煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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番外2.ユキと雪音と黒猫と

「あー。実家にいるような安心感。やっぱり良いな此処は。静かだ」

「……人の部屋に押しかけて来たと思ったら、行き成りどうした」

 

 黒猫を抱き上げ、温かさを堪能していたところで対面に座る少女が疲れたように零した。

 雪音クリス。かつて助けた少女が、自分の部屋に押しかけてきていた。

 先の事件で負った傷も、かなりの部分が癒えて来ていた。既に縫合されていた糸も抜かれ、ある程度自由に動かす事が可能となっていた。その為、自分の生活に必要な事も殆ど行う事が出来るようになってはいたのだが、本日は目の前で安心したように座る少女が手伝いに来たと言う訳だった。

 時折緒川と藤尭、風鳴司令が土産を持参して親交を深めに来る。もとい酒を飲みに来る以外に、響が意外と良く訪ってくれる。腕を怪我したのは自分の所為だと気にしているようだからだろう。時折顔を出す際は、小日向と言う友達を連れて来る事も多い。初対面の時は流石にぎこちない応対になっていたのだが、その辺りは女の子。猫を見ると目を輝かせた。その辺りで会話を広げた事で、幾分か気を許してはもらえていた。今では響と共に会話に交じってくるようになっていた。

 

「あー、とっきぶつに所属したら部屋を用意して貰えただろ。あの部屋がなぁ……」

「何か問題でも?」

 

 机に寝そべる様にクリスが続けるので促す。それ程大事な事では無いが、仮にも女子がだらしない姿を見せても良いのだろうか。気を許してくれているとも取れるが、微妙なところだった。クリス自身、大雑把なところと繊細なところがある。指摘すると赤面するだろうから言いはしないが、言葉通りだとしても、少し気を抜きすぎでは無いだろうか。仮にも男の部屋である事を忘れているのだろうか。今更ではあるが。

 

「そーなんだよ。問題も問題。大問題があってだな。うるさいんだよ」

「何がだ?」

「あいつ等だよ。あのバカを筆頭に、何故か仲間を連れてあたしの部屋をたまり場にしやがるんだよ。その所為で、おちおちだらけてもいられねぇ」

 

 二課が用意したクリスの部屋。どうやらその部屋が仲間内の溜まり場と化しているようだ。

 それはそうかと合点がいく。響は元より、クリスもリディアン音楽院に編入した事により学生として生活を送っていた。となれば、友人の一人や二人できるだろう。彼女ぐらいの年齢ならば、一人暮らしをしていると知ればたまり場にされるのも頷ける。多感な時期だ。自分たちだけの暮らしなどに憧れるのだろう。

 

「……口ぶりの割には、随分嬉しそうだな」

 

 だから迷惑してるんだぜ。そんな感じに話を締めくくるが、口許の緩みが見て取れる。本人は隠しているつもりなのかもしれないが、机に突っ伏しながらも緩んでいる横顔を見るに、嫌がっているとはとても思えなかった。

 

「う、嬉しい訳ねーだろ! なんでか合鍵持っている奴は多いし、プライバシーはガタガタだし、遊びに来たとか言って女子会開こうとするし、隙があれば泊って行こうなんてザラだし、その所為であたしが他の奴の分まで料理作らなきゃいけなくなるし、風呂入ろうとすると乱入してくるわ、仕方なく泊めてやると恋バナとか始めやがるし……。だ、大体好きなやつなんてそんな簡単に……」

「……そ、そうか。それは大変だったな」

「そーなんだよ。あんた位だよ、あたしに静かな時間をくれるのは」

 

 捲し立てるようにクリスが続ける。その言葉には苦笑だけが零れる。あたしは迷惑しているんだよと拳を握り力説しているが、どう聞いても楽しかった思い出を力説しているようにしか思えないからだ。それは言わぬが花と言う奴なので言う気は無いが、随分とこの子は変わったようだ。妙に感慨深く思う。

 決して特定の名前を言おうとはしないが、響や小日向、風鳴のを始め学院でも友人が出来たという事なのだろう。出会った時を思い出す。ノイズから助けようとしてくれこそしたが、倒れたこの子を運び意識を取り戻した時は、酷く懐疑的であった。何故助けたのか。何か目的があるのではないか。恐らくそのような事が頭に浮かんでいたのだろう。敵を見るような目で警戒されていた事を思い出す。

 あの頃に比べれば、随分と穏やかになったものだ。尤も、俺自体も、あまり友好的に接した訳では無いから仕方ない側面もある。そう言えば治療の際に服を脱がした。年頃だ。あれも大きかったのだろう。

 あのバカが出かけようとか言って仕方なく外に行くこともあるんだよと続けるクリスの言葉に耳を傾けながら思う。思っていた以上に青春を満喫しているでは無いか。

 

「……何笑ってんだよ」

「いや、あの雪音クリスがと思ってな」

「マテ、どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。初めて会った時を思い出していた」

 

 ちょっと待てとクリスがこちらに視線を向ける。続けると顔が一気に羞恥に染まった。

 

「おま、おま! 忘れろ、わーすーれーろ!!」

「別に恥ずかしがる事でも無いだろう」

「恥ずかしいにきまってんだろ! あんたにはあたしの……その……」

「ああ、そっちか」

 

 わーわーと声を荒げるクリスに一瞬そこまで気にする事かとも思うが、どうやら思い違いをしていたようだ。自分の態度では無く、裸を見られた事を気にしているようだ。まぁ、あれは仕方が無かった。諦めてもらうしかないだろう。

 

「忘れろよ」

「善処しよう」

「ったく。変な事を思い出させんじゃねーよ。なぁ?」

 

 抱き上げていた猫を下ろした際、さっとクリスの方へ向かった。それを受け止めたクリスが、同じように抱き上げ猫に話しかける。にゃあと鳴くだけではあるが、同意を受けたような気持ちになったのか、ふふんと得意げな顔になる。

 猫が居なくなった事により少しばかり手持ち無沙汰になった。片隅にある本棚から一冊本を取り出し視線を落とす。

 

「……おい」

「どうした?」

 

 読み始めるなり早々、不機嫌そうな声が届いた。視線を本に向けたまま答える。

 

「あたしが居るのに本を読みだすとはどういう了見だよ?」

「静かな時間が欲しかったのだろう? あまり話しかけるのも煩わしいかと思ってな」

「確かにそうは言ったけどな」

 

 読み進めていると、不意にクリスが隣に腰を下ろした。再び猫が此方に乗り移る。非常に読み辛い。結局本を置く。視線。感じた方を向くと、クリスがしてやったりと小さく笑っていた。別にムキになって怒るような事でも無いのだが、子供のような笑みを向けられるとどうにも調子が狂う。本当に黙るんじゃねーよと言う言葉に、子供かと零しながら猫を抱える。ふと、思い至った。

 

「そう言えばな、この子に名を付けていないのだった」

 

 クリスが来た時に名を決めようかと思っていた。何度かこの場に来てはいたのだが、他の面子もいて騒々しかった事もあり、後回しになっていた訳である。幸いな事に、今はクリスが傍に居るだけで、話題にするのも丁度よかった。

 

「そりゃまた、ヒデー飼い主な事で」

「まぁ、否定はしない。思いがけず飼う事になってしまったのではあるが、名ぐらいは付けるべきだろうか」

 

 抱き上げている猫が、にゃあと一鳴き。ほらコイツにも言われてるぞと、傍らの少女も笑う。

 

「そりゃそーだろ。こんだけ居座っているって事は、もう家族みてーなもんだろ」

「同じ日に転がり込んできたもう一匹は独り立ちしたようだしな。こちらは大切にしなければな」

「……その節はどーも。あれだ、どうしてもって言うのなら、偶には来てやっても良いぜ」

 

 クリスの軽口に、軽口で応じた。黒猫と一緒に拾った、大きな白猫。それが雪音クリスだった。

 あの頃は食事にも難儀していたようで、その頃に比べれば住む場所もあり二課から手当等も出ており、何不自由なく生活が出来ているようだ。

 

「暇な時にでも来ると良い。この子も懐いている様だからな。顔を見せれば喜ぶだろう」

「そっか。ふふ、まぁ、そう言うなら来てやるよ」

 

 頷く。自分自身、この意地っ張りな女の子が嫌いではない。それに、何となく放っておけない感じもある。

 様子を見せに来てくれると言うのならば、断る理由もなかった。年の離れた妹。そんな言葉が一番しっくりと来るだろうか。

 

「さーて、どんな名前が良いものか!」

「まぁ、普通な感じで頼むよ。黒猫だからその辺りで攻めれば良いか」

 

 名前である。あまりに変な物を付けてしまうと色々可哀そうだろう。猫ではあるが、笑われるような名は避けたい。自分の名はどちらかと言うと古風な為、昔の話だが何となく近寄りがたいと言われた事があった。無論猫には関係のない話ではあるが、そう言う経緯もあり、あまり変な名を付けるのも憚られる。それこそ、クロで良い気はする。

 

「にゃんこ先生」

「どうしてそうなった」

 

 ティンと来たぜっと声を上げたクリスに思わず問い返した。色々とあるが、何がどう先生なのか。

 

「いや、考えて見たらこの猫にあたしは色々と助けられた気がするからなぁ。自爆しそうな時とか、辛い時に色々台無しにされた記憶がある。あと、指導者の如くふてぶてしい」

「まぁ、物怖じしない猫ではあるが。先生は名前では無いだろう。あと、響辺りに由来を聞かれたとき、君は後悔するのではないかな?」

「……よし、やめよう」

 

 最初に上がった候補は却下となった。そもそも半分程度は名前ではないのではないだろうか。

 

「ならな……、ルーキーとか?」

「うちの新入りだからか?」

「良いじゃんシンプルで」

「なら、君の事も元居候的な呼び方にしないとな。宿無しでも良いか」

「それは何か情けないので却下。ホームレスとか呼んだら殴るからな?」

 

 第二案、あえなく撃沈。

 

「そうだな……、鳴き声がにゃあだからにゃーちゃんとかどうよ?」

「いきなり随分と可愛らしくなったな」

「だろ? 案外良い線いってるんじゃね?」

「だが却下」

「なんでだよ。納得行くような理由を出せ!」

 

 第三案。前回二つと同様却下の判断を下す。

 これならどうだと言わんばかりの白猫の意見を悉く潰していた。

 考えてくれているのは理解できるのだが、何と言うか色物感が凄い。

 

「俺がにゃーちゃんと言う場面を想像してみてくれ」

「……ぶふっ!? おま、何だよソレ卑怯だぞ!」

「そこまで露骨に噴き出すな」

「だって、あんたがにゃーちゃん。何の冗談だよってなるにきまってんだろ!」

「いや、君の口から出るのも大概なのだが」

 

 盛大に噴き出したクリスに、君もそこまで変わらないじゃないのかと返す。一度可愛らしく言わせてみようか。何故だろうか、ある意味凄まじく似合う気もする。

 とりあえず、単純に自分としてはにゃーちゃんなどと呼ぶのは柄では無い。呼べない訳では無いが、呼びたくは無い。

 

「っても、どうすんだよ。否定ばかりじゃ決まんねーよ」

「黒猫だからクロ。それで良いさ」

 

 結局、最初の方から考えていた案を出す。

 

「いくら何でも安直じゃね? そりゃ、シンプルなのは分かり易くて良いけどよ」

「解っているよ。だから、字で書くと玄と言う名にしようと思う」

「玄、ねぇ。何か意味でもあるのかよ」

 

 この子の言う通り、安直である。であるから、字は少しばかり変わったものにしようかと思ったわけだ。

 幸い自分の名は古風な物だ。之景と玄。それほど違和感はない気がする。

 

「玄は、黒い糸を成り立ちとしている字の様でな。綺麗な毛並みに似合うだろうと思った。字の意味としても、黒以外に静か、優れていると言ったものがある。安直ではあるが、それ程悪くは無いと思うのだが」

 

 他にも、自身の之と言う字には踏み出す、行くと言った意味がある。之が玄を伴うのは、相性が良いように思えなくもない。勿論、験担ぎの様なものでしか無いが、それでも十分な気はする。

 

「……、なんだ、そこまで調べてるなら、最初から決まってたようなもんじゃねーかよ」

「まぁ、そうなのだがな。一応君には聞いておきたかったんだよ」

「そりゃまた、どーしてだよ」

 

 決まってたなら最初から言えば良いじゃんと苦笑を零す白猫に、聞いておきたかったのだと返した。こればかりは、一人で決めたくは無かったのだ。少なくとも、同意は欲しい。

 

「まぁ、あの日二人を拾った訳だからな。短い間ではあったが、俺にとっては思わぬ場所で出来た家族みたいなものだった。たった数日ではあるが、それは大切なものにしておきたい。だから、あの場に居た君の意見も聞いておきたかった」

「……、やめろよ。湿っぽい事言うんじゃねーよバカ」

 

 だから聞いておきたかったんだと伝えると、白猫はそっぽを向いた。涙脆いのだろうなと思い至った。笑う。これで意地っ張りでもあるので可愛いらしいものだ。

 短い間ではあったが、クリスも含めて三人の同居人であった。その事実は大切にしておきたい。この意外と泣き虫な癖に意地っ張りな少女に、頼れる仲間が増えた事は喜ばしく思える。しかし同時に、同居人が減った事に関して、少しばかり寂寥も感じない訳でも無い。黒猫の名に何となくではあるが、繋がりを求めたのはもの寂しさを感じた所為なのかもしれない。

 

「まぁ、そんな感じな訳だよ」

「いーんじゃねーの。クロ。黒猫だから玄。シンプルで分かり易い」

 

 悪くねーじゃんと頷いたクリスの言葉を聞き、決める事にした。玄。何か、曖昧だった枠が明確になった気がした。妙な感じではあるが、嫌な物では無かった。

 

「そうだな。お前は今日からこの家のクロだ。よろしく頼む」

「にゃあ」

 

 抱き上げ金眼に目を合わせて告げた。手の中にいる温かな熱が短く答えた。

 意味など解っているはずは無いが、よろしくと返された気がした。

 それが何となく嬉しく思い、頭を数回撫でる。

 

「……」

 

 不意に視線を感じた。隣に座っているクリスが、何とも言えない視線をクロと自分に向けている。

 

「どうかしたのか?」

「あたしは……、いや、その、何でもない……」

 

 見るから遠慮がちに何かを言いかけ、言葉が潰えた。

 クロの方は未だ同居人ではあるが、白い方は既に独り立ちしている。

 自身がどことなく寂しさを感じたように、クリスの方もまた似たような思いを抱いたのかもしれない。

 群れを離れ独り立ちした。そんな心境なのだろうか。何となく解らない事もない。

 

「実家の様な安心感があるのだろう?」

「……え?」

「なら、偶には戻って来ると良い。先ほども言ったが、歓迎位はさせて貰うぞ」

 

 だからこそ、そんな言葉を贈る。奇妙な繋がりだった。その繋がりを大切にも思う。

 雪音クリスも同じように感じてくれているのならば、その気持ちは嬉しく思う。

 

「……うん」

 

 だから、その言葉と零れた笑顔を見た時には何処か安堵していた。

 近くにいる事は無くなった。それでも繋がりが完全に消えたわけではない。

 そんな事を実感したからだ。そういう意味でも、クロの名を決めて良かったと思う。

 

「っと、そうだった」

「……? どうかしたのかよ」

 

 ついでだからもう少しやるべき事をやっておこうかと思う。クロに付ける首輪。それも必要だと思っていた。

 

「いや、このまま君にも付き合ってほしいと思ってな」

「はぁ!? な、な、なにを言いだしてんだよ!!」

 

 だから告げたのだが、クリスの方はと言うと随分と話し込んでいた為飲み物に口をつけようとしていたところで、一瞬で赤面した。行き成りどうしたのだと思いつつ、考える。ああ、そう言う事かと思い至った。

 

「ん……。ああ、言い方が悪いな。この後、首輪を買うのに付き合ってほしい」

「首輪!? い、一体どんな事を強要する気なんだよ!?」

「いや、猫の首輪だ。飼い猫の証明。買うと決めたなら、あった方が良いと思う」

 

 言い直して尚、勘違いが加速する。最初は兎も角、今のは話の流れから理解できそうなものだが、更に真っ赤になりあわあわと狼狽えている。妹分相手にそんな気など毛頭ないのだが、随分と明後日の方向に思考が飛んだようだ。口が悪い割に初心な様だ。意外な様であり、同時に違和感もない慌て様に苦笑が零れた。自分は武門の一員である。強い子を残すと言うのは一門の使命の一つとしてあるにはあるが、そう言う対象としてこの子を見たくは無かった。血が受け継ぐ技の研鑽。それは簡単な事では無い。

 流石にこれ以上誤解を増やすのもアレな為、分かり易く端的に伝えた。此処まで言えば、間違えようがない。

 

「……ああ、もう、吃驚させんな!」

「最初は兎も角、二度目は君が暴走しただけではないか?」

「ちげーよ! 全部紛らわしい言い方したあんたがわりぃんだよ! 付き合えとか……首輪買いに行くって……なんだよ。変な趣味でもあんのかと」

「流石にそれは無いから安心しろ」

 

 確かに言い方が悪かったところが有るのを認めるが、そもそも俺の事を何だと思っているのだろうか。そんな疑問が浮かばないではない。それについて問いただすと、機嫌が一気に悪くなるのが予想できる為実行に移しはしないが。

 

「まったく。変な言い方すんなよな」

「さて、行くか」

 

 まだ怒っているクリスを尻目に立ち上がる。これ以上話していても同じ事を繰り返すだけだろう。

 

「ちょ、置いてくなよ!」

「では行ってくる」

 

 慌てて駆け寄って来る。その姿を認め、家を出た。猫がにゃあと返事を返した。

 クリスが隣にまで来ると抗議の声を上げる。それを宥めつつ歩いた。

 結局、この日は赤色の首輪を一つ買い部屋に戻るのだった。

 

 

 

 

 




クリスちゃん回。微糖風味。

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