「次会うときは、もうこんなに寒くないよね」
千歌ちゃんは笑顔でさらりと言ってみせた。あまりにも普通に。
高校を卒業して一年。
千歌ちゃんは内浦から通える大学へ進学。
私は船長になるという夢を叶えるために、東京の大学へ寮から通っている。
勉強だけでなく、独り暮らしとしての家事やらなんやらでとても忙しく、滅多に帰ってくることができない。
帰ってこれたとしても、休みが合わないときだってある。
生の声で喋って聞いて、画面を通すことなく直に顔を見ながら笑って、そして触れて。そんな日常の当たり前が、今の私たちにはできなくなっていた。
こうやって逢うのも久しぶりで、次逢うのもきっと何か月か後。今日のことが懐かしく思えるほど遠い日に逢うのだろう。
私が私の、千歌ちゃんが千歌ちゃんの行きたい道を行った結果だ。
だから私だけがわがままを言えない。
寂しいと言えなくて、寂しいと言ってほしくて、なんだか負けたような気になる。
白いコートを着込んでも白い息が出てしまうほどなのに、それを気にしないように純粋に楽しめている千歌ちゃんが羨ましく思えて、苦い気持ちでいるのが申し訳なくなってしまう。
一緒にいられる時間を無駄にしたくない思いが私を急かした。
私は千歌ちゃんの手を引いて、人混みの中を進んでいく。人にぶつかりながら、進んでいく息苦しさと痛みを感じながら。
一秒でも長く一緒にいたくて、一歩でも多く同じ道を歩みたくて、一つでも多く同じものを見たくて、言葉と行動に熱がこもる。
「よ、曜ちゃんはやいよー」
「ご、ごめん」
謝るものの、手は離さない。歩は緩めない。
私のぬくもりを感じてほしかった。
離れたくない、離したくない、千歌ちゃんにそう感じてほしかった。
私だけが寂しさを感じるのは不公平だ。
暖かく穏やかな気持ちを理解したい。
自覚してしまえば締めつけられるような冷たく苦い私の気持ちを感じてほしい。
甘いだけじゃない、遠ざけたいほど嫌な不快さも知り合って、均一に混ざり合った関係になりたい。
だからこうして手と手で触れあって、疑似的に混濁していくさまを楽しむ。
なんて、変かな。
私は我が儘だ。我が儘なりに思ったいまの感情も、我が儘にもすぐに変わっていくのだろう。
移り行く季節のように、緩やかに、ときに激しく。いつの間にか冷めていき、思い出したかのように熱くなる。
千歌ちゃんと逢えたこの寒い季節と溶けあうように、抗うように、私はその温度を変えていく。
こんな私を、嫌いにならないでなんて言えない。だけど、置いていかれることだけはされたくない。
だってそんなの、冷たすぎるじゃん。
いくらかのウィンドウショッピングを終えたあと、暖をとるのも兼ねて、私たちは喫茶店に入った。
注文を終えて、かじかむ手を擦る。ケーキと飲み物が届くころには、身体の外はようやく暖まって、上着を脱ぐことができた。
熱いカプチーノを飲むと、冷気を存分に含んだ体内が癒されてほっとする。
「うぅ、苦い……」
「もう、ブラックなんて飲もうとするから」
「大人になったら飲めると思ったんだけどなぁ」
果たして大学生になったと言ったって、大人と言えるのかは別のことだ。
そして大人だからと言って、ブラックのコーヒーが飲めるかどうかもまた別のこと。
嗜好なんて結局、人を決定づけるものじゃない。
「ほら、こっちと交換しよ」
「いいの?」
私は頷いて、自分のカプチーノを渡して、代わりに受け取ったコーヒーに口をつける。
苦い。とはいえ、ケーキと一緒なら飲めないことはない。
この苦さがたまらない人がたくさんいるから、コーヒーを好む人が多いんだろう。だけど、単体では度が過ぎる、と私は思った。
苦いだけじゃ足りない。
ものにはバランスというものがある。黒と白。冬と春。コーヒーとクリーム。
……私と千歌ちゃん。
その間には、湯気が立っている。芳醇な匂いを運んで。
煙のようにくゆる細かい水滴も、甘さを引き立てる苦さを含んだその匂いも、私には千歌ちゃんを遮る霧に思えた。
目を離せば、千歌ちゃんが消えてしまいそうな錯覚を覚えて、距離感が狂いそうになる。
元々の距離さえ思い出せないほど、私は
きっと近かったんだと思う。お互いの息遣いさえ感じられるほど近かったんだと思う。
外は雪が降っていた。
人間の身体とは不思議なもので、目に見えてる事象が感じ方を変えさせる。
気温はそれほど変わってないのに、先ほどよりも幾段か寒くなったような気がする。
せっかく温めた身体の熱が、消し飛ばされるように奪い去られていく。手をすり合わせても、余計に冬を実感するだけだ。こぼれた白い溜息は空へ上り、空気へ溶けていく。
「雪だね」
対照に、千歌ちゃんの声は弾んでいた。
冬の象徴である雪も、寒さを身に沁みさせるものじゃなく、空から星のような、楽しみの一つ。
千歌ちゃんの目には、この世界はきれいに映っている。それは同時に、千歌ちゃんの心の輝きを示していた。
「ねえ、千歌ちゃん」
その目には、私はどう映っているんだろう。何にも負けずに、大きく眩しく光っているんだろうか。
訊かずにはいられなくて、でも聞くのが怖くて、雪が落ちるくらい小さな声でぽつりとつぶやく。
「私って、どうでもいいのかな」
あらゆる意味を含んだ、自分への悪口ともいえる言葉。
千歌ちゃんは、そんな無音にも等しい私の声を逃さず、次の言葉を待っていた。どうしたの、なんて急かすこともなく。
恐怖に怖気づいて、優しさに甘えてしまって、口ごもってしまう。
そんな私を見かねてか、千歌ちゃんは私の手を取って歩き出した。
こんなことが、高校の時もあった。
スクールアイドルになって、周りに人が増えて、私はいつしか本心を底に仕舞ってしまった。
二人だけで始まった夢が広がって、仲間が増えて、みんなで踊って歌うだけじゃなくて、遊びも楽しんだ。
だけど、やっと二人で、二人だけで何かができるという夢が崩れたような感じがして、もやもやした。
最初は自分の気持ちすらわからなくて、それが嫉妬だと知ったあとはどうやって伝えたらいいのかわからなくて、本音を言うことはできなかった。
結局、先に動いて、口を開いたのは千歌ちゃんだった。
私の家まで汗だくでたどり着いて、夜なのにも関わらず「練習しよう」なんて言い放つ千歌ちゃんは、私が悩んでいることを捉えていた。
幼馴染ゆえに、少し変わったところがあればわかる。そんな相手のことをずっと考えて、すぐ動くことが出来るのは、千歌ちゃんが千歌ちゃんだからだ。
そして今も、それは変わらない。
「次行こっ」
無邪気に笑う千歌ちゃんが、するすると人混みをかき分けて、すり抜けていく。
優しく暖かく、それでいて私を絶対に話さない手の強さが、言葉よりも雄弁に語っていた。
自虐してしまうほどに精一杯な私の気持ちが見透かされたようで、恥ずかしい。だけれども、今な気分はしなかった。
これで安心してしまうほど、私の心は単純だった。
これで熱をもってしまうほど、私の身体は単純だった。
降る雪が頭に、コートに積もっても、構わずに私は街を走り抜けた。
次逢う時、今よりもっと暖かくなった時、今日と同じ様に人混みをすり抜けられるだろうか。
その時は、どちらが手を引くかわからない。力加減を忘れて、痛いほどその手を握ってしまうかもしれない。
それでも、千歌ちゃんは私を置いていくことはしない。私も千歌ちゃんを置いていかない。
だって、千歌ちゃんと私は、高海千歌と渡辺曜だから。