「皆が戦っている。私だけが止まっていられない!!」
立花響は走っていた。月読調が戦場に出る際、共にフロンティアに降り立ちマリア・カデンツァヴナ・イヴに会う為、胸の内にある思いに従い駆け続けた。自分の思いに正直にある。そうであるならば、恥ずべきことは何もない。そう教えられていた。背中。調と別れる際、見知ったその背中が目に入った。傍に駆け寄りたく思い、その思いを抑え込んだ。今はクリスちゃんの所に行ってもらわなきゃいけない。響にとってはクリスは大切な友達である。一番の強敵になるかもしれないと思って尚、今は何よりも早くクリスの下へ行って貰わなければいけないと思ったからだ。
「ユキさん、クリスちゃんをお願いします。私も、胸の歌がある限り!!」
生きる事を諦めない。生かす事を諦めない。響は二人の先達に言われた言葉を思い出す。天羽奏が死の間際、響に託した思い。上泉之景が響を庇いながら伝えた思い。その二つが胸に宿り、響の背中を押す。翼が、クリスが、調が、切歌が戦っている。師や二課の大人が支えてくれている。未来が信じてくれ、ユキが示してくれた。今の響に、怖いものなど何もない。フロンティアの指令室に当たる場所。そこにマリアが居る。確信を持って走り続けた。
「うああああああ!!」
暁切歌は大鎌を手に疾走する。月読調。切歌にとって最も大切な人であり、守りたい人間だった。そんな相手に心を鬼にして斬りかかる。切歌には時間がない。そう思っていたから。
かつて、切歌と調がF.I.S.暗躍をしていた頃、ある出来事が起こった。リンカーの過剰投与を行われた後、暫くシンフォギアを纏わないようにした時期がある。絶唱を口にした負荷。それ自体はユキの童子切によって斬り裂かれ、大した負荷を掛けられたわけでは無かったが、リンカーの過剰投与による体の負担は無視できるものではない。そんな理由から、食料の買い出しに出ていた事があった。
その折に二人で買い物に出かけた時、それは起きてしまった。調の体調不良。買い物帰りに調子の悪そうな調を見かね、切歌は近くにあった人のいない工事現場で休憩を行った事があった。その際に積まれた建材が二人に向かい崩れ落ちた。あまりに急な事であった為、ギアを纏う暇も無かった。二人とも潰される。そう思った時、調を庇うように動いていた。突き出した手。光の障壁が生まれた。レセプターチルドレン。フィーネの力を受け止める為の器。フィーネの力が自分の中に芽生えているのではないかと言う、懸念が生まれた。そして博士から暴露されたマリアとナスターシャの狂言芝居。マリアはフィーネなどでは無かった。その事実が、切歌を自分がフィーネの器なのだと確信させた。光の障壁を張る力が顕現した。それは、フィーネが再誕する予兆では無いのか。再誕すれば、器である自分はどうなってしまうのか。調やマリア達と過ごした自分は消えてなくなってしまうのではないか。そんな思いが胸を満たした。怖い。自分が自分でなくなってしまうのが怖く、そんな自分が調に忘れられてしまうのが何よりも恐ろしかった。自分が自分で居られるうちに、何かを為さなければいけない。調が自分を忘れないで居てくれるほどの何かを。暁切歌が思い詰めるのも仕方が無いと言えた。
F.I.S.は少しでも多くの人を守ると言う大義の為に立ち上がった。悪を為してでもできるだけ多くを救う。そんな重圧の中、更には自分が自分でなくなるかもしれないと言う恐怖が加わる。母変わりであるナスターシャに相談できるはずがなく、マリアや調には切り出す事が出来なかった。ウェル博士になど、相談すると言う選択肢自体が無い。寄りかかる相手が誰もいなく、一人で耐えるしかなかった。そうして迎えたのが、今と言う時だった。
ユキと刃を交わした時、自分のやっている事が、他者に犠牲を強いるやり方が正しいのかと問われた。正しい訳がない。そんな事は痛いほど良く解っていた。なんで今更こんな事を言う。どうしてもっと早く来てくれなかった。そんなイラつきと共にぶつかり合い、調が来てしまった。刃を抜こうとしなかったユキを庇うように前に出、今刃を交わしている。守りたい。忘れないで欲しい。心の底からそう思う調と刃を交えていた。
「しらべ!!」
「きりちゃん!!」
大鎌と丸鋸がぶつかり合う。調は地を疾走し、切歌は駆け抜ける。シュルシャガナとイガリマ。女神ザババの振るった二つの刃。姉妹とも言える二つのギアを纏う二人は、互いを知り尽くしていながら尚ぶつかり合う。切歌は例え悪い事だと解っていても何かを残したく思い、調は何も知らない人々に犠牲を強いるやり方では何も守れない。守られたとしても、笑って生きて等いける訳がない。互いを知り尽くしている二人だからこそ、譲れない思いがあった。刃を交わし、撃ち合い、互いの思いをぶつける。大好きなんだ。そんな言葉と共に、二人はアームドギアをぶつけあう。そして決着はつかず、互いに飛びずさった。
「切ちゃん。どうしても戦うしかないの?」
「もうこれしか無いのデス。あたしがあたしで居られるうちに、何かを為すには! どうしてもやめて欲しいと言うのなら、力尽くで止めると良いデスよ。儘ならない思いは、力尽くで押し通すしか無いじゃ無いデスか」
切歌は調にリンカーを投げ渡し、己に投与する。適合係数が跳ね上がる。絶唱。装者の持つ切り札を切ろうとしていた。薬を打ち込む。調も自分の体にリンカーを打ち込んでいた。例えどんな手段を使ったとしても守りたい。犠牲の上で守られても笑えない。二人の思いがぶつかり合う。
『Gatrandis babel ziggurat edenal――』
声が重なる。二人の絶唱。思い合う二人の歌が重なり、その力を増していく。切歌は地にイガリマを突きさしその強大な力を解き放つ。調は両手両足にギアを展開、強大な鋸を以て迎え撃つ。
「分からず屋の調から、ほんの少しだけ負けん気を削り取れば……ッ!」
「分からず屋はどっち。私の望む世界には切ちゃんもいないとダメなの。寂しさを押し付ける世界なんて、求めて無いよ」
「それでもあたしが調を、皆を守るんです。例えあたしがフィーネの魂に塗りつぶされたとしても!」
「ドクターのやり方で助かったとしても、大切なものを失っちゃうんだよ。そんな世界じゃ、笑えないよ……」
互いのギアがぶつかり合う。切歌の叫びに、調は悲し気に涙を零す。守ろうとしてくれているのは痛いほど良く解った。それでも、その方法は認める訳にはいかない。
「それでも、もうこの方法しか無いのデス。ドクターのやり方でしか、残せるものは何もないのデス! 例え、あたしが調に嫌われたとしても!!」
絶唱がぶつかり合う。調のギアが崩れた。
「もう戦わないで切ちゃん。私から切ちゃんを、大好きな切ちゃんを奪わないで!!」
イガリマの一撃。シュルシャガナの両腕を砕き、調に迫る。殺すのではない。イガリマは魂を刈り取れる刃。ほんの少しだけ、意志を切り取れば。戦いはこれで終わる。涙を零す調にイガリマを振りかぶった。
「え――?」
一撃。光の障壁がイガリマを阻んだ。切歌の手からイガリマがはじけ飛ぶ。呆然とただ見つめていた。何故それが目の前にある。どうして自分では無く調の腕から出ている。切歌の中で自分が行ってきたことが思い起こされる。フィーネの魂に自分が塗り潰される。逃げられないその恐怖に負けない為に動いていた。そのフィーネの力が目の前に自分を阻む様に展開されていた。
「なに……これ?」
己が発生させた壁に調は困惑する。障壁。確かに調を守る様にイガリマを阻んでいた。
「まさか……フィーネの器は調だったのデスか?」
「切……ちゃん?」
「あたしじゃなくて、調だったんデスか。調に悲しい思いをさせたくなかったのに、あたしのした事は……」
切歌は理解する。全てが違っていた。全てを失うのは己では無く調であり、自分はそんな調を無理やり戦わせただけだった。聖遺物に接すれば接するほどフィーネの再誕は速くなると、マリアがフィーネを演じていた時より聞いている。つまり、自分は調の残された時間すら無駄に使わせたことになる。涙が零れた。イガリマを手元に呼ぶ。
「あたし、本当に嫌な子だったね……。調の前から消えて無くなっちゃいたいデス……」
重圧に晒されていた。只でさえ崩れそうな心が、その事実によって完膚なきまでに打ち崩された。切歌は瞳から大粒の涙を流し調を見詰めた。
「駄目! 切ちゃん!!」
悪感。いやな事が起きる。やらせたらいけない。咄嗟に切歌を庇うように調は飛んだ。
「――ッ!?」
「しらべ……?」
受け止める気が無かったイガリマ。全てを斬り裂くように回りながら戻ってきたその刃は、月読調の背を斬り裂いていた。切歌は目を見開いた。何が起こっている。それが、一瞬理解できない。血が調の背から流れ落ちる。
「しらべーッ!!」
絶叫。零れる赤色を目にした切歌の口から、慟哭が零れる。大切な人。誰よりも守りたかった調を己が手で斬り裂いてしまっていた。涙が零れて止まらない。
「起きて、起きてください。調、目を開けて!」
切歌が調に触れる。調は答えたいが声が出せない。熱だけが、ゆっくりと身体から失われる。
体が沈んでいく。意識が深いところに沈んでいく。切ちゃんが泣いているのに、何も言ってあげられない。視線を感じた。切ちゃんじゃない。そんな事を思う。
それじゃあ、あなたが。
誰だって良いじゃない。そんなこと。
良くない。私の友達が泣いている。
そうね。このまま誰の魂も塗り潰す気は無かったのだけど、そう言う訳にもいかないか。魂を両断する一撃を受けて、あまり長くは持ちそうにない。
なら、どうして?
あの子に伝えて欲しいのよ。私は今更正義の味方にはなれはしない。何時か未来に人が繋がれるなんてことは、亡霊が語る事では無いわ。人が繋がれるのは、何時かの未来、何処かの場所なんかじゃない。
会話が途絶える。調の視線の先で、光が零れていく。不意に、視界が開けた。金髪。大好きだった相手の髪の毛が見える。手を伸ばした。
「起きてるよ切ちゃん」
「しら、べ……? どうして?」
「多分フィーネが助けてくれたんだと思う。皆が私に力を貸してくれている。だから、切ちゃんにも力を貸して欲しい。一緒にマリアを助けに行こう」
「……うん。もう間違えないデス。一緒に、マリアを助けに行くデス」
切歌と調は手を取り合う。ぶつかり合った二人。だからこそ、二人は更に分かり合う事が出来た。心が一つになる。助けに行こう。調の零した言葉に切歌は強く頷いた。自分たちは笑う事が出来た。だけど、まだマリアが泣いている。それを見捨てるなんてできる訳がなかった。二人は再び聖詠を歌う。シンフォギアを纏った。手を繋ぐ。握られたその手が離れる事は無い。
「行くぞ風鳴の」
「参ります!」
ユキは鋭く叫ぶと同時に斬り込んでいた。踏み込み。風を追い抜き黒金に迫る。青、風の背を追い羽々斬を手に翼を広げる。銀閃と青。二つの色が黒金に向かい刃を奔らせる。展開された六本の飛翔剣。半数ずつが二人に襲い掛かる。速度を落とさず斬撃。刃を弾き風鳴翼は道を行く。跳躍。踏み込みからの反発。ユキを狙う飛翔剣の反応速度を軽く凌駕する速さを以てユキは一気に距離を詰める。速すぎる機動。飛翔剣では追いつけない。黒金。大爪を振りかぶる。
「あぶない!」
見ている事しかできないクリスが叫ぶ。笑った。ユキは迫る爪撃を、地に触れるほど低く飛ぶ事で躱す。すれ違い様の一閃。黒金は腕に剣を生成する事で凌ぐも、一撃を以て手折られる。童子切。ユキが持っている剣は普段用いるものでは無い。その切れ味は、英雄の剣ですら膾切りにしていた。細切れにされた刃が赤き気体へと変わる。人形の刃など、武門の技の前では無いに等しい。
「まったく。忌々しいぐらいの動きですね。人間を止めたらどうです?」
「俺は人だよ。一人の人間だ」
再生成された黒金の刃を逸らし、弾き、飛翔剣を往なし、斬り返しながら言い返す。斬撃と遠当てを駆使し、飛翔剣を捌きながら自動人形を相手にして尚、ユキには博士の相手をする余裕があった。一撃。クリスを泣かせた元凶に向け、刃を奔らせる。
「おおう!」
「何?」
「あまり英雄を舐めないで貰いたいものですね。何度も同じ手にはかからないのですよ!」
眼鏡に向かい放たれた遠当て。博士の眼鏡から展開された障壁に阻まれる。英雄の剣。それを生成するノウハウを眼鏡にも用いていた。ネフィリムの細胞を投与し、フロンティアと一体化する事が出来る今のウェル博士であるからできる芸当だった。眼鏡から障壁が展開される。博士が死なないようにある程度加減された一撃では、顔面に眼鏡を叩きつけるだけに終わる。やせ我慢しながら博士は笑う。英雄である。何度も同じ手は食わない。刃が煌めく。数十発の斬撃がウェルに放たれる。
「おごごごご!」
斬撃は防げても、衝撃は防げない。凄まじい衝撃を眼鏡に受けた博士は吹き飛んでいく。少しはやるでは無いか。そんな事をユキは呟きながら、視線を黒金に戻す。翼が飛翔剣を振り切り斬りかかっていた。斬撃からの刺突。流れる様に刃を加速させ始める。
『――自動錬金』
「ちぃ!?」
刃を防ぎ翼を吹き飛ばし一瞬の隙を突き、黒金が姿を消す。舌打ち。不可視の敵。飛翔剣だけは姿を晒しているが、厄介極まりない。風の音だけを頼りに刃を躱す。背筋に冷たいものが奔る。ギリギリであった。先達はこんな物を相手にしていたのかと戦慄が走る。その背は未だ遠い。
「それはもう見飽きた」
何の躊躇も無く放たれる斬撃。不可視の刃が受け止め火花を散らす。一撃。打ち合ったユキの傍には飛翔剣が飛来する。衝撃。不可視の壁に阻まれる。斬撃の結界。ユキの放つ斬撃の壁に飛翔剣が阻まれる。
「煩わしいな」
呟きと共に放たれた一撃。斬鉄の意志を以て英雄の剣を撃ち砕く。赤い気体が更に舞う。一瞬眉を顰める。薬か何かか。そんな事を思うも、体には何も異常は無い。不意に通信機がけたたましく音を上げた。
『ギアの適合係数が少しずつ低下しています!』
「くぅぅ、くくく、アンチリンカーは忘れたころにやって来るのですよ!!」
「風鳴の、下がれ」
ウェルの言葉と同時にユキは指示を出す。アンチリンカー。適合者の適合係数を引き下げる事により、最終的には装者を無力化できるほどの薬だった。翼と言う戦力はこの後も戦わねばならない。できる限り消耗させる訳にはいかない。ユキは既に腕を斬り裂いていた。人である以上失血がある為、長時間は戦えない。戦場の判断だった。
「しかし」
「大丈夫だ。お前の出番は必ず来る。合図を送る。真打の準備をしておけ。道は必ず切り拓く」
自分はまだ戦えると言う翼にユキは鋭く返す。黒金の邪魔がある以上。ユキとは言え、まともにクリスと向き合うのは難しい。どれだけの障害があろうとも、その刃を届かせる自信はあるが、流石に何の準備も無く放てるものでは無かった。斬り合い、血を吸わせながら童子切の力を呼び覚ます。刃と刃がぶつかり、戦場の武骨な音色を轟かせる。必ずお前の力が必要になる。そんな言葉を聞いた風鳴翼は、静かに心を落ち着かせる。先達と共に、後輩を助ける為に戦っていた。涙を零す後輩の為にも、無様な姿は見せられない。昂る心身を修め、最高の状態へと昇華して行く。
「良いのですか? そんなに悠長に構えて。もう時間は一分ほどしかありませんよ?」
「それだけあれば充分だ。風鳴の、後進に最高の一撃を見せてやれ」
「我が刃に誓って」
後進の姿に先達は笑みを浮かべた。背中。敵を前にして翼はそれを晒している。俺はそこまで信用できるか。そんな言葉をユキは胸中で零しながらさらに加速する。飛翔剣。無防備な風鳴翼を狙う事が出来ない。上泉之景の、剣聖の血筋を継し者の刃が余りにも苛烈すぎる為、他の者などにリソースを裂く事が出来ないのだ。
「何をしている、殺せ!」
「まだ、死なんよ。あの子を助けるまでは死ねん」
刃を砕き、爪を掻い潜り肉薄する。飛翔剣。跳躍。躱し一閃。すれ違い様に砕け散る。反発。地を砕き加速する。童子切。血を喰らい、刃を血液が循環する。斬撃。二の太刀三の太刀で砕く。残り三本。右腕。後方から飛来する剣にあえて斬らせた。血が舞う。
「いまだ、その男を殺すんだ!」
「――よけろ!」
博士とクリスの声が飛ぶ。それでも武門の口元の笑みは消える事は無い。斬られたのではない。斬らせてやったのだ。血を吸い続ける童子切を振るった。死角から飛ぶ飛翔剣を地に落とす。人形の刃など、武門に届きはしない。
「く、残り三十秒だ!!」
ウェルが揺さぶるように声を荒げる。クリスは血を流す姿を見詰め、ただ胸に両手を添えた。必ず助けてくれる。死の恐怖に崩れ落ちそうになる自分を叱咤する。目の前で、大切な人が血を流しながらも戦っている。戦ってくれている。自分の為に流される血を一滴たりとも見落とさないように、瞳に焼き付ける。戦ってくれた。守ろうとしてくれた。そんな人が自分にもいる。涙が零れるほど、嬉しかった。
「私もいるのだがな。先生に全てを取られそうだ」
「……風鳴先輩」
「……ふふ、そうか先輩か。あの雪音に先輩と呼ばれては下手は打てんな。前を見ていろ雪音。俯くと怪我をする」
「うん……」
「良い返事だ。ならば、私も先生に倣わんとな。雪音、生きる事を諦めるなよ。私も生かす事を諦めない」
翼の言葉がクリスを包み込む。ああ、あたしはこんなにも大切に思われていたんだ。伝えられる言葉に、また泣きそうになる。それを必死に我慢して前を見ていた。歌が聞こえる。
『Gatrandis babel ziggurat edenal――』
「絶唱?」
「そうだ。お前は、必ず私が助ける。それが為せてこそ、私が剣であると決めた甲斐もある」
絶唱。風鳴翼が天羽々斬に全ての力を注ぎこむ。先達に最高の一撃を見せろと言われていた。殲滅する為では無く、ただ一振りを放つためだけに絶唱を羽々斬に押し込める。口から血が零れた。だが、その程度どうと言う事は無い。後輩を救う為ならば、多少の傷は痛みの内に入りはしない。
「残り、十五秒!」
ウェルの叫び。加速。ユキの速さが行きつく所まで達する。残っていた二振りが砕け散る。自動人形の視界からユキが消えた。消えたと判断してしまう程、低い位置に飛び込んでいたのだ。
「風鳴!」
叫び。同時に左の拳が黒金に向け放たれる。打ち上げ。左腕から血が噴き出す。右手。童子切。振り抜かれた。黒金が両腕で防ぐように受け止めるも。あまりの圧力に生成した刃を圧し折られながら吹き飛ぶ。軸足を支点に一気に回る。吹き上げる血液。遠当て。凄まじい量の血刃が放たれる。
「――ッ!?」
鮮血が舞った。クリスを守る様に発生される障壁。楔を打ち込むが如く血の弾丸が罅を入れる。線。展開される障壁に、一刃の軌跡が浮かび上がった。童子切。それは目に見えないものを斬る力。錬金術で展開される力もまた、斬り裂ける対象だった。血刃より開かれた血路。その中に一気に翼は踏み込む。
「私の後輩は、返して貰うぞ!!」
風鳴翼の真打。たった一撃の刃が放たれる。凄まじいまでの衝突音。羽々斬と壁が粉々に砕けた。喀血。翼の口から零れ落ちる。
「先輩!!」
「問題ない。必ず助ける」
痛みに体が上げる悲鳴を無視し翼は踏み込んだ。折れた羽々斬で果たして斬れるのか。そんな思いが浮かぶがやるしかない。先達は言葉通り切り拓いてくれた。ならば、今度は自分が何とかしなければいけない。
「残り、五秒!!」
「翼!!」
「――!」
名前を呼ばれた。思わず目を見開く。反射的に手が動いた。血刃。手にしていた。童子切安綱。自分が憧れた剣士の手にしていた逸品。それが己の手に在り、託されていた。その事実に涙が零れそうになる。認められた。羽々斬を消す。それ以上の何かを思うよりも早く、両腕を振るっていた。
『――自動錬金』
「我らが刃に斬れぬものは無い」
血刃が首輪を斬り裂く。風鳴翼の声だけが響いた。雪音クリスの首に付けられた首輪が、崩れ落ちる。
「――爆発は、爆発はどうしたああああああ!?」
ウェル博士の声が響く。
「斬り裂いたよ。俺の後進がやってくれた」
ユキは後進に背を向けたまま対峙する黒金の腕を受け止め呟いた。クリスはただへたり込む。翼が駆け寄り抱きしめた。涙が零れ落ちる。童子切に付いた血が、クリスのギアを幾らか汚した。
「く、人形!」
ユキに散々に斬り裂かれた人形を博士は呼ぶ。右腕。渾身の爪撃を受け止められた黒金は、腕を半ばから断ち切られていた。手刀。武門の刃によって斬り裂かれたのである。凄まじい速度で博士と黒金は合流する。ユキはそれに視線を向ける事も無く、斬り裂いた腕を捨てる。
「……っ!? まぁ、良いでしょう。あなた達は良くやりましたよ。今回は退かせて貰いますよ」
黒金に回収された事で余裕を持ち直したのか、ウェル博士は何時もの笑みを浮かべる。
「逃がすと思っているのか?」
「片方は斬り裂かれたとはいえ絶唱を放った二人の装者と、大量失血をしている人間が僕を捕まえられるとでも?」
「まだ、やれる」
何とか立ち上がった二人はウェルを見詰めた。クリスはまだ戦えるが、翼は絶唱を放った負荷が大きく、まともにアームドギアを形成する事も出来ず、童子切を構えていた。満身創痍。相手も手負いとは言え、見るからに勝てそうにない。立っているのもやっとと言う具合だった。
「良い、行かせてやれ」
「しかし、このまま逃してしまうと」
「良いと言った。立っているのもやっとだろう? 命を粗末にするな。君たちにはまだやって貰わなければならない事がある」
ユキの言葉に二人はしぶしぶ見送る。博士が姿を消す。ただ、上泉之景は空を見上げていた。
「何とか、杖も雪音も取り戻せたな」
「一人で飛び出してごめんなさい……」
「気にするな。何よりも、こんな殊勝な雪音の姿が見れたのは僥倖だ」
二人して座り込む。敵の姿が見えなくなった為、気が抜けたという事だった。二人で肩を並べ笑い合う。守れてよかった。翼の表情にはそんな安堵が浮かんでいる。その気持ちが嬉しくて、クリスは涙を零す。翼の手から零れ落ちた童子切。いつの間にか拾われている。気付けばユキが傍に来ており、そのまま前を通り抜けた。童子切に付いた血を払う。ただ、空を見上げている。
「先生もお疲れさまでした」
「ああ、良く戦った。流石にこれ以上は無理だろうな」
そのまま言葉を続ける。血塗れの後ろ姿。見詰めていた二人は胸を打たれた。なんとか立ち上がる。血を流してまで助けてくれた先達に、感謝を示したかった。正面に来る。
「ユキさ、え……?」
「先生!?」
そして見てしまった。腹部を貫かれた先達の姿を。クリスは名前を呼ぼうとして固まる。無手。黒金の自動人形相手に、素手で立ち向かっていた。幾ら武門とは言え、無傷とはいかなかった。ゆっくりと血が流れている。一目で致命傷だと解った。目が合う。先達はにやりと笑った。
「どうした?」
固まった二人に問いかける。黒金の爪に穿たれていた。笑う。幾ら敵が盆暗とは言え、素手で立ち向かうのは荷が重かったようである。腕こそ持って行ったが、自分は腹部を抜かれていた。声を出すと響く痛みに僅かに顔を顰めるも、別段気になる程では無かった。守れた。そんな思いがあるだけである。
「どうして?」
「なにがだ?」
「なんで、そんな怪我して……」
「ふん。相手を見誤っただけだな。良いのを貰った」
白猫の問いに答える。血が流れている。敵の実力を読み違えるなど、武門の名折れだった。苦笑しか出てこない。咄嗟だった。だが、それに対応できてこその武門なのだ。そう言う意味では情けない限りだと笑う。
「あたしの所為だ……」
「違うな。俺の望んだ結果だ」
「違わねーよ! あたしがこんな事しでかさなきゃ……」
「まったく、懲りない娘だ」
涙を浮かべたクリスを抱き寄せる。血で汚れる事を一言詫び続ける。
「泣くな。お前を守りたいと思ったから守っただけだ。それに責を感じる必要は無い。俺にとってお前は大切であるからこそ命を懸けた。そう言う事だよ」
「――」
少しばかり背筋が寒くなってきている。抱き寄せた子の熱が心地良い。目を閉じ、言い聞かせるように伝える。フィーネに守ってくれと言われていた。だが、そうでなくとも守っていただろう。それだけ身近な人間だった。自分にとってこの子は手のかかる妹のようなものだった。泣いていたら、手を差し伸べない理由は無い。居場所が無いと言っていた。お前の居場所は此処だと囁く。声も出なくなり始めていた。涙を零し続けるクリスをただ撫でる。大丈夫だ。言い聞かせた。ゆっくりと身体を離す。
「行け」
「でも……」
「君たちにはやって貰わなければいけない事がある。博士を止めて欲しい」
伝えていた。まだウェル博士を止めなければならない。少数を犠牲に大勢を救う。子を人質に取り、そんな事を語っていた男の姿が思い起こされる。野放しにはできない人間だった。
「流石に俺は疲れたよ」
「せめておっさんたちが来るまでは……」
傍に居ると言い聞きそうにない白猫に苦笑が零れる。必要ないと伝える。翼を見詰めた。行けと伝える。頷く。笑った。後は任せた。
「必要ない」
「でもこの傷じゃ……」
「武門を舐めるなよ? この程度どうと言う事は無い。流石に戦えはしないが、手当ぐらいならば自分で行える。それとも俺は信用ならんか?」
「でも……でも……」
ずるい言い方をしている自覚はある。今のクリスにこの言い方は何よりも効果があるだろうと解って言う。
「俺は死なんよ。
「絶対だからな。絶対に絶対だからな!」
「ああ、解ったよ。だから、行け。後は任せるぞ。皆の居場所は君が守るんだ」
「うん」
漸く腰を上げたクリスを見送る。風が流れていた。煤が舞っている。膝を突いた。いい加減立っているのも辛い。
「即死しなかっただけ褒められるか」
呟く。負った傷は間違いなく致命傷だろう。良くて傷。悪いと欠損と言ったところか。童子切を地に突き刺した。支えのようにしてもたれかかる。呟く。悪いな。お前をこのような使い方にしている。力が入らなかった。
『馬鹿、諦めるな。あんたが死んだら、誰があいつらを守るんだよ!!』
不意に懐かしい声が聞こえた。視線だけを移す。天羽奏。かつて仲間だった子が叫んでいる。童子切でも声は聞こえなかったはずだが、今は聞こえていた。それだけ死に近いという事なのか。
「これは無理だな。解るよ。助からん」
『諦めんなよ。あいつらにアレだけ言っておいて、あんたが生きる事を諦めてどうするんだよ!!』
奏が叫び声を上げる。それに笑った。この子はかつて響を守る為に歌ったと聞いている。ならば解ると思うのだが、あえて言う事にする。
「違うぞ奏。それは違う。俺は諦めたのではないよ」
『何が違うって言うんだよ!』
「俺は生き切ったのだよ。諦めたのではない。自分の意志が求めるままに生き切ったんだよ」
口から血が零れた。喀血。視界が狭く、定まらない。何か大切なものが抜けていく感じだけが続いている。それでも、守れた。守れたことに満足していた。
『煩い! あんたが居なくなれば、誰があいつらを守るんだよ!!』
「もう、守る必要などないさ。子は成長するものだ。思いは託せた。受け継いだものは託せた。三人の人間が繋いでくれている。それで、充分だよ」
生き切っていた。かつて託された想いを、今度は託す事が出来ていた。我らが刃、生かす為に有る。父より受け継いだ想いは、後進に受け継がれたのを確かに見ていた。煤に塗れて死ぬだけだった男が此処まで出来た。それで良いのだ。もう、彼女等は俺が守らねばならないほど弱くは無い筈だ。
奏が何か言い返そうとして、姿が消えた。どうしたと言おうとして気付く。童子切から手が離れていた。いつの間にか体が倒れ伏している。歪な形で倒れている体を、ほんの少し動かせた。仰向け。空を見上げた、煤が舞っている。風。父は、恐れを吹き飛ばす風であった。その背に憧れ、その生き方に憧れた。
「父上。俺は、上手く出来たでしょうか……?」
呟き。風が煤を巻き上げる。返事などありはしない。童子切を以てしても、父の姿は俺の傍にはなかった。それが答えである。自分は、父が心配するような駄目な在り方では無かったという事だ。笑う。ただ、父のようで在りたかった。
「俺は、貴方のように笑えたでしょうか……? 何かを遺せたでしょうか……?」
一陣の風が吹き抜けた。それが嬉しくて口元を緩ませる。風の音。煤が舞っている。やがて全てが遠くなった。
立花響、未来を救い出し、マリアも助ける為走る
風鳴翼、雪音クリスの首輪を斬り裂き、後輩を守り切る
雪音クリス、ソロモンの杖を奪還、失くした己の居場所に戻る
翼&クリス、楽曲BAYONET CHARGE習得
切歌&調、仲直りし、マリア救出の為手を取り合う
かつて煤に塗れた少年が受け継いだ想いは、やがて後を行く者に受け継がれていく。
上泉之景、死亡