「逃げないのか?」
声が届く。リディアン音楽院の校門前。五人の人間に取り囲まれた暁切歌と月読調は、冷や汗を流していた。勝ち抜き大会の王者となった雪音クリスに挑む形で、二人は壇上に立っていた。シンフォギアのペンダントの入手。この大会で優勝すれば、何でも願いが叶えられると勘違いした二人が、装者の持つソレを奪い取ろうと参加していた。紆余曲折在り、結局は失敗しそしてそのまま捕捉され、取り囲まれたと言うのが現状だった。
何の感情も浮かばない瞳に睨め付けられ、一切の行動が取れずにいた。シンフォギア装者三人だけなら何とかなると思うが、これは無理だと第六感が警鐘を上鳴らす。化け物が二つ。シンフォギア装者よりも、この場では二人の人間が厄介だと言えた。一人は風鳴弦十郎。特異災害対策機動部司令。もう一人は、同じく特異災害対策機動部所属、上泉之景だった。シンフォギアを予め纏っている状況ならばいざ知らず、生身で対峙してしまっていた。聖詠。今の距離ならば、歌よりも拳の方が早い。そんな事を理解する前に、二人を圧倒するように充満している剣気が動きを止めていた。手刀。例え武器を手にしていなくとも、剣士は剣を抜けるのだ。上泉之景は、ただ逃げないのかと問う。動ける訳がない。二人にとって生身で対峙してはいけない敵に遭遇するのは初めてだった。
「動け……ない?」
「何ですか、このトンデモは……!?」
彼女らの筆頭格であるマリアがユキと対峙した事があるので顔は知っていた。ウェル博士にも、規格外の一人である為、覚えておくと良いですよと忠告されていたのを思い出す。あの時は一応は心に留めたつもりではあったが、実際に体験してみると、冗談と笑い飛ばす事が出来ない重圧に、動く事も出来ず悪態が零れる。ウェル博士はコレと対峙して尚、何時もの態度を崩さなかったと言う。二人は博士の事を信用していない、だが、ほんの少しだけ、百万分の一程度ならば見直しても良いと本気で思ってしまう程であった。博士の日ごろの行いの賜物である。
武装組織フィーネの、元米国政府聖遺物機関F.I.S.に所属していた関係者の集まりである彼女等にとって、先の戦いで戦場に出たネフィリムは計画の要である為回収に向かった際、マリアが一度対峙していた。ウェルは兎も角、マリアの言う事はもっと真剣に聞いておけば良かったと後悔するが、今となっては遅い。
「F.I.S.所属の装者だな。悪いが拘束させて貰うぞ。抵抗はしないで貰いたい。この距離ならば聖詠が終わるよりも拘束する方が早い」
「くっ……」
「私たちは、まだ捕まる訳には行かないデス」
風鳴弦十郎が出来る限り穏やかな声音で言うも、二人は抵抗の意思を見せる。だが、虚勢でしかない。剣気の中で震える姿を見れば、逃げる事などできはしないと三人の装者は確信していた。自分たちもいるのではあるが、もうこの二人だけで良いのではないかと思ってしまう程である。
『――
不意に、風が動いた。ユキと司令の二人が凄まじい勢いで振り返った。えっと、五人の装者の表情が驚きに染まるも、彼女らの疑問に言葉が返されるよりも先に、何もない空間からそれは聞こえて来た。
『全く、子供と言うのは大人の気も知らず好き勝手やってくれます。下手を打った挙句、捕らえられたと言うのでは笑い話にもならない』
「ドクター?」
「ええ。僕ですよ。尤も、音声だけですがね。今は手が離せないので、手短に相手をさせてもらいます」
切歌と調は唐突に表れた不可視の闖入者に目を見開く。
「ちっ……。黒金か」
『そう言う事ですよ。理解が早くて助かります。不可視の殺戮者。そんな物語の様な物を解き放ちたくは無いでしょう?』
突如響いたウェルの声にユキは即座に理解する。不可視の敵。何度か相手をしていた。近距離で動き回れば音や振動で存在を察知できるが、人が多いほど感知が遅くなっていた。学園祭で人の出入りが多すぎる。気付くのが遅れたという事だった。そもそも気付けること自体がおかしいのだが、卓越した武門や防人ならば関節が奏でる異質な振動等で、察知可能だった。既に人間業では無い。
『しかしまぁ、それではあなた達の気が済まないでしょう。後日装者同士で決着を着けるとしませんか?』
「断れば、学院の者を殺すと言う訳か。相変わらず、やる事が下劣な人だ」
「待つデス! 幾らドクターでも、この場に居もしないでそんな事できる訳無いデス。それにマリアがそんな事許す訳が……」
「……本気で言っているの?」
二人の装者が慌てて問い返す。自分たちもギアを纏えるならばその手の脅しを行おうと思っていたが、眼前にいる規格外の前ではその隙が見つけられない。本当にそんな事が出来るのかと思う反面、ドクターならばやりかねないと焦りが生まれる。ウェルはそれ程容赦がない人間だからだ。
『そうしなければ、計画が破綻するでしょう? 仕方ないじゃありませんか!』
「仕方が無い。その為に殺されろと言うのだな。まるで贄では無いか」
切歌と調の問いに、ウェルは感情を乱さずに答える。ウェルのやり方を知っているからこそ、ユキは食って掛かる。以前は守りきれた。だが、今回も同じとは限らない。そのやり方が気に入らない。
『目的の為には必要な礎と言ってください。それに、あなた方が提案を受けさえすればこちらとしても幼気な学生たちを手に掛けずに済みますよ?』
「礎とは自らの意志でなる物だ。父が子にしてやるようにな。他者が強いるものではない」
『何とでも言うが良いですよ。どちらにせよ、あなた方は首を縦に振らざる得ないのだから』
「ユキ」
「解っていますよ」
相手の挑発に乗るんじゃないと司令が肩に手を置く。そんな事は解っている。だが、人には許してはいけない事もある。その姿勢だけは示しておかなければ気が済まない。学生を盾とされれば相手の言いなりにならざる得ないが、それでも示しておかなければならないのだ。人として、それは譲れない。
『ほらね。どれ程粋がろうと、最後には折れざる得ない。あなた方は、その程度ですよ』
「例え一時的に膝を屈しようと、本質は折れぬよ。お前にはな」
『ははは、精々吠えると良いですよ。弱い犬とはそう言う物ですからね』
「姿を現す事すらできぬ腰抜けに、弱いと言われるとはな」
『こちらを見つけられないあんた達が愚かなのですよ。自分たちの出来の悪さを天才の所為にしないで欲しいですね。何でもかんでも人の所為にして恥ずかしくないんですか?』
「他者に求めるばかりのお前には言われたくない。偶には自分で血を流したらどうだ?」
ユキからすれば自分で血を流さないウェルは卑怯者でしかなく、ウェルからすれば自らの血を流すユキは愚か者でしかない。
『嫌ですね。僕は裏方担当なんですよ。適材適所と言うでしょう』
「そうか。ならば裏方らしく、支援に徹すれば良いでは無いか」
『本当に愚かですねぇ。それでは僕が英雄的な軌跡を歩めないではないですか』
「本当に腐っているな。これが英雄になると言うのだから世も末だ」
応酬が続く。周りで聞いていた者達は、この二人が解り合う事は無いだろうと確信していた。二課所属の者達は勿論、敵対者の切歌や調さえも思う。良くこの博士を相手に此処まで返せるものだと。好敵手。そんな言葉が浮かぶ。二人の在り方が違いすぎるからこそ反発するが如くぶつかり合っていた。敵対する立場でありながら、思わず二人はユキを応援したくなる。少なくとも言葉だけを見れば、ユキの方が信頼に足るからだ。尤も、彼女たちにとってはウェルが味方な訳だが。
「調、何かあたし恥ずかしくなってきたデス」
「……奇遇だね切ちゃん。私もいたたまれなくなってきたよ」
「何でこんなのが味方なんデスか」
「仕方ないよ。ドクターは、能力だけはあるから。例え悪いと思っていても、やらなきゃいけない事があるから」
やがて言い合いが終わった時、そんな言葉が零れるのも仕方が無い。味方となる人が逆ならばどれだけ良かったかと夢想してしまうのも仕方が無い。計画の為とは言え無辜の学生を人質に取る者と、その学生らを守ろうとするもの。心情としてはどちらに付きたくなるか。考えるまでも無いだろう。
「私達だけで決着を着けたい」
「そうデス。必ず決着をつけてやるデス!」
せめて、自分達だけでも誠意を持ちたいと思い、二人の少女はそう言い放った。決着は自分たちの手で着ける。そんな覚悟を決める。卑怯な手で逃げようとしている。せめて、戦う時は正々堂々と向かい合いたかったからだ。
「望むところだ」
「それが、最も妥当なやり方という事か。叔父様、それで構いませんか?」
「ああ。学院で被害など出す訳にはいかないからな」
クリスと翼が決闘に応じる。一人、響だけが頷かない。それでも、決闘が行われる事だけは決まっていた。
『全く、誰も彼も僕を悪者扱いしてくれて嫌になりますよ。困っているからと思って、折角血路を開いてあげたと言うのに』
「別に頼んでないデス」
「もう少しましなやり方もあったと思う」
『……これだから子供は。遊び感覚でいるからたちが悪い。まぁ、良いでしょう。では、彼女らの事は見逃して貰いますよ。決闘の時はこちらから知らせますので』
切歌と調は開かれた道を通りその場を後にする。二課の五人だけがその場に残った。不可視の敵に備える。口約束通り、黒金は撤収したようだ。異質な気配は消えている。全員がその事実に張り詰めていた気を少しだけ弛めた。
「調ちゃん、例え悪いと解っていてもやらなきゃいけないって言ってました」
「ああ、そうだな」
「なら、私は止めて見せます。あの子達も悪い事だって思っているんです。だから、誰かが止めてあげないといけません。だから、私は戦えます」
響がユキに向かい静かに宣言した。頷く。一言。そんな響に、無理だけはするなと告げるのだった。
東京番外地・特別指定封鎖区域。かつて、旧市立リディアン音楽院が存在していた場所。その地にノイズの反応が検知されていた。武装組織フィーネ。米国連邦聖遺物研究機関、通称F.I.S.を離脱した者から構成されていた。風鳴弦十郎率いる二課も、前進となるその機関から名を取り、F.I.S.と呼ぶ事に決まっていた。そのF.I.S.との決闘の約束が交わされており、決闘開始の合図がノイズ出現という事であった。
大型輸送機がまるで狼煙の様に出現したノイズの反応に向かい、装者を連れて移動する。立花響、風鳴翼、雪音クリス。二課に所属する装者全員が召集されていた。決戦。そんな言葉が思い起こされる。不測の事態に対応する為に現場待機を命じられたユキもまた、その輸送機に同乗していた。
「ノイズが出現したという事は、あの男もまた存在しているという事だろう。気を抜かないようにな」
三人の装者。全員の準備ができたところで、ユキはその一言だけ告げた。三人が頷く。先のやり取りで、敵対する相手の中でもウェル博士にだけは警戒しておくべきだと理解していた。計画の為になら、どんな非道な手でも取れる類の人間だった。ユキからすれば、彼の相手だけは自分が行いたい訳だが、大量のノイズの出現も予想される。人でしかないユキもまた、待機の命令が下ったという事だった。
「大丈夫です。必ず勝って、あの子達を止めて見せます!」
「ああ。決闘を申し込まれました。防人として、無様な姿は晒せません」
「あたし達なら問題ねーよ。直ぐに帰って来る。またあんたを戦わせて怪我でもされたら夢見が悪いからな」
三者三様の答えを返す。響は必ず止めて来ると笑い、翼は挑まれれば下手な事は出来ないと闘志を燃やし、クリスは安心して待っていろと告げそっぽを向いた。特に、クリスからすれば、ユキは知らないところで戦いの場に向かい、大抵怪我をして戻ってくる人間である。強いのは身に染みているが、戦いに向かう事自体が心配だという事だった。そんな三人に、ユキは武運を祈ると短く告げ見送る。
通信機はついており、輸送機にも簡易ディスプレイが搭載され、戦場の様子を見る事が出来る物だった。荷物は多くあるが、その一角に陣取りユキは只見守っていた。右手には太刀を一振り。見詰めていた。三人に実力がある事は知っている。だが、相手にはあのウェルも存在している。搦め手。それが何よりも気掛かりだった。戦えるとは言え、まだ未熟な面も多い。妄執とも言えるウェルの願望の一端を知る身からすれば、どれだけ強かったとしても、安心できる要素にはならなかった。
「お前……!」
「ウェル博士?」
指定された場所。かつてフィーネが打ち立てたカディンギルが屹立していた直ぐ傍。そこにウェル博士がノイズを従え待ち受けていた。装者たちが即座に聖詠を唱える。光が瞬き、シンフォギアをその身に纏った。ノイズが動き出す。三人は各々の武器を構え、戦場へ踏み込んだ。赤が重火器を撒き散らし、青が剣を振るい薙ぎ払う。そして橙がその拳を以て、ノイズを煤へと変える。三者の前では数だけが多いノイズは敵になり得る事も無く、多くを打ち払いウェルと対峙する。
「切歌ちゃんと調ちゃんは!?」
問いかけ。響にとっては、あの二人を止める為に赴いた戦いだった。だが、この場に居るのはウェル博士だけである。その疑問は当然だった。そんな様子を見たウェルは口元を皮肉気に歪ませ笑みを浮かべる。それが響の何かを刺激する。
「あの子達は謹慎中ですよ。当たり前じゃないですか。組織に在りながら、目的への妨げになる行為を行うばかりか、いらない手間を掛けさせてくれたんですよ。子供なら、少しぐらいお仕置きされるのも仕方が無いでしょう?」
「決闘じゃなかったのかよ!?」
「馬鹿な子達ですねぇ。我らがその様な約束、何故守らなければいけないのですか?」
「……先生が嫌う訳だ。あなたには人としての矜持が無い様だな!」
約束はどうしたんだと憤るクリスに、ウェルは何を馬鹿な事をと哄笑を向ける。ソロモンの杖。雪音クリスを挑発するかのように掲げ、ノイズを更に召喚する。風鳴翼が前に出る。一閃。ノイズを斬り裂き、怒りを闘志に変え叫ぶ。先の対峙の際、あの上泉之景が敵意を露にしていた。その理由も現状を見れば容易く理解できた。ウェルにとっては敵との約束などと言う物は何の意味も無く、無駄意外の何物でも無かった。目的を達成する為ならば、敵の事など一考に値しない。それは、非常に合理的ではあるが、人として守るべき物すらも捨ててしまっていた。外道。そんな言葉が思い浮かぶ。
「なら、何であんな約束を?」
「だから馬鹿だと言っているんですよ。約束? 目的を達成する為に、そんなものを守る必要が何処にあると言うんですか。むしろ、敵である僕の言葉を信じるあなた達こそが、非常識なだけです」
「切歌ちゃんと調ちゃんは、決着をつけたいと言いました!」
「だから何だと言うのですか。お友達感覚で計画遂行を妨げるられてはたまったものではありませんよ。その様な事実、一顧だにする必要はない!!」
「あなたは、人を何だと思っているんですか?」
「そうですね。英雄が守るべき者であると同時に、役に立つものと立たないもの、ですかね?」
ならばなぜ約束などしたのかと問う響を、ウェルは一笑に付す。何故敵の言葉を簡単に信用できるのか。それがどれ程ふざけた事なのか、何故解らない。悪意だけが満ちた笑みを浮かべ、言葉の刃で響を切り刻む。
「っ!? この腐れ外道がっ!! お前のような奴がソロモンの杖を使うんじゃねぇ!!」
「嫌ですね。僕意外にこの杖に相応しい者など存在していませんよ。目的の為になら、どんな非常な決断もできる。人を殺す為だけの力。まさに僕が振るう為に有るじゃないですか!」
「っ、あたしが間違ったばかりに……お前みたいなやつに!!」
雪音クリスが激昂した。ソロモンの杖。かつてクリスが起動させてしまった、完全聖遺物。それが、ウェルのような男に利用されている。この男は殺す事に躊躇など無い。それが痛いほど伝わるからこそ、焦燥と共に怒りが抑えきれないところまで来ていた。後悔と義憤の間で生じる感情を制御できないまま叫ぶクリスに、ウェルは小馬鹿にするような態度で迎え撃つ。更にノイズが呼び出される。重火器の一斉掃射。次々と増えるノイズを煤と変える。息が上がる。不必要な爆撃に、体力が持っていかれる。
「立花、雪音。言葉に惑わされるな!」
そんな二人の様子に、翼が鋭い叫びをあげる。だが、激昂しているクリスは勿論、言葉の悪意に怯む響にも大した効果が出ているように思えない。さらに増え続けるノイズ。駆けながら切り裂いていく。それでも敵の数は減らない。舌打ち。風鳴翼を以てしても、悪い流れに傾きかけていた。
『司令、出るぞ』
『待て』
『しかし』
『待てと言っている!』
武門と司令の身近なやり取りが届く。未だ現場には大量のノイズが存在しており、幾らユキとは言えまともに戦えるわけがなかった。そんな状態では、博士と因縁が深いユキが狙い撃ちされるのは目に見えていた。感情を押し殺した司令の言葉が、武門を押し留めている。
『例え味方だとしてもこれはあんまりデス』
『っ、これが、私たちの歩む道なの……?』
装者と博士の戦いを見るF.I.S.の装者もまた、交わされるやり取りに言葉を失う。守る物の為に悪を成す事を決めていた。だが、これは余りにも。唇を噛む。血が流れた。
「そうだ……。調ちゃんは言っていた。目的の為には悪い事だと解っていても、為さなければいけない。あなた達は、何を目的にしているんですか!?」
悪意に切り刻まれながらも、響は問いかける。切歌と調は、何を成そうとしているのか。それを知る事だけを頼りに、ウェルに問いかける。
「私たちの目的ですか? ならば教えてあげましょうか。我々の目的は、人類の救済! 月の落下によって生じる無辜の民を可能な限り救済する事ですよ!!」
凄絶な笑みを浮かべ、月に向かい指を差した。カディンギルにより破壊された月の軌道。大きく変わったそれが地球に目掛け落ちて来る。ルナアタックが起こした弊害ですよと、皮肉気に笑う。
「月が!?」
余りに予想外の一言に、響の動きが止まる。
「馬鹿な。そのような事実があるのなら、各国が公表しない筈が――」
「公表するなど、ある筈がないですよ!」
それが事実ならば、各国が黙っている訳がない。そう続けようとした翼の言葉に、ウェルは被せるように続ける。
「対処法の見つからない極大災厄。それによって引き起こされる甚大な被害。どれ程だと思います? そして、それから逃れられる人間には数に限りがある。それも人類全体から見たら、ほんの僅かな数です。その事実が公表された時、どんな事が起きると思いますか!?」
「そ、れは……」
その言葉が事実だとすれば、簡単に思い当たる。真実を知る事による混乱、逃げられない事による絶望、そして僅かに作られた生を掴む為の争いだった。
「不都合な真実を公表する理由など、何も無いのです。ならば、何があっても隠し通すと思いませんか? 何せ、生き延びられる数には限りがあるのですからね! 知らなければ何も起こらずに、時が来て見知らぬ誰かが消えるだけなのですから!!」
「まさか、この事実を知る連中ってのは、大勢を見捨てて自分達だけが助かろうと……?」
もし事実なのだとしたら。だが、事実であるからこそ、F.I.S.は立ち上がったのだろう。そうでなければ、世界を相手に宣戦布告までする意味が解らなかった。それ程の覚悟を以て挑んだと、嫌でも思い当たる。
「だとすればどうすると言うのですか? ルナアタックの英雄たち。あなた達ならば、どうやって世界を救いますか?」
「……っ!?」
ウェルの問い。世界は存亡の危機に瀕している。それに向け、どうやって立ち向かうのか。英雄と呼ばれた少女たちに、博士は問いかける。返す言葉などありはしない。シンフォギアの決戦兵装を用い絶唱を歌って尚、月の欠片を砕いただけであった。エクスドライブすら使えず、使えたとしても迎え撃つ公算がある訳でも無い彼女らに、打てる手など何も無かった。大きすぎる災厄と、無力すぎる自分たちの力に、戦場に立つ足が揺らぐ。
「それがあなた達の答えですか。良く解りましたよ。代わりに我らが提示するのは、ネフィリム!!」
何一つ言い返す事が出来ない装者を満足げに見回すと、ウェルは代わりに自分たちが示すのですよと高らかに宣言する。大地が揺れた。クリスの足元。隆起。
「くぁ!?」
突如現れた化け物に吹き飛ばされ、雪音クリスが地に落ちる。化け物。かつて廃病院で見た影が、さらに大きくなった存在が肉食獣の如く、口許から涎を垂らす。低いうなり声、辺りに響く。
「クリスちゃん!?」
「雪音!?」
奇襲を受けたクリスに、風鳴翼が救援に向かう。抱き上げた。
『――自動錬金』
不意に電子音声が響く。翼が目を見開いた。眼前。突如現れた黒金。既に大爪を振り被っていた。クリスを抱き抱えた為、翼は丸腰である。これ以上ない瞬間に牙を剝いた。
「くぁ!?」
自動人形の一撃。それをもろに受けた翼は、クリス事吹き飛ばされる。咄嗟に赤を強く抱きしめるが、次いで受ける強すぎる衝撃を殺し切れず、意識が飛びかける。
「翼さん!?」
その直前届いた悲痛な声。それが、風鳴翼の意識をギリギリ現実へと留まらせた。
「うぁ……」
衝撃で気が付いたのか、雪音クリスもうめき声をあげ薄く目を開く。朦朧としない。二人の装者に、ノイズが粘液を吹きかけ、絡め捕った。
『司令!』
『あと15秒待て!』
『これは……、許可が?』
『下りるものかよ! 責任は俺が取る。司令とはそう言う物だ!!』
三人の装者のうち、二人が戦闘不能に追い込まれていた。黒金。ノイズの傍らで歩を止め姿を消す。響は只一人、化け物と対峙する。完全聖遺物ネフィリム。他の聖遺物を食らう事で成長する自律稼動するエネルギー増殖炉。化け物の形をした完全聖遺物が、響に襲い掛かる。通信。耳に届くが、内容が入ってこない。構える。響だけで、二人をネフィリムから守らなければいけない。踏み込み。司令との鍛錬を思い出す。負けられない。その意気を以て、挑んでいた。
「人を束ね、組織を編み、国を守護する。少数を殺し、大勢を生かす。ネフィリムはそれを為したる英雄の力!」
掌打。打ち上げ。大きく開いた胴体への回し蹴り。熊以上に巨体なネフィリムの体を打ち上げ、吹き飛ばす。遠くからウェルの言葉が聞こえる。ネフィリムの息遣い。荒々しいそれが、涎と共に吹き飛んでいく。
「ルナアタックの英雄よ。その拳で何を成す!」
「わたしは……」
ネフィリム。立ち上がる。一気に間合いを詰める為駆け抜ける。ウェルの言葉に、響は短く呟いた。咆哮。腰部推進装置を起動、見据える。拳を握った。飛ぶ。ノイズ。ネフィリムと響の間に割り込ませた。
「そうやって、君は誰かを守りたいという拳で人々を守る力を打倒す!」
ネフィリムに向かう響にウェルは言葉の刃を投げかける。ノイズは盾となり煤となる。だが、言葉の刃は少女を斬りつける。ネフィリムの眼前。左腕を握りしめた。
「何かを守りたいと言いながら、もっと多くの人間をぶっ殺す訳だ!!」
――それこそが偽善。
凶刃が胸を穿つ。守りたいと言いながら、多くを殺す。その言葉の刃が、誰かを守りたいと願い戦う少女を貫いた。脳裏に、月読調に言われた言葉が過る。偽善者。短いが、確かに響を撃ち砕いた言葉だった。
「私は……英雄なんかじゃない! 少数を見捨て、多くを救うのが英雄だと言うのなら、私は英雄なんて呼ばれたくない。私は目の前で血を流す誰かを見捨てたくないんだ! 誰かを殺す事でしか多くを救えなかったとしても、目の前の人を救った上で、皆を生かす事を諦めない!!」
――難しく考えるな。偽善でも良いのだよ。
だけど、響はある種の答えを得ていた。ルナアタックの英雄。響はそう呼ばれていた。だが、自分は英雄などでは無い。心の底からそう思っていた。立花響にとっての英雄は、立花響である筈が無いのだ。考えて見れば、当たり前の理由だった。かつての事件の際、全てを失ったと思い何も考えられなくなっていた。何もわからなく、ただフィーネに痛めつけられた。その時に守ってくれた人。自分と同じ痛みを負って尚、シンフォギアすらなく生身で血を流しながら戦い続けた人。あの時の恩人に、上泉之景に道を示して貰っていた。偽善でも良い。自分の気持ちに嘘が無いのならば、見え方の違いに他ならない。そう教えてもらっていた。そう信じて貰っていた。だから、響は揺らがない。
腕を食らう様に開かれた大口。咄嗟に軸足を回転させ、腕を引き戻す事で往なした。突き出されたネフィリムの首。渾身の右手を打ち込む事で吹き飛ばす。私はクリスちゃんと翼さんを守らなきゃいけない。そんな意思を胸に抱き、完全聖遺物を見据える。
「成程。何があろうと諦めず、全ての人を救う。どんなに少数でも見捨てない。実に素晴らしい覚悟だ。その覚悟だけは、おとぎ話に出て来る英雄達と同格と言っても良いでしょう。だからこそ、反吐が出る」
ネフィリムは幾らかふらつくが、いまだ健在である。他の聖遺物を食らう完全聖遺物にとっては、シンフォギアも食料に他ならない。涎を垂らし、喰らう事を夢想している。負けられない。ウェル博士の言葉に惑わされるわけにはいかなかった。
「……私は、英雄なんかじゃありません。私なんかが、英雄な筈がないんです」
英雄だと言う言葉を否定する。響にとって、自分の想いは特別なものでは無かった。困っている人を助けたい。その尊い想いも、彼女からすれば当たり前の想いだったから。何よりも、立花響は自分にとっての
「そうですね。ルナアタックの英雄などと呼ばれようと、あなた達は本当の英雄ではない。ごく少数の犠牲すらも許容できず、ありもしない希望に縋り、結局は何も救えずに終わる。ただの、優しい女の子でしかありませんよ。無力で愚かな、ね」
哄笑。響の言葉には穴がある。諦めない。だが、現実として何の可能性も提示できていなかった。それでは、ただの小娘の絵空事に過ぎない。何一つ守る事が出来ず、全てを失うだけの、弱い人間の言葉だった。
「そうだったとしても、私は生きる事を諦めない。生かす事を諦めない!」
「それがあなたの覚悟と言う訳ですね。その想いだけは汲んであげますよ。だから、良い事を教えてあげましょう」
ネフィリム。響に向かい拳を振るう。それを往なし、流し、隙を晒した胴と頭部に打ち込む。撃槍たる両腕。想いを込めて振るい続ける。守りたいものがある。失いたくないものがある。だから私は戦える!
「
「……っ!? 翼さん、クリスちゃん!?」
ウェルの鋭い声が轟いた。響に向かっていたネフィリムが、不意に進行方向を変更した。翼とクリス。絡め捕られた装者二人にネフィリムが向かう。対話をしていた為、ほんの一瞬虚を突かれた。ウェルは高笑いを浮かべる。懐に手を入れた。あるものを取り出す。
「ネフィリムは聖遺物を食らい力を増幅する。それはシンフォギアも例外ではない! そして、それは奏者が纏おうが、捕食には何の影響も与えない!! 英雄と呼ばれた弱き人間を喰らえ、ネフィリム!!」
「っ、二人が食べられる……? させない! 絶対にそんな事はさせない!!」
どこか鈍足であったネフィリムが、驚くほどの速さを見せている。それに違和感を抱く暇を響は与えて貰えなかった。大切な友達が食われる。そんな事、絶対にさせる訳にはいかなかった。走る。だが、ネフィリムには追い付けない。腰部推進装置、両手の腕部ユニットを展開。ネフィリムを遥かに超える加速を以て、二人の前に立つ。
「絶対にやらせない。二人をこんな化け物に食べさせるなんて、絶対に絶対やらせるもんか!!」
「……立花」
「……このバカが」
襲い来るネフィリムの正面に割り込んだ。拳。既に限界まで高められた力が、唸りを上げている。守るんだ。絶対に絶対。私が守って貰ったように。想いを込め、拳を振るう。
「ええ。食べませんよ。最初から狙いは、後ろの二人ではありませんから」
「え……?」
必死だった。友達を死なせてなる物か。それ程必死であったからこそ、気付けなかった。少女の想いを踏み躙るかのような声が届いた。最初から、狙いは別だった。悪感。凄まじいそれが背筋を駆け抜けた。かつて、似たようなものを味わた事がある。上泉之景と対峙した時に感じた感覚。今感じている物から、殺意を抜けばより近いものだった。時には人の力に、或いは悪意に膝を折る事もあり得る。走馬灯のように言葉が思い起こされた。身を以て教えてくれていた。それを生かせなかった。渾身の一撃。既に放たれた後である。
『――自動錬金』
ネフィリムの正面。不可視の障壁が響の拳を阻んでいた。低く屈んだ自動人形。腕を翳している。一瞬、何が起こっているか理解できなかった。目の前の事実が、認識できない。
「だから、あなたには何も守れないと言ったのですよ。ルナアタックの英雄!
――
電子音。眼前でネフィリムが光に包まれる。それは、見た事のある光だった。シンフォギアを纏う際に発する光。それに酷似していた。目が見開かれる。ウェル博士の発する言葉が理解できない。だけど、記憶の中にある感覚が教えてくれていた。今すぐに体勢を立て直さなければいけない。
「英雄の為に、血を流してください」
「……ユキさん?」
何処かで見た銀閃が奔った。腕を引く。引いて違和感を覚えた。引いたはずの腕が帰って来ない。眼前で、何かが宙を舞っている。シンフォギア。それを纏う腕。立花響の両腕が空を舞っていた。
「立花!!」
「なっ、おい!?」
「え……?」
下がる。そして、力なくへたり込んだ。何が起こているのか、響には理解できない。理解が追いつかない。解る事は、両腕が落ちている事である。そして、ネフィリムが迫っていた。両腕が長大な剣と化している。
「あ、え、な……んで?」
ネフィリムが腕に向かう。そのまま大口を開け、食らいついた。体から何かが抜けていくように、急激に冷たいものが流れる。解らない。今行われている事が、何かわからない。ただ、怖くて仕方が無かった。
「言ったでしょ? あなたは英雄なんかじゃない」
ウェル博士が諭すように告げた。慈愛に満ちた笑み。それが、怖くて仕方が無い。悪意。それも響が感じた事の無い、戦場のソレだった。
「あ、あ、あ、ああああああああああああああああああ!!!!」
両腕から血が噴き出る。噴き出している事に、今気づいた。抑えようとして、両腕が付いていない事に気付く。体の奥底から込み上げる恐怖。まだ子供である彼女に、抑える事などできる訳がなかった。
「くくく、ふふふ、はははっはははっははは!! これが、英雄の剣。僕が手にした力だ!!」
少女の慟哭。それをかき消す英雄の咆哮が発せられる。
響の英雄は、まだ来る事は無い。
書いていて 殴りたくなる この博士