煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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IFシナリオ。17.覚醒の鼓動の途中から分岐です。剣聖が起きるのが早すぎて、奇跡である七十億の絶唱が起こらないルートです。一話に納めているので、駆け足気味デス。後味があまり良くないルートなので、読まなくても本編読む分には問題ないデス。


IF 一刃の風

「胸の歌がある限り!!」

 

 立花響は走っていた。ギアを纏う事が出来ず、シンフォギアに頼る事は出来ない。フロンティアの制御室に至る道。マリアに会う為にただその足を動かす。マリアを助けて欲しい。調にはそう頼まれていた。ギアは友に消し去って貰っていた。どれだけ苦しくとも、全身を犯していた苦しみに比べれば何ほどのものでも無かった。

 

「響か」

「ユキさん!?」

 

 不意に響は聞こえた声に立ち止まる。上泉之景。身体を半ば血に染めながらも、その場に存在していた。息を呑む。何があったのかは解らないが、またこの先達は血を流していた事に胸が締め付けられる。

 

「この先にマリア・カデンツァヴナ・イヴが?」

「はい。だからこうやって」

「そうか。ならば話はあとだ、一気に行くぞ」

「へ……? わきゃ!?」

 

 身近な質問に答えた響は、次いで行われた事に軽いパニックを起こす。一気に抱き上げられ、風を追い抜いていたからだ。跳躍と加速。それを一気に繰り返し、人を遥かに超える速度で以て駆け上がる。頂上。その間近に来るまで、響はただぼんやりと先達の顔を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

『フォニックゲイン。未だ目標値には遠く及びません』

「私には無理よ、マム。私には何も救えない……」

 

 世界を救う為に歌っていた。だが想いは届かない。世界に向けて届けられた歌ではあったが、月の遺跡を再起動するには遥かに及ばない。ガングニール。黒きシンフォギアを纏った少女の歌では、人々の想いを束ねきれなかった。

 

「あまり勝手な事はしないで欲しいのですがね!!」

「あうぅッ!?」

 

 まだ終わる訳にはいかない。一度で無理でも、もう一度歌わなければいけない。何とか心を奮い立たせたマリアを阻む者がいた。ウェル博士である。首元に英雄の剣を身に着け、マリアを打倒していた。唐突に現れた人間に、マリアは為す術もなく吹き飛ばされていた。

 

『マリア!』

「全く、やっぱりおばはんの仕業か」

『お聞きなさい、ドクターウェル。フロンティアの力を用いて束ねられたフォニックゲインを収束し照射すれば、月の遺跡は再起動し、月は元の軌道に戻せるのです。今が、最後のチャンスなのですよ』

「月が落ちなければ、英雄の力が振るえないじゃないですか」

 

 世界の救済を阻止しようとするウェル博士をナスターシャは説得しようと言葉を交わす。しかし、英雄になる事を望むウェルにとって、その言葉は煩わしいだけに過ぎない。ネフィリムの細胞から作成したリンカーを投与した左手をフロンティアの制御装置に翳す。

 

「そんなに月の遺跡を動かしたいと言うのなら、あんブレラ!?」

 

 そのままナスターシャのいるエネルギー制御室を切り離そうとしたところで、吹き飛んでいた。拳。すでに何度か叩き込まれた事のあるそれが、博士の眼鏡を襲う。障壁。そんな物は知った事でも無いと言わんばかりに振り抜かれた血刃により相殺される。一撃。それを以て、眼鏡を粉々にし、博士を吹き飛ばしていた。上泉之景。一陣の風と共にマリアを追い抜き英雄と対峙する。

 

「な、にが……」

「マリアさんを助けに来ました。だから、諦めないでください」

 

 呆然と零す問いに、追いついた響が笑った。見るものを安心させるような温かな笑み。それを、諦めかけていた歌姫に向ける。

 

「会いたかったぞ盆暗」

「お前は!? 何故だ、何故おまえが生きている!?」

「死んでいたよ。だが、追い返された。死ぬ前に、一仕事しなければいけない様だ」

 

 驚愕を示す英雄に、剣聖は笑みを以て答える。確かに殺した相手。それが今目の前に存在している。その驚きも仕方が無いだろう。

 

「ふざけるなよ! 何時も何時も、何時も何時も何時も!! お前は肝心な時に現れる!!」

 

 英雄の体が光に包まれる。外部兵装である英雄の剣。それを抜剣していた。十二の飛翔剣。そして両手に持つ剣。シンフォギア以上の輝きを以て、英雄は此処に現れいずる。風が駆け抜ける。

 

「だがしかし、今の僕にとってはお前と言えども抗う事はできはしない!! この英雄の剣は」

「口上が長い」

「……なに?」

 

 一陣の風と共に血刃が駆け抜ける。斬撃。ウェルの言葉の一切を無視して放たれたそれは、英雄の認識速度を遥かに超える速さで以て駆け抜けていた。何かが砕ける音が鳴り響く。英雄は胸元を見詰めた。剣。その刀身だけが見事に消え去っていた。輝きに包まれていた全身が、再び淡い光に包まれる。既に英雄の剣は手折られたあとであった。

 

「お前の遊びに付き合っている時間は無い」

「馬鹿な……。英雄の剣が、僕の夢が……?」

 

 纏っていた白が消え去り呆然と呟いた言葉に、剣聖は静かに、だが鋭く告げていた。振り翳す為に作り上げた力。それを、あろう事か剣聖は使わせる事すら許さずに斬り裂いていた。英雄はへたり込む。彼が作り上げてきた武器は、剣聖の前では何の意味も成さなかった。

 

「立てるか?」

「……そうだ。私は、歌わなければいけない……」

 

 早すぎる展開についていけないマリアに剣聖は声をかける。そして我に返ったマリアは再び立ち上がる。ガングニールを纏い孤独の中で戦っていた少女に、二つの手が伸ばされる。まだ歌わなければいけない。マリアは、心の底から世界を救いたいと言う願いを込めて再び詠う。

 

「……どうして!? 私では、私の歌では何も救えないと言うの!?」

 

 それでも尚、歌では世界を救えない。月の遺跡を再起動させる程のフォニックゲインには遥かに届かない。マリアの歌では、世界の運命を変えるほどの奇跡は起こる事は無かった。

 

『月遺跡、未だ沈黙』

「当たり前ですよ……。今まで散々他人を欺いて来たお前の歌に、誰が耳を貸すと言うのですか?」

「そうだとしても、私は世界を救う為に……」

「悪を為した。そう言うんでしょうね。だが、誰がそれを理解してくれる!!」

 

 ただ優しいだけの少女に、英雄の言葉が牙を剝く。涙が零れ落ちた。確かに英雄の言うとおりである。例え世界を守りたいと言う想いがあろうとも、それが伝わらなければ何の意味も無いのである。そして、マリア達はその目的の為にあえて悪を為していた。いきなり全ては世界を救う為でしたなどと言われて、信じる人間はそう多くはない。思うに任せないフォニックゲインの高まりがそれを如実に示していた。

 

「ならば、お前ならば世界を救えるのか?」

「そうですよ。僕は人類を救済する為だけにフロンティアを浮上させた。少なくともそれで、僕とこの場にいる人間だけは生き残る!! 例え月がぶつかり地が崩壊しようと、人類は滅亡などする事は無い! それが英雄の提唱する、人類唯一の救済方法だ!!」

「たわけが。お前は最初に言った小を犠牲に大を救うと言う目的すらも忘れているでは無いか」

「なぐひゃ!?」

 

 剣聖の問いに答えた英雄は、そのあまりのふざけた答えの報いを受ける。拳。もう一度叩き込まれていた。英雄はそれで沈黙する。上泉之景は怒っていた。気に入らない人間である。だが、その能力だけは一目置いていたところもある。それが、このようなふざけた事を本気で言っている。気に入る訳がない。

 

「私では何も救えない……。私では妹のように、セレナのように……。こんな私では生きる意味がない……」

「意味なんて後で考えれば良いじゃないですか。だから、生きる事を諦めないで!!」

「これは……あなたの歌?」

「違いますよ。これは、私のじゃありません。私たちの歌です」

 

 何とか手にしていた烈槍を取りこぼし呆然と呟いたマリアに、槍を拾い上げた響は笑う。聖詠を歌っていた。ガングニール。生きる事を諦めかけていた主に変わり、生きる意志を示す新たな主の下へその力を届ける。光が二人の少女を中心に広がり、やがて響の下へ収束した。

 

「これが私たちのガングニールだあああああああああ!!!!」

 

 再び少女は希望を纏う。撃槍ガングニール。失った筈の響の力が再び現れていた。胸の内にある想いを伝える様に叫びを上げる。その咆哮がマリアの胸を打った。

 

「なんだと……。だが、まだネフィリムが居る。僕を捕らえようと、フロンティアの力を喰らったネフィリムがまだ存在している」

「ふん。そんな物大した障害にはならんよ。斬って捨てるだけだ」

 

 目を見開くウェルの言葉に、剣聖は小さく笑った。武門である。その刃は本来、敵を討つために研鑽されてきたものである。化け物が阻むと言うのならば、その真髄を振るうに相応しい戦いだと言うだけであった。手にした童子切。血刃が喜びを表すように強く震える。鬼を斬ったと言う逸話すらある太刀であった。ネフィリムなど、斬り甲斐のある獲物に過ぎない。咆哮が轟く。ネフィリムの叫びであった。

 

「ネフィリムを斬る、だと?」

「そうだよ盆暗。お前は少数の犠牲で大勢を救うと語ったな。ならば俺はお前がかつて提唱したやり方で、お前以上の結果を残してやろう」

「何を馬鹿な事を……」

 

 剣聖は英雄を担ぎ上げる。こんな場所に一人で置いておくことなどしない。月の落下の問題もあるが、先ず打つべきはネフィリムであった。響が二課本部と通信を繋げる。直ぐにネフィリムの現在位置が伝えられた。剣聖と響は目を見合わせ小さく笑った。翼とクリスが迎え撃っている。ならば、直ぐに向かわなければいけない。

 

「お願い……戦う資格の無い私に変わって、世界を守って……」

 

 そんな二人の様子を悲し気にマリアは見詰め伝えた。既にガングニールも失い、戦える力を失っていた。想いを込めた歌すらも否定され、少女は立つ事すらできなかった。

 

「あなたには戦う資格がないのか?」

「そうよ。全てを欺いて来た私には、今更共に戦う資格なんて……」

「弱いなお前は。戦う事に資格など無い。あるのはやるかやらないか。己の意志だけだ」

 

 そんなマリアの言葉を聞き、剣聖は童子切を振るった。既に一度死んだ上泉之景には見えているのである。マリアの妹が、必死に姉に語り掛けているのを。胸元に付けられている妹の形見。それに気付かせようと、必死に声をかけている。

 

「セレナ……?」

 

 妹の姿を認めたマリアは、呆然とその姿を見つめる。気付いて貰えた。姉が自分を見てくれる事に気付いたセレナは、マリアにだけ聞こえる言葉で想いを託す。

 

「俺たちは行くかな」

「はい!」

 

 共に行く後進に向けて放たれた言葉に、響は素直に頷く。何をやっているのかは分からなかった。だけど、先達は目の前で泣き崩れていたマリアに手を差し伸べたのだろうと言う事は何となく解っていた。響自身が何度も助けられている。流された血と共に培われてきた信頼だった。

 

「待って! こんな私だけど……、世界を守りたい。あなた達と一緒に、戦いたい!!」

「そうか。なら行くか」

 

 妹との会話が終わったマリアが声を上げる。剣聖は一瞥し、短く答えていた。戦えるかなど聞きはしない。その瞳が何よりも悠然と語っていたからだ。共に来たいのならば、好きにすると良い。そんな事を無言で伝えていた。

 

「Seilien coffin――」

 

 マリアは歌を口遊む。聖詠。マリア・カデンツァヴナ・イヴの持つ本当のそれを歌っていた。光に包まれる。銀色のシンフォギア。妹によって背を押され、アガートラームを纏ったのだった。剣聖と響を見詰め、マリアはただ頷く。まだ戦える。自分の歌では世界を救えないかもしれないが、それでも諦めた訳では無かった。

 

「行くぞ」

 

 剣聖はウェルを担ぎ上げ、そのまま走り出す。そして、飛んでいた。地を、壁を、木々を足場として加速する。響とマリアはその背を見失わないように追いかける。シンフォギアすらも纏っていないにも関わらず、その速さには付いて行くのが精一杯だった。その事実にマリアは驚きを示しつつも、同時に心強さを感じた。多くを語った訳では無い。だけど、この人が味方にいると思うと、折れかけていた心がふっと軽くなる。

 

「ユキさんは渡しませんよ?」

「……は? え、いや、あなた何を言っているの?」

 

 唐突に隣から駆けられた言葉に、思わずマリアは視線を移す。突拍子もない言葉に驚いてしまったからである。そんなマリアの様子に、響はころころと楽しそうに笑った後に静かに告げた。

 

「冗談ですよ。でも、あの人が私の好きな人です。何度も守ってくれた、私の英雄(ヒーロー)ですよ。だから、取ったら嫌ですよ」

「そう……。あの人が、あなたの大切な人なのね」

 

 先を行く男の背を見詰め、その背を追う女は静かに言葉を交わす。血を流し、それでも恐れずに刃を振るうその姿は、確かに英雄だった。その後ろ姿が心強く、だけどどこか物悲しい。待たされる未来の気持ちはこんな感じだったにかなと、響は小さく笑う。

 

「ぶっ潰す!!」

「叩っ斬る!!」

 

 やがて、赤と青が戦っている姿が目に入る。翼が剣を手に舞い踊り、クリスはその力を全霊を以て高めていく。場が動いた。全力の砲撃が辺りに轟音を響かせる。

 

「やったか!?」

「いや、先輩その台詞は……」

 

 翼の台詞をあざ笑うかのように劫火が放たれる。先を行く風が刃を振るった。血刃。響ですら見た事の無い程強大なそれが放たれる。斬撃。童子切によって打ち出された打ち消す力は、二人に襲い掛かった炎を消し飛ばす。

 

「先生!?」

「ユキ、カゲさん?」

「すまんな、遅れた」

 

 有り得る筈のないものを見た二人は驚きに目を見開く。そんな後進の様子に、遅れたと剣聖は詫びる。赤が動いていた。戦場にも拘らず、全力で抱き着いていた。心の奥底では、もう会えないと思っていたその姿に感極まっていたのである。その様子に困った娘だと剣聖は呟くも、振り解く事はしない。ネフィリムを見据えつつ、その背を宥める様に軽く叩く。童子切。刃に付いた血刃を振るいながら、ネフィリムの劫火をあっさりと斬り裂いていた。

 

「シュルシャガナと」

「イガリマ到着デス!!」

 

 そんな隙だらけのネフィリムを二つの刃が斬り裂く。桃色と緑の装者。月読調と暁切歌であった。深く化け物を斬り裂いた二人は、そのままネフィリムの傍を突っ切り合流を果たす。

 

「ネフィリム! 奴らを倒すんだ!!」

 

 拘束された英雄は、それでも何とか声を上げる。制御権は未だ英雄の下にある。その言葉にネフィリムは反応するという事だった。劫火が迫る。剣聖、白猫をゆっくりと引き剥がして前に出る。

 

「あなたばかりにいい格好はさせられないわ!!」

 

 マリアが身に纏うアガートラームの力を振るう。幾らか高まっているフォニックゲインをにより高められた出力。それを以て、強大な盾を展開する。銀色が皆を守っていた。

 

「これがあなたの力か」

「私だけの力じゃないわ。私と背を押してくれた妹の力よ」

「良い家族を持ったのだな」

 

 ネフィリムの一撃を凌いだ歌姫に、剣聖は短い言葉をかける。

 

「生きていたのね」

「ああ、君の中に居た魂に助けられたようだ」

「何言っているか解らないデスけど、良かったデス!! もう死んでいるとばかり……」

「実際死んでいたよ。まぁ、話はあとだな。あれを斬る」

 

 童子切。剣聖は自らの腕を斬り裂いていた。F.I.S.の三人の装者が驚愕に目を見開く。調と切歌は一度見た事があったが、その時とは切る深さが遥かに違っていたからだ。腕に付けられたネフシュタンの腕輪。紫紺の輝きを淡く発する。歌に呼び起された最初の奇跡。月遺跡を起動させるには遥かに及んでいないが、剣聖を生き永らえさせる事が出来る程度には、高められていた。

 

「腕を斬り裂いた……」

「大した問題ではない。直ぐ治るからな」

「何を……」

 

 自らを斬った事に呆然と零すマリアに、剣聖は笑う。痛みが怖くないのかという問いに、剣聖は平然と頷く。それだけでも、この男には勝てないのでは無いだろうかと脳裏に過る。響が英雄と呼んだ意味の一端を、その光景を以て理解する。自身が傷付く事に対して、何の恐れも抱いていないのである。どんな言葉よりも、行動がそれを示している。

 

「少し斬って来る」

 

 少し出掛けて来ると言わんばかりの軽さで剣聖は告げていた。童子切。血刃が輝きを増す。速く斬らせろ。その姿は、そんな事を持ち主に告げている様ですらある。

 

「先生が相手では、ネフィリムも運がない」

「まぁ、ユキさんだしなぁ。あれが相手でも、あっさり倒しちゃうんじゃ」

「……もう怪我するななんて言わない。だけど、ちゃんと帰って来いよ」

 

 三人の後進は各々言葉を零す。戦いに関しては、誰にも劣らぬ信頼があった。そして風は駆け抜ける。血刃。一刃と共に放たれる。ネフィリムの打ち出した劫火。あっさりと斬り裂き、そのまま腕を斬り飛ばす。絶叫。ネフィリムの悲鳴が上がる。跳躍。既に剣聖は、ネフィリムを間合いに納めている。斬撃。瞬く間に紅の刃が足を切り刻み、その巨体を揺るがせる。片足を失ったネフィリムは頽れ、剣聖に向け倒れ込む。血刃。放たれる特大の飛刃が半ば抉り取る様に上体を削ぎ落とす。斬痕。開けたそれに向け跳躍。胴と腕の間を反発を繰り返し飛ぶ。鮮血とネフィリムの体液が舞う。斬撃の壁。ソレを以てネフィリムが切り刻まれていく。

 

「嘘だ……こんな事、ある訳がない」

 

 たった一人の人間に切り刻まれていくネフィリムの姿に呆然と英雄は言葉を零す。鮮血。ネフシュタンによって生成される無限とも言える血によって、童子切はその力を惜しむ事なく見せつける。歴史にその名を刻むほどの無双の一振り。剣聖と言う使い手を得たそれは、確かに唯一無二の剣であった。おとぎ話の中の英雄。そんなものを思い起す。

 

「私は英雄なんかじゃありません。だって、英雄は此処に居るから」

 

 かつてウェル博士が響に言った言葉。ルナアタックの英雄。それを否定するように、響はその姿を目に呟くのだった。ネフィリムの巨体が崩れ落ちる。暴食の名を冠する化け物は、たった一人の人間に敗北を喫したのだった。

 

 

 

 

 

「……確かにネフィリムは倒した。その力だけは英雄だと言っても良い。だが、それでどうすると言うのですか!? 月は未だに健在で在り、人類滅亡の脅威が迫る事は何も変わらない。何も守れはしない!!」

 

 ネフィリムが倒された事にしばし呆然としていたウェルではあったが、そんな言葉を吐き出した。確かに負けていた。だが、自分を倒しただけで、何の解決にもなっていない。このまま進めば、直ぐにでも地は生き物が住めない程の被害を受けるだろう。それに対してどうする心算なのかと英雄は問う。辺りが静寂に包まれる。その当然の問いに答えられる者は一人しかいない。少数を犠牲に大勢を救う。確かに剣聖は英雄にそう告げていた。

 

「少数を犠牲に、大勢を救う。それしか取れる手はない。童子切であれば、それを為せる」

 

 剣聖は英雄の言葉に静かに応える。確かに救えると言い切っていた。ただし、その言葉には何処か悲しみが付き纏っている。

 

「君たちに頼みがある。限界を斬り捨てた絶唱を歌う事を、死ぬ事を許容してくれるだろうか?」

 

 剣聖は静かに六人の少女を見る。短く。だが、確かに死を許容してくれと頼んでいた。誰の口からともなく、息が零れる。剣聖の目を見れば、本気である事は嫌でも理解できた。

 

「ただ死ぬ事を受け入れてくれと言う心算は無い。全てが終わってから逝くよ」

「皆まで言うなよ」

「解ってます。英雄でない私達じゃ、何の代償もなく世界を救うなんて事できはしない」

 

 死ぬ事を許容してくれるかという言葉を遮る様に響とクリスが腕を掴んでいた。死ぬ事なんて怖くない。傍に居てくれるのなら、私たちは大丈夫だと小さく笑う。悲愴な、だが綺麗な笑みを二人は浮かべる。

 

「先生が死を迎える事などありません。私たちを守ってくれた人たちを、今度は私たちが守る。それだけなのですから。先生は生きてください」

 

 一歩引いていた風鳴翼は、穏やかな笑みを浮かべて告げる。月の遺跡の再起動が望めない今、絶唱を使うしかなかった。この場に居るのは六人の装者であり、立花響の絶唱は全てを繋ぎ束ねる。六人の絶唱は六人だけでは無いのである。

 

「こんなの見せつけられたら、散々皆を苦しませたあたしたちが逃げる訳にはいかないデスね」

「うん。皆戦っているよ。私たちもそれに加わるだけ。切ちゃんとマリアが一緒なら怖くない」

 

 切歌と調はお互い見つめ合うと手を繋ぐ。元々世界を救う為に活動してきた。死ぬ覚悟だって当然してきていたのである。本音を言うと今すぐに逃げ出してしまいたいほど怖い。だけど、大切な皆が覚悟を決めている。そう思うと、不思議と怖さが無くなって来ていた。親友が居て、姉がいる。母が生きてくれている。だから、二人も怖くはない。

 

「ごめんなさい。私がもっと上手く出来ていれば……。皆が命を懸けなくても良い方法があったかもしれないのに」

「違いますよ、マリアさん。マリアさんが頑張ってくれたから、私たちだけの犠牲で済むかもしれないんです。だから、泣かないでください」

 

 自分がもっと上手く出来ていれば。そんな思いに押し潰されそうになっているマリアに、響は違いますよと温かな笑みを浮かべた。マリアさんがいっぱい辛い思いをしてきたからこそ、これだけで済むんだと、言い聞かせるように伝えていた。傍に居る仲間たちも穏やかな笑みを浮かべる。涙が零れた。どうしてこれほどこの子達は強いのだろう。そんな疑問が胸を過る。だけど、その答えを知る事は無いのだろう。それが少し悲しいと同時に、誇らしくもある。自分も、この子達の仲間なのだから。マリアの瞳に強い意志が宿る。

 

「斬るぞ。君たちの持つ限界を断ち斬る」

 

 少女たちが語り合う中、剣聖は己が身を貫き童子切に血を吸わせていた。ネフシュタンが強い輝きを放つ。それはまるで、今から始まる事を止めようとしている様な強い光であった。六人の少女は静かに頷く。迫る月。見詰める。自分たちが見る最期の光景に、ほんの少しだけ決心が鈍りそうになる。誰とも言わず、剣聖を促していた。鮮血が舞う。血刃が振り抜かれる。刃が風を追い抜いていく。一人、また一人と童子切に斬り裂かれていく。己の限界を斬り、人の限界を斬り、聖遺物の限界を斬り、歌の限界を斬り、絶唱の限界を斬り、示される決意を阻むもの全てを斬り裂いて行く。血が舞い、風が煤を吹き飛ばしていく。皆が黙って手を繋ぐ。やがて、全てが斬られた。それが、装者達には解った。

 

『Gatrandis babel ziggurat edenal――』

 

 少女たちの歌が響き渡る。立花響がS2CAによってその全てを繋ぎ束ねる。六人の少女の限界を超えた力。それが、アガートラームによって制御再配置されていく。超遠距離に存在する月への砲撃。それが為せるのは、六人の中でもたった一人しかいない。僅かな間とは言え、月を穿つ一撃ですら押し留めて見せた雪音クリスの絶唱である。六人分の力を展開されるイチイバルに一つに束ね、形とする。

 

「六人の中で、超遠距離を撃てるのはあなただけ」

「繋ぐ力を全てクリスちゃんに託すよ。だからお願い!」

「あんたは何時もあたしを助けてくれた。守ってくれた。だから今度はあたしが守るんだ!!」

 

 そして絶唱は放たれる。

 

 

 

 

 

 己の限界を斬り、人の限界を斬り、童子切とネフシュタンの限界を斬り、シンフォギアの限界を斬り、絶唱の限界を斬り、彼女らに訪れる筈の死を斬り裂いていた。その斬り捨てたものに対して、ネフシュタンが全力を以てその力を稼働させる。

 

『止めなさい! あなた、こんな使い方をすれば制御が追いつかない』

『だろうな。それが狙いだ』

 

 内心に響き渡る始まりの巫女の言葉。それにただ頷き笑う。ネフシュタンの欠片の限界を斬り裂いていた。無限の再生を司る。その力は、使用者を喰らってですら再生を行うという。欠片が光を放つ。内側が熱い。だが、それが心地良い。

 

「見ておけ英雄に憧れた人間よ。これが、少数を犠牲に大勢を救うやり方だ」

 

 ウェル博士に言葉を告げる。お膳立ては全て整ったという事だった。血が沸騰する。内側から、食らいつくされる。

 

「世界が滅ぶのが運命だと言うのなら……」

 

 笑う。絶唱が放たれる。命を賭してでも、全てを守りたいという後進達の、大切な者達の願いだった。それを聞き届けられないなどと、そんな先達である訳にはいかない。あってはならない。

 ――男だ、ユキ。父の言葉が胸を過る。笑う。父のように、只成りたかった。

 一陣の風が吹き抜ける。

 

「運命よ其処を退け。少女たちの願い(きせき)が通り抜ける」

 

 血刃。大切な少女の放った絶唱に重ねる様に、最期の刃を撃ち放つ。ただ光を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 月に絶唱がぶつかる。表面を幾らか穿ち、やがてその力は露と消えた。誰とも無しに呆然とした呟きが零れた。当たり前である。幾ら増幅しようとも、たった六人の力では月を押し返すなどできる訳がない。奇跡を起こしエクスドライブを纏ったとしてもできる筈がない。ましてや、決戦仕様ですらなかった。そんな一撃で如何こうできるほど、迫る災厄は軽いものでは無かったのである。六人の少女が膝を突き、呆然と月を見詰めていた。

 

「月はまだ健在……。でも、もう為す術がない」

「一生懸命なだけでは、奇跡は起こらないんデスか?」

 

 調と切歌は涙を零す。死を前にすら泣かなかった二人も、守れなかった事に涙を零す。

 

「やはり、私では守れないの?」

「この刃、守る為に磨き上げて来た。それが、この結果だと言うのか……」

 

 マリアと翼は己の無力さに拳を握り地を殴る。変えられぬ運命に、己の不甲斐無さに涙が浮かぶ。

 

「ユキさんが信じてくれたのに、守れなかった。結局私じゃ、何も出来なかった……」

「あたしの歌じゃ守れないのか……? 悲劇を始めてしまったあたしの歌じゃ、何も変わらないのか?」

 

 そして、響とクリスもその心を折ってしまう。何も変えられない現実に、起こる事が無かった奇跡に、只少女らは涙を流す。死が訪れる筈の少女らが、涙を流していた。

 

「いいや。守れたよ。君たちは、世界を守る事が出来る」

 

 ただ一人。剣聖だけが屹立し、月を仰いでいる。風が吹いている。少女らは顔を上げた。童子切。全ての力を用いたのか、血刃は白刃に戻っていた。剣聖は穏やかな笑みを浮かべる。何かが変わっていた。その何かが、少女らには解らない。

 

「あたしは、何も守れなかった……。あんたみたいに守れなかった」

「月を押し戻せませんでした。守れませんでした……」

 

 ただ、二人の少女の胸を突き動かした想いがある。クリスと響は、静かに佇むユキの下へ向かう。完膚なきまでに撃ち破られていた。苦しくて、それ以上に悲しい。ただ、ぬくもりが欲しかった。

 

「大丈夫だ。運命は斬り拓かれたよ」

 

 二人の少女をゆっくりと抱きしめると、宥める様に一度だけ頭を撫でた。見上げる。ただ、剣聖は笑みを浮かべるだけである。ほんの僅かな間慈しむ様に抱きしめると、ゆっくりと振り解く。そしてただ歩を進めた。へたり込む少女らを追い越し、只歩みを進める。月。見上げている。不意に、カランと言う乾いた音が響き渡った。全員の視線が音の方へ向く。あの上泉之景が、童子切を落としていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一陣の風は吹き抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後は任せるぞ、フィーネ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開いた時、何か大切なものが吹き抜けていった。風が吹き、煤が舞っている。目を開いた装者達が最初に見たのは、ひとりの女性だった。俯き肩を震わせる、金髪の女である。

 

「始まりの歌、それは只の風であった。運命すらも斬って捨てたお前は、確かに一刃の風であったよ」

 

 悲しみに染まった音が響く。誰も言葉を発する事が出来ない。ただ一つだけ理解する。上泉之景は、嘘を言っていたという事である。六人の誰一人として死んでいない。それどころか、怪我一つない。守られた。親が子を守る様に、確かに守られていた。 

 

「奇跡の通り道には、先ず風が通り抜ける。確かに奇跡は起こった」

 

 始まりの巫女は、ただ月を仰ぐ。剣聖は確かに斬り拓いたのである。己の限界を斬り裂き、先ず人間と言うものの限界を超える。それから童子切の限界を斬り、ありとあらゆるものを斬る公算をつける。更にネフシュタンの限界を斬り裂き、必要な血液の生成とネフシュタンの再生、つまりフィーネの再誕を手繰り寄せる。同時に、装者達の絶唱を斬り、血液の生成を以てネフシュタンの再生を加速させ、死に至るという結末すらも斬って捨てる。六人の少女たちの絶唱は、月を動かす為に用いられたのではない。ネフシュタンを最大限に稼働させる為に用いられたのである。あの上泉之景が守るべき子らに死を押し付ける事がある筈が無い。月がぶつかると言う運命を変え得る可能性を手繰り寄せる為だけに歌わせたものだった。剣聖は確かに言っている。死を許容してくれるかと。それは、少女たちではなく、自分が死ぬ事を許してくれるかと言う問いであった事に、一つとなっていたフィーネには痛いほど良く解った。

 

「たとえ私が再誕したとしても、お前が消えては何の意味もないではないか!!」

 

 だからこそ、怒りが収まらない。そんな物は詭弁でしかない。例え世界が守れたとしても、守った世界には英雄の姿は無い。奇跡は起こされたとしても、守った少女らの胸には深い傷跡を残す事になるのだ。だけど、その怒りは最早どうする事もできはしない。既に、英雄はこの世を去り消えてしまったのだから。

 

「これが、世界の救い方だと言うのか? こんなものが?」

 

 全てを見ていたウェルは呆然と零した。少数を犠牲に大勢を救う。そう上泉之景は言っていた。自分が死に、現状を変えられる可能性を持つ存在を確かに呼び覚ましていた。

 

「立て、英雄に憧れた男よ」

「うぁ!?」

 

 呆然と呟くウェルを掴み上げフィーネは声を荒げる。後は頼むと死を賭して託されていた。はらわたが煮えくり返る程怒りが渦巻いているが、その想いを汲まなければならないからだ。一体化しているネフシュタンの鎧を生成し、上泉之景の体を喰らって再誕した肉体を以て童子切を手にする。

 

「全てのお膳立ては出来ている。お前を世界を守った英雄にしてやる」

 

 始まりの巫女は英雄に憧れた男に吐き捨てる。

 そしてあっけなく世界は救われる。その中に、英雄と呼ばれた人間の姿だけが存在しない。血塗れの英雄は、守るべきものを守り、全てを置き去りにしたのだった。

 

 

 

 




こうして世界は救われる。
フィーネがネフシュタンの鞭をフロンティアの心臓に突き刺しエネルギーを食わせる事で無限増殖し、力が規定量に達したら上泉之景の肉体から作り出された身体で童子切を振るってネフィリムから切り離す。そして、博士とフィーネが月をどっこいしょして公転軌道をから無理やり遠のける訳です。月が地球にぶつかると言う運命が剣聖に斬り裂かれているからこそ、事がうまく運びます。月はぶつからないのではなく、ぶつかれなくなったのです。月がぶつかれないと言う結果を作ってから、どっこいしょした訳になります。
世界は救われF.I.S.は目的を達成し、ナスターシャ教授も生き残り、博士も救世の英雄となり、フィーネは再誕する。ただしソロモンの杖は残り、武門は死ぬ。大団円に近いバッドエンド。IFシナリオですので色々省いてますが、初期案はこんな感じだったり。しかし没になりました。流石に救いが無いのと、響とクリスちゃんとかメンタルブレイクで済まないと思うので。

さて、IFは今回のみです。ただしこのIF、読まなくても問題ないですが、三部やるにあたって読んでおいた方が楽しめるかもしれません。
では次回からは二部本編終了後になります。刑務所入り直前のfisの面々とか、装者達のシリアスではないお話になります。







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