無我夢中でひたすら巨人を狩り続けていたロザリアは、ふと視界の端に色のついた煙を見つけて動きを止めた。
信号弾、である。
民家の火事によって立ち上る煙のせいでそれは見えにくかったが、ロザリアは何とか信号弾の色を識別した。
信号弾によって伝えられたものは。
「撤退命令……?」
そんな馬鹿な、とロザリアは呟いた。
ロザリアたち調査兵団がトロスト区攻防戦の助太刀に駆けつけてから、まだ数十分程しか経っていない。調査兵団の精鋭は、調子が良ければ一人で悠々と巨人を倒せる位の高い戦闘力をもつので、トロスト区の防衛に当たっていつ壁が壊されるか解らなかった駐屯兵団は大喜びかと思ったのだが。
ひとまずは様子見、なのだろうか。
自分も早いうちに移動しようと正面に視線を戻したロザリアは、ぎょっとした。
ロザリアの目の前で、兵士が立体機動に失敗して地面に体を打ちつけていたのである。
立体機動装置の扱いは、兵士において基本中の基本だ。それを実戦で間違えるとは、訓練兵のとき何をしていたのか。
一応兵士は打ち身をとっていたがかなり痛そうだったので、心配になって声をかけてみる。
「君、大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
呼びかけると元気そうな声が帰ってきた。ひとまずは安心だ。
「そこにいないでここに来なさい。巨人が来たら大変でしょう」
兵士は言われた通り、素直にこちらへやってきた。が、扱いも着地も、全てにおいてぎこちない。
ロザリアは思わずため息をついた。ここまで立体機動が下手とは、呆れた。
「あ、あの、」
「君、どこの兵士」
「え?」
「『え?』じゃないでしょう、どこの兵士かって訊いている。調査兵団?駐屯兵団?よくそんな拙い立体機動で兵団に配属されたね。わたしが教官だったら真っ先に落としているよ」
少し言い過ぎたかな、と思う。案の定兵士はがっくりとうつむき、ぼそぼそと返答した。
「……訓練兵団です……まだどこにも配属はされていません……」
「訓練兵団?」
訓練兵団も出兵していたのか、とロザリアは内心驚いた。今年は調査兵団を志望する訓練兵が多かった気がするが、こんなので大丈夫なのだろうか。あまり言いたくはないが、これでは一発で巨人の腹の中に収まるのがオチである。
それとも、緊張で実力の何分の一しか出せていないとか。……いや、そんなものではオチは同じだ。
「……まあ、いいか。早く移動しなさい。撤退命令が出ていたでしょう」
「あ、はい!」
「ロザリア」
兵士の見送ると――やはり兵士の立体機動はぎこちなく、見ているこっちがはらはらした――、入れ替わるようにしてエルヴィンが近づいてきた。リヴァイもいる。
「団長。撤退命令が出ていましたが」
「ああ。我々も引き上げる」
「はい」
エルヴィンとリヴァイは「ウォール・ローゼ」へ向かって駆け出し、ロザリアも後に続こうとしてふと足を止めた。
(……?)
――何か、人のような獣のような雄叫びが聞こえてきたような……?
それが何かを考えようとして、ロザリアは首を振った。目的を履き違えてはならない。今優先すべき事はそんな推理ではなく、トロスト区からの一時撤退だ。
彼女の名を呼ぶエルヴィンの声にすぐ行きます、と返し、もう一度辺りを見回してから二人の後に続いた。
「ウォール・ローゼ」に向かう途中に巨人の群れに襲われ、着くまでに少々の時間を要した。
調査兵団が突撃した時のように門は開けられる状態ではなかったので、壁面にアンカーを突き刺し、立体機動装置をフルに活用して壁面を登る。五十メートルという高さは伊達ではなく、壁の上に着いたと同時に装置はガス切れを起こしてしまっていた。
何はともあれ、無事撤退。他の団員は壁のふもとで待機中らしく、壁の上いるのは駐屯兵団の者たちだけだった。
しばらくは待機時間らしい。また出陣するとは思われるが、死地を潜り抜けた安堵でロザリアは肩の力が抜けた――――もっとも、団長がいる前でそんな姿を見せるわけにはいかなかったが。
「これからピクシス司令官へ会いに行く」
エルヴィンが到着してすぐそう言ったので、彼の補佐官であるロザリアもついていった。
歩きながら考える。
ドット・ピクシス。
名は聞いた事がある。トロスト区を担当する駐屯兵団の兵士。もっとも、司令官という肩書があるので直接的な巨人との戦いへ赴いたりはしないが――――。
駐屯兵団の兵士に案内され、着いた所は同じく壁の上。位置からするとトロスト区への通用門の真上あたりか。
その中で、兵士に指示を飛ばしている長いコートを着た禿頭の男性。
「ピクシス司令官」
「おお、これはエルヴィン団長」
エルヴィンが声をかけると、呼ばれた男は振り返った――――が、その顔を見てロザリアにしては珍しく、わずかに目元をひくつかせた。
年老たその目元が、ほんのりと赤い。手には小さなボトルを持っており、ずいぶんと洒落たデザインが彫られている。
まさか。
――――勤務中に、飲酒。
呆気にとられているロザリアを尻目に、エルヴィンがさほど気にせず淡々と話を切り出した。
「今回の攻防戦、何か策はおありなのですか」
「策ならば先ほど下の者に向かって大声で説明した筈……っと、あなた方は今しがたここに着いたばかりなのでしたな」
酒を飲んでいるわりに、案外呂律が回っている。
そこでロザリアは、ふと思い出した――――先ほどの、「ウォール・ローゼ」の方向から響いてきた叫び声を。
もしかして、さっき聞いた雄叫びとは……。
ピクシスはさっきとは別の意味で呆気にとられているロザリアと、いたって冷静なエルヴィンに、忙しい身であるというのに丁寧に噛み砕いて今回の「策」を伝えた――――が。
それは、非現実的すぎた。
「……な」
「――――じゃから、調査兵団の精鋭は、少年エレン・イェーガーの護衛と門周辺の巨人の掃討、この二つに分けていただきたい」
「……確認したいのですが、そのエレン・イェーガーは本当に巨人化を?」
「然り」
彼の言葉を要約すれば――巨人化ができる人間が訓練兵の中におり、その人間……エレン・イェーガーが巨人化して大岩で壁に空いてしまった穴を塞ぐ――――。
話が色々とぶっ飛んでいる。空虚な妄想だ、馬鹿げている。
ロザリアはそう異議を申し立てようとしたが、エルヴィンに止められた。
「解りましたピクシス司令官。作戦が成功するよう、我々調査兵団も尽力致します」
「そう言っていただけると心強い。頼みましたぞ」
ピクシスが敬礼したので、二人も敬礼を返す。
彼の元を離れたところで、ロザリアはエルヴィンに話しかけた。
「団長、ピクシス司令官の策は、いささか信用できません」
「ああ。しかし、彼はこのような場面で嘘をつくような方ではない」
うぐ、と言葉に詰まる。
確かに酒が回っていたとはいえ、彼は立派なトロスト区の責任者だ。それにエルヴィンは、その手の話においては簡単に嘘かどうかが見抜けられる。
エルヴィンは足を止め、ロザリアを真っすぐ見て言った。
「私は、ピクシス司令官の言う可能性に賭ける」
ロザリアもエルヴィンの碧眼を見つめ返した。彼女の言う事は分かっている筈なのに、いちいち答えを待つところが彼らしい。
ロザリアは、赤い目を細めて僅かに微笑んだ。
「――――わたしは、ただ貴方の思想についていくのみです」
先ほどまでの異論はなかった。
その後、調査兵団内で緊急会議が開かれ、調査兵団内の勢力をどう分けるかを話し合った。幸い話はすんなりとまとまり、あとは作戦開始をただ待つのみ――――
――――の、筈だった。
「――――ッ!」
会議が終わった直後だった。
突然、ロザリアの目の前が真っ暗になった。急に太陽が落ちたわけでもあるまい。足の力が抜け、その場にがくんと座り込んだ。
「ロザリア?」
異変に気付いたエルヴィンがかけよってきても、ロザリアは彼の存在に気付けなかった。
否、絶望に包まれて気付く暇さえなかったのだ。
しまいには吐き気まで覚え、口元をがたがたと震える両手で覆う。
(――――何てこと)
何て事だ。
何故、なにゆえに、このタイミングで発症してしまったのか。
「……病気、か」
ロザリアの両肩に、手がのせられた。重くて大きくて、温かい。エルヴィンの手だろうか。ならば彼は今、自分の前にひざまづいているのだ。
振り払わなくては、とロザリアは思った。両手を振り払って、わたしはまだ戦えますと。この作戦も、きちんと参加して貴方の傍にいますと。言わなくては。
この心臓は何のためにあるのだ。公に心臓を捧げるのだ。
立て。立つんだ!
目の前の存在に向かって大丈夫ですと言おうとし、だが、
「この作戦、君は参加しなくていい」
……一瞬何を言われたか、理解できなかった。
ただ、肩の重みが消え、気配と足音が遠ざかり、こちらに気付いた調査兵団の兵士にエルヴィンが「ロザリア補佐官を医療班の所に運べ」と言っているのが聞こえて。
――嗚呼、この世界は残酷だ。
ロザリアは唇をかみしめた。血の味が口の中に広がり、そういえば自分の瞳の色も血の色だなあ、と全く関係ない事を思ってみたりする。
彼女の世界はまだ、暗黒に閉ざされたままだった。
――嗚呼、この世界は残酷だ。
――――こんな大事な時に、貴方の傍にいられないなんて。
書き上げてみたら「……あれ?なんかオリ主→団長みたいな文章になってね?」と思ったので解説という名の言い訳。
恋愛フラグみたいな描写になってしまったのは仕様です。オリ主は団長と過去色々あったので「ただの上司」という感じではありません。決して色恋沙汰ではないのですはい。
それと、これから不定期更新になっていくかもしれません。なにぶん学生な上受験生なので…。
なるべく早めに投稿できるよう頑張ります!