原作との多少の矛盾はスルーしてやってください。
「……すごい」
ここが戦地であるにも関わらず、グレイ・シャールは思わず感嘆の声を上げた。
その視線の先には、ロザリアがいた。
目にも止まらず速度で巨人に迫り、あるいは攻撃を紙一重で回避し、そして寸分の狂いもなくうなじを斬り飛ばす。戦いというよりは、一種の舞を見ているようだった。
そう、舞。
優雅にも見える動きは、「巨人と交戦している」という現在進行形で進んでいる事実に緊迫している様子が全く窺えない。巨人に怯えている素振りもない。……ベテランの兵士だから、巨人と出くわしても動揺しないのは当たり前の事なのだろうか。
それとも、恐怖などとうの昔に凍結してしまったのか。
グレイだって、先ほど巨人と交戦したばかりで手足ががくがくと震えている。
だが、初めての勝利だった。
自分が唯一誇っていた立体機動装置の技術をフルに活用し、同じ班の先輩の補佐を受けて、無我夢中で何度もイメージトレーニングした通りにうなじを削いだ。
はじめ、巨人が倒れる音を聞いても実感が湧かなかった。だが班員に褒められ、自分が巨人を倒したと理解したとたん、身体が震えた。恐怖で、ではない。敵前逃亡しなかった自分への安堵、である。
(僕にも、できるんだ)
戦える。
この時は自分に戦う権利をくれたロザリアに感謝した。
自分は死んでいった仲間たちのためにも、戦わなければならない。
彼の中で、初めて巨人を倒したという実績は兵士としての大きな誇りと自信になっていた。
「グレイ、よくやった」
「班長」
自分の手足が震えている事に気付いたのだろうか、班長が自分と同じ屋根に着地した。咄嗟に敬礼しようとした手はけれど、班長に制される。
こんな戦場で油断を見せれば最後、巨人に食われるのだ。
「そんな事より、見ろ」
班長は、手にしたブレードで街の一角を指す。
班長のブレードの先を目で辿れば、何やら煙が見えた。火事による煙ではない。人為的なものだ。
何故ならば、その煙には色が付いていたからだ。
グレイの視力では、煙は遠すぎて霞んで見えたが。
「撤退命令だ」
班長が、グレイへ告げる。
「え、撤退命令ですか?ど、どうして」
撤退命令は、グレイにとって不可解だった。
調査兵団はまだ出陣したばかりなのだ。突然、超大型巨人や鎧の巨人が現れてこちら側が痛手を蒙ったわけでもない。
「さあな。解らん」
だが大方予想はつく、と班長は呟く。グレイはその言葉に首を傾げた。
「どういう事ですか」
「聞いた話だが……この戦い、訓練兵も出ているらしい」
「?!」
グレイは瞠目した。
第百四期訓練兵団卒業生。確か明日、彼らは各々の所望した兵団に配属される予定だった筈だ。
その彼らが、今日、出兵中であると。
今年の訓練兵団はなかなか優秀だ、という話はよく耳にするが、それはあくまでも訓練上での話だ。実戦とはわけが違う。巨人と出くわし、かつての自分のように恐怖に負けて戦意を失うかもしれないのに。
彼らの身体は兵士であるが、精神面ではまだまだ未熟であろう。
十五歳そこらでこの過酷な戦いに耐えられるのか?
「では、この撤退は」
「訓練兵を気遣ってだろう。それに俺達も壁外調査から帰ったばかりだ」
班長は、明らかに疲れていた。
それは馬車の中で揺れていただけのグレイも同じだった。体のあちこちは悲鳴をあげ、ブレードを堅く握りしめている両手は、少しでも動かせば皮がはがれたか鋭い痛みが走る。
脳は最大限の休養を求めていた。
自分より、仲間の補助のために動き回っていた班長はもっと疲れているだろう。
「早く壁内へ行くぞ、グレイ」
「はい」
ちらりとロザリアがいた方向を見れば、彼女はエルヴィン団長と合流し、既に撤退を始めていた。
二人の足は棒のようだったが、ガスの温存を最優先して屋根伝いに駆け出した。
班長が言っていた「訓練兵のための撤退命令」は、あながち間違ってはいなかったらしい。
壁内に戻れば、怒号と悲鳴が飛び交っていた戦場とは真逆に、恐ろしい程の静寂が兵士たちの間に訪れていた。
うなだれて石のように動かない者、ずっとすすり泣いている者、五体満足ではない者――――。
中には、トロスト区担当であったのだろう駐屯兵団の姿も見られた。まさか本当に五年前のように巨人が攻めてくるとは思わなかったのだろう。その顔は暗く、沈んでいる。
だが、その顔色は訓練兵団の者たちと比べると大分ましのように思えた。
ある訓練兵の服には、赤黒い血がべったりと付いていた。が、その兵士に怪我をしている様子はまるでなかった。その血はつまり、巨人の返り血ではなく、誰かの人間の……。
その兵士は、表情が何か決定的な瞬間のまま凍り付いたように、目を限界まで開いたまま、身じろぎひとつしなかった。
ある訓練兵は、発狂して自身の身体を斬り刻もうとしていた。近くにいたその訓練兵の友人であろう者が両腕を押さえ込んでやめさせていたが、押さえられた兵士はただ一言、「殺せ」と叫び続けていた。
ある訓練兵は――――さらに、ある訓練兵は――――
(地獄だ)
絶望しかないと、グレイは思った。
ほんの数日前、グレイも彼らのように巨人の恐ろしさに発狂する寸前まで追い込まれていた。グレイは何とか立ち直ったが、そこには沢山の人の支えがあったからだ。
それはエルヴィン団長であったり、ロザリア補佐官であったり、リヴァイ兵士長であったり――――。
馬車の中で彼らの大きな背中を、戦う雄姿を、自由の翼を見て、彼は思ったのだ。
――――あの人たちと同じ、自由の翼を背負いたい。
壁外調査から帰って、そうゆっくり考えられる時間があったからグレイは今ここにいるが、今、彼らにその時間があるとは思えない。
(この反応が、正常なんだろうな)
グレイは戦っているうち、仲間が死んでも、巨人が現れても、冷静に判断できるようになってきていた。
衝撃的な場面を見すぎたあまり、脳の感覚が麻痺してしまったのだ。
今泣いている彼らがこの戦を乗り越えれば、兵士となり、その涙を忘れてしまうのだろうか。
何やら複雑な気持ちになりながら、グレイはその場を後にした。
「は……?!」
その「作戦」は壁の上で、班長から伝えられた。
グレイは思わず、持っていたガスボンベを落とした。班長も、伝えにはきたがこの作戦の意味が分かっていないのだろう、苦い表情でいる。
「そ、それって、どういう事ですか?!」
「……俺にも解らない」
駐屯兵団のドット・ピクシス司令官がトロスト区奪還のために一兵士の考えを採用したそれは、あまりにも突飛すぎていた。
曰く――――。
第百四期訓練兵卒業生出身のエレン・イェーガーは巨人化できる能力を持ち――まずこの時点で信じられなかった――、彼がその能力を発動し、大岩を門まで運んで壁に空いてしまった穴を塞ぐ、というものだった。
「信じられません!何故こんな奇策を、ピクシス司令官は行うのですか!」
「グレイ、落ち着け」
「できません!」
「グレイ」
班長の両手が、グレイの肩を掴む。手の力が容赦なく、グレイは苦痛に呻いた。
班長は、子供に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「これは、上が既に決めたものだ」
つまり、自分たちに決定権はない。無謀な作戦でも、挑まなくてはならない。
それでも命令に背くならば、自分が今この場で命令違反として罰する――――。
班長の表情と手の力が、それを雄弁に語っていた。
グレイは肩の力を抜いた。もう、抗うだけ無駄なのだ。当たって砕けろ、ではないか。
「……分かっています。すみません」
そう言いつつ、グレイはさりげなく辺りを見回した。
作戦を聞かされ、半信半疑ながらも待機している調査兵団。いつ壁が突破されるか解らない状態に緊迫している駐屯兵団。巨人に怯え、発狂寸前の訓練兵団。
この作戦に参加する者が、全員揃っていた。
が。
(ロザリア補佐官が、いない……?)
いつもエルヴィンの隣に付き添っている筈の彼女が、見当たらなかった。
作戦に参加しなのだろうか。
(いや、ありえない)
彼女の戦果は凄まじい。そんな彼女をエルヴィンが作戦から外すわけがない。きっと、今席を外しているだけなのだ。――――杞憂、だろう。
緊張によって冷えてきた指先を擦りながら、グレイは指示を待った。