煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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19.始まりの歌

 剣が振るわれる。その度に飛来する飛翔剣は灰が崩れ落ちる様に塵と化す。英雄の剣。フロンティアの力を人間が意のままに操れる限界の力が宿ったそれを、何の感慨も無く撃ち砕いていく。ガングニールを纏う響を追いつめた決戦兵装。それが一振りの刀に為す術もなく破壊されては再び生まれ砕かれる。剣聖。眼前で展開される戦いに、マリアはそんな事をぼんやりと思う。

 突然現れたユキは、その場に立ったまま童子切を振るう。飛翔剣が舞い、ウェルが剣を手に打ち掛かる。太刀が振るわれる度に、銀閃が弧を描く。一太刀にしか見えない斬撃。それが剣とぶつかった時、あり得ない衝突音を響き渡らせる。一体あの一撃で何度の斬撃が放たれているのか。シンフォギアを纏っていないただのマリアにはとても見当がつかない。ただ、その武骨なだけの音色に何処か引き付けられる。戦場で奏でられる鉄の演奏に、音楽家としての何かが惹かれていた。背中。煤と血に塗れたそれだけが胸を打つ。この人は自分を守ってくれるのか。立花響がそうしてくれたように、剣聖は自分に手を差し伸べてくれるのかと言う淡い希望が灯る。

 

「やっぱりユキさんは……私を守ってくれる。苦しい時、来てくれる……」

「あなたもしかして……?」

「言っちゃダメですよ。絶対にダメですからね」

 

 響が小さく零した。互いに抱き合う様に倒れていた少女の目が合う。響が小さくはにかんだ。出会うなり最近恋をしましたとカミングアウトされていた。正直言って、あの時のマリアには戦場で何を馬鹿な事をと思ったものだが、今の響の表情を見るとそれも仕方が無いと納得してしまった。確かにあれはずるい。自分たちが為す術もなく撃ち破られた力を圧倒していた。だが、そう言う意味では無い。マリアを命がけで守ろうとした響を守り、力を振るい傲慢の限りを尽くしていた博士を地に叩き落していた。その姿から見られたのは人としての怒り。守るべき技で守るべき子らを傷付けた事への明確な敵意だった。そうでありながら、戦い抜いた響に、一言よく頑張ったと告げていた。それだけである筈なのだが、だからこそ胸を打つものがある。ただ、言葉ではなく行動で語ったと言うだけの事である。剣聖の剣は相手を打倒する技である。だが、その技を以て二人は守られていた。かけられる言葉は殆ど無かったが、そんなものなど必要ないと言う事は、響の様子から痛いほど良く解ってしまう。

 

「たった一撃入れただけで良い気にならないで欲しいですね!! 最強の英雄を舐めるな!!」

「……最強の英雄、か。お前の強さとは何だ?」

 

 初めて受けた明確な一撃に額から血を流しながら英雄は激昂する。そんな姿を見て、剣聖はただ童子切を緩やかに流す。やや下段。刃を止める。

 

「それを今から見せてやると言っているのですよ!!」

 

 砕かれた飛翔剣を再生成。十二のソレをユキの全方位に展開する。そのまま己も最高速度に達し、一気に斬り込んだ。斬撃が駆け抜ける。

 

「――喝ッ!」

「――ッ!!」

 

 剣聖の腕がぶれる。斬撃の結界が駆け抜ける斬撃を全て弾き飛ばした。刃を振りかぶり笑みを浮かべた英雄。剣聖の気迫を正面から浴びる事になり笑みが凍り付く。それは風鳴翼ですら浴びた事の無いものである。上泉之景の剣気と意志、そして斬り捨てても構わないと言う気迫だった。剣聖の気当て。英雄の剣を振りかぶった英雄は、未だかつて浴びせられた事の無い剣気に刃が揺らぐ。一閃。童子切が振るわれていた。英雄の剣が砕け落ちる。何が起こった。ウェルがそう思った時には既に剣聖は一歩踏み出し、ウェルとはすれ違うようにして立っている。英雄の剣により全てを強化されているウェルにして、何が為されたのかまるで理解が出来ていない。ただ斬り裂かれていた。

 

「お前の強さと言うのは何だ? 武器か、技か、それともおまえ自身か?」

「なぁ……ッ!? くぅ……、そうですか、あなたもまた随分と優れた刃を持っているようだ。それは認めましょう。その剣は僕の剣に匹敵するものを秘めている」

「成程。剣が強いと言う訳か」

 

 苦し紛れに零された英雄の言葉。剣聖は口許を緩める。お前の強さは剣か。そんな呟きだけがマリアと響に届いていた。

 

「では、指南を続けようか」

「ユキさん……?」

「な……!? あの男は何を考えているのッ!?」

 

 

 直後、剣聖はあり得ない行動に出る。二人は思わず絶句する。あろう事か剣聖は童子切を捨てたのである。鞘に納め地に突き刺す。床に鋭い亀裂が走り、童子切は突き立った。それはそれで常識から遥かに離れた光景ではあるのだが、今の二人にはそんな事はどうでもよかった。英雄の剣を前に、武器を捨てたのである。何を考えているのだと思うのも仕方が無いだろう。

 

「童子切は捨てた。これは二課で支給されるただの警棒だ。武器が良いなどとは言わせんぞ?」

 

 先程と比べれば随分と見すぼらしくなった武器を手に、剣聖は英雄を手招きする。右手。警棒が一振り握られている。悠然と佇み、ただ笑う。剣の意志が英雄に来いと伝え続けている。どこから見ても冗談としか思えないその行動は、本気の意志を以て示されているのだとその場にいる全員が気付く。何かが切れていた。剣聖は、英雄の斬ってはならない線をあっさりと斬り裂く。

 

「ふざけて居るのか上泉之景ッ!!」

「ふざけてなどおらんよ。言った筈だ。お前には強さと言うものを、戦いを教えてやると」

「何時も何時も何時も何時も!! お前は力を振り翳し、したり顔でものを言う!!」

「当たり前では無いか。武を研鑽してきた武門が、科学者に武を説いて何が悪い」

 

 御託は良いから来いと手招きするユキに、遂にウェルは切れた。上泉之景にとってウェルは英雄などでは無い。ましてや武に属する者ですらない。どれだけ強い武器を持とうとも、武においては門弟にも満たない程度の扱いでしかないのだ。力の使い方を知らぬ者に、使い方を身を以て教えてやると言うだけの事だった。もっとも、教えたとしても使わせる気は無いのだが。

 

「気に入らないんだよ!!」

 

 襲い掛かる飛翔剣。何度目かの再生成されたそれを見詰め、剣聖はゆるりと動く。飛翔剣がその動きに誘われるように軌跡を逸らした。目標への修正。機械的に制御される英雄の剣は、標的へと向かい狙いを定める。

 

「動けば隙が出来る。であるからこそ、最小限の動きで相手を大きく動かす事で主導権を握る。基本にして深奥だ。自動制御されている刃など、剣技に非ず」

「ふざけるな!!」

 

 瞬間、剣聖が動いていた。動いたと認識する時には、既に刃は全て手折られている。警棒。童子切が放ったそれと同じ音を響かせ、飛翔剣を粉々に打ち砕く。あまりの光景に英雄は目を見開いた。なんだ。一体何が起こっているんだ。つい先ほどまで英雄の剣を振りかざし、その力に酔いしれていた張本人であるからこそ、眼前の光景がいまだに信じられない。咆哮。既に剣聖は眼前に存在していた。呼吸が止まる。静寂が包み込む。暗転。何が起こったのか解らないまま、ウェルは地に伏せられる。

 

「ふざけてなどおらんよ。お前が剣聖の力などと嘯くから試しているのではないか。本当に剣聖足り得るのかを」

 

 何を言っているのだとユキはウェルを見詰める。本当に剣聖の力だと言うのならば、ユキですら凌駕出来るはずなのである。立てとユキは英雄に背を向け告げた。間合い。仕切り直すように取られていた。歯を食いしばり再び立ち上がったウェルに、ユキはただ笑う。やるでは無いか。その気概だけは認めてやる。そんな事を呟く。警棒を捨てた。

 

「では、一手参ろうか?」

「そんなに死にたいと言うのなら、殺してやる!! 英雄を、なめるなああああああ!!!!」

 

 すでに何度も手折られた飛翔剣。それを生成する事もせず、全ての力を英雄の剣に注ぎ込む。真打。自分の持つ剣の中で最も優れているソレを手繰り寄せる為、ウェルは全ての力を解き放つ。一振りの剣。真の英雄の剣が生成されていた。剣聖はただ見つめた。潮合に到達する。ウェルが全霊を込めて踏み込んだ。斬撃。風が駆け抜ける。

 

「お前では俺を殺せんよ」

「馬鹿な……ッ」

 

 交錯。先手を取らせたユキはぶつかり合う瞬間踏み込んだ。手刀。英雄の剣を根元から圧し折っていた。柄。ウェルの持つ手と僅かに開いた隙間に斬撃を打ち込み、剣を殺していた。刃が回り、地に突き立つ。使い手から離れた事で、英雄の剣はその姿を消していた。

 先程から行われる、あまりにも常識から外れた立ち合いに当事者であるウェルは膝を突き呆然と呟いた。

 

「無手で相手をした。次はどうして欲しい? 何を捨てればいい?」

「嘘だ……。僕は英雄になったんだ。こんな事、ある筈がない……」

 

 次はどのように加減をすれば良いと問う剣聖に、英雄は膝を突く。作り上げた力が撃ち砕かれる。こんな理不尽な事が現実な訳がない。呆然と呟く英雄に剣聖は告げた。

 

「剣を持っただけで英雄になれるか馬鹿者。お前など、剣の使い方も知らぬ科学者では無いか。少し強い武器を持っただけでのぼせ上がるな」

 

 武に属する者、ただ戦う為に研ぎ澄まされてきた末裔の言葉は、英雄の胸を深く抉ったのだった。ぎりぎりと、深く歯を噛んだ。馬鹿にしているのか。そんな思いだけが英雄の胸に渦巻く。

 

「剣で勝てないとしても、まだ僕にはフロンティアがある!!」

「ふん。結局お前の剣など、その程度という事か」

 

 示される力を前に、剣を交わす事を諦めた英雄を剣聖は静かに見据えた。上泉の剣は、数多の英霊たちが戦う為だけに磨き上げたものである。中にはユキ以上の天才もいた。そんな化け物たちが只戦う為だけに生涯を捧げた技が一朝一夕で越えられる訳がない。英雄の剣が武門の前に敗れ去るのは当然の帰結だと言えた。英雄は剣聖では無く、剣聖と呼ばれた者達全てに挑んだのだから。英雄の剣を手折られたウェルは、だが、瞳には折れぬ意志を宿したまま左腕を掲げた。

 

『良い。このままやらせなさい』

 

 童子切を手にして動こうとした剣聖に、ユキだけが聞こえる声が囁いた。ネフシュタンの腕輪に宿る意思。フィーネの言葉だった。ほんの少しだけ考え、ユキは動くのを止める。今のフィーネに世界を如何こうする意思が無いのは知っていた。敵ではあったが、今は雪音クリスの母親代わりにその行く末を見守る存在だった。その言葉には、警戒すべき事は無かった。

 

『今此処で奴を倒しても、問題は解決しない。更なる歌が必要になる。月を動かすほどの歌が、ね。何かしたいと言うのなら、全て出し尽くさせた上で手折るのがあなたの役目よ』

『全く、好き放題言ってくれる』

『あの子らの歌で生かされたのだから、あの子らの為に戦うのが道理じゃないかしら』

 

 ユキはフィーネの言葉に頷く。止めようと思えば止められた。だが、今のままでは歌が足りなかった。フォニックゲイン。それが極まるまでは、問題を解決する事が出来ないとフィーネは囁く。英雄を倒したとしても、月が落ちては何の意味も無いからだ。何よりも、ユキとしてはウェルを此処で折っておきたい。あの妄執は、並みの敗北では消せないだろう。全てを出し尽くさせた上で折る事で、初めて終わらせる事が出来る類の人間だった。

 

「英雄の剣が折れようと、僕にはまだフロンティアがある!! ネフィリムの力で、お前たちを消し飛ばしてやる!!」

「……結局お前は何かに頼るのだな」

 

 剣を用いた戦いでは剣聖には勝てなかった。だが、それでもまだフロンティアが存在していた。フロンティアと一体化したネフィリムの力がまだ残っている。先程生成したネフィリムに更なる力を送ると同時に、自身は退路を作り出しその中に滑り込む。撤退。フロンティアの心臓部に向け、最後の手段を取る為に向かう心算だった。

 

「最後に勝つのはこの僕だ!!」

「無理だな。お前では勝てはしないよ」

 

 姿を消すウェルをあえて見送り、ユキは言っていた。完全聖遺物ネフィリム。その力を解き放とうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユキさん!」

 

 童子切を手にし、博士が居なくなった為、倒れていた二人の無事を確認しようと振り向いたところで、響が飛び込んできていた。

 

「生きてた。やっぱり生きてました!!」

「一度死んだがね。まさかフィーネに叩き起こされるとは思わなかったが」

「ええッ!? それに了子さんにですか!?」

 

 奇跡を纏う少女を受け止める。只でさえ今の自分は血と煤だらけであり、ウェルによって死んだとも伝えられていたようだ。この優しい子が感極まるのも仕方が無いだろう。自らの腕を落とし、親友を好き放題していた英雄の剣にただ一人で挑んでいた。強いとは言えまだ子供だった。怖かったのだろうと容易に思い当たる。ねぎらう様に背を撫でた。とは言え悠長にしている時間は無い。名残惜しそうな響を言い聞かせ離れる。フィーネに助けられたと教えると、驚いたように目を丸め、その後嬉しそうに笑った。大輪の花が咲く。その姿は響らしいとつられて笑った。

 

「ユキさん。ネフィリムは私に、私達に任せてください。ユキさんは、ウェル博士を」

「……そうだな。任せる。あの男とは決着を付けねばならないからな」

「はい! 任されました!」

 

ネフィリムと言えば、響の目の前で腕を喰らったと言う化け物である。自分が直接見たのは既に事切れた姿ではあったが、それでも響から見れば腕を喰らわれた存在だった。そんな相手にもう一度挑むと迷い無く言い切っていた。強くなったと内心で思う。月の落下を防ぐには歌が必要だとフィーネは言っていた。ならば、此処は響に任せるべきだろう。笑った。自分の後進は、気付かないうちに随分と成長しているようだ。

 

「ユキさん。この戦いが終わったら、またみんなで会いましょうね。約束ですよ!」

「ああ、約束だ」

 

 唐突に響が拳を出し言った。それに自分の拳を軽くぶつけ約束を交わす。それだけでころころと笑う姿に、負けは許されないなと思い定める。

 

「ちょっと行ってきます!」

「ああ、そちらは任せるよ」

「はい! マリアさんも、待っていてくださいね!!」

 

 元気に手を振る響を見送る。フロンティアを止めるには、フロンティアと一体化したネフィリムを倒せば良いとマリアに教えられていた。

 

『……ああ、そう言う事か。まぁ、仕方が無いか……』

『どうした?』

『いや、母親代わりとしては娘の前途が多難だと思ってね。あの子は良い味方であり、ライバルにもなり得るなと』

『まぁ、響だからな。あの二人が切磋琢磨すれば良い関係だと思うぞ』

『……そう。本当に良い仲間に恵まれたようね』

 

 何かに気付いた様にフィーネは呟く。見ているのは響であった。何度挫けても最後には立ち上がる。時折立てそうにない事もあるが、その時は差し伸べられる手を掴み、立ち上がってきた子だった。クリスから見れば頼れる仲間であると同時に、競い合う関係でもあったという事だ。その意見には頷く。意地っ張りである。訓練の際なども突っかかっていくのだろうと容易に想像できる。

 

「皆戦っている……。それに比べて、私には何もできはしない……」

 

 フィーネと内心で語っていると、不意に声が聞こえた。視線を移す。俯き、座り込んだ少女が居た。その姿は、一人で戦おうとしていた馬鹿娘に何処か重なる。博士を追う必要はある。だが、猶予がない訳では無かった。膝立ちになり、視線を合わせた。

 

「だから、座っていると……?」

「あなたは……」

 

 戦えなどと言う心算は無かった。ただ、悲し気に虚空を見詰めている姿が気に入らない。マリア・カデンツァヴナ・イヴがこの有様では、代わりに戦う者達が余りに報われなかった。

 

「あなたはどうしてあれほど強いの? あの子はどうして、あんなに強く在れたの?」

「戦う理由が、意志があったからだろう。守りたいものがあり、守りたい想いがあった。だから、挫けたとしても折れる事は無い。胸の内に想いがあるからこそ、人は強く在れるのだと思うよ。自分の内にある想いに従うからこそ、挫けようと立ち上がれるのではないかな」

「守りたい想い……。私には、何もない……。一体私は何を支えに生きていけば……」

 

 問われた事に答えていた。言葉の意味を噛み締めたマリアは、今にも泣きそうな瞳でこちらを見る。縋られていた。

 

「知らんよ。あなたの胸の内は、あなたにしか分かりはしない」

「そんな……なら、私は何を信じたら……」

 

 だからこそ、あえて突き放す。その言葉を理解したマリア・カデンツァヴナ・イヴは、親に置き去りにされた子供の様な表情を浮かべる。少しだけ良心が痛むが仕方が無い。それは、誰かが教える事では無い。少なくとも、昨日今日出会った俺が言う事では無いのだ。そんな浅い繋がりに生きる意味など求めてはいけない。自分の胸の内は、自分で確かめなければいけない。その程度の強さは誰であろうと持ち合わせている筈なのだから。

 

「甘えるなよ、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。あなたはまだ生きている。ならば、自分の胸の内にある想いぐらい、自分で見定めろ」

「私に生きる意味なんて……」

「本当に無いのか? あなたには為したい事が、本当に何もないのか?」

 

 それでも踏み出せないと言うのならば、手を差し伸べてくれる人が居る事を教えるしか無いだろう。童子切。少しだけ左手を斬り、血を吸わせる。一度死んだ所為か、確かに見えていたからだ。目の前の少女に寄り添うように声をかけ続ける女の子の姿が。必死に気付いて貰おうとする、少女に何処か似た女の子の姿が。

 童子切は目に見えないものを斬る事が出来る。ならば斬り捨ててやろうと思う。俺がこの少女にしてやれる事など、それ位しか無かった。血刃。刃を赤く染めた。

 

『力を貸せ、フィーネ』

『全く。この私を良いように使った人間なんて、あなたぐらいよ』

 

 ネフシュタンから血液が生成される。斬り捨てるものは、生半可なものでは無かったからだ。笑う。既に少女らの歌によって奇跡は起こされていた。ならば、自分も奇跡ぐらいは起こさねばならない。故に斬る。

 

「セ、レナ……?」

 

 見えないと言うのならば、見えないと言う事実を斬れば良い。斬撃である。所詮は斬るだけで何れはその切り口は塞がるだろう。一時的な邂逅である。だが、それで充分なのだろう。マリア・カデンツァヴナ・イヴが何を見て、何を話しているのかは分かりはしない。だが、その瞳に生気が戻っていくのを感じた。

 

「私は、セレナの歌を……、セレナの死を、セレナの守ったものを無駄な事にしたくない……」

 

 少女は胸の内の想いを少しずつ見定めていく。笑う。思った通り、俺の言葉など必要では無かった。胸の内には、己の意志が確かに息吹いているのだから。

 

「妹が歌で守ってくれた。だから私は、世界を歌で救いたい。月の衝突から起こる災厄から、皆を守りたい……」

 

 大切な妹が残した想いを消したくない。今を生きている人を守りたい。マリア・カデンツァヴナ・イヴの願いとは、そんな優しさに満ちたものだった。俺と響を強いと言ったが、彼女だって十分に強いではないか。

 

「――」

 

 歌が響き渡る。マリアの歌だけがその場を満たしていく。目を閉じただ聞いていた。落ち着いた、ゆっくりとした旋律。まるで二人で歌う様に、少女が歌を重ねている。自分には見えるだけである。だが、それで充分だった。

 

『良い歌だな』

『全くね。これが愛よ。あなたも覚えておきなさい』

 

 心中でフィーネと語る。無粋な言葉など必要なかった。良い歌だ。そんな事を聞きながら思う。ほんの僅かな間だが、歌が何かを呼び覚ましているのが分かった。フォニックゲイン。それが高まっているのだろう。

 

『マリア、マリア』

「マム……?」

 

 優し気な歌に耳を傾けていると、フロンティアの設備から声が聞こえた。マリアの母変わりである、ナスターシャ教授の声である。歌っていた二人は言葉を止める。

 

『あなたの歌に、世界中が共鳴しています。これ程のフォニックゲインが高まれば月の遺跡を再起動させるには十分です。月は私が責任をもって止めます』

「マムッ!!」

『もう何もあなたを縛るものはありません。いきなさい、マリア。行って私に、あなたの歌を聞かせなさい』

「解ったわ、マム。世界最高のステージの幕を上げましょう!」

 

 母が子に言葉を託していた。目の前の少女にとって、いま語られる言葉が、自分にとっての父の言葉だったのだろう。マリアが顔を上げ宣言する。母との別れだった。

 

「生きなさい、か。良い御母堂ではないか。生きる意味まで託してくれたのだから」

「ッ……!? マム」

 

 ぽつりとつぶやいた言葉。その真意を理解したマリアの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。傍に居た少女も涙を零している。母は娘に、ただ生きろと伝えていた。そして全てを失ったと思っていた少女に、今を生きる意味を確かに伝えていた。その姿にもうこの少女は大丈夫だと確信する。目が合う。既に見えなくなったのだろうか。妹だけが頭を下げた。何もしていない。だから気にするなと伝えていた。童子切に血を吸わせ、博士が逃げた場所に向かう。床。血刃で斬り裂いていた。道が途絶えたと言う事実だけを斬って捨てる。

 

「あなたは、何をするつもりなの?」

「俺か? 俺は、英雄に憧れる馬鹿を追う。それが、俺のやるべき事だよ。英雄などと言う理想を現実に見せてしまったようなのでな。その現実を斬って捨てねばならん」

 

 聞かれたから答える。博士は元々英雄に固執していたが、英雄の剣などを作り上げたのは血脈に継がれてきた刃を見せてしまったからだろう。ならばこそ、博士は上泉之景が止めねばならない。それが自身が蘇った理由なのだから。

 

「さて、そろそろ行かせて貰う」

「待って! せめてあなたの口から名前を教えて……」

 

 マリアに名を聞かれていた。別に知って得する名でもなかろうにと思うが、フィーネに教えてやれと一喝された。

 

「上泉之景。煤に塗れて尚、父のように見事に死にきれなかった男だよ」 

 

 だから名乗っていた。返事を聞く前に斬り裂いた道へと飛ぶ。斬り裂いた道は、長くは維持できないからだ。一瞬だけ目が合う。笑った。良いものを見せて貰った。そんな呟きと共に、意識を戦いに戻した。

 

 

 

 




博士、武門に挑む。
響、ネフィリム戦へ
マリア、歌で奇跡を起こす
マム、月の再起動へ尽力し、同時にマリアに生きる意味を与える
武門、事実を斬る


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