『ありがとう』をキミに   作:ナイルダ

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Episode EX 偽りのキボウ

ーー???視点ーー

 

「なあ……答えてくれよ……」

 

男は、左の脇腹を押さえながら問いかける。

 

「……」

 

赤髪の少女は、無言をもって答えとした。

 

「頼む……頼むよ……」

 

男は、血の滲む脇腹を押さえながら問いかける。

 

「……」

 

赤髪の少女は、答えない。

 

「お願いだ……なんとか言ってくれよ……」

 

男は、足元に血溜まりを作りながらも……鋭い痛みに耐えながらも……必死に少女へと問いかける。

 

「……うぷぷ…うぷぷぷぷ…」

 

赤髪の少女は、今にも死にそうな目の前の男を見て嗤っていた。手にしたナイフは血に濡れていて……その瞳には涙を浮かべながらも……その少女は嗤っていた。

 

「……そう、か。……そうだったんだな」

 

男は、なんとも言えない表情を浮かべながらその人生を終える。

この〝白の世界〟において、諦めることとは〝死〟を意味する。故に、死にかけの男が抱いた疑念や懐疑を放棄した事実は、生を諦めることに他ならなかった。

 

「俺はずっと……〝偽りの希望〟に縋りついていたわけだ……。俺ならお前を救えるって……そう思うことこそが〝絶望〟だった……」

 

「……」

 

無言で男を見下ろす赤髪の少女。

しかしその口元は歪に歪んでいた。涙を流しながら、嗚咽を堪えながらも嗤っていた。

最愛の人を手にかける〝絶望〟を全身で噛み締めながら、少女は男を看取る。

 

「……なあ、それでも俺は……俺の今までが全て、お前が仕組んだ〝偽り〟だったとしても……そうだったとしても……後悔なんてしない。〝絶望〟なんかしない。……最期くらい、抗ってやる……」

 

「……」

 

「覚えておけよ、どブス。俺の気持ちは……〝本物〟だ。〝偽り〟だなんて……たとえお前にだって、言わせない……」

 

「……」

 

男は、ついに動かなくなった。

そして少女は、男へと思いを馳せる。

 

「アタシだって……愛してたよ。狂おしいほど大好きで、かけがえがなくて、世界には貴方だけがいればいい……アタシだって、そう思ってたよ」

 

次の瞬間、少女はなんの躊躇いもなく男を蹴りつけた。

傷口からは血飛沫が飛び散る。返り血による汚れを厭うことなく蹴り続ける。大粒の涙を流しながらも、慟哭しながらも、少女は最愛の人をいたぶり続ける。

動かなくなった男は、踏みつけられようとも骨を砕かれようとも決して反応を示さない。

 

「なんてッ! なんてッッ!!」

 

狂ったように少女は叫ぶ。

 

 

 

 

 

「最ッッッッッ高じゃないぃぃぃぃいいいいいッ!!!」

 

 

 

 

 

少女は歓喜していた。

 

「これがッ! これがッッ!!」

 

長きに渡り恋焦がれ続けたモノを手に入れ、打ち震えていた。

頬を上気させ、自分が壊れてしまいそうなくらい強く身体を抱き締める。

 

 

 

 

 

「大切な人を失う〝絶望〟なのねッッッ!!!」

 

 

 

 

 

果てなく続く〝白の世界〟には──〝絶望の言弾〟だけが反響していた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

まだ俺が小さかった頃、母親が病で倒れた。

原因が判明することはなく、治療の手立てもない。

脳の異常だかなんだか知らないが、母親は俺のことを忘れてしまった。そして……結局死んでしまった。

父親も既にいなかったし、祖父母もいない。

俺は一人になった。

そんな時──あいつが窓をぶち破って入ってきたんだ。

 

「ねぇ見て見て! 砂のお城だよ! すごいでしょ!」

 

引きこもっていた俺の手を引いて、外に連れ出してくれたんだ。

 

「もうちょっとで完成するからさ、夜助くんも見ててよ!」

 

連れていかれたのは公園の砂場で、そこには誰もが驚くほどの本格的な砂の建築物があった。スペインに存在する世界遺産──サグラダ・ファミリアを、あいつは一ヶ月近くかけて作っていたのだ。

 

「これ…城じゃねえよ」

 

「えっ! そうなの!?」

 

あいつは「えへへっ」と──笑った。

 

「なんでもいいんだよ。夜助くんが見ててくれることが大事なんだもん!」

 

その時の俺は──どんな表情だったのだろうか。

今となっては、もう思い出せない。

 

「夜助くんがまた外に出てくれて、遊んでくれるならなんでもいいんだよ!」

 

ひとりぼっちになった俺に、あいつは笑いかけてくれたんだ。気に掛けていてくれたんだ。それは紛れもなく──〝救い〟だったんだ。

そして次の日──

 

 

 

 

 

──サグラダ・ファミリアは無惨な姿で見つかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

俺は必死に犯人を捜した。

あいつは──〝音無涼子〟は、びゃんびゃん泣いていた。一ヶ月もかけて作った傑作を壊され、目を腫らすほどに泣きじゃくっていた。

許せなかった。俺に笑いかけてくれたあいつが泣いている──それがどうしようもなく許せなかった。

だから血眼になって捜したんだ。俺は犯人を見つけてとっちめてやろうと躍起になって捜した。

でも見つからなかった。

 

そして次の日、あいつはとびきりの笑顔で言い放ったんだ──

 

「あのね、アレを壊したの……私なんだ」

 

俺には何故あいつが笑っていたのかわからなかった。そして、たったそれだけの情報で頭が真っ白になった俺を──更なる衝撃が襲う。

 

「夜助くんが私の隣に戻ってきてくれたから、アレの役割は終わったの」

 

今思えば──()()()()()()()()のだろう。

 

「お父さんもお母さんもいなくなっちゃったし、私も夜助くんと同じだね」

 

あいつは両親がいなくなったことを笑顔で告げる。

俺が引きこもっていた一ヶ月の間に、一体何があったのか──

もしも俺がそばに居てあいつを守ることができていたなら、未来は変わっていたのだろうか──

 

「これからはずっと一緒だよ! 私が一生面倒見てあげる!」

 

狂ってる。でも──あの時の俺には、ソレがどうしようもなく〝希望〟に見えてしまったんだ。

 

「私は夜助くんのこと忘れない。だから、ずっと一緒なんだよ」

 

置き去りにされる恐怖──

忘れられる恐怖──

 

──そんな〝絶望〟

 

それをあいつは取り除いてくれた。

 

「もしも私が忘れちゃったら、夜助くんが治してよ! そんで夜助くんが私のこと忘れちゃったら、私が思い出させてあげるからさ!」

 

これが始まり。

 

〝希望〟で始まり、〝絶望〟で終わる──俺の人生の始まり。

 

〝超高校級の神経学者〟──松田夜助の始まり。

 

 

 

 

 

サグラダ・ファミリア崩壊からおよそ一週間後──音無涼子は意識不明の状態で発見された。

外傷はなく、原因は不明。しかし、死んでいないことは確かだった。

不定期に目覚めては言葉にもならない言葉を喚き散らし、疲れ果てるまで叫び続けた。そして、あまりにも酷い場合は鎮静剤を投与して強制的に眠らされた。

 

 

 

 

 

そんな異常な状態に──音無涼子は突如として陥ったのだ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ーー???視点ーー → ーー松田視点ーー

 

あの日からずっと──俺は涼子を元に戻す方法を探し続けた。ただソレだけを生きる糧(希望)とし、俺は足掻き続けたんだ。

しかし無情なことに──涼子を生き長らえさせるのにも金はかかる。両親が残した遺産でどうにかこうにかひもじい生活を送りつつ、涼子の命を維持するために全てを投資した。

 

そして俺は──〝脳科学〟の研究を始めた。

 

医者が匙を投げた涼子の症状──〝精神的なナニカ〟によって発症した可能性はある。

だが…たとえそうだったとしても、俺が忘れさせてやる。涼子が変わってしまった原因を、俺が忘れさせてやる。そして思い出させてみせる──以前のお前を。

 

 

 

だからどうか……少しだけ待っていてくれ。

 

 

 

***

 

 

 

無我夢中で脳の研究をしていた。そして──俺は〝超高校級の神経学者〟として、希望ヶ峰学園に入学することとなる。

正直スカウトが来た時、俺は断ろうかとも思った。「幼馴染一人救えない奴が、〝超高校級〟を名乗ってもいいのか」──なんて風に考えていたんだ。

しかし研究費用という名目であれば、涼子の治療費を学園側が負担してくれると言う条件を出された。

だから俺はスカウトに応じ、私立希望ヶ峰学園へと進学した。

 

 

 

***

 

 

 

気が付けば長い年月が経っていた。しかし、依然として涼子の容態は改善されていない。

暴れ出さないように身体は固定され、口には呼吸器──かろうじて生命を繋ぎ止めている状態。それがずっと続いている。

 

──もう、楽にしてやったほうがいいのか。

 

一体何度、そんなことを思ったのだろうか。管に繋がれた彼女を見て……安らかに眠る彼女を見て……一体何度、彼女の首に手をかけたことか。そして、その度に我に返り……一体何度、懺悔したんだろうな。

 

もう限界だった──張り詰め続けた緊張の糸は、もう切れてしまいそうだった。

 

そんな時──日増しに激化する〝パレード〟にうんざりしていた時、〝ある存在〟によって状況は一変した。

 

 

 

〝江ノ島盾子〟

 

 

 

奴が〝人類史上最大最悪の絶望的事件〟の引き金を引いた。

その際、多くの死傷者が出た。そして、それは希望ヶ峰学園においても同じだった。ただし〝死者が出た〟という点だけは違った。

そう……希望ヶ峰学園における被害者は──

 

 

 

──涼子と全く同じ症状に陥っていたのだ。

 

 

 

俺は悟った──涼子を狂わせた元凶はこの女だと。こいつのせいで苦しんでいるのだと。

そして、それと同時に直感した──こいつの能力を解析することさえできれば、涼子を元に戻せるのだと。

俺の心に〝希望〟の光が灯る。

涼子を元に戻すという終わりのない迷宮に出口が見えたのだ。

 

 

 

止まりかけていた俺の足は──再び未来へと向かい始めた。

 

 

 

***

 

 

 

あの事件以来、俺はありとあらゆる手段をもって〝超高校級の希望〟と〝超高校級の絶望〟の能力解析に努めた。

とはいえ、苗木誠と江ノ島盾子が持つ〝異能〟に関しては極秘情報とされていた。学園側は〝パレード〟のどさくさに紛れ、今回の一件を闇に葬るつもりらしい──〝カムクライズル計画〟のことも…〝異能〟のことも。

 

そんなことはさせない……何がなんでもあの〝才能〟を解析してやる。

それが俺に残された──たった一つの〝希望〟だから。

 

 

 

***

 

 

 

松田夜助は希望ヶ峰学園の学生である。しかしそれと同時に、学園に所属する研究者でもあった。

だからこそ、極秘裏に研究が進められていた〝超高校級の希望〟と〝超高校級の絶望〟──両能力の解析作業に加わることができたのだ。

彼にとってはただの僥倖だった。一学生では入手できない情報も彼の耳には入ってくる。

しかし、これらは必然とも言える。

松田夜助は音無涼子を救うためだけに全てを捧げてきた。だからこそ、それらの行動が──在るべき因果を在るべき場所へと還しただけなのだ。

 

 

 

これらは全て──〝偶然〟などではなかった。

 

 

 

***

 

 

 

〝希望の言弾〟〝絶望の言弾〟──奴らの〝異能〟はそう名付けられた。他者の精神に直接干渉し、影響を及ぼす──とかなんとか。

正直馬鹿げていると思う。そんな人智を超越した才能(ちから)があってたまるか──誰もがそう思うはずだ。

しかし、だからこそ納得もできるし、確信を持てる──音無涼子は江ノ島盾子によって狂わされたと。そして、信じて進むことができる──奴の才能を解明できた先には……〝希望〟が待っていると。

 

俺は無我夢中で進み続けた。

 

〝希望プログラム〟を〝プログラム USAMI〟の基盤として作り上げ、ほぼ完全体とでも呼ぶべき〝プログラム NANAMI〟を作ることもできた。これにより、江ノ島盾子の〝絶望〟を完全に取り除くことはできないものの、症状を緩和させることには目処が立った。

最も…苗木誠本人の〝希望の言弾〟を用いれば、直ぐにでも涼子を正常に戻せたのだろう。そして涼子のことを想えばこそ、苗木の力を借りるべきだった。

だが、俺はそうしなかった。

 

……いや、違うな。

しなかったんじゃない……出来なかったんだ。

俺はちっぽけなプライドを優先した。

 

『涼子は俺の手で救ってみせる』

 

そんな、心底くだらない見栄を張ったんだ。

心の中に生まれた〝絶望〟が……俺の判断を鈍らせたんだ。

 

俺は知っていたから──

 

俺は気づいていたから──

 

江ノ島盾子は──

 

 

 

──音無涼子と血を分けた、()()()()なのだと。

 

 

 

***

 

 

 

俺が江ノ島盾子を初めて認識したとき──

 

『涼子と似ている』

 

──そんなことを思った。

いや、似ているなんてもんじゃない。一卵性の双子とか、クローンとか、そういったレベルの酷似性を感じ取ったのだ。

俺は二人の生い立ちを調べ、確信を得る──()()()()()()()()()()()()()()()()()()であり、()()()()()()()()()()()()()()()と。そして思った──

 

──涼子が正常に戻ったとき、実の妹に憎悪を抱くことになるのかと。

 

──こんな運命はあんまりだと。

 

俺はそんなことを思っていた。

だが〝あの映画撮影を終えた江ノ島盾子〟の経過観察をしているとき、俺は感じ取ったんだ。俺の想像なんかよりも〝絶望的な運命〟がソコにあると──

 

 

 

──〝()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 

 

一対一で面談を行った際に、奴の脳波がほんの一瞬だけ揺らいだ。

数十回と行われた、全く同じ質疑応答。

 

『〝超高校級の絶望〟とは何者だ』

 

本来であれば「面倒くさい」とか「またこの質問か」とか……そういったことを思い浮かべ、脳波に現れる。

しかし、奴は異質な揺らぎを見せたのだ。

江ノ島の表情に変わりはない。いつも通りの雰囲気、いつも通りの呼吸間隔、いつも通りのまばたき、いつも通りの脈拍……いつも通りの江ノ島盾子。

普通であれば、機器の異常とか気のせいだとかで一蹴されてしまう変化だった。

だが、確信めいた〝ナニカ〟を感じ取ったんだ。

俺は奴の同級生である〝腐川冬子〟のことを思い出す──片方の人格が表にいるとき、もう片方を観測するのが非常に困難であることを。そして、仮に江ノ島盾子が同じような症状を抱えていたとすれば、映画撮影後に〝超高校級の絶望〟の気配を一切感じなくなったことにも合点がいく。

もっとも、どのような手順をもって裏表が切り替わるのかは分からなかった。

しかし、結論は出た──

 

 

 

 

 

『〝超高校級の絶望〟は、未だ江ノ島盾子の(精神)に潜んでいる』

 

 

 

 

 

 

──それこそが、〝松田夜助(超高校級の神経学者)〟が辿り着いた答え。

しかし、俺が行ったミライ機関への報告は──

 

 

 

 

 

『江ノ島盾子は〝シロ〟である』

 

 

 

 

 

──それが、〝松田夜助()〟の答えだった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

わかっていたんだ──

知っていたんだ──

 

──俺だけが。

 

『〝超高校級の絶望〟は滅びていないと』

『江ノ島盾子には血を分けた本当の姉がいると』

『その姉妹関係にある二人は、過去に接触していた可能性が高いと』

 

俺だけが知っていた。

しかし、ついぞ誰にも伝えることはなかった。

 

涼子は俺にとって〝特別〟だった。

だから俺も、涼子にとっての〝特別〟でいたかった。

 

だから──俺の手で、涼子を救いたかったんだ。

 

そして夢を見た──あまりにも愚かな夢を。

 

涼子と二人で未来へと歩んでいく──そんな夢を。

二人で海外へ渡りのんびりと過ごす──そんな夢を。

 

嗚呼……なんであの時、俺は〝真実〟を隠したんだ。

 

 

 

『江ノ島盾子は〝クロ〟である』

 

 

 

そう報告すればよかったのに、

涼子のことだけを考えていればよかったのに、

 

なんで俺は──

 

『涼子の妹を殺したくない』

『妹を殺した奴だと思われたくない』

 

──そんなことを考えてしまったんだろうな。

 

〝超高校級の絶望〟が滅びていない事を報告すれば、江ノ島盾子は不慮の事故を装い歴史の闇へと葬られただろう。そうなれば俺は、間接的に江ノ島を殺したことになる──涼子の妹を……殺したことになる。

 

涼子は『江ノ島盾子という妹』がいることを知らない。

だったら隠し通せばいい。俺だけが知っていたのだから、俺が口を割らなければ知られることはない。俺だけが背負っていればよかったんだ。

でも──

 

『涼子に嘘をつき続ける』

 

──そんなことしたくなかった。

──俺は潔癖でいたかった。

──手を汚すことなく、涼子との未来を歩みたかった。

 

俺にはできなかった。だから虚偽の報告書を作り、ミライ機関へと提出した。そして江ノ島盾子は日常へと帰っていく──その内に〝超高校級の絶望〟を抱えていたにも関わらず。

 

「念の為」と言い、『希望プログラム』は処方していた。しかし、効果があったのかは俺にもわからない。

仮に江ノ島盾子と〝超高校級の絶望〟が別人格であり、記憶の共有を行えないとするのであれば……おそらく効果は薄いだろう。

 

これは最悪な選択──

もっとも絶望的な運命の分かれ道──

 

俺の中には『真実から逃げた』という事実だけが、しこりとなって残った。

 

 

 

 

 

そして、何もかもが中途半端なまま──俺は卒業式を迎えた。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

卒業から一年後──

 

「松田……くん」

 

──『希望プログラム』による治療を続けていた涼子が目を覚ました。

 

その瞬間、涙が出てきたことを覚えている。

ずっとずっと……ずっとずっとずっと、この〝希望〟を求めていたんだ。だから自然と、目頭が熱くなったんだ。

 

「なんかね……夢を、見てたんだ」

 

涼子が手を伸ばし──俺はその手を優しく包む。

 

「松田くんが……私のために…頑張ってくれる夢でね……」

 

そのか細い声を──俺は聞き逃すまいと全神経を耳へと集中させる。

 

「えへへ……なんだか、すごく安心できたの」

 

俺の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。鼻水まで垂れてきて、それを乱雑に拭う。

 

「だからね……全然淋しくなかったよ。ねぇ…松田くん……」

 

「なんだ」──俺は震える声で返事をする。

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

ソレは──か弱さとか、優しさとか、温かさとか、そんなモノとは一切無縁の冷たさを纏っていた。ソレは確かに涼子の声だった。しかし──

 

「松田はハッと我に帰った。そしてその瞬間を待っていたかのように、彼の手を握っていた女性の手に力が入るのを感じた。次の瞬間、松田は彼女に凄まじい力で引き寄せられ、覆いかぶさるようにソイツを見下ろすことになる。そこには痩せこけた女性の顔があった。誰よりも愛し、大切にしていた女性の顔があったのだ。しかし、その瞳は──闇よりも深い闇色だった」

 

──は?

 

「その女はト書き風の妙な言葉を口にしていたが、松田はそれを無視して問い掛ける。彼は知りたかった。長い年月をかけ、片想いを募らせ続けた彼女のことを知りたくて堪らなかった。それほどまでに、彼女を求めていたのだ」

 

──は?

 

「うぷぷ。なんちって」

 

ソイツは嗤っていた。

歪に口角を吊り上げ──嗤っていた。

 

「アハッ、ただいま! 松田くん! 信じてたよッ!」

 

悪魔のような笑みを浮かべた次の瞬間には、ソイツは天使のような笑顔を見せた。

 

「もぅ…せっかく再会できたのにどうしたの?」

 

「お、お前は……」──それが声になっていたのかは分からない。だが、俺は思った。思わずにはいられなかった──「江ノ島…盾子……?」

 

「……はぁ。松田くんってそんなにデリカシーなかったっけ? アタシっていう超絶美少女と鼻と鼻が触れ合うくらい近くにいるのにさ、なんで()()()の名前を出すの?」

 

違うはずがなかった。

ソイツは紛れもなく──江ノ島盾子(超高校級の絶望)だった。

 

「仕方ないなぁ。目の前の女の子が誰だか…思い出させてあげる──」

 

そう言うと、俺の呼吸は止まった。目の前の〝ナニカ〟に唇を塞がれて。

重なった唇の間から漏れ出る〝ナニカ〟の吐息が、俺の身体を硬直させる。毒蛇に噛まれたように──俺は動けず、思考を巡らせることすらできなかった。

しかし、俺が感じた確かなこと──ソイツとのくちづけには、なんの感慨もなかった。涼子とキスをしているとか、そんなことは思わなかった。

そこにあったのは、ただの気持ち悪さ。

許容し難い嫌悪感が身体から込み上げる。胃から始まり、気管を通り口へとソレは駆け上る。そして俺は──吐瀉物を〝ナニカ〟に目掛けて撒き散らした。

 

「うわ、最悪。女の子とのイチャイチャタイムにゲロ吐くなんて、マジないわ。でも──」

 

ソイツは異常だった。『異常』という言葉が、ヤツをモデルにして作られたと思うほどに──常からかけ離れていた。

 

 

 

「最高に絶望的な接吻ね……ッ!」

 

 

 

うっとりとした表情で顔を紅くし、口元に付いた汚物と呼ばれるソレを長い舌で舐め回し、口に含み──そして呑み込んだ。

 

 

 

「何なんだよッ、お前はッッ!!!」

 

 

 

俺は叫んでいた。目の前の──音無涼子の皮を被った〝ナニカ〟に向け、俺は全力で叫んだ。

すると、ソイツは途端に真顔で喋り出す。

 

()()()が目醒めたってことは、全部予定調和ってことじゃん」

 

──は?

 

「これはアンタが選んだ分岐シナリオで」

 

──は?

 

「〝江ノ島盾子〟を殺さなかったのはアンタでしょ?」

 

──は?

 

「〝言弾〟を中和する技術を作ったのもアンタで、それをアタシに使おうとしたのもアンタでしょ?」

 

──は?

 

「全部アンタが選んだんじゃない」

 

──は?

 

「アンタにだけは選択肢を用意してあげたのに、なに文句言ってんのよ」

 

──は?

 

「ま、分かんないなら分かんないままでいいんだけど」

 

「お前は……どこまで知っているんだ」──それが、俺が絞り出した唯一の言葉だった。そしてソイツは、事もなげに答える。返す刀で俺の思考を斬り付ける。

 

「知ってるんじゃなくて、()()()()()()()

 

──は?

 

「きっと、お母さんを失った時と同じような状態に陥った音無涼子を救いたかったんだよね。だって……もう惨めな思いはしたくないもんね。大切なモノが自分の手から溢れ落ちていくのをただ見ているだけなんて……嫌だもんね」

 

──は?

 

「ただ守りたかったんでしょ? だから必死に足掻いてきたんでしょ?」

 

──は?

 

 

 

「だったらどうして諦めるの?」

 

 

 

──は?

 

 

 

「まだ〝希望〟は残ってるじゃない」

 

 

 

コイツが何を言ってるのか、俺には分からない。

しかし、まだ諦めるわけにはいかないという事だけは確かだった。残された〝希望〟に縋り付くことこそ、俺が選択するべき道なんだ──そう思う他なかった。

 

そしてソイツは囁くように告げる──

 

 

 

 

 

「江ノ島盾子を殺すのよ」

 

 

 

 

 

それが〝最後の希望〟だと──ソイツは言った。

 

 

 

 

 

「ただし、これはアンタに与えられた〝最後の選択肢〟。択を間違えれば当然……〝絶望〟へと行き着くわ」

 

 

 

 

 

優しい笑顔を見せて──ソイツは言う。

 

 

 

 

 

「頑張ってね…松田くん。アタシは応援してるから。〝絶望〟を打ち破って、松田くんだけの〝希望〟を掴み取ってね。────期待して待ってるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■年12月24日──俺は船のような列車に揺られ、塔和シティーへと向かっていた────

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございました。書き溜め分を投稿し終えましたので、更新は当分先になるかと思います。
それでは、忘れた頃にまたお会いしましょう。

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