「――――あれは……?」
作戦開始から三十分余りが経過。
エサ役を交代してもらい、立体機動装置の点検をしていたグレイは、高速で移動する「何か」を見つけた。
それは遠すぎる上、逆行で影法師と化して兎に角速く、目で追うのがやっとだった。西に傾いた太陽の光が容赦なく目に刺さり、グレイの目に涙が浮かぶ。
よくみると、それは人型に見える。巨人との戦闘を避けるために縦横無尽に空を駆け、立体機動の特徴を最大限に生かしていた。
グレイは、それに見覚えがあった。
こんな複雑な立体機動をこなすのは、彼の知っている中でただ一人――――。
「ロザリア補佐官?!」
グレイは我が目を疑った。
――――どうして今頃になって移動しているんだ?
精鋭部隊は、前述した通りもうとっくに出撃している。トロスト区は狭いので、今は巨人と交戦中であろう。
いや、何より巨人の徘徊する地域での単独行動は危険だ。
壁外調査時の長距離索敵陣形でも、必ず二、三人程の少人数で一定の距離を保って移動する。絶対に一人にはならない。巨人、主に奇行種と出会ったときに複数で対応できるようにするためだ。
まあ、人類最強の二つ名をもつリヴァイ兵士長や、それに次ぐロザリア特別団長補佐官ならば単体で奇行種を倒していそうだが、グレイは不安だった。
彼女らがいくら人間離れした強さを誇っていても、人間である。疲労や体にかかる負担は並大抵のものではあるまい。グレイは全身の骨が悲鳴をあげている。それはロザリアも同じであろう。
迷っている暇はなかった。
点検を終了し、刃とガスを装着。不備が無いか最終テェック――――異常なし。
「おい、グレイ!何をしている!」
壁の端へこそこそと移動していたグレイを目敏く班長が見つけ、怒声がとんできた。だが、グレイに止まるつもりは毛頭なかった。
「班長、すみません!罰は後で受けますから!」
「あ、おい、」
皆まで聴かず、高く跳躍。
先ほどの掛け合いで、壁の上にいた人たちがグレイに気付いたようで、背後からどよめきがあがった。班長が何か叫んでいるが、聴こえない。自分は大罪を犯した。罰が減給であれば良い方だろう。
(今はそんな事どうだっていい!クソったれ!)
巨人の頭上すれすれを通過した。奴等はグレイ一匹よりも人間が沢山いる方にしか興味がなく難なく突破できた。
ロザリアの立体機動は、複雑かつ速かった。
何度か見失い、その度にグレイは近くの高い建物に上って彼女を探さなければいけなかった。
が、少しすれば段々と速さに慣れてくるもの。持ち前の飲み込みの早さと立体機動の技術を駆使し、ロザリアになんとか追いついた。
ロザリアの左後方につく。
「ロザリア補佐官!」
名を呼ばれた彼女の肩がぴくりと震え、正面を気にしながら肩越しにこちらを振り返った。僅かに速度が落ちる。
「グレイ……!命令はどうしたッ?!」
だがさすがと言うべきか驚愕は一瞬、部下を怒鳴る上官の顔になりグレイを一喝した。その声は、風を切る音が耳元で響いているというのによく通り、グレイは怯んだ。
「それは……微力ながら力添えにと……」
「――――必要ない!」
ぴしゃりと遮られ、ロザリアは再び速度を上げた。先ほどの比ではない。おそらく彼女の中でトップスピードであろう。瞬く間に離されてしまう。
だがグレイも諦めない。もう見失うまいと神経を研ぎ澄ませ、除々に、しかし着実にロザリアに近づいていった。
「ロザリア補佐官!」
「来るな!」
「嫌です!一人では危険です!手伝います!」
「わたしは貴方より強い、余計な世話だ、足手まといになる!」
「足手まといには絶対なりません!」
どの道、戻るには遅すぎた。
ロザリアはガス切れを懸念してか、屋根を走り始めた。これ幸いとグレイは立体機動を続ける。人間の足では立体機動に敵わない。一瞬で追いつける。
だがグレイは、その一瞬の間だけ失念していた。
此処が、戦場であると。
巨人の蔓延る地であると。
いくら囮がいても、巨人の中には引っかからない者がいると――――。
不意にこちらを振り向いたロザリアが、赤い目を見開いた。
「グレイ、左!」
「――――え」
素早くそちらを見ると、目の前に肌色が広がっていた。
巨人の顔である。
奴は地面に足が着いていなかった。つまり、グレイというエサめがけて跳んできたのだ。
咄嗟の事に、身体が反応できない。
(――――僕は、ここで死ぬのか……?)
グレイの心を、冷たく黒いモノがじわじわと侵食していく。
そして巨人の歯が、グレイの体を捕え――――
突然体ががくん、と急上昇した。巨人はエサを捕え損ね、哀れにも顔面から地面に激突する。
「……だから、ついてくるなと」
すぐ近くでロザリアの声がし、グレイは現在の状況をようやく理解できた。彼女がグレイを脇の下に抱え、間一髪で救出してくれたのだ。
(……また、助けられてしまった)
二回目、しかも同じ女性にである。
ロザリアは巨人の気配が感じられない所まで移動した後、グレイを降ろした。
二人の間に沈黙が流れる。
謝らなければ、とグレイは思った。命令を無視してここまで来てしまった事に対して。そして何より、ロザリアを危険に晒してしまった事に対して。
結局、自分は足手まといになってしまった。
口を開いた瞬間、ロザリアの盛大な溜息がそれを塞いだ。
「……わたしは何度も戻れ、と行った筈だけれど」
グレイを見る目は、完全に呆れている。
「す、すみません」
グレイは慌てて謝った。さっきのは自分の非だ。頭を下げようとし、だが「下げないで」とロザリアに止められ、中途半端な姿勢で固まってしまう。
「……でも、わたしの速度についてこれたのは評価に値する」
「……えっ」
ばっと顔を上げる。
今更貴方一人だけで戻すのも危ないし、とロザリアは付け足した。
グレイの顔がぱっと輝いた。
ロザリアは赤い目を閉じ、次に開いた時は兵士のそれだった。
「――――ついてこい、グレイ!」
「はい!」
そして、立体機動に移ろうとした瞬間。
ずん。
「ッ?!」
大地が震える。
ずん。
重い。巨人でも、これ程の地響きはなるだろうか。
例えば、もっと大きいもの――――そう、あの忌々しい超大型巨人が現れた時のような、辛うじて立っていられるかという地響き。
ずずん。
「まさか……!」
ロザリアが近くの塔に登る。グレイも遅れて登り、町を見下ろして目を見開いた。
はじめに見えたのは、移動する巨大な岩だった。
いや、岩に足が生えて一人で移動するわけがない。ここからでは大岩に隠れて見えないが、いるのだ。この途方もない岩を運ぶ、巨大な何かが。
そして、それはおそらく。
「巨人化する、人間……」
ロザリアの呟きは、地響きに掻き消された。