうか。

 

 自分に縋って泣く美姫に、オフレッサーは今度こそ本当にどうしていいか分からなくなってしまった。

 

 

 

 

 一方、ブラウンシュバイク公は間もなくガイエスブルクへ逃げ去った。

 

 どんなに卑怯と言われても、身の安全を図ったのだ。もちろん迫りくるラインハルトへの恐怖のためである。おまけに無優宮においてアマーリエに敗北したのも大きい。アマーリエはその後何も言ってこなかったが、その不気味さは逆襲を図っているようにも見えたからだ。もうオーディンは安住の地ではない。

 

 当然のごとく、付き添うアンスバッハは溜息をつく。こうなるだろうことは薄々感じていた。自分の優れた方策は何の意味もなく、ブラウンシュバイク公の精神的弱さを突かれただけで瓦解するのだ。

 どうせガイエスブルクに行ったところで延命にしかならない。かえって何の政略も打てず、逆転の目を完全に断たれてしまった。

 

 

 そしてブラウンシュバイク公が何もかも放り投げて去ったオーディンが混乱に陥るのは当たり前である。ブラウンシュバイク公とその側近、つまり統治機構の最上部が突如崩壊したのだから。残された官僚や下級貴族は右往左往するばかりである。

 

 そこへエルフリーデが降り立つ。ブラウンシュバイク公の逃亡、つまり謀略の成功を確認すると、混乱を素早く鎮めなくてはならない。

 その手始めは皇帝アマーリエと折衝していくつかの取り決めを交わすことである。

 

 意外なことに折衝はスムースにいった。

 

 アマーリエにとってお飾りの皇帝という立場などもうたくさんだ。かといって自分が帝国皇帝らしく全てを考え、全てを決め、権力を行使するのも重荷に過ぎる。自分のことばかりではなく帝国臣民のことを思う気持ちがあるからこそ悩んでしまうのだ。

 もう皇帝位はできれば他の人間に譲りたいとまで思っていたのが本当だ。

 

「アマーリエ陛下、一時の混乱はあれど、銀河帝国をしっかりと立て直さねばなりません。それが我が叔父リヒテンラーデ侯の終生の願いでもありますれば」

「そう、確かにリヒテンラーデ侯は帝国のために力を尽くしてくれておった」

 

「申し上げにくいことなれど、そこでリッテンハイム家の遺児サビーネ様に皇帝位の禅譲をお願い申し上げます。サビーネ様はゴールデンバウム王朝の血をひく御方、官僚も貴族たちも納得いたします。そして何よりローエングラム元帥との宥和が成し遂げられましょう。最初から密約で結ばれていたのですから」

 

 ここではっきりとエルフリーデは皇帝位を譲ることを求めた。

 それは決して勝者が脅すということではなく、誰にも幸せをもたらすものとして伝えるのだ。

 

「そうなれば陛下、帝国は揺るぎないものになります。そしてローエングラム元帥の軍事力によって叛徒を抑え、またフェザーンとの協調も同時に達成できるのです。帝国の心配ごとは全て消え去り、このオーディンも以前にも勝る繁栄が約束されるでしょう」

 

 おそらくエルフリーデの言う通りなのだ。それが一番なのだろう。ただしアマーリエにとっては自分が役に立たなかったことを突き付けられるのと同義である。

 だが、それだからこそ、最後はきっちり皇帝らしいことをしなければならない。

 

「よい、わかった。妾にも夫のやりようは苛烈であり臣民が動揺しておることは分かっておった。むしろ今まで目をそむけ、責任をから逃げておった。何としたことよの。本当に皆には済まんと思うておる。そんな妾に皇帝の器はない。むろん退位はかまわぬ」

 

 

 この言葉を引き出し、エルフリーデは安堵する。

 アマーリエは善良な人間であり、権力の亡者などではなかった。最悪の場合も想定していたが全く無用に済みそうだ。

 

「その賢明なご判断、さすがに陛下です。今後、アマーリエ陛下には安寧な生活を営んで頂きながら、帝国の興隆をご覧頂きますよう」

「そうじゃの。姪のサビーネがこれからどう帝国を導くのか、見守ろう。できれば万民を幸せにしてもらいたい」

「ありがとうございます、陛下」

「しかし少なくとも妾と娘は手が届く範囲で幸せがあれば充分じゃ。それが人にとって一番のこと。無駄な財貨も虚飾もいらぬ」

 

 それは熾烈な宮廷闘争の中を皇女として育ち、そして皇帝になった者が言う重い言葉だ。

 人の幸せとは何だろう。

 

 

 そしてアマーリエは何気なく言葉を付け足した。

 

「従者も多くは必要ない。妾の近衛としてオフレッサーがおればよい」

 

 そこまで多くの事情を知らないエルフリーデはむろん肯定する。

 装甲擲弾兵の武勇は聞いている。近衛としても妥当だ。

 

 会談の最後の最後、アマーリエは努めて棘の無い声で軽く言った。

 

「そうじゃ、エルフリーデとやら、一つ頼みがある。なに、ちょっとしたことじゃが是非聞いてもらいたい」

「何なりと、陛下」

「あのオットー・フォン・ブラウンシュバイクを、きっと殺せ」

 

 夫婦の業というものを思い知り絶句する。

 さすがのエルフリーデも背筋が凍った。

 

 

 

 そしてこれ以降、元銀河帝国皇帝アマーリエとその娘は歴史の舞台から姿を消す。

 装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将の行方も同様だった。

 オフレッサーの武勇を惜しむ声も決して少なくなかったが、本人の希望もあってのことだと説明された。

 

 政治的反動分子からのテロを防ぐため移住先の惑星は固く秘匿され、ついに歴史書にも名が書かれることはなかった。あのエルフリーデが万全を期したのだから当然かもしれない。

 それは旧ブラウンシュバイク領の惑星とも噂された。あるいはかえって遠くを選びフェザーン近くの惑星であるとも言われた。また、名を変えオーディンのどこかに住んでいたと主張する者もいる。そのいずれも根拠がない。

 

 ただしアマーリエは死んだり害されることはなく、そのまま長く生きた。

 

 しかも、ついに幸せを掴み取ったのだ。

 

 それだけは確実視されている。全てを取り計らったエルフリーデが事あるごとにそう語っていたからだ。

 

 

 かつてアマーリエはどんなに願っても乳母たちに一人置いていかれた。

 しかし今、ようやくその呪縛から解き放たれる。その痛みを忘れていい時がやってきたのだ。

 

 ゾンネの記憶もまた長きに渡ってアマーリエの苦しみだった。

 やっと今、あの柔らかな微笑みと共に思い起こせるように変わった。それこそが乳母ゾンネが望んでいたことではなかったか。自分についての記憶が苦しみになることなどゾンネは決して望まず、アマーリエの幸せだけを願っていたのだから。

 

 微笑もう。

 これからはそれができる。

 

 アマーリエには今、どこまでも一緒に生きると約束してくれる勇者がいる。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第九十七話 二匹目のドジョウ

エカテリーナ、動く! そして歴史は再び回り出す
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