フェザーンに戦闘艦はあれど人がいない。それには理由がある。
先のキフォイザー会戦後、エカテリーナらは敗北したリッテンハイム家私領艦隊がフェザーンに逃げてくることを予期し、待ち受けていた。
ただしそれが想定よりも相当上回る数となった。五千から一万隻と見積もっていたのに、結局その倍を軽く超える数になり、未だ天井知らずで増え続けている。
それはキフォイザー会戦において徹底抗戦を命じられていなかったせいだ。むしろリッテンハイム侯は自分の死後殉死するのを求めず、残存艦隊に逃げのびるよう最初から命じていた。
また勝った側のブラウンシュバイク私領艦隊では、アンスバッハが掃討戦を考えていなかった。逃げ散った艦隊に用はないのだ。ブラウンシュバイク家が勝った、覇権を握った、という政治的宣伝の意義だけで充分と思っていたのだ。
そしてリッテンハイム私領艦隊には帰るところがない。リッテンハイム領に帰って死守しようと思っても長く続けられるはずがない。確執を続けた二大貴族の決着は甘いもので済まないだろう。帝国が安定してきたら討滅されるのは明らかである。いずれはリッテンハイム家に味方した不埒者ということで残忍な処刑が待っている。
そんな運命よりはフェザーンへ逃れる方を選んだ。フェザーンならば回廊を通って亡命できるかもしれないし、そうでなくとも帝国の威光が届きにくい。
その敗残艦隊の対応にフェザーンが追われていたころ、何と次にはラインハルトに敗れたブラウンシュバイク艦隊の残党がやってきた。
仇敵の艦隊同士が同じところに時間差を付けてやって来た、という何とも皮肉な事態である。
その二つの共通項は敗残の身だということだけだ。
ラインハルトに敗けたブラウンシュバイク私領艦隊は、尚もオーディンに戻り帝国軍の殻を被る場合もあったが、もはやブラウンシュバイク公やフレーゲルに愛想を尽かして戻らないことも多かった。
彼らは身をもってラインハルトの強さを知っており、戦い続ければいずれヴァルハラ行きが確実になることが分かっている。
ともあれ逃れてきた艦隊は衣食住を得るため、価値のあるものとして艦を提供するしか方法がない。逆にフェザーンとしてもそれしか代価として取れるものがない。
むろん敗れた側の艦艇というものは、多くの場合被弾しており、船殻に亀裂かあるか、そうでなくても少なからず歪みがある。内部の推進器も無理を続けたため損耗している。過負荷が続くと熱に弱い部品から急激に劣化するのだ。フェザーンの修理技術をもってしても使い物にならない艦は多い。
しかし逆に使える艦もある。フェザーンに引き取られる戦闘艦がうなぎ登りに増えている以上、そういった艦もまた貯まっていく。
おまけにその以前からエカテリーナは自前での艦隊の充実を続けている。
ミュラーが自分から来なくともいずれスカウトし、指揮をさせるつもりだったからだ。
カストロプ動乱時にも艦隊は形になりつつあり、だからこそ貸与ということができた。
その後も艦を手に入れる見込みは立っていた。動乱があれば、どうせ貧窮した貴族が手持ちの私領艦隊を売りに出し、現金化をはかることを予想している。暴落した値段で艦をいくらでも買い叩けるのだ。フェザーン艦隊を安く整える絶好のチャンスである。
それに加えて今、これほどの逃亡艦が来ている。
そして艦隊維持費用ならフェザーンには充分な経済的余力がある。
帝国に動乱があろうとなかろうと、着々とフェザーンは資産を作り上げている。全銀河の十三%を占めると言われる経済力は伊達ではない。フェザーン商人たちは状況に適応して抜け目なく稼ぎ続け、その一部を税金として渋々納める。
元々フェザーン政府はアドリアン・ルビンスキーの努力もあって債権はあっても負債はなく、健全な財政だった。余剰の資本は債権投資という形で同盟に地歩を築き、同時に同盟政府へ影響力を行使する。戦略上それは必要だ。
無かったのは軍用艦を丸ごと一隻作り上げる施設だけだ。警備艇、巡視艇を作るのと艦隊戦を行う戦闘艦を作るのとでは施設の規模が違う。
帝国の目がある以上、そこまでフェザーンが持つことはできなかった。帝国軍はフェザーンに軍用部品を発注することはあっても艦そのものを作らせることは避けていたからだ。その一点さえ押さえれば、帝国はフェザーンの軍事力増大を恐れなくて済む。
修繕や交換部品について、軍用の特殊な材料や部品であれば要求される精度や信頼性は桁違いになるが、それでもフェザーンには対応できる技術力と生産力がある。それはこれまでに培ってきた実力だ。
ついでにフェザーンならではの技術的優位点をもたらす要因がある。
フェザーンは完全な自由競争ではないが経済の統制については帝国よりはるかに緩く、むしろ同盟に近い。しかも市場はフェザーンだけ見れば小さいものだが、事実上帝国と同盟のどちらも市場にできる地の利がある。それなりに技術開発投資ができるのだ。それに帝国か同盟の技術情報をどうしても手に入れようと思えば、どちらからも手に入れられる。
そして今から戦闘艦を作ろうと思えば、小型艦に限れば民間用から転用も可能だ。だが、大型の戦艦などについてはさすがに困難である。必要なものが無さ過ぎる。武装の検査機器も、厚い装甲のための溶接設備もない。帝国がこういったことは許さなかったのには相応の意味がある。
だが困難を乗り越え、エカテリーナの尽力もあってようやく作り上げられる。試作や検証が終わり、複数の設備でいよいよ量産体制に入った。
まだまだ少ないながらもフェザーン製の大型戦闘艦も存在するのだ。
しかし艦の数だけ増やしても運用できるかは別の話になる。
付随する係留施設や、病院、あるいは兵舎という後方部であれば財力を使った急ごしらえでもなんとかなるだろう。
ただしどうにもならないことがある。
決定的に人員が不足している。
フェザーンへ逃れてきた貴族私領艦の乗員の大半は同盟領に亡命するか、あるいはいくばくかの金銭と共に故郷へ帰ることを望んだ。元々私領艦隊の兵士は戦争が職業ではなく、軍人という意識は薄かったのだ。そのため軍というものにこだわりはなく、艦艇を換金したら別の生き方を探るのに抵抗がないものだ。
後方の整備士、あるいは経理などのホワイト層なら人員も不可能ではない。艦艇に乗り組む人員でも機関部や通信部などであれば、募集から短期間の訓練でなんとかなるかもしれない。
だが、砲術や火器管制となると話は全く異なる。
まして指揮を執るべき上級士官となると決定的にどうにもならない。
フェザーンにはまともな士官学校すらなかった。
宇宙船の乗組員といえば民間船ための乗員訓練校と、一部に警備艦や護衛艦のための訓練校があるだけだ。そこでもせいぜい武器の取り扱いを教わるだけで、戦術理論も何もない。
まして格闘術も空戦訓練もない。戦争をしていないのだから当たり前だ。
エカテリーナらは将来を考えて学校自体を新しく作り始めているが、もちろん士官養成には数年を要する。これだけは財力をいくらかけてもどうにもならない。急激な需要に対応するのは最初から無理だ。
その中でも高度な能力を要する艦隊指揮官を用意するのは全く不可能である。それは知識だけではなく経験が加わってはじめて出来ることなのだから。
それを一挙に解決すべく帝国の捕虜収容所を襲う。
帝国に対する言い逃れを一応準備しているが、おそらく必要ないだろう。今の帝国はそれどころではない。ブラウンシュバイク側もラインハルト側も来れるはずがない。
ミュラーはこの作戦に参加していなかった。
それはエカテリーナがミュラーには帝国軍と敵対行為をさせるには早いと判断したせいである。
そして作戦はうまくいった。ヒルダの言った通り、収容所の帝国軍が意表を突かれたということもある。だが、基本的にはアムリッツァ会戦で帝国が得た捕虜の数が多過ぎて、どの収容施設も膨張しきっていたのだ。一気に二百万人に近い数が加わったので当然である。警備も手が回っていない。
フェザーン側は凄惨な戦闘などする気はなかった。しかし気付かれないように隠密行動をすることもない。
むしろ逆だ。警備の帝国軍地上部隊を圧倒する数の艦で覆い切り、抵抗する気力を奪った。
それでも警備をする側が素直に降伏するかどうかは別の話だ。捕虜に逃げられるくらいなら皆殺しにするという選択肢すら存在する。それ用の重火器や毒ガスさえ用意されていた。
どうすべきか、悲鳴に似た通信がオーディンへ飛ぶ。指示を仰ぐためだ。
だが大変に間が悪い。
その頃、ブラウンシュバイク公はアマーリエの騒動の最中であり、遠い捕虜収容所の話など聞きもしなかった。
フェザーン側が降下し収容された捕虜を解放しだすと、後は予想通りの動きになった。捕虜は自由を得るやいなや他の仲間を助けに動く。もちろん、一般人などではなく兵であるから、どこをどうすればいいかは自分たちで充分考えて動く。
膨れた風船を割るごとく一気に事が進んでいく。
フェザーンはついでとばかりに帝国領侵攻作戦失敗で鹵獲された同盟艦艇も奪う。
幸いなことに同盟艦はほとんど処分されていなかった。有用な艦内設備を取り外し、帝国艦に転用するのは規格が違い過ぎたために難しかったのだ。それが終われば大半の艦体は恒星投棄処分されるはずだった。それでなければ訓練用の標的だ。艦体自体の帝国軍への転用は考えもしていない。
捕虜収容所から解放した人員は用意した輸送艦でフェザーンへと運ぶ。
そこからは無理強いはできず、希望に任せる。
同盟に帰らせるのなら同盟政府に恩を売ることになる。フェザーンの兵士募集に応じてくれるのならば万々歳だ。その割合は決して多くなかったが。
しかしフェザーンの目標はそんなところではなく、一番は将官の人材なのである。帝国領侵攻作戦で降伏して捕らえられていた同盟将官は何人も存在し、今は身柄をフェザーンがいったん確保した。予定通りだ。
ここからが難題である。この帝国に喧嘩を売るがごとく危険な冒険が実を結ぶかどうか、正念場だ。
エカテリーナは知っている。
艦隊指揮は強いられてできるものではない。拘束したり騙したりしてさせることはできない。
自発的に、納得することが必要だ。それはとても難しいことになるだろう。
自由惑星同盟軍の将はもちろん同盟軍にしか忠誠心を持たない。
故郷を愛するというだけではなく、自由と民主主義の旗というイデオロギーを信奉し、それに従うからだ。よほど偏屈であり、同盟軍に対して常に不平を言っている者でさえ、同盟軍以外で働くなど冗談のようなものだろう。
フェザーンは帝国であって帝国ではなく、むしろ同盟に近いというのは詭弁だ。帝国軍で働くのなら、裏切りで論外だが、フェザーンであっても微妙に裏切りの範疇ではないか。同盟ではないのだから。
かつてカストロプのために働いたアーサー・リンチの場合は事情が異なる。同盟では民間人を見捨てた卑怯者とされ、仮に同盟へ帰郷できても石を投げられるだけだった。それは特別なケースだ。しかしそれでも内心は納得していない。
しかし今、フェザーンに連れてきた同盟各将はアムリッツァの敗戦の責任はなく、堂々と同盟に帰れる立場である。
これらを説得できるものだろうか。あまりの困難さにエカテリーナは考えあぐねる。
自分で考えて分からないことは人に頼る。それは決して恥ずかしいことではない。
エカテリーナは兄ルパート、交渉の達人に聞いた。
ルパートはちょっと首をかしげて考え込んだ。ルパートは顔には出さないが自分の得意分野で頼ってくれたことが非常に嬉しい。
「エカテリン、ちょっと悪辣かもしれないが、これでいこう」
ルパート・ケッセルリンクの真骨頂がまた見られることになった。
次回予告 第九十九話 運命の糸
ヴェールを脱ぐフェザーン艦隊