煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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1部 受け継がれたもの
1.猫と鉄パイプ


 煤に塗れていた。嘗て人間だったそれ、一組の親子が全身に纏い黒く薄汚れている。裏路地を、父が血の流れる手で子を引き走り抜ける。ノイズ。人類の天敵。触れるだけで人々を炭化させると言う規格外の怪物。複数に追われている。袋小路に追い込まれていた。

 

 「男だ、ユキ。怖かろうとも、如何なる時でも恐怖に飲まれてはならん。守りたいものを忘れるな。活路は必ずそこにある」

 

 父は子を背に静かに語る。右手には鉄パイプ。左腕は火災にでも巻き込まれたのか、酷く焼け爛れている。一部の傷は塞がり切れていないのか、裂傷から血が滴り落ちる。幼い少年でも、一目で使い物にならないと解る程の怪我である。一度、父が子の頭を血濡れた手で撫で穏やかに笑った。

 

「生かさせて貰うぞ。我らが刃は、その為にある」

 

 少年は只見つめていた。父の背中。焼き爛れた腕。零れる血液。地をなぞる金属の擦れる音。遠ざかる。風が、煤を巻き上げた。

 

 

 

 

 

 

 暗い路地裏を歩く。カツカツと靴がアスファルトを叩く音が、響く。近道。幅員の狭く人気のない路地ではあるが、遥かに早く目的の場所に付けるのだ。日が暮れれば治安の悪化に一役買いそうな狭い路ではあるが、そもそも自分の様な男を襲う者はあまり居ないだろう。通り魔などが居れば狙われるかもしれないが、そうそう居るものでもない。

 手に持つのは、小売店で買った簡単な食品と飲料。要するにコンビニの焼き鳥と茶である。実家などでは工夫を凝らしたものを食べさせられる事が多いが、自分で用意する時はついつい簡単な物で済ませてしまう。手の凝らされた料理も好きではあるのだが、自分は食えれば良いと言う質である。一度、塩でも振ってあれば問題ないと言うと心底呆れられたのを思い出す。そんな事を考えつつ、二本買った焼き鳥の一つを口に含む。

 

「旨い」

 

 我ながら簡潔な感想だと思う。とは言え、別に詩人でもないので旨いものは旨いで良い。ゆっくり味わいながら歩を進める。相も変わらず路地は静かである。それはそうだろう。

 

「おや」

 

 不意に、なーっと鳴き声が聞こえた。黒猫。崩れた壁に押し潰されかけている。経年劣化だろうか。猫の前で屈みこむ。見捨てても良いのだが、寝覚めも悪い。取り敢えずは助け出す為瓦礫をどける。尤も、猫に対する医術の心得などある訳もないので、怪我の具合によっては獣医を探さねばいけないが。

 

「なんだ。思ったより元気そうだ」

 

 串を咥えたまま瓦礫を除けると、猫は少し動いた後、こちらを見つめてきた。助けはしたが懐かれる訳はない。野良なのだ。人には慣れているだろうが、どちらかと言うとこれは。

 

「猫に食べさせて良いのか。まぁ、少しぐらい良いか」

 

 半分程食べた焼き鳥を串事猫の前に置く。自分も、もう一本取り出しその場で頬張る。猫と食べるのも、まぁ、悪くは無い。食べ終わった串を取り敢えず咥え、猫を拾い上げた。逃げなかった。存外人懐っこい。捨て猫か? そんな事を思う。猫が鳴き声を上げた。威嚇。自分ではなく、正面。発光している蛭。目の前にいた。

 ぺっと、串を飛ばす。すり抜ける。蛭。既に飛んでいた。上体。地面にぶつかる様に転がる。猫。着地の衝撃に驚き、逃げだした。

 

「……俺も逃げるか」

 

 そのまま勢いを殺さぬように態勢をなおし、走る。ノイズ。人類の天敵。追いかけてはこない。どうだって良かった。触れれば炭化する。立ち向かわねばならぬ時もあるだろうが、逃げられるのならそれで済ませても良いだろう。触れれば炭化するだけならばまだしも、こちらからの干渉を殆ど無効化する特性を持つ。簡単に言えば、相手が触れるぞと思った時にしか触れられない。勿論そんな簡単な物ではないのだが、そういう認識で十分だ。

 そして、そんな特性を持つモノは相手にしないで済むならばそれに越した事は無い。幸いノイズは出現しても、それほど長い時を待たず自壊する特性を持つ。逃げ回れば勝手に消えるという事だ。

 

「なんだ、逃げてはいなかったか」

 

 路地を抜けた先。先ほどの猫が居た。待っていたのか。背後を見る。煤が風に流れていた。追っては来ていない。拾い上げた。お前のおかげで死にかけた。そんな思いで強めに撫でる。にゃあと鳴いた。

 目を細める。煤、風に舞っている。ノイズ。まだまだ居るのだろう。煤が舞うという事は、近くで犠牲者が出たと言う可能性が高い。ならば留まるのは良策とは言えないだろう。

 

「お前は、疫病神だな」

 

 猫を拾ったところで、付近に居た複数のノイズが近付いてきているのに気付いた。腕の中で暢気にまるまる黒いのに、苦笑交じりの悪態を吐く。仕方ない。駆けてきた路地の入口付近に落ちていた鉄パイプを拾う。少しばかり長いが、これ位ならば取り廻せないとは感じない。

 右手に鉄パイプ。左手に猫。随分締まらない構図だが仕方が無い。周囲を一瞥する。二体。一番ノイズの少ない方向に向かって駆けた。二つのうち片割れ、足を狙うように跳ねた。低い。駆けながらノイズと離れるように飛ぶ。右足から着地。硬直。狙いすましたようにノイズが迫る。迫る恐怖に笑った。左手の猫を強く抱えた。落ちると死ぬぞ。声に出さず伝えた。右足に負荷が掛かる。

 

「Killiter――」

 

 ぎりぎりの所。跳躍。半ば錐もみ回転。鉄パイプがノイズを撫でる。歌声。跳躍の直前届いていた。

 直後に凄まじい轟音。両手が無事ならば耳を塞ぐのだが、生憎、もれなく使用中だった。思わず目を細める。辺りを覆うような粉塵が舞い上がった。猫の熱だけが、温かい。即座に動いた。

 

「ばっ!?」

 

 眼前。女の子。衝突する直前、ギリギリ進路を変えた。

 

「死にてぇのか!?」

 

 立ち止まったところでそんな言葉が届いた。振り返る。一瞬馳せ違っただけだが、確かに女の子だった。赤いボディスーツに武器を携えた銀髪の少女。両手に持つ巨大な重火器からは煙が上がっているが、舞い上がった粉塵は随分少なくなっていた。銃弾の影響だろう。至近距離にいたノイズはもとより、付近に居たモノは全て吹き飛ばされていた。自分の躱したノイズも、幾つもの筋になっている。

 

「ノイズを相手に正面から向かうとか……ッ!?」

 

 女の子が武器を捨てる。怒声と共にいきなり胸ぐらを掴まれた。叫びを続けようとしたところで、痛みをこらえるように目を見開く。血の匂いが鼻腔に届いた。

 

「ちく、しょう……」

「……怪我か?」

 

 殴り掛からんばかりの勢いのまま、少女が意識を失った。どう言う状況なのか。流石に自分も混乱していた。ただ、解る事もある。

 

「恐らくシンフォギア、なんだろうな」

 

 唯一存在する、対ノイズ兵装。その名だけは知っていた。古馴染み。同時に、時折思い出すだけだったその姿が鮮明に甦る。

 

「一匹の筈だったが、思わないほど大きな猫を拾ったようだ」

 

 流石に放置するわけにもいかないし、出来るはずもない。確かに助けられていた。それも年端も行かない少女に。それは、大きな借りだろう。いつの間にか左手から飛び降りた黒猫を見つつ、いきなり倒れた白猫を見つめた。取り敢えず運ぶしかないか。何やら少女の方も事情がありそうだ。古馴染みに連絡を取るのは、話を聞いてからでも遅くは無いだろう。猫を二匹、家に連れ帰る事にした。

 

 

 

 

 

 

 結局逃げようとしなかった黒猫を胸元に入れ、白猫、もとい銀髪の少女を背負い場所を移動していた。不幸中の幸いと言うべきか、ノイズの出現により警戒警報が発令されていた。耳障りなサイレン。幾らか前に発生したソレにより、見咎められる事もなく目的地に辿り着いた。朽ち果てた集合住宅。一見、既に破棄されているようにしか見えないそこの一室を開く。ガチャリと扉が開くと、猫が飛び降り歩を進める。直ぐに寝室に向かった。

 部屋の明かりをつけ、寝台に少女を寝かせる。服を脱がし、血の匂いの下を一瞥した。深いものは無い。ただ、無数の浅手を追っていた。一つ一つ、処置していく。幸い生傷の処理には手馴れていた。とは言え、自分は医師では無い為、大した事はできないが。

 簡単な処置を済ませると、少女に浴衣を着せる。男物ではあるが、それぐらいしか着せられるものが無かったからだ。血と煤と粉塵で随分な事になっている洋服は取り敢えずは洗濯する事にした。流石に下着を脱がせるのは良心が咎めるので、そのままにしている。あらかたの血は拭い、血臭も殆どしない為問題も無さそうだ。一段落吐く。

 そこでふと、今日の目的であったものを捨ててしまったのを思い出す。ノイズに襲われたのだ。惣菜と飲み物など、捨ててしまっても仕方が無いだろう。冷蔵庫を漁るも、碌なものは無い。取り敢えずは茶を沸かし一考した。

 

「どうせ混乱が収まらないだろうし、明日で良いか」

 

 結局そういう結論に落ち着いた。黒猫を抱き、ぼんやりとしていた。幾らか静かな音を立てていた呼吸音が変わった。抱いていた猫が寝台によじ登る。放って置くことにした。

 

「……ん、あ、たしは……」

「にゃあ」

「へ……、ふみゅあ!!」

 

 目が覚めたのだろう。少女が起きようとしたところで、猫が飛んだ。思いっきり顔に飛びかかられて、奇妙な悲鳴を上げる。

 

「な、なんだ、猫!? こら、やめろ、やめろっつってんだろ!!」

 

 数秒の格闘。何とか猫を掴み上げたのか、少女がぜいぜいと荒い呼吸を宥めながら睨んでいる。黒猫対白猫は、白猫の勝利で終わりになったようだ。記念すべき初めての戦いに敗北した黒猫は、そんな事は気にしたようでもない鳴き声を上げる。

 

「はっ、このあたしに喧嘩を売ったんだ。そんな鳴き声ぐらいじゃ許してやんねーよ」

「じゃれているだけだと思うぞ、それは」

 

 猫相手に勝ち誇る少女に、一言入れ寝かせた。

 

「あ?」

 

 そのまま、予想外の状況に一瞬固まった少女から、猫を掬い上げる。そのまま足元に落とすと、くるりと回り着地した。にゃあと鳴き、直ぐに離れた。

 

「お前はあの時の……っ!?」

「とりあえず、飲め」

 

 緑茶を碗に二つ入れ、一つを少女に押し付けた。かなりの発汗をしていた。少しくらいは水分を取らせたほうが良いように思う。先に自分の物を飲み、同じ急須から出たものに何もない事を証明する。すると、取り敢えずはと言った形で飲み干した。

 

「聞いても良いだろうか?」 

「……何だよ?」

 

 無言でもう一杯注いだ。間を外した為、黙って少女は茶を受けた。そのまま両手で包むように持ち、ゆっくりと二口程含んだ。温かな茶は心を落ち着ける。

 

「君は、シンフォギア装者で間違いないか?」

「……っ。何もんだ、てめぇ」

「元政府機関の狗。と言っても、追い出されたのだがな」

 

 首元に手をやった少女に、聖遺物らしき首飾りを投げ渡す。シンフォギア。彼女が身に纏っていたものはそれだろうと見当がついていた。少し話してみたいと思い、それだけは外してあったのだ。投げたそれを危なげない動作で受け取った少女は、余計に解らないと言った様子でこちらを睨む。

 

「どう言うつもりだよ。シンフォギアを知っていると思えば、躊躇なく返したり。ノイズに正面から突っ込んだ事と言い、意味わかんねーよ」

「別に大して意味など無いさ。小娘が倒れたから放置すれば寝覚めが悪かった。助けられた事もあるしな」

「……そんな言葉、信用できるかよ」

「別に君の信用など必要ではない。俺がやりたい様にしただけの事」

 

 かつて、特異災害対策機動部と言う政府機関に所属していた。機動部はノイズ関連に対する政府機関である為、ノイズ関連の事件では何度も出動をした事がある。実際に交戦したことも一再ではない。

 紆余曲折あり、今は気ままにやっていた。どれだけ能力があろうとも、死にたがっている者を送り出す訳にはいかない。かつて、上司にそんな言葉をかけられたのを思い出す。言い返す事もせず職を辞した。ある意味で、その言葉は間違いでは無いからだ。死を恐れてはいない。馴染みの様なものだろう。嘗て見た父の背を思い出す。

 

「兎に角、あたしは直ぐに出ていく」

「それは困るな」

「んでだよ」

「服を置いて行かれても困る。女物の服を着る趣味は無い」

 

 既に洗濯を行い始めている。部屋の外から、僅かに音が聞こえる。まだ暫くは終わりそうにない。

 

「は……?」

 

 少女が一瞬、てめぇは何を言ってんだ。っと言わんばかりの目で見た。そして凄まじい速さで上体を起こす。存外動けるようだ。ならば、傷と言うよりは体力の低下で倒れたのだろうか。茶を啜っていると、少女の顔が一瞬で茹で上がった。

 

「な、な、な……なんでだよ!?」

「血を流していたら普通処置をするだろう。悪いが脱がせたぞ」

「だからって、おまっ! み、見たのか?」

「見ないと処置ができない。別に見られたところで減るものでもないだろう?」

「減るに決まってんだろ!?」

 

 自分が着せられた浴衣に触れ、内側を確認すると半分泣きそうになりながら叫ぶ。こちらとしては血だらけの人間をそのまま寝かせる訳にはいかない。仕方が無いだろうと諭す。とは言え、見るからに年頃の女の子と言える。まぁ、こう言う反応にはなるだろう。

 

「なんで、何でこんな事に」

「こちらが聞きたいな」

「お前は少し黙ってろ!?」

 

 林檎の様になりながら涙目で叫ぶ。言葉通り、少しだけ口を噤んだ。幾何かの静寂。少女の荒くなった呼吸音だけが響く。いや、猫が歩く気配も伝わってきた。猫がもう一度少女の寝台へよじ登った。

 

「にゃあ」

「何だよ……」

 

 一鳴き。猫に不機嫌そうに聞く。

 

「っ!?」

 

 一瞬、気が緩んだのだろうか。静寂の中、ぐぅーっと、随分可愛らしい音が響いた。

 

「簡単な物でも用意するか」

 

 これ幸いと、猫に少女を任せ立ち上がる。現状、あまり良いものは無いが、全く何も無いと言うほどでもない。

 何か言い募ろうとする怪我人に、まぁ遊んでおけと宥めた。

 握り飯と卵焼き。時間だけを重視した即席料理である。手早く作り終え、中々使う事の無い小さなテーブルに置く。

 

「まぁ、食べてからでも良いだろう」

 

 凄まじく微妙な顔をしている少女に、とりあえず食えば良いと促す。自分の分も作っていた。握り飯を適当に手に取り、口に入れた。そうしたことで漸く少女も手に取る。おずおずと口に含んだ。

 

「すっぱい……」

「中身が梅だからな。他に昆布と鮭が幾つか。まぁ、気に入るかは解らんが、食べられるなら好きに食べると良い」

 

 海苔と具だけの簡単な物。二つほど食べたところで、茶を啜った。見ると、少女は結構な勢いで食事を続けていた。残ったらあとで自分が食べれば良いかと思って居たが、その心配も無さそうだ。少女のお茶を注ぐ。勢いよく食べていたため丁度飲み物が欲しくなったのか、茶に手を伸ばした。

 

「美味かった……あ」

「それなら良かった。普段から手の込んだ調理はしなくてな。とても他人に出すものなど無理で、簡単な物しかできない」

「……がと」

 

 再びばつの悪そうに呟いた様子に、少し笑みが零れる。口は悪いが、存外素直な子なのかもしれない。先ほどまであった怒りの雰囲気も幾らか薄まり、これで手打ちだと言った感じだった。

 とは言え、何となく予想がついた。最初は特異災害対策機動部の者と言う可能性も考えたが、その考えは大分弱くなっていた。怪我を負っていたり、必要以上に消耗していた。無理に現状から離脱しようとする様子もない。憶測でしか無いが、いきなり倒れた事といい、もう少しややこしい事情があるのかもしれない。

 

「とりあえず、服が乾くまではここで休んで行けばどうだ?」

「……良いのか?」

「服を置いて行かれても困ってしまう。元々倒れたから助けた。ある程度回復するまでは、寛いでもらっても構わんよ」

 

 警戒と遠慮。その二つが入り乱れた不安定な表情が浮かんでいた。考え込むあたり、他に行く場所に心当たりがないのかもしれない。

 

「……クリス」

「それが君の名か?」

「ああ、雪音クリスって言う。世話になったんだ。名前ぐらいは名乗らせてもらう」

 

 それが彼女の名である様だ。それだけ告げ、寝台に横たわった。つまりはそう言う事だろう。

 

「俺は上泉(こういずみ)之景(ゆきかげ)と言う。古風な名でな、良くユキと呼ばれるよ」

 

 僅かな間ではあるができた同居人。こちらに背を向けるように横たわったクリスに、自身の名を告げた。

 

 

 

 




今回は長編予定。短編とは特に関連性はありません。
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