煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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20.七十億の絶唱

「これはまた、斬り甲斐のありそうなのが出てきたものだ」

 

 後輩を背に天羽々斬を構えた風鳴翼は敵を見据える。ウェル博士の切り札である、フロンティアの力を充分に喰らわせた完全聖遺物であるネフィリム。立花響の腕を喰らい、暴虐の限りを尽くした暴食の怪物が再び装者達の前に現れたところであった。

 

「……丁度いい。コイツには落とし前を付けさせてやりたいと思っていたところだ。閻魔様に泣きついて地獄から舞い戻ったってんなら、閻魔様が許そうと、あたし様がもう一回引導を渡してやる」

「奇遇だな雪音。私もこの敵には煮え湯を飲まされたと思っていた。雪辱を晴らす機会を態々設けてくれた事に感謝している程だ」

「なら、やる事は一つだな」

「ああ」

 

 しかし、青と赤の装者が浮かべたのは静かな闘志と、口許に湛えられたのは笑みであった。ネフィリム。それは翼とクリスにとって、友である立花響を痛めつけ、恐怖のどん底に突き落とした相手であった。二人が捕えられてしまったからこそ、響はただ一人でネフィリムに挑む事になり、ウェル博士の悪意の刃に切り刻まれ腕を失っていた。二人にしたら響は肩を並べる仲間であると共に、守るべき後輩であった。自分たちの不甲斐無さの為、後輩が払わなくても良い代償を払わされることになっていた。特に最初に奇襲を受けてしまったクリスは、強すぎる罪悪感を抱いていたのである。結局暴走の副産物により腕自体は何とかなったのだが、聖遺物との融合が加速したと言う結果になった。それは、ソロモンの杖と同じく雪音クリスの胸を深く抉る出来事だったのである。

 

「ぶっ潰す!!」

「叩っ斬る!!」

 

 だからこそ、ネフィリムが再び現れた事に風鳴翼と雪音クリスが最初に思った事は、やり場の無かったイラつきをぶつける相手が出来たという事だった。彼女等からすれば、大切な人が痛めつけられた相手が態々出て来てくれたのである。雪辱を晴らすには絶好の機会である。闘志を燃やすなと言う方が無理な相談であった。

 何よりも、二人には今意識を向ける相手が必要だったのである。先を行く者が血に塗れ倒れていた。先達は行けと背を押してくれていたが、負った傷は余りに深かったのである。クリスは純粋に心配で気が気で無く、翼は先達の言葉の真意を汲み取り、心が揺れてしまっていた。あの上泉之景が、翼を名で呼んだのである。翼自身は詳しく知らないが、ユキは翼を決して名で呼ぼうとはしなかった。奏は名で呼ぶのに、翼はどれだけ経とうと風鳴のと呼ばれていた。結局理由は教えて貰えなかったのだが、そのユキが最後の瞬間、確かに風鳴翼と呼んでいた。傷の深さもあり、死すらも覚悟しているのが何となく解ってしまったのだ。目が合った時、先達はにやりと笑った。命の灯が消えかけている中、武門は笑みを浮かべたのだ。その笑いに、風鳴翼は胸を打たれていた。人は死の淵を前に、笑みを浮かべられる物なのか。天羽奏の姿が重なる。確かに後を託されていた。あの時は泣く事しかできなかった。だが、今は違う。泣くクリスを宥めながら翼を見た瞳に圧倒されていた。だが、自分の為すべき事を正しく理解していた。自分はもうあの時とは違うのだ。自分たちを守ってくれた先を行く者に、情けない姿など見せる訳にはいかなかったと言える。心は揺れている。だが、それで刃が曇る事は無い。風鳴翼の刃は、その程度では折れぬように鍛え直されているのだから。

 

「行くぞ雪音。援護は任せる」

「任せてくださいよ。特大のをお見舞いしてやる!!」

 

 鋭く叫び、青は死線に踏み込む。斬撃。立ちはだかる巨体に向け、一撃を放った。鈍い手応え。幾らかネフィリムの体表を斬り裂くが、その表皮の堅さと筋肉の張に阻まれる。一瞬の驚き。だが、その程度で翼の歩みは止らない。羽々斬がネフィリムとぶつかる点を支点とし、ギアの力を総動員して宙に舞い上がる。中空からの斬撃の嵐。回転と斬撃からの跳躍を繰り返す。千ノ落涙。幾らか傷付けたネフィリムの体表の傷をこじ開ける為、千の刃が舞い降りる。咆哮。傷をこじ開けられ、怒り狂うネフィリムが炎を生成する。翼に向かい放つ。

 

「遅い」

 

 それを舞うような斬撃で往なしながら、更に切り刻んで行く。大きな傷では無い。だが、確かにネフィリムの体に負荷を蓄積させていく。炎と、巨体から放たれる殴打。その全てを斬り抜けながら、翼は叫ぶ。後輩が、今か今かとその言葉を待っているからだ。

 

「行け、雪音!」

「待ってましたよ! 喰らいやがれ、全部載せだ!!」

 

 先輩の言葉に、クリスは満面の笑みを浮かべた。ギアの出力を引き上げつつ放出を抑える。臨界まで溜められたその力は、並みの一撃とは一線を画す威力を秘めていた。かつて雪音クリスが、立花響と風鳴翼に守られて放った一撃。ルナアタック事変の折、クリスが二人を仲間だと思えた時に用いた戦い方であった。信頼できる仲間が敵を止めてくれている。だからこそ、自分は敵を前にして無防備を晒す事が出来る。仲間に信頼を置いたからこそできる、雪音クリスの戦い方であった。何があっても先輩ならば上手く捌いてくれる。無垢なまでの信頼だった。

 先輩が作ってくれた時間。それを無駄にしない為、雪音クリスはその身に宿す重火器を全て解き放つ。大型誘導弾。両手に持つ機関銃。腰部ユニットに装填された小型誘導弾。その全てを解き放っていた。ネフィリムを蹴り、翼が離脱した直後にその全てが楔を打ち込まれたネフィリムに直撃する。凄まじいまでの炸裂音。爆炎が舞い上がる。煙と砂塵が辺りを覆い隠す。

 

「やったか!?」

「いや、先輩その台詞は……」

 

 直撃を受けたネフィリムを見据え翼が声を上げる。その様子に、クリスは何とも言えない気分に包まれる。天然でやっているのかと思うも、この先輩の事だと妙なところで納得する。風が吹き抜ける。劫火。先程よりも遥かに大きな炎が解き放たれる。

 

「ちぃ!」

「ッ! ちょ、先輩!?」

「話すな、舌を噛むぞ!」

 

 大きすぎる炎に、翼は舌打ちを零しながら加速する。傍らに来ていたクリスの下へ、一気に加速する。直撃すれば、ギアを纏っていても甚大な被害は免れない。一瞬の判断を下し、翼は駆け抜ける。羽々斬が舞い降りる。何時ぞや神獣鏡の砲撃を凌いだ時のように、その刀身を駆け抜ける事で炎を凌いでいた。

 

「……何とか躱したか」

「……せ、せんぱい。おろして……」

 

 間一髪のところで凌いだ翼に、か細い声がかけれらた。雪音クリス。両手で抱き上げられた事にやり場のない羞恥心が込み上げて来たのか、視線を逸らし赤くなる。後輩の予想外に可愛らしい反応に、防人は思わず吹き出す。あのへそ曲がりが随分と殊勝なものだとその姿を見て思う。少しは頼られているのか。そう感じられると、翼は何処か嬉しくなる。とはいえ、そんな事を何時までも考えている余裕がある訳でも無い。

 

「さて、どうしたものか」

「まさか、アレを受けてピンピンしているとはな。赤っ恥をかかされた気分だ」

 

 依然としてネフィリムは健在である。幾らか傷を負わせてはいるが、刃も銃も決定打になりはしない。どうしたものか、対峙する二人が頭を悩ませかけた時、閃光が駆け抜けた。

 

「それならイガリマと」

「シュルシャガナも共に加勢します」

 

 緑と桃色の斬撃。赤と青を見据える巨体に、死角から斬りかかっていた。大鎌と丸鋸。二つの刃が、ネフィリムを斬り裂く。深く刺さった刃により体液が飛び、咆哮が響く。

 

「お前らは……」

 

 予想外な増援に、クリスは思わず声を上げる。翼は調が仲間になっていることを知っていたが、離脱したクリスはまさか仲間になって戦場に出てきているとは思わなかった為、驚きに目を丸める。

 

「助けに来たデス」

「私と切ちゃんも加勢します。漸くやりたい事が解りました。マムが一人で戦っている。私達もマリアを助けたいんです」

 

 月から届くナスターシャの通信。それはF.I.S.の装者には聞こえていた。母が、姉を助ける為に戦っている。自分たちだけが只見ている事なんて出来る訳がない。ぶつかり合った二人が今、同じ想いを抱いていた。意志の宿った瞳を見て、赤と青は二人を受け入れる。

 

「助かる。二人の強さは身を以て知っている。背中は任せるぞ」

「散々煮え湯を飲まされたからな。だから味方になるなら期待してやる」

 

 敵は強大である。戦える仲間は多いほど良い。なにより、家族の為に戦う二人の想いは、クリスと翼には届いていた。誰かの為に。それを受け入れるのは難しい事では無かった。

 

「ありがとうデス。こんな事であたしたちがした事が許されると思っていないデスけど」

「手を取って貰えました。だから、まだ戦える。手を差し伸べてくれた人の為にも、こんな所で終われない」

「失ってしまったものは取り戻せないデス。だけど、」

「私たちは亡くなった人の為にも戦わなきゃいけない」

 

 二人は悲しげに笑う。翼とクリスの仲間が事切れているのを見ていた。彼らがどの程度の関係なのかは知らないが、それでも大切な仲間が息絶えていたのだろう。自分たちが手を下した訳では無いが、発端である事は間違いない。そう考えると、涙がこみ上げる。特に、直接刃を交えた切歌の瞳からは耐えきれなくなったのか、涙が零れだす。合わせる顔が無かった。

 

「ど、どうしたんだよ」

「あたしは、お二人になんて謝れば良いか」

「なにを……言っている?」

 

 尋常ではない様子に、戦いながらも二人は問う。零れ落ちる涙を拭いもせず、切歌は伝えていた。

 

「あなた達の仲間が死んでしまったデス。穏やかに笑って、死んでいたのデス!」

「……悔いは無い。まるでそう言っているみたいでした」

 

 辛そうに調も続ける。仲間の死。それを伝えていた。戦いの最中である。伝えるべきではない。それでも、二人には黙っている事が出来なかった。自分たちは仲間を死なせた原因である。それを黙って居ながら背中を預けようとする二人に、申し訳なさだけが募った。そう言う訳だった。

 

「……!?」

 

 翼はぎりっと奥歯を噛み締める。解っていた。あの傷で助かる筈が無いと、解ってはいたのだ。それでも先達は行けと笑い。後を託されていた。その想いを無駄にすることなどできはしない。それでも、受けた衝撃はかつて奏が死んだときのものに匹敵する。道を示してくれた人だった。その恩は、憧れは、失った事を簡単に埋める事などできはしない。刃が揺らぐ。だが、踏みとどまる。

 

「え……?」

 

 そして、赤は呆然と零していた。解ってはいた。解ってはいたのである。あの傷は、助かる見込みのあるものでは無いと。それでも、ユキは、雪音クリスにとって大切な人は約束してくれていた。まだ死なないと、確かにクリスを見て言っていた。そして気付く。確かに、あの場では死んでいなかった。クリスが目の前にいる間だけは、確かに生きていたのだ。皆の生きる場所を守れと言われ、居場所は此処に在ると教えられていた。言ってくれていた。生きる意味を、確かに教えてくれていた人が、死んだ。涙が零れ落ちる。それは、雪音クリスにとって耐えられるものでは無かった。それだけの事を、ユキはクリスにしてきたと言う事だった。イチイバルを取りこぼす。ネフィリムの巨体が迫った。

 

「雪音!」

「あ……」

 

 ネフィリムの拳が視界一杯に広がる。完全に虚を突かれていた。今からでは避ける事などできはしない。只見つめている。これは罰なんだと頭の何処かで思う。独りぼっちが仲間を、大切な者を求めたのがいけなかったんだ。大好きだと思える人が出来た。だから、失う事になる。独りぼっちは、独りぼっちでなければいけないから。何処か安堵する。ここであたしが死ねば、まだ生きている大好きな人たちは死ななくても済む。そう考えてしまうと、此処で終わるのもそれはそれで良い気がした。大切な人を失っていた。胸に、大きな空洞が開いている。こんなものを抱えて生きて行くぐらいならば、此処で終わる方が魅力的に思えた。目を閉じる。怒られるかな。呟いた。大切な人に生きる事を諦めるなと言われていた。今自分がしようとしている事は、その真逆な事だ。それでも、誘惑には自分で抗う事が出来なかった。自分にとってどれだけ大切であったのかという事を気付いた時、既にそれを失った後だった。失くしてから気付くなんて、あたしは本当に馬鹿だと自嘲が零れる。風。あの時と同じように、風が吹き抜けている。

 

「クリスちゃんはやらせない!!」

 

 叫びが届いた。目を見開く。背中。良く知るそれが己の前に出て、ネフィリムの拳に己の拳をぶつけていた。拮抗。気合と共に、ネフィリムの拳を退ける。立花響。ギアを失った筈のクリスの友達が、彼女を守る様に前に出ていた。涙が零れ落ちる。このバカは、こんなあたしにまた手を差し伸べてくれるのか。そんな想いが胸から溢れだす。

 

「何で、おまえ、ギアを……」

「話はあとだよクリスちゃん! ユキさんが博士を追ってくれている。私たちは、ネフィリムを止めないと!!」

「え……?」

 

 思わず零した言葉の返答に、それこそ胸を揺さぶられた。このバカは今何と言った。そんな言葉が胸を過る。だけど、上手く言葉にならない。ただ涙が零れ落ちている。響が振り向き、そして笑った。

 

「あ! クリスちゃん、ソロモンの杖を取り返したんだね! 良かったよぉ。絶対取り返してくるって信じてたんだからね!!」

「……ああ、たりめぇじゃねーか!」

「なら、こんな所で終われないよね。さっさと倒してしまわないと!」

 

 響はクリスがソロモンの杖を奪還の為に動いている事に、何の疑問も持っていなかった。クリスの事を誰よりも知る人が言っていたからだ。そんな響の様子に、クリスはまた涙腺が熱くなるのを感じた。このバカは、本当にあたしに手を差し伸べてくれる。大切な事を教えてくれる。大事な友達だった。恥ずかしすぎて言葉にする事は出来ないが、そう思ってしまう。雪音クリスは前を見据える。予想外な事に大きく揺れてしまったが、その揺らぎも今は無くなっていた。あたしはまだ戦える。大切な人達が、守ってくれている。自分にそう言い聞かせた。

 

「皆が手を貸してくれているんだな」

「そうだよ。了子さんだって、手を貸してくれている。ユキさんがそう言ってたんだ」

「フィーネが!? 一体、何が起こっているんだよ」

「それは私も解らないけど……」

 

 まさかの名前に、クリスは驚きを隠せない。最後の時は命を懸けて対峙した母親代わりだった。その人が今、手を貸してくれている。どういう状況なのかまるで理解はできなかった。そうではあるが、解る事もあった。戦わなければいけないという事である。

 

「まぁ、とりあえずこのデカブツを倒してから考えるか」

「ああ、憂う事も無くなった。これで存分に戦える。立花も行けるな?」

「はい! もう後れを取りません。皆で戦いましょう!」

 

 三人の装者が再び一つになる。漸く全員の想いが一つになった瞬間だった。

 

「ごめんなさいデス。あたしたちが、あんな事を言うから」

「気にしてねーよ。大切な事を教えてくれただけだ。だから、お前らも気にすんな」

 

 大きな隙を生んでしまった事を切歌が詫びようとすると、気にするなとクリスは笑った。大きく揺さぶられたが、終わってみれば大切な事を知っただけだった。切歌が謝る理由は何もない。他の皆も異存はないようで、そんな様子に切歌はどう反応すれば良いのか解らず、困った笑みを浮かべた。

 

「とは言え、敵は強大。勝つにはこれだけ装者がいても、骨が折れそうだよ」

 

 調の呟きに全員がネフィリムを見据える。確かに敵は強大だった。

 

「だけど、歌がある!」

 

 彼女らの背後から鋭い声が届く。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。何度も挫け、心折れた少女が敵を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出来損ないどもが集まったところで、こちらの優位は揺るがない! あなたもそうは思いませんか?」

 

 フロンティアの心臓部。英雄の剣を纏いフロンティアの動力に接続、ネフィリムの左腕を以てフロンティアの制御を行っていたウェルは対峙する相手に尋ねていた。上泉之景。ウェルを追い、この場に辿り着いた剣聖だった。童子切を手に、ウェルが作り出したフロンティアの様子を映し出すモニターを静かに見据えながら佇んでいる。この場からは遥かに遠い場所で行われている戦いだった。流石のユキと言えども、その戦いに干渉する事は出来はしない。ウェルと向かい合う様に、ただ画面を見詰めている。

 

「出来損ない、か」

「そうですよ。ネフィリムに挑むのは、偽りの英雄たちと己で決めた事を貫く事も出来ない半端者。出来損ないと言って何が悪いのですか!」

 

 

 ユキの言葉にウェルは答える。出来損ない。半端な力しか持たないものがネフィリムに挑んでいた。眼前に佇む剣聖が相手ならばいざ知らず、小娘たちがフロンティアのほぼ全てを注ぎ込んだネフィリムに勝てる道理はない。彼我の戦力差を正確に測る事が出来るからこその、英雄の言葉だった。今のネフィリムの力は、英雄の剣をも遥かに凌駕する。小娘が六人集まった程度では勝てるはずがない。

 

「良いのですかあなたはこんな所に居ても? か弱い少女たちを助けに行かないと、後悔する事になりますよ!?」

 

 英雄は剣聖に哄笑を浴びせる。どれだけ痛めつけられようと、ウェルの意志が折れる事は無い。人類を存続させる英雄になる為、幼き頃に抱いた夢を叶える為、自身の理想を遂げる為、その歩みを止める事を知らないからだ。フロンティアに接続された英雄の剣が、英雄の想いに共鳴するように強く震える。英雄は決して諦めない。どれ程の困難な壁が立ちはだかろうと、撃ち破る意思を失くしはしないのである。ウェルは高らかに笑う。例え剣技では勝てなかったとしても、フロンティアの力が負けた訳では無いのである。そして、ネフィリムの力に立ちはだかる少女たちは蹂躙されるだろう。その事実に剣聖の表情が怒りに染まる。そんな未来を考えると、自分を撃ち破った者に同じ屈辱を与えられることが、雪辱を果たせる事に胸が躍って仕方が無い。

 

「……一つ聞きたいのだが」

「何ですか? あなた如きの言葉は聞く理由も無いのですが、今は気分が良いですからね。答えてあげますよ」

 

 ただ佇み、画面の様子だけを見詰めている剣聖が零した呟きに、ウェルは気分良く答える。今から起こる未来を予想し、この男はどんな言葉を上げてくれるのかと考えると、楽しくて仕方が無いのだ。感情の揺らぎが見えないからこそ、それが強く動くのが見たいという事だった。

 

「あの子らに、俺の助けが必要なのか?」

「はぁ……!?」

 

 心底不思議で仕方ないと言う様子で尋ねられた呟きに、ウェルは思わず声を荒げた。この男は何を言っているのだと、思わず喚き立てそうになる。それを何とか抑え込んだ。英雄は、簡単には揺らがないのである。

 

「必要に決まっているじゃないですか! たかだか六人の少女が、フロンティアの力を収束したネフィリムに勝てるわけがない! あなたが助けに行かなければ、全員仲良くお陀仏ってやつですよ!!」

「そうか」 

 

 英雄の言葉に、剣聖はただ頷いた。その反応の薄さに、ウェルは己が苛立つのを抑える事が出来なくなり始めている。

 

『俺の助けは必要か?』

『今更いる訳ないでしょ、そんなもの。子は育つものよ。特に女の子はね、大人が思うよりも遥かに成長しているのよ。心も、身体もね』

 

 剣聖は同じ事を内心で問いかける。始まりの巫女は、含みのある笑みを零すように返していた。彼女等は、既にユキの助けが必要なほど弱くはない。少なくとも、目の前にいる英雄に敗れるほど弱くはなかった。

 

「ああ、良いですよ! あなたがそう言う心算なら、現実を見せてあげますよ!」

「そうだな。では、見せて貰おうか。お前の言う現実と言うものを」

「後悔すると良いですよ! 偽りの英雄が、真の英雄に挑み無惨にも散って逝く事になるのですから!! 偽りの英雄を撃ち砕け、ネフィリム!!」

 

 博士の叫びがその場に木霊する。ネフィリムが劫火を放つ。六人の装者を飲み込んだ。ただ、剣聖は成り行きを見守っている。

 

『Seilien coffin――』

「ふはははっはははははは!! ……はあ!?」

 

 聖詠が響き渡った。何度も挫け、偽りに縋った少女。マリア・カデンツァヴナ・イヴ。歌で皆を守った妹が持っていたシンフォギア。それが今、世界中の歌と共鳴し、奇跡を纏っていた。白銀が光を発する。六人の少女は、ただ歌を歌う。装着時のエネルギーをバリアフィールドに展開。ネフィリムの一撃を吹き飛ばしていた。

 

「皆が居るならばこの位の奇跡、安いもの!!」

 

 前を見た少女は力強く言い放った。奇跡。確かにそれが目の前で展開されている。

 

「惹かれ合う音色に、理由なんていらない」

 

 風鳴翼が手を差し出し、月読調はその手を握った。

 

「全く、つける薬がないな。勝手に暴走して、勝手に暴れ回っちまった」

「それはお互い様デスよ。今だから言えますが、一人で抱え込んでも碌なことが無いデス」

 

 雪音クリスが手を差し伸べ、暁切歌はその手を取る。

 

「調ちゃん、切歌ちゃん!」

「……あなたのやっている事が偽善じゃないって信じたい。信じたくなった。だから、近くで私に見せて。あなたのやっている事を……。あなたの言う人助けを」

 

 そして立花響が切歌と調の手を取る。繋ぎ束ねるその手が、確かに絆を握っていた。

 

「例え奇跡を起こそうと、絶唱六人分。たった六人で防げるわけがない!!」

 

 英雄は更なる力をネフィリムに注ぎ込む。閃光。収束された力が、装者達を撃ち破る為に解き放たれる。六人は受け止める。繋いだ手だけが紡ぐもの。確かにそれが、ネフィリムの力を受け止めていた。光が広がっていく。英雄は、ただネフィリムに力だけを注ぐ。

 

「六人じゃない……私が束ねるこの歌は……」

 

 ネフィリムの一撃が、装者達の纏うギアを融解させていく。受け止める力に、ぶつかる力が大きすぎる。勝った。英雄は口角を深く歪めた。力が高まっていく。

 

「七十億の絶唱だああああああああ!!」

 

 そして奇跡は舞い降りる。ガングニールが、シュルシャガナが、天羽々斬が、イガリマが、イチイバルが、そして妹に託されたアガートラームが奇跡を起こしていた。纏うのは純白の奇跡。起こしたのは六人の装者達。少女たちの歌に共鳴したフォニックゲインが、彼女たちの纏うシンフォギアを決戦仕様へと押し上げていた。六人の力が収束し一つとなる。

 

「響き合う皆がくれた、このシンフォギアで!!」

 

 そして、ネフィリムは紡がれた奇跡によって打ち砕かれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な……」

 

 その光景を見ていたウェル博士は、呆然と呟いた。

 ネフィリムの持つ力は、フロンティアの有する力の大部分であった。シンフォギア如きではどうあがいても抗う事の出来ない力である。それが舞い降りた奇跡によって、風が煤を吹き飛ばすが如く吹き飛ばされていった。英雄は膝を突く。刃は折れ、切り札も失った。英雄の用意していた手札は、全て出し切ったという事であった。

 

「まだ、やるのか?」

「英雄が負けた……? この僕が、負けただと……?」

 

 剣聖の問いに、英雄はただ茫然と映し出される映像を見詰めていた。視線が虚空をさまよう。そして、剣聖を見定める。徐々に瞳に力が戻る。そして、英雄は咆哮を上げた。

 

「例え誰に負けようと、お前だけには負けられない。かつて見た理想などに、負けられる物かあああああああ!!」

 

 ネフィリムと融合した左腕。ウェルはそれを以て、フロンティアに命令を下す。ネフィリムの心臓を切り離せ。それは、ネフィリムにフロンティアを暴食させると言う決断だった。

 

「奇跡が一生懸命の報酬だと言うのならば、僕にこそ!!」

 

 そして、ウェルは英雄の剣を抜き放つ。抜剣。血涙を流し、英雄はその身に奇跡を纏う。その色は純白。皮肉にも、少女が起こした奇跡と同じ色を英雄は纏って見せる。

 

「人の扱える力では勝てないと言うのなら、人を超える力で挑めば!! 英雄よ!! 例え何に負けようと、僕はお前にだけは負けたくない!!」

 

 人間が扱える限界以上の力。それがウェルの扱った英雄の剣だった。それを今、フロンティアに接続、左手のネフィリムの力によって無理やり制御、エネルギーの充填を行っていた。人が扱える力で勝てないと言うのならば、人が扱えない力で挑めばいい。単純でありながら、同時にだからこそ容易に取れない選択だった。英雄の剣。その力は既に人知を超えていた。シンフォギアのエクスドライブをも越える出力。それを纏い、強すぎる力に悲鳴を上げる剣を掲げながら、ウェルは決戦兵装によって舞い上がる。フロンティアの心臓部。ネフィリムによって暴食され、臨界に近付き始める中枢で、真の英雄はその姿を現し、剣聖に剣を突き付ける。

 

「フロンティアはネフィリムによって暴食され、糧として暴走を開始する。そこから放たれるエネルギーは一兆度だ!! 例え世界が壊れようと、僕が英雄になれない世界など無くなってしまえば良い!! 万一、阻止されたとしても、この高さから落ちればお前は死ぬしかない!!」

 

 フロンティアをネフィリムに喰らわせながらウェルは叫びをあげる。フロンティアの高度は浮上してより少しずつその高さを上げ、今では最早生身の人間が落ちて助かる手段は無いほどである。英雄の剣で空を飛ぶ事が出来るウェルはまだしも、生身でしかない上泉之景には為す術が無いと言える。英雄は例え負けようと、確実に剣聖を殺す手段を提示し、その表情を恐怖に歪めようと、その運命を突き付ける

 

「怯えろ、泣きわめけ!! お前はもう、死ぬしかないんだ!! せめてその最後の時、死の恐怖に震える姿を僕に見せてくれ!!」

 

 ネフィリムの心臓が、フロンティアにその触手を伸ばし喰らっていく。天井が揺れ、少しずつ崩れ始める。六人の装者達が戦っている映像が途絶える。崩壊を止める手立ては無かった。

 

「お前は何も分かっていないのだな。戦う事も、強さの意味も」

 

 にも拘らず、剣聖は只笑みを浮かべた。怯えや嘆きを渇望している英雄にとって、その笑みは心の底から気に入らないものだった。

 

「そうやってお前は何時も余裕を崩さなかった。死を前にしてすら、僕を笑って見せる! 気に入らない。気に入らないぞ英雄よ!!」

「死の何が怖いのだ。お前が居るのは戦場だ。戦いに於いて、死など馴染みでは無いか。何を恐れる事がある。死を振りかざしながら、死如きを恐れるからお前は弱いままなのだよ」

 

 英雄の剣を突き付けるウェルに、ユキは童子切を突き付け言い放つ。ウェルは戦いに出ていながら、死の恐怖に怯えていた。だから、最後の最後まで戦わなかったのだと言い放つ。英雄を名乗るのであれば自らの血を流し、己が力で未来を切り開いてみろ。英雄である事を望む男に、英雄を知っていた男は語る。父は確かに英雄であったよ。上泉之景にとって、その父は何人にも劣らぬ英雄であったのだ。故に、上泉之景はウェル博士を、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスを英雄などとは認めない。その在り方を父と同列に並べるなど、あり得はしない。突き付けられた刃にウェルは怒りを示す。認められない。それは、ウェルも同じだったからだ。今更現れたかつて見た理想。そんなものに負ける訳にはいかなかった。

 英雄の剣。そしてすべての飛翔剣に命令を告げる。上泉之景を、英雄を殺す為に。踏み込み、風を超え駆け抜ける。

 

「かはっ!?」

 

 そして、剣聖の拳を以て再び地に叩き伏せられた。地が揺れている。何かを喋ろうとして、肺に唐突に入り込んだ空気が邪魔をして言葉を出せない。

 

「言った筈だ。お前はただ強い武器を手にしただけに過ぎない。どれ程武器が強くなろうとも、使い手が弱いままならば何の意味もない。英雄の剣は、お前には過ぎた玩具であったよ」

「まだ、まけられない。例え何に負けようと、此処で死ぬとしても、お前だけには!!」

 

 それでも英雄は血を流しながら立ち上がる。それを、剣聖はただ見つめ笑った。

 

「ふん。やればできるでは無いか。ならば、その意志に免じてお前に見せてやる。これが武人の戦いだ」

『っ!? この男、私に相談もせずに勝手な事を……。これだから男ってやつは!』

 

 剣聖は己が腕を引裂き童子切に血を吸わせる。ネフシュタンの欠片により、フィーネに制御された奇跡。血液が童子切に潤沢に供給される。血刃が、色鮮やかな真紅を映し出す。右手にする刃、振り翳し剣聖はただ笑う。

 

「さぁ、始めようか、英雄に憧れた男よ。お前の望む、最後の戦いだ」

 

 そして、あろう事かフロンティアを叩っ斬っていた。剣聖の速すぎる斬撃。四方八方に放たれる血刃の斬撃は、フロンティアの心臓部を膾斬りにして崩壊させていた。英雄が何とか立っていた足場が崩れる。剣聖の立つ足場も崩れた。英雄の表情が驚愕に染まる。剣聖はただ笑っている。

 

「自ら死に飛び込んだ、だと!?」

 

 英雄の剣の力を用い、何とか浮かび上がったウェルを見据え、剣聖はただ刃を向けている。細切れにされ崩れるフロンティア。それを足場とし飛んでいた。

 

「戦いをお前に教えてやる」

 

 剣聖はただ一振りの剣を以て宙を舞う。ネフィリムに喰らわれ崩れ落ちるフロンティアの中、最後の戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




装者6人、奇跡を纏いネフィリム・ノヴァ戦
英雄と剣聖、地に向かい崩れ落ちるフロンティアの残骸の中で決戦
次回2部本編最終話予定。


本編関係ないけど、XDでピックアップを完全無視して単発で出て来たイグナイトクリスちゃんは出番増やせって事だろうか

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