300Mまでは本気、残り100Mは根気。
あれを専門にしている人はマジで尊敬する。
そして、そんな尊敬する人を私はマゾ認定する。
なんと、先手を取って間合いを詰めたのはセシリアの方だった。
アリーナで一番驚いたのは潤本人だった。
セシリアは基本的に銃撃戦での戦いを行い、それが難しくなると相手を見て戦略を立て直す。
相手を見て戦い方を変える、この歳ではスタンダートな戦略構築をする。
追い詰めると妙な事――自爆も構わずティアーズを撃ったり、近距離ミサイル攻撃をしたり――してくるが。
その手に持つのは、近接ショートブレードであるインターセプター。
どうにも、潤が決闘の儀を体現したことで、彼女もまた古くから続く決闘に拘りだしたと見える。
その拘りは、常人には理解しがたく、潤の読みは外れた。
瞬時加速で、寸分狂うことなく急所へと放たれる高速の突き。
それを手に持った、ヒュペリオンの実態剣で払う。
交叉する剣と剣。
両者の武器は甲高い音を立てて火花を散らし、セシリアの体勢が若干崩れた。
「――くっ、重い」
潤は自分のことを棚に上げ、四月から考えれば明らかに不釣合いに向上した錬度に、素直に賞賛の感情を抱いた。
最後にセシリアと直接戦ったのは、六月の頭。
自分の中にあった情報が古くなりすぎているようだ。
何が相手に通用しそうで、何を抑えていくのか、そういう相手の心理を読み直さねばならない。
まず情報戦から入った潤に対し、セシリアは速戦を仕掛けた。
セシリアの情報を精査そうなればもう止まらない。
続けざまに二撃、三撃と連続しての攻撃が放たれる。
それを、手に持つ剣で着実に捌いていく潤。
「このじゃじゃ馬め」
「――ちょっ!?」
セシリアの攻撃を利用し、わざとアンロック・・ユニットで防御、衝撃を利用してターン。
右手で剣を握ったセシリアに対し、更に右に入って防御不能の状態へと振り下ろされた剣。
間違いなく一般生徒ならば、避けることなど不可能。
しかし、それをセシリアはなんとか回避した。
潤の狙いは右首の頚動脈。
瞬時加速を利用し、例え自分のシールド・エネルギーが減ることになっても構わぬと言わんばかりに潤へ体当たり。
首筋を狙っていた軌道を回避。
体当たり自体は難なく回避されたが、回避行動で有り余ったベクトルを宙に向け飛び上がる。
潤は未だセシリアの情報を上書きしている最中――いや、本当はとんでもないほどイライラしていた。
――何故まともに動かないんだ、ヒュペリオン!
現在のヒュペリオンの稼働率は三割ほど。
ラウラ戦で九割近くを出していた稼働率の事を考えれば、今のヒュペリオンにイラつくのも仕方が無い。
潤が一番欲していたのは、ヒュペリオンに制御に慣れる時間。
日ごとに調子が違う機体なんて、誰が信用できるだろうか、決まった戦略を構築できるだろうか。
潤がイラつく僅かな隙に、セシリアが体勢を立て直した。
「――なぜ、本気で来ませんの?」
セシリアが手を止めた。
始まって僅か一、二分。
息も上がっていないのに宙に留まっている。
「合宿、覚えているか?」
「勿論」
「駄目なんだ。 博士を信じられない。 あの人の機体を信じられない。 ISもそれを感じ取っている」
「では――まさか、ヒュペリオンの性能は?」
「気遣いは無用だ。 逆になめて掛かれば一瞬で終わると思え」
勝負は再開。
相手がどうやっても全力になれないことに、セシリアは思惑が外れ歯がゆい思いをしたが、すぐにその思いを改めることになる。
今度は上段からの袈裟斬り。
何と予備動作からそれを読みきった潤は、インターセプターを打ち落とし、首に刃を走らせる。
「ぐうぅぅ!」
なんの勝算も無く戦いを挑んできたわけではない、その程度の事を思い浮かべる程度にはセシリアの実力が向上している。
しかし、所詮はその程度。
付け焼刃での接近戦で、潤を超えることは出来ない。
体勢を崩したセシリアを逃がすことなく頭部、腕部、胴と瞬く間に三連続で斬りつけ仕切りなおしを選択した。
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決闘直前の構えから戦闘が始まる直前、潤が欲したのは混じりけ無しの、完全で完璧な勝利だった。
セシリアの気高い心は、貴族に対する嫌悪感と、ある種の憧れ――過去の自分を刺激するに余りある。
はっきり言うなら、妙に昂ぶっていた。
どうせなら、セシリアすら完全に負けを認めるほどの状態で勝利したいものだ、なんて、彼らしくも無い事を考えるくらいには。
しかし、ヒュペリオンは、人間でいうなれば愚図ついているか、やさぐれているとしか思えない。
潤がイラつくほどに。
何時までたってもぐずぐずぐずぐずと、――今はそんなんじゃ、満足できないんだよ。
篠ノ之束、ヒュペリオン、アンノーン・トレース・システム、リリム、ティア、……だが、今はいい、今だけは思考の片隅であろうと。
憎しみも、悲哀も、確執も……それでも。
今は、セシリアの馬鹿正直な心意気に答えるだけの、曇りなき力が要る。
ヒュペリオン……、今は、お前を信じるから、お前の力を、俺に――!
そう思いながら、セシリアがティアーズを展開した事を確認し、迎撃からの攻撃をしようとした時と同じくして、――装甲か音を立てて開き始めた。
腰から太ももにかけて、装甲が開いた状態の姿勢制御用アンロック・ユニットが展開。
脚部パーツが縦横装甲に少しずつ開き、赤色のナノマシンが噴出していく。
元々存在していたシールド状の肩部アンロック・ユニットも装甲が開いていき、加速用のパーツへ変化。
多大な負荷から潤を守るため、機体を直感的かつ、よりダイレクトに操作するため、脳波コントロールシステムの本領が発揮される。
潤の脳波を取得するための一度頭部を固定、専用システムが走り出し、スキャニングが実行される。
この間、コンマ五秒弱。
僅かな時間を掛けて変化した見た目に反し、その形状の変化と、スペックの変化は凄まじい。
「あれが……可変装甲展開後の、ヒュペリオン……美しいですわね」
セシリアの呟きは、アリーナを包むざわめきに掻き消えた。
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「なにあれ!? あれが篠ノ之博士の!?」
「くっ……。 ああ、そうだ、シャルロット。 あれが可変装甲だ」
セシリアがティアーズを展開し、すわ此処から本番か、と改めて身を正した時、ヒュペリオンの装甲が変化した。
それを見て漏れ出したラウラの独り言は、ほんの少し苦味を持ったものだった。
意識がなかったとはいえ、何も出来ずに負けたのだ。
しかし、そんな苦みを消し去って余りあるのは、立ち上がりたくなる程の興奮。
この中で可変装甲展開後の戦闘を知っているのは箒とラウラしかいない。
見ていると身体の心配したくなるような、ISのパイロットなら背筋がぞわぞわしてくる様な機動を可能とする。
「箒、あれ、どうなるんだ? 雪片弐型や展開装甲と同じ第四世代の代物なんだろ?」
「確かに紅椿の展開装甲は、可変装甲の発展だが……、機動に関しては同じものと思わないほうがいい」
紅椿の展開装甲は、あくまで箒の安全を確保しているれっきとした完成品。
対して潤のヒュペリオンは、命すら危うくなる安全装置の無い試作品。
一歩間違えば死の淵が見える危険性を孕んでいるものの、機体限界まで加速できるヒュペリオンの方が速く動ける。
「始まる?」
ティアーズが一斉射し、それを見た鈴が声を出したのを境に試合が再開した。
そして、ここからものの五分もせずに試合は終わる。
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並列展開したティアーズの全てが、ほぼ同時に一瞬で破壊された。
事実をそのまま書き表せばそれだけのことだが、目に映る光景は以上そのもの。
物体が鏡に映りこむかのように、ヒュペリオンが、目にも留まらぬ速さで動き出してティアーズの攻撃を回避。
並列に展開されていたティアーズを全て破壊した。
セシリアはなすすべも無くそれを見ていることしか出来なかった。
辛うじて、自分に迫るビーム・サーベルを回避できたのは、幾度と無く潤の剣を見ており、ヒュペリオンが速さ自慢の機体だと知っていたからだ。
「は、速いっ!?」
セシリアが苦悶の声を漏らしたのも無理は無い。
最初、潤の操縦しているヒュペリオンを、ブルー・ティアーズが捕らえてくれなかった。
元々ヒュペリオンは速度に重点を置いた機体ではあるが、ロストするとはこれ如何に。
強襲用高機動パッケージ、ストライク・ガンナーでのデータが残っていたので、対高機動タイプの対応が可能だが、それがなければ対応すら出来なかった。
これが第四世代の恐ろしいところだ。
後方に逃げ出したセシリアにぴったり張り付き、ビーム・サーベルを展開したまま移動してきた潤の攻撃が続く。
そこに間断はなく、容赦はない。
「っ!」
瞬く間に五度も斬られた。
首、両腕、両足、放つ斬撃には、全て必殺の意思が宿っている。
ISが無ければ五体が飛んでいたと錯覚するほどの気迫が伝わってきた。
セシリアは反応する余裕も無いが、潤は腕部を加速させてサーベルを振る速度を上昇させるなど、更なる速度上昇を試みている。
そんな事をすれば試合後腕が動かなくなる程ダメージを追うが、最悪の事態は特殊間接機構が防いでくれる。
まさしく綱渡りの機体な成せる所業、いや、神がかりか。
「くっ!」
潤の機体は、スナイパーとして視力関連の訓練を施された目を持ってしても視認できる物ではなくなってきた。
今では閃光と化している剣先、得物を振るう腕の動き、その足捌き、既にセシリアには不可視の領域に加速しつつあった。
装甲が無意味に散っていく。
反撃の猶予も無く、成すがまま、命の綱であるシールド・エネルギーを消費していくしかない。
潤の追撃が余りに激しかったせいで、セシリアの細身は宙をたださまよう様になり、しまいにはアリーナの地面に墜落した。
だが、そんな状態のセシリアを、潤は追撃しようとはしなかった。
自ら間合いを開き、わざわざ剣を構えてセシリアの体勢が整うのを待っている。
誇りある戦い、騎士として、あくまで正面からの決着を望んでいる。
それを見たとき、心の底からこみ上げてくるものに負け、セシリアは銃を構えるわけでもなく、再びインターセプターを構えた。
「――正気か?」
「え、ゴホッ、ゴホッ。 ――んんっ! ……ええ、此処に至って、騎士道に則った行動をする敬意ですわね」
潤は返答を聞くと、一旦瞳を閉じ、――セシリアは思わず逃げ出しそうになった。
大気が凍り付く様な錯覚。
放たれている殺気は、今までの比ではなかった。
剣先を僅か上げて右にずらし、左手に合わせる構えを取っている潤が、悪魔か何か見える。
「普通の手合いなれば、『冥土の土産』と言いたいが――まあ、手向けと受け取れ」
「何時でもどうぞ」
離れている距離は僅か五メートル強。
ISならば一瞬の距離。
セシリアのエネルギーは装甲がある箇所で攻撃を受ける分にはまだ余裕がある。
しかし、先ほどから潤に切り裂かれていることもあり、絶対防御の為にエネルギーをごっそり持っていかれる非装甲部に打ち込まれるかもしれない。
そうなれば三回ほど斬り付けられればけりが付く。
「――っ!?」
潤が繰り出したのは、瞬時加速とヒュペリオンの加速を同時に用いた禁じ手。
あまりに負荷が掛かりすぎて、本来なら使えないはずの加速。
潤の攻撃にカウンターを合わせ様としたセシリアの身体が凍る。
合わせる、どころではない。
何時の間にか間合いに入っていたと錯覚するかのような速度を出し、潤は単純に剣で突いた。
防げるか?
一回でも防げれば、まだ戦える、この誇りある偉大な難敵と戦える栄誉にひたっていられる。
そう思って、鼻と、喉と、心臓の、――何故か三箇所をセシリアは防ごうとした。
潤は直感的に対応しようとしたセシリアの心を感じ取り、若干賞賛しつつ、その無謀をあざ笑っていた。
狙いは確かに三箇所だったのだから。
ダウンロードした情報から、少しずつ自分の身長、体重、筋力に合わせて修正を行って技術を高めていく。
その中で、遊びで作り出したら、実戦で使えるような技術が生まれた事がしばしばあった。
今、セシリアに披露する技は、そもそも正面から出させてはいけない類の業である。
その業は、こう記されている。
平正眼の構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に三発の突きを繰り出した。
即ち目にも止まらぬ速さで、相手は一突きもらったと思った瞬間、既に三度突かれていたという伝説である。
潤が突撃前に構えていたのは平正眼。
狙いはセシリアが防ごうとしている鼻先、喉、心臓の三箇所。
「おおおおおお!!」
怒号と共に、その剣を叩きつけた。
ビーム・サーベルが、装甲に守られていないセシリアの心臓部を捕らえている。
結局一撃も防ぐことは出来なかった。
吸い込まれるように、顔、喉、心臓に突き技を受け、セシリアのエネルギーはゼロ、Emptyを表示している。
「ふ、ふふ、あはっ――。 ふぅ、負けましたわね」
「気は済んだか」
「ええ。 完敗ですわ。 ……本当に四月からこの技量でしたの?」
「まあ、さほど変わっていないな」
「そうですの……」
セシリアは心から潤に賛辞を送る。
決闘の決着はここに付いた。
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ピットに戻った潤は、とりあえずその辺のベンチに寝転がった。
可変装甲が、こんな変な理由で開閉するなんて予想外にも程がある。
潤は気付いた。
可変装甲の使い方、その起動方法の詳細に。
一回目は対アンノーン・トレース戦、二回目はリリム戦、三回目が今回。
三回しかないので断言できないが、法則性が見え隠れするには充分すぎる。
感情。
それも魂魄の能力などで加工されていない、素の感情。
一回目から三回目までの可変装甲の起動には、全て魂魄の能力による感情操作が行われていない。
一回目と二回目は、痛みを消すために全力で、湧き出る感情には手を出していない。
三回目は、夏休み中に操作の栓の全てを取り払い、セシリアに勝ちたいという純粋な心が可変装甲を起動させた。
ISとは感情が大切な代物であるが、ヒュペリオンは殊更感情や思いといった部分が全てを左右する。
「……なんだそりゃあ。 じゃあ、タッグ・トーナメントから始まった一連のあれは、そういうことなのか?」
様々な事柄を経て、潤は魂魄の制御から自分の魂を解放した。
もしも博士の作ったヒュペリオンが生の感情、生の魂を求めているというのならば、狙い通りだというのか?
ありえない。
偶然に頼りすぎている。
しかし、その可能性を無視することは出来ない。
ヒュペリオンには生の魂と感情が必要な機体で、夏休みまでの一連の事柄の結末が魂の解放に至っているのは、偶然にしては出来過ぎているからだ。
何故感情などという不確かで波が大きすぎ、あやふやなものを起動条件にしたのか、という最大の謎が残る。
しかし、今のところこの『感情』といった部分がシステムの根幹にあるというのが、魂の専門家としての考えだ。
「こんな身体がだるいのに、こんな新事実浮かび上がってくんなよ」
思考の進みが悪いのは、身体のダルさが原因だ。
可変装甲ヤバい。
一回目、二回目共に戦闘終了後ぶっ倒れていたので始めてだが、この反動は凄まじい。
四百メートル走の無酸素運動の限界に挑戦した後のような息切れ、フルマラソンが終わったときの全身の疲労感と倦怠感。
双方同時に味わえるなんて、滅多に出来ることじゃない。
タオルで目を隠し、寝てしまおうかと思っていたら、頬に冷たい物が当たった。
「ん……?」
「えっと……スポーツドリンクだけど、……邪魔、だった?」
「ああ……、ありがとう。 置いといて」
「……大丈夫?」
「ダルイ、可変装甲ヤバい。 それとゴメン、飛行テスト、無理。 今日無理。 もう無理」
「うん。 私も、そうだと思った」
ああ、本当に寝てしまいたい。
このまま液体になって、体中のダルさが抜けきる時に固体化したい。
制服を布団代わりにして――、枕、枕はどこだ。
「そうだ。 ――簪、端に座って」
「えっと、コレでいい? ……なんで? えっ、ちょ、え、あ、あ、な、なに?」
「もう無理。 三十分後に起こして。 おやすみ」
膝枕スタイル。
簪の太もも、中々肉つきがいいね。
やわらかくて、いい匂いです。
「えっと……潤?」
返事は無い。
自分の太ももに頭を乗せて、既に寝息を立て始めている。
なんか普段らしくない言動から、ありえない行動をしてきた。
――これ、頭を撫でても怒られない? 怒られないよね? っていうか、潤のほうからこんな大胆なスキンシップ取ってきているんだし、私からちょっとスキンシップとっても問題ないよね。 先にしてきたのは潤なんだから、これで相子、問題ない。 大丈夫。
おずおずと簪が潤の髪を撫でる。
地味なスキンシップだったが、それでも簪は満足げだった。
なお、彼女が潤を起こしたのは、一時間後くらいだった。