煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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9.先達の在り方

「傷の調子はどうですか?」

「問題があると思うか?」

「腕から胸にかけて斬られれば、普通は起き上がれないと思うのですが。……まぁ、武門ですからね。戦う為に人為的に研ぎ澄まされた人間。傷の治りが早いとはいえ、無理はしない方は良いですよ」

 

 見舞いに来ていた緒川の言葉に頷く。武門上泉。戦う為に、人間を選んで少しずつ昇華された血統だった。少しでも強い人間を作る。その為だけに磨き上げられている一族だと言える。剣聖。ウェル博士の言葉を思い出す。強すぎた人間。その血を更に昇華、後世に残していくのが武門の役目だと言えた。何百年もの間で築き上げられた身体はこの程度では死にはしない。包帯を見る。少女一人止める為に負った傷。大したものではない。身の程はわきまえていると緒川に告げる。寝言は寝てから言ってくださいと笑顔で返された。

 

「あの子らは?」

「響さんは個室に移されましたよ。未だ意識は戻らない状況ですが、峠は越えています。両腕の経過も良い様で、問題は無さそうとのことです」

「そうか。それならば良かった。二人は?」

「翼さんは司令との話が終わった後、剣を振っていますね。不甲斐ない。そんな言葉が背中から見えますよ」

「まぁ、あの子は防人だからな。良いようにやられ、後進が殺されかけた。そう思うのも無理は無かろうて」

 

 響は未だに意識は不明である様だが、峠は越えたようである。要経過観察ではあるが、後は良くなるだけの見込みと言えるだろう。一先ずは安堵する。なんの遠慮も無く斬り裂いていた。その感触が僅かに残っている。影響がないと解ってはいたが、改めて確認されると一心地着けた。

 

「思い詰めているようだな。一つ、斬ってこようか」

「ええ、そうしてください。流石にあの様子では体に影響が出かねません。こと剣に置いて、今の翼さんが素直に言う事を聞くとすれば貴方だけでしょうから」

「随分と買ってくれるものだな。風鳴のには必要以上に厳しく接してきたと言うのに」

「やはり、名前で呼んであげないのですね」

「上泉としてのけじめであるからな」

 

 風鳴翼。自身が武門であるように、防人の一族であった。他の装者二人とは違い、武に属する者である。響やクリスとは違い、意図的に素っ気なく接して来ていた。

 

「元許嫁候補としては、複雑な心境ですか?」

「笑わせるな。なってもいないだろう。大体、本人も知らぬ話では無いか。風鳴の先代が持ち掛け、上泉の惣領に一笑に付された。我が父ながら、忌憚ない物言いであったと聞く。……普通、獅子の子を狗の子にやれるか等と言うだろうか?」

「ま、まぁ、吹聴できる話ではありませんね」

「おかげで個人としては兎も角として、風鳴の屋敷などにはとても近付けんからな。必要も無いが。風鳴の現当主殿とは似たような心労を負わされている」

 

 許嫁などと言い笑うが、自身が幼き頃の話だと言う。下手をしたら、相手は生まれたての子供である。風鳴の血とは言え、どれだけの物かは全く未知数だろう。惣領の判断は正しいと言える。物言い以外は。尤も、現状を顧みるに、武門上泉と言う視点から見れば、宝を取りこぼしたと言えるが、個人としての之景の意見を言えば、それで良かった。風鳴翼は優しい子である。ただでさえ防人と言う責務がある。そのうえで武門などを背負う事になっていたら、どうなっていた事か。

 風鳴翼を個人として見なければ、その能力自体は武門としては欲しいだろう。俺個人としての意見は、武門などに入れる訳にはいかないが。武門の女と言うのは、人並みの幸せなどは求められないからだ。子と離れ離れになる等、日常茶飯事である。子が生まれれば傍流に預け、徹底的に苛め抜く。自分も経験のあるやり方だった。愛が無かったわけではない。むしろ人並み以上に愛されはしただろう。だが、自身の子を抱く事も許されない。それが武門の女の在り方の一端である。父は技を受け継がせるために触れあう。だが、母とは滅多に会えなかった。それでも父と母は仲睦まじかったと聞いている。父の死を追うように自死を選んだと聞いた時、幼心ながらにほっとした事を覚えている。それだけ父が愛されていたと解ったからだ。つがいを失った武門の女と言うのは、ただ優秀な女という事になる。若ければ一門の中で子を作る事を強いられる。拒否すれば、子だけを奪われ出奔させられる。それを別の方法で拒否したという事だった。一人残されはした。だが、残されたと言うよりも、父を母が心底愛したと言う事実が実感できたのが大きかった。少なくとも、自分は望まれた子であったのだ。そう実感できたのが、悲しみよりも大きかったのを覚えている。涙など、流れた事は無い。

 

「まぁ、風鳴の方はそのうち様子を見るとしようか。クリスは?」

「ある意味一番心配ですね。響さんが個室に変わってから、ずっと傍に居ます。寝ていないのかもしれませんね」

「……、目に見えるほど狼狽していたからな。下手を打った上、目の前で響の腕が落とされた。ソロモンの杖の事もある。消耗しているのだろう。……さて、行くかな」

「止めはしませんが、あまり無理はしないようにしてください」

「ああ、上手くやるさ」

 

 緒川から幾つか響の話を聞き、分かれる。一応自分も寝ておけと言われているが、動き回る分には問題が無かった。教えられた響の病室に向かう。特に問題も無く辿り着く。戸を何度か軽く叩く。聞き覚えのある声が耳に届いた。許可が出たので入室。見知った白猫が響の手を握り項垂れていた。

 

「随分と沈んでいるな」

「っ!? あ、あんたか」

 

 一声かけた。弾かれたようにクリスはこちらを見る。直ぐに表情が歪んだ。存外涙脆いのかと思いつつ、傍らに座る。幾らか体が震えていた。

 

「酷い顔だ。寝ていないのか?」

「悠長に寝てられる訳ないだろ。あたしが下手を打ったからこのバカはあんな事に……」

「だから、更に下手を打つと」

「なんだと!?」

「病室では静かにしようか」

「あぅっ!?」

 

 あたしが悪いんだ。このバカが怪我をしたのも、ソロモンの杖が奪われたままなのも、F.I.S.が蜂起したことも全部あたしがソロモンの杖を起動したのが始まりだったんだ。そんな言葉を吐き出し始めた。確かに思う所は無いとは言わない。だが、そんな事よりもまず一撃打ち込んだ。額。包帯の巻かれた手。躊躇なく二本指で小突く。それなりに強く入れた。零れた小さな悲鳴と、額を抑え軽く寝台に蹲るクリスの頭に軽く触れる。

 

「そうだな。君がソロモンの杖を起動しなければ何も始まらなかった。それは事実だ」

「……当たり前だよな。あたしが起動しちまったから、ノイズの被害は……」

「俺も、父をノイズに殺されたよ」

 

 今にも崩れ落ちそうなクリスに語り始める。懐かしい。思うのはそんな事だけだった。父の背中。舞い上がる煤。風が吹いていた。父は、鉄の棒を手に自分を守り死んでいった。その姿は、風としか思えなかった。憧れ。多分、今の自分の中にある最も大きい感情は、それだったと思う。大切なものを生かす為に命を懸けた。守られた。その父に、心底憧れた。悲しみはあった。だが、確かに残されたものもある。男だ、ユキ。そう言って笑った父の顔は今でも思い出せる。大切なものを、確かに残してくれていた。守り生かす背中に、男であることに憧れた。あのように笑える生き方に、憧れたのだ。

 

「……ッ!? じゃあ、あんたのパパもあたしが? あたしはあんたになんて詫びれば……。あぅぅ!?」

「たわけ。話は最後まで聞け。父が死んだのは十年以上前だ」

「……え?」

「君がソロモンの杖を起動するよりも昔。ノイズと聞けば何でもかんでも自分の所為だと己惚れるなよ?」

 

 更に自己嫌悪に陥りかけたクリスにもう一撃入れる。かなり手加減をしはいるが、クリスの目には涙が浮かぶ。一撃の所為と言うよりは、自分を追い込みすぎているのだろう。頭を押さえる白猫を今度は数回撫でる。見上げて来た。軽く笑う。背負い込みすぎだと伝えていた。

 

「じゃあ、あんたのパパが死んだって言うのは?」

「偶然だな。ソロモンの杖など何の関係も無い。まだ起動していない頃の話だろう。それでもノイズは現れたよ。父は俺の前で煤と消えたよ。だけどな、風でもあった。ただの人間でありながら、ノイズを吹き飛ばす風でもあった」 

 

 思い起こす。父はただの人の身でありながら、ノイズを斬り捨てていた。剣聖と言われるのならば、先ず父であろう。自分を守らなければ、死ぬ事は無かったのだから。

 

「君に罪があるとしたのならば、ソロモンの杖を起動した事だ。起動してしまった事が間違いである。だけど、そこまでだ。杖が使われたのは、君が一人で背負うべきものでは無いよ」

「……何が違うって言うんだよ。あたしが杖を起動しなければ、他の人たちだって」

「ソロモンの杖も太刀も本質は変わらん。武器だ。人を殺し得る力だ。誰がどんな意思を以て、何に使われるのか。大切なのはそこなのだよ。使い手が何を思うか。それこそが、最も重要な事だ」

 

 あたしが全部悪いんだと自棄に陥る少女に語り続ける。武器を起動させたのが悪いと言うのならば、武器を持つだけで悪いという事になる。ならば、襲い来る相手には無抵抗で死ななければいけないのか。生きる事を諦めろと言うのか。そんな馬鹿な話は無い。武器がある事だけで悪いと言うのならば、そんなものを作り出した人類全体が悪いという事になる。確かに武器は殺す為の力である。だが、それだけでは無いのだ。ソロモンの杖だけが、例外だと言う事は無い。その気になれば人など、素手でも殺せるのだから。

 

「使い手の意志……?」

「ソロモンの杖を起動させた。それは太刀を鞘から抜いたという事と変わらんよ」

「そんな簡単な事な訳がねーだろ! ソロモンの杖だぞ。人を殺す、人だけを殺す力なんだぞ!?」

「聞け、と言っている。抜身の刃。それは、振るえば人を簡単に殺める力を持つ。人以外の動物でもだ。ソロモンの杖が使われるのは、街中で抜身の太刀が振るわれるのと同じだ。それが特別だと言う訳では無い。むしろ、人以外も殺せる分、質が悪いか」

 

 ソロモンの杖も他の武器も本質は変わらない。例外なく、殺し得る力なのだ。杖も、人だけを殺す事以外は同じだった。

 

「だから何だって言うんだよ」

「俺の刃は、人を殺すだけにしか使えていないだろうか? 血から受け継いだ技は、何一つ守れていないだろうか?」

 

 だからこそ、問う。武器は殺す事しかできないのか。生かす事は出来ないのか。ソロモンの杖があると言うだけで悪いと言うのならば、同じ力を振るう自分もまた存在しない方が良いという事になる。人を生かす刃。そんな物は本当に無いのか。戦いを見ていた女の子に、ただ尋ねる。

 

「そんな事はない。あんたの剣は、あたしたちを守ってくれた。あのバカを、元に戻してくれた」

「だが、武器でしかない。ソロモンの杖と同じ、人を殺す為の力だよ」

「違う!? あんたの持つものは、あのバカと同じものだ。人を生かす力だ!」

「ならば、ソロモンの杖も同じだよ。使い手により、力はその在り方を変える。杖があるだけですべてが悪くなると言う事は無い。違うか? 武器だけで何かが出来る事は無い。使い手がいて初めて、何かが為される。武器があり使い手がいるのではない。使う者がいるからこそ、武器はあるのだ」

 

 クリスはあんたの剣は違うと零す。本質は同じだった。剣術は殺す為の力だ。だが、殺さない事もできる。ソロモンの杖も同じなのだ。ただ、人を殺す事がもっとも見えやすいと言うだけに過ぎない。ノイズ操れる。それには使い道がある筈だろう。

 

「あんたの剣は、誰かを守る」

「父が死んだとき、ソロモンの杖があれば誰も死ななかった。死なずにすんだよ」

「……え?」

「ノイズを操れる杖なのだ。何かの拍子で出て来たノイズに、人を襲わせない事だってできる。違うか?」

 

 結局、これが言いたかった。ノイズの脅威と言う物自体は、有史以前から存在している。近年の被害はソロモンの杖がフィーネによって用いられていたから多いだけであり、無いと言う訳では無かった。自身が偶然で襲われたのと同じように、何の前触れも無く襲われる事だって十分にあり得た。その時にノイズを操れる杖が存在すれば、悲劇は防げたかもしれない。そんな、限りなくあり得ない可能性を語る。杖があれば、生かせたのだ。決して、殺す為だけにあるのではない。使い手次第では、生かす力になり得るのだと伝えたかった。

 

「そ、れは……」

「これからも、だ。杖があれば、ノイズの脅威を抑えられるかもしれない。武器はな、使い手次第なのだ。それその物には、良いも悪も無い。ただ、あるだけの物なんだ」

「違う、ソロモンの杖は……」

「違わんよ。ソロモンの杖が悪いとすれば、その罪を負うべきは使い手だ。武器を使う者が意志を以て殺す為に力を振るう。だから、人は死ぬのだ。杖があるだけでは、誰一人として死ぬ理由がない。そして、杖など無くとも人は死ぬのだよ」

 

 使い手がいなければ、杖が誰かを殺す事はあり得ない。ソロモンの杖を起動させた。それに罪があるとしたら、悪意を持つものに手ごろな力を提示してしまった。そう言う事になる。だが、それだけだった。使う意思の無い者達の手に渡れば、なんの価値もない杖でしかなかった。雪音クリスが背負うべき罪はある。だが、ソロモンの杖の全てを背負う必要は無かった。

 

「それでも、杖は使われて多くの人は死んだ!」

「それは、君一人が背負うべき事なのか? 目の前に、ウェル博士にみすみす杖を奪われ取り返せなかった人間も居るが、それでも雪音クリスが全てを負わなければいけないのか?」

「……っ!?」

「だから、たわけと言っているのだよ。君に背負うべきものはあるだろう。だがな、それ以上に、君の仲間も背負うべきものがあるのだ。ソロモンの杖を奪われたのは、二課なのだ。雪音クリス一人では無い。君の仲間が負けたのだ。それを、一人で背負い込もうとするな。皆が背負ってくれる。それとも、君の知る仲間と言うのは、それ程薄情なのか?」

「……あたしの周りには、バカしかいねーじゃねーかよ」

「たわけ者の仲間は馬鹿。良いでは無いか。皆で同じ荷を背負い、いつの日かそれを皆で下ろす。背負えるのだ、下ろせない訳がない」

 

 目を閉じ、軽く笑う。隣から、熱が伝わってくる。力が抜けていた。寄りかかって来ていた。意地を張るから疲れるのだ。そんな事を小声で話す。うるせーよと手を持たれた。傷口をなぞるように触れる。

 

「ごめんなさい」

 

 随分と殊勝な言葉が聞けた。思わず吹き出す。予想だにしていなかった。何だよとクリスが眉を顰める。あの雪音クリスが、随分と可愛らしくなったものだと言った。うるせーよとそっぽを向いた。耳が赤かった。

 

「……あれ、此処は?」

「お前! 気が付いたのか!?」

 

 空気が幾らか軽くなった時、不意に響が目を覚ました。クリスが思わず詰め寄る。随分と言い潮合で目覚めたものだと、まず最初に関心が来てしまった。両手を掴み詰め寄る白猫に、響は困惑の色を零す。目覚めたばかりだ、状況が把握できていないのだろう。その様を少しだけ眺めていた。先ずは、心配性な意地っ張りに好きな様にさせるべきだろう。

 

「大丈夫か? ちゃんと手は動くか? どこかおかしいところはないか?」

「ちょ、クリスちゃんどうしたの!?」

「お前が斬られて、それで、それで……」

「少し落ち着け」

 

 そう思ったのだが、感極まって言葉になっていない。クリスの少し後方から声をかける。響が此方に視線を向けた。目が合う、あっと小さな声を零した。

 

「……ユキさん」

「ああ、俺だよ。体の調子はどうだろうか?」

「えっと……、大丈夫だと思います。腕も、きちんと動きますし」

 

 目に涙を浮かべる白猫を取り敢えず剥がし聞く。響は軽く両手を動かした後、困ったような笑みを浮かべ大丈夫そうだと教えてくれた。何度か開いて握るのを繰り返す。見た感じ、問題は無さそうだった。

 

「あの……、またユキさんが助けてくれたんですよね?」

「まぁ、そう言う形にはなるか」

「また怪我してます……。助けてくれてありがとうございます。それと、ごめんなさい」

 

 此方の両手を見た響が悲し気に頭を下げる。手の傷は大したものでは無かった、どちらかと言えば胸の方が酷いが、それは言わない事にする。この子は心身ともに疲弊している。余計な心配を与えるのは酷だった。両手を軽く動かし、大して問題は無いと教える。不意に、響に手を取られた。

 

「大丈夫じゃないですよ。またこんな怪我までして守って貰いました。ユキさんに、助けてもらいました」

「それが先達の役目だからな。後進が苦戦している。先を行く者としては、座して見ていられない。それに、礼ならば俺の方が言わなければいけない」

「え……、私に?」

 

 また助けてもらいましたと泣きそうな顔で礼を告げる響を軽く小突いた。こちらもクリスと同じで抱え込んでいるのが容易に想像できる。先手を打つことにする。

 

「結局俺は大切な時には間に合っていない。先達などと言いながら、必要な時には傍に居ない。不明を恥じいるばかりだよ」

「そんな事ありません! 私が意識を失っていたのに、助けてくれました。守ってくれました」

「そうか。そうあれれば良いな。だけど、君も守ったでは無いか」

「え?」 

 

 何もできなかった私を、ユキさんは守ってくれましたと言う響に、教える。確かに自分はこの子を呼び戻した。だが、それより前からこの子は一人で守っていたのだ。それが解っていないのだろう。守られただけだと思い込んでいる響に語る。

 

「お前はあのバケモノから、あたしたちを守ってくれたよ」

「クリスちゃん……?」

「そうだな。二人を守ろうと戦っていた。あのウェル博士を相手に、たった一人踏み止まった。俺が遅れているなか、たった一人でネフィリムから、英雄の剣とやらから二人を守ってくれた。君がいてくれたから、二人は死なずに済んだ。だから、ありがとう」

 

 あの時、響は懸命に守ろうと戦っていた。ウェル博士。英雄への妄執を隠す事の無い相手。尋常の敵とは言えなかった。それをノイズと言う理由があったとはいえ、少女だけで戦わせてしまった。決闘であった。だが、白紙に戻した時点で、駆け付けねばならなかったのだと思う。相手のやり方は知っていた。悪意に晒される事が解っていて尚、彼女等だけに任せたのは判断の誤りだったのだろう。全てが終わった後だからこそ言える言葉だが、そう思う。ウェル博士の悪意と自動人形、そしてネフィリム。全て予想が出来る要素だった。それが、装者たちを切り刻んだのだ。信頼していないのではない。相手が強すぎた。それがあの戦いの結末であり、響が両腕を落とされる原因だった。

 

「そんな……、結局、私はまた暴走しちゃって、訳も解らなくなって、皆にだってきっと……」

「死の危機に晒されるまで二人を守ろうとしたのだ。懸命に自分で出来る事を成し、悪意に切り刻まれ、それでもなお守ろうとした。そこまでできた。だから、そう自分を卑下するな」

「ごめんな……。あたしが下手を打たなければ、あんな事には……」

 

 クリスは響の両腕が落とされたのを見ている。泣きだしそうな表情で頭を下げた。それに慌てた響が大丈夫だよと告げるも、クリスは大丈夫な訳あるかと涙を零す。流石にこれに責任を感じるなとは言えなかった。肩を震わすクリスをただ宥める。

 

「君は、風鳴のとクリスを守った。それで良いではないか。ただ、相手が強く少しばかりやり過ぎてしまった。そう言う事だよ」

「そんな……、ユキさんだって怪我をして」

「あまり武門を甘く見るなよ。その気になれば剣を振るえるぞ」

 

 こちらが怪我をしている事に目に見えて落ち込む響に笑う。大した怪我では無かった。動こうと思えば動けない事は無い。その程度だ。

 

「ええ!?」

「振らせねーからな!?」

 

 驚きの声が上がる。そろそろ武門がどう言う物かは理解してほしいと思いつつも、無理だろうと苦笑が零れる。

 

「その程度の怪我だという事だよ。あまり気にするな、後進が少しばかり癇癪をおこした。その程度なら、何度でも止めてやる。そのぐらいの度量はあるつもりだ」

「私、暴走してたんだと思うんだけどなぁ……」

「あの程度、子供が暴れていただけだ。些事にすぎんよ。あまり先達を舐めてくれるな」

「ユキさんを舐めるなんて、一生できそうにないんですが……」

 

 全く勝てる未来が見えませんと響は零す。シンフォギアを使いこなせれば何時かは越えられるだろう。その何時かをすぐに来させる気は無いが。

 

「そうか、それなら良いのだがな。兎も角、君は良く戦った。仲間を守ってくれた。だから、ありがとう、だ」

「……やっぱり、ユキさんは優しいですよ。私の……」

 

 響きが言葉を止めた。そこまで言われては気になるので促すも、少しだけクリスを見詰めた後に、内緒ですと笑い教えてはくれなかった。言いたくないのならば仕方が無いとそれ以上は問い詰める事もせず、話を終える。響は穏やかな笑みを浮かべているが、怪我人には変わりがなかった。そろそろ帰ると伝えると、少し残念そうにしながらも頷いた。

 

「それではまた来る」

「はい! クリスちゃんも来てねー!」

「うっ!? あーもう、また来るから覚悟しとけよ!?」

 

 笑顔の響にクリスは真っ赤になって答えた。先程、響の眼前で涙を零していた。今更になって恥ずかしくなったのだろう。漸く、何時もの調子が戻り始めていた。

 

「あんたはどうするんだよ?」

「退院する」

「いや、はえーよ」

 

 これからどうするのだと言う問いに、短く答えた。緒川と話していた時に、既に決めてあった。響を訪っているうちに準備はできているだろう。それ程辛い傷でも無かった。放っておいても治るだろう。大体、怪我をしていても戦わねばならぬ事がある。その為に研鑽して来てもいた。寝ているのは性に合わない。

 

「ったく、仕方ねーな。どうせ言っても聞かねーんだろ?」

「そうだな。既に司令の許可も取ってある」

「前から思ってたんだけど、おっさんの奴、あんたが関わると常識が吹っ飛ぶよな?」

「武門は常識では計れないのだよ」

「いや、計れよ! ああ、もう、こうなったら何時もの手段だ!」

 

 自分がいた部屋に戻り、直ぐに退院の準備が終わる。傍らの白猫と話しながらだが、大した準備も必要なくすべてが終わっていた。直ぐに病院を出る。二課の影響下にある病院である。その辺りの流れは直ぐに完了した。

 

「今日は泊っていくからな!?」

「また、随分と大胆なのだな」

「ななな、そういう意味じゃねーよ! 一応自分が怪我人って事をだな……」

「冗談だ。気を使ってくれているのだろう。クロも喜ぶ、ゆっくりして行け」

「……うん」

 

 相変わらず、素直にならない白猫を相手に笑う。家に住む黒猫。クロの方もクリスに会いたがっているだろう。奇妙な繋がりだった。それは、大切にしたいと思う。既にこの子は何度か泊めている。泊まるなと言うのも今更だった。部屋に入る。猫が気だるげにしていた。餌の用意だけする。不意に、よしっとクリスが声を上げた。

 

「今晩の飯は任せろ」

「……まぁ、そう言うのならば。それなりに期待しておくかな」

 

 両手を怪我していた。使う分には問題が無いが、実際に使おうとすると安静にしていろと威嚇してくるので大人しくしておく。黒猫を相手に無聊を慰める。抱き上げ、金眼と目を合わせた。にゃあっと一鳴き。何だよと言われた感じだった。特に深い意味も無く、撫でる。赤い首輪が軽く揺れる。手を放し、寝転がった。目を閉じると、軽く意識が飛ぶ。

 

「おーい、できたぞー」

 

 そんな声で目が覚めた。直ぐ傍らでクロが丸まっていた。起こさないように起き上がる。

 

「これはまた意外に。いや、随分と練習したようで」

「ふふん。普段からたまり場にされてるからな、それなりに練習はしたのさ。あたし様が本気を出せばこんなもんだ」

 

 並んでいるのは和食だった。良くもまぁ、買い置きされていたものだけで作れたものだと感心する。鮭の焼き魚に、里芋の煮物、きんぴらごぼうに味噌汁白米と、お手本のような和食であった。

 正直なところ、かつての振る舞いからそれほど期待はしていなかったのだが、随分と見違えたものだった。確かにあれから数か月経っているが、成長が早い。響のそれとは違う意味での成長に、思わず呆けてしまった。実は装者三人の中で、一番女の子なのでは無いだろうか。そんな事を思う程度には感心していた。まぁ、食べる時は相変わらず散らかすようだが。

 

「美味いか?」

「ああ。自分で作るよりも遥かに、な」

「そ、そうか、ならいいんだ」

 

 これ位の腕ならば毎日食べても飽きないだろうなと思いつつ、流石にそれは口に出さない。向かい合ってゆっくりと食事を進める。直ぐに終わらせても良いのだが、何となく話したそうだったため、世間話に耳を傾ける。文化祭の事で未だに揶揄われているとか、勝ち抜きコンテストで一位になった為一躍有名人になってしまった事、級友たちと時折遊んでいる事、皆と歌を歌うのが楽しくなってきている事。そんな、とりとめのない話を教えてくれた。目を閉じる。敵意ばかりを向けていた少女が、今は新たな居場所を作りつつある。友や仲間と言える人たちに囲まれている。そう思うと、もう自分が必要以上に構う理由がなくなってきているように思えた。クリスには響や風鳴のを始めとし、沢山の繋がりが出来ている。それを知ると、ただ安心していた。

 

「そろそろ寝るよ。流石に疲れたのでな」

「ん、そうだな。寝るか」

「ああ、おやすみ」

 

 互いに風呂も済ませ、夜もそれなりに更けてきたところで言った。自分は寝室に向かうだけだが、クリスは客間に向かい寝具の準備を始めた。それを手伝い、全てが終わったあとで別れる。明かりを消し、寝台に横たわった。目を閉じる。浅い眠りに揺られていると、不意に気配を感じた。目を閉じたまま、様子を伺う。とは言え、考えるまでも無かった

 

「……」

 

 遠慮がちに近付いてくるのが解った。起きようかと思ったが、止めた。あまりに色々な事があったのだ。装者とは言え、子供である。時折、怖くなることもあるのだろう。響が泣き喚いた様に、白猫もまた、怖い事があるのかもしれない。手に熱が触れた。息遣い。直ぐ近くに感じた

 

「……今日だけだぞ」

「……っ!? うん」

 

 それだけ告げ、軽く背を向け意識を離した。見知らぬ他人ならば難しいが、雪音クリスが相手ならば警戒は必要なかった。自分もまた疲れてはいた。追い返す事も、受け止める事もせず、ただやりたい様にやらせた。背中、軽い震えと熱を感じた。直ぐに、眠りは訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 




 クリスちゃんのメンタルが一話で持ち直すと思うな!

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