疲れも知らず   作:おゆ

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第九十七話 488年11月 二匹目のドジョウ

 

 

 ブラウンシュバイク公は途中妨害を受けることなくガイエスブルク要塞に到着する。

 

 ヒルダとしては無理に攻撃したり待ち伏せることも必要ない。むしろ要塞に辿り着いてもらわねば困る。

 そこから先は簡単だからだ。

 ヒルダはガイエスブルクへ既に工作員を入れてある。そしていつでも破壊工作ができるように仕組んであったのである。

 

 それをさせるのにうってつけの人物がいた。

 先にフェザーンに逃亡してきたシューマッハ大佐と部下たちだ。

 

 

 シューマッハ大佐はあのフレーゲル男爵の惨めな死に立ち会ってる。いや、それどころか実行犯になってしまった部下たちを逮捕もせず庇い、一緒に逃げる道を選んでいたのだ。

 もちろん部下共々帝国のどこにも居場所はない。こうなればフェザーンを経由して亡命し、どこかの開拓惑星にでも行って地道に生きるしかないと決めていた。

 

 しかしそれさえも簡単ではなかった。

 以前とは異なり、近頃は亡命も簡単に受け入れてもらえないからである。結果、先行きのないままフェザーンに留まらざるを得なかった。

 

 

 

 人格が清廉であり、かつ実力もある者として密かにリストに入れている。

 そんなシューマッハ大佐本人との交渉については、ヒルダらはフェザーンに委ねて出立している。というわけで具体的にはルパート・ケッセルリンクが担当した。

 ルパートはダイナミックな戦略と凄みにおいて父アドリアン・ルビンスキーに及ばないのを自分でよく分かっている。しかも発想力は妹エカテリーナに劣る。そこでルパートは自分の貢献できる分野で補佐に徹しようとしている。

 

 ルパートの強みとは、何の策でも実行するにあたって不可決になる交渉力だ。これが無ければ物事は進められない。

 いかに理屈上は誰もが利益を得る話し合いであっても、ちょっとした行き違いで話が壊れることはいくらでもある。話をいつでも確実にまとめ上げるには思った以上の技術が必要なのだ。

 それを持ち合わせている数少ない人物がルパートだ。

 

 今、嫌々ではなく積極的な協力をレオポルド・シューマッハ大佐から引き出す必要がある。

 

「シューマッハ大佐、フェザーンに来た顛末は調査させて頂きました。災難でしたな。下の者の命など考えない主君に仕えるとは、なかなか大変だったでしょう。同情を禁じえません」

「挨拶は立派で痛み入るが、フェザーンは何を考えている? 同情などしてくれなくていい。早く部下たちに安寧な暮らしを約束してほしいものだ。いくら貧しい惑星でも構わない。辺境の開拓惑星にでも送ってくれ。そこで働き、ささやかに暮らしたい」

 

 シューマッハ大佐にも猜疑心がある。なぜフェザーンの補佐官がわざわざ出向いているのだ。逮捕するつもりなら別の者がくるだろう。

 

「亡命というご希望に沿いたいのは山々です。しかし、やったことの巨大さを考えますと、それもちょっと。何しろ銀河帝国を実質支配しているブラウンシュバイク家の中枢であったフレーゲル男爵を斃した実行犯まで含むとなれば、これは重大なこと。ご希望に沿うことは政治的に難しいことをご理解頂きたい」

「それでは直ちに帝国へ引き渡したらどうだ。それをせず、こうして話を始めるとは素直ではない意図を感じる」

「なかなか大佐は頭が切れる方のようです。喜ばしい。私の話は簡単、ただし前提があります。率直にお聞きしますが、亡きフレーゲル男爵への忠誠心の泉はどれほど保たれていますかな。もちろん出頭せず逃亡していることから類推はできますが、長いことブラウンシュバイク私領艦隊におり、大佐まで出世しているのも事実、是非お答え頂きたい」

 

「それを聞く意図が不明な以上、無いとも有るとも答えられんと言っておく」

「結構。今のは思慮の深さを試すテストのようなものです。もちろん、もう忠誠がないのは分かっていますから」

 

 それはルパートの嘘だった。まだ忠誠があると答えられたら困ったことになる。もちろんルパートはおくびにも出さない。

 こうやって冗長に見えるほど話を重ねていくのにも目的がある。

 自然と相手は舞台に乗り、術中に引き込まれてしまう。これが交渉というものである。

 

 

「簡単に言ってくれ。フェザーンは我らに何を望んでいる?」

 

 シューマッハの精一杯の強がりだ。

 何も持たず、ただ逃げてきたシューマッハらには選択権がない。帝国に引き渡されたらそれでお終いであり、そうでないとしても、フェザーンの助力がなければ生活の拠点を確保できない。

 

「シューマッハ大佐、順番を変えて話すなら、今回やってもらいたい仕事の報酬を先に申し上げましょう。もちろん仕事は一回限りで充分です。その報酬とは確実に亡命の手筈を整えて差し上げることです。しかも部下全員と共にご希望の開拓惑星に行けるようにします。やや貧乏ではあっても、過酷な所ではないようなところへ。それに開拓に必要な設備も言ってくれるだけお付けましょう。もう一つ、誰も足跡を追えないような措置もつけて差し上げます。ご希望に対し十二分に応えられると思いますが」

「希望が分かっていたような報酬だな。至れり尽くせりだ」

 

 これにシューマッハは乗る。いや、乗らざるを得ない。

 フェザーン側に感謝すべきだ。何から何まで考えてくれた提案であり、これで部下たちは安心した暮らしができる。

 

「了承した。それで、結局何を」

「端的に言えばブラウンシュバイク公に引導を渡して頂きたい。いかがです」

 

 これには大いに驚いた!

 なるほど、ブラウンシュバイク公に欠片でも忠誠心があればできるはずがない仕事だ。しかし実際の所ためらう心などどこにも存在しない。

 

「分かった。引き受けよう。ただし、それが終わればもう軍人の仕事などたくさんだ」

 

 

 

 シューマッハらはフェザーンの指示通りの行動を開始した。ガイエスブルクにうまく潜入する。

 

 平時のガイエスブルクならそんなことはできるはずがない。いくら何万人もの兵士が詰めているとしても、帝国軍兵士は名と所属をはっきり管理されている。行動範囲も定められている。それを超えたら直ちに不審行動として拘束されてしまう。

 いくらフェザーン特製の偽造IDでも無駄だろう。その厳しさについては、もともとスパイの対策ということではない。宇宙での戦いの特性のためだ。行方不明と戦死の区別がどうしても判別しにくい宇宙では、兵の居場所が重要であり、その把握をしっかりやっておかなくてはならないからだ。

 

 ただし今、ガイエスブルク要塞はごった返している。

 シャイド男爵のことを聞きつけた近隣の貴族がブラウンシュバイク公と同じようなことを考え、安全を求めて続々とガイエスブルクに詰め掛けてきていた。貴族たちは勝手に庇護を求めてやってくる。もちろん従者や護衛の私兵団までも連れてくるのだ。

 それをガイエスブルクの方ではむげに拒否もできない。内乱時の貴族保護もまた帝国軍の任務の一環である。

 そしてガイエスブルクに入った貴族たちは勝手気ままに動こうとするのだ。あえてそうするのではなく、貴族らしい行動を変えなければそうなる。行動制限もID確認も貴族にとっては面倒なことに過ぎず、あっという間に骨抜きにされてしまう。

 通常は帝国軍兵しかいないガイエスブルク要塞がこんな有様になってしまえば隠密行動することも容易いことだ。

 

 シューマッハと部下たちは架空の輸送部隊を装って乗り込めば、あとはどうとでもなる。

 そしてやるべき仕事は暗殺などではない。さすがにそれなら難しいだろう。やるべき仕事はもっと簡単なこと、内部からちょっとした工作するだけでいいのだ。

 ガイエスブルクの主砲ガイエスハーケンの回路に仕掛けをする。いつでもそれを使用不能にできるように。

 

 

 

 

 その頃、フェザーンのエカテリーナは別のことにかかりっきりになっている。

 

「ヒルダたちはブラウンシュバイク公の打倒に勤しんでいるわね。それしかラインハルト様と対等に交渉する方法がないのだから仕方ないけど、そんなに単純かしら。成果を上げてもそれでラインハルト様が引っ込み、帝国宰相くらいの地位で満足するなんて。そしてサビーネ様を皇帝に立てて、それに従うって」

 

 あり得ない。

 それは甘い予想だと直感が言っている。

 

 ヒルダらと違い、エカテリーナはラインハルトの幼年学校時代をよく知っているのだ。ラインハルトの覇気の強さを誰よりも感じている。

 だったら決まっている。

 ラインハルトはおそらく帝国宰相くらいで満足しないだろう。宇宙を全て握り、君臨するまで歩みを止めることはないに違いない。強すぎる覇気はそれ以外の道を許さない。

 

「この情勢の中でできるだけのことをするしかないわね。ラインハルト様に媚びを売っても一時しのぎにしかならず、フェザーンは必ず狙われる。フェザーンの独立は風前の灯というべきだわ」

 

 ここまで考えている。

 そして、今までのやり方は通用しない。帝国と同盟の軍事的バランスを保たせ、その均衡のもとにフェザーンを窺うゆとりを持たせない、そんなことはもうできない。

 自由惑星同盟はアムリッツァの敗戦によって弱り過ぎた。再建はまだまだ先の話だ。

 そしてラインハルトが悠長にそれを待つはずがない。この隙に同盟へ致命傷を与えようと行動を起こすだろう。

 

 エカテリーナは心情的にむしろラインハルトらに好感を持っている。

 その性格も分かっている。辛辣さもあるが、基本的には純粋で、良きところも多いのだ。やろうとしている宇宙の覇権争いも小気味いい。

 ただし、エカテリーナとしてはフェザーンの発展を第一に考える必要がある。

 

 

 

 先にミュラーを得たのは大いに喜ばしい。これでフェザーン艦隊の体裁が多少は整う。しかし、欲を言えばまだ足らない。もっともっと艦隊という実力が欲しい。

 

 それについて、エカテリーナは既にヒルダに相談していた。

 

「この先、情勢がどうなるにせよ充分に抵抗できる戦力を持つしか、フェザーンが生き残る術はないわ。戦力がなければ受動的な立場にしかならない。そうではなく自分の足で立ちたいわ。でも、フェザーンの財力をもってしても艦はともかく人が足らない。特に指揮官が足らなくて戦力たりえない。ヒルダ、あなたに聞きたいのはそのことよ」

 

 ヒルダは少し考え、エカテリーナの意に沿う方法を明確に示す。

 

「それなら、二匹目のドジョウ狙いでいけるでしょうね。エカテリン」

 

 この意味をエカテリーナは即座に理解した。

 状況は以前のカストロプ動乱の時と同じだ。あの時も艦隊指揮官を工面することが必要で、帝国内の捕虜収容所を襲うという奇策をヒルダは用いている。その結果、なんとかアーサー・リンチ少将を強奪できたのだ。そしてカストロプ艦隊はその指揮によって思いもよらず善戦している。

 

 そして今言うのは、またしても帝国内の捕虜を強奪することだ。

 

「なるほどそうね、ヒルダ。それもできるわね」

「エカテリン、この方法は三度は絶対できない。でも二度はできる。一度目よりもっと簡単だと保証するわ」

 

 通常なら同じ泥棒など二度目はうまくいかないと考える。

 先のカストロプ動乱での失態があり、もちろん帝国軍は捕虜収容所の警備を厳重にしていた。しかし、逆にそう考えるからこそもう襲撃など企むものはいないと油断してしまうものである。

 

 心理の裏をとる作戦だ。さすがに戦略家ヒルダである。

 

 今度はフェザーン艦が帝国の捕虜収容所へ一気に襲撃をかける。

 具体的な策を練り、躊躇なく実行する。

 強奪というようなこっそりしたものではなく、もはや大規模な侵攻に近い。どうせ邪魔者は現れないと見切った上での行動だ。

 

 

 




 
 
次回予告 第九十八話 両翼

ついにフェザーン艦隊が形を成す

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