煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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8.信じて、裏切られて

「アガートラームを?」

「ええ。私の持つシンフォギア。シンフォギアであったアガートラームだけは、他の娘達の持つものとは扱いが違うわ。一度完全に壊れてしまった、F.I.S.のシンフォギア。私が個人的に持っている、お守りよ。S.O.N.G.に登録されていない、ただ一つのシンフォギアと言えるわ」

 

 S.O.N.G.本部にある研究室の一角。マリアがユキの義手を作り終えたエルフナインと対面していた。シンフォギアの強化改修。エルフナインの立案、申請中の計画を聞きつけたマリアは、抜け道があると言わんばかりに一つのギアを取り出していた。かつて、フロンティア事変の折にマリア・カデンツァヴナ・イヴが纏った白銀のギア。既に完全に壊れ、S.O.N.G.には登録されなかった聖遺物の欠片をエルフナインに手渡す。

 

「でも、どうしてこれを?」

「S.O.N.G.のギアは二つが壊され、切歌と調、そして私もリンカーを用いない無理な戦いを行い実質動けるシンフォギア装者はあの子だけになっているわ。そして、私が纏う事が出来たガングニールも、本来は立花響の力と言える。今は動けない。だけど、次に何かあった時には動けるようにしておきたいの」

 

 自動人形の襲撃。それが行われていた。クリス、翼に続き、今度は立花響が襲撃されていた。幸い近くに居たマリアが救援に向かい、響の手元から離れたギアを咄嗟に纏う事で自動人形の襲撃は何とか退ける形で収まっていた。その時に、マリアは歌う事が出来なくなってしまった響に、力を持つ責任から逃げるなと伝えていた。泣いて居る相手と戦って良いのかと、響はキャロルと接触した際に話していた。迷い。大きく揺れる響に、かつてユキが言い聞かせたように、マリアなりのやり方で語ったと言う訳であった。

 

「マリアさん……」

「あの子には、力を持つ責任から逃げるななんて、知ったような事を言ってしまったからね。私は口だけの女になりたくない。だから、その為にも私だけの力が欲しい。それは、たった一人で錬金術師たちの追ってから逃げ、此処まで来たあなたに頼みたい。英雄の右腕を作り上げた、あなたにだから頼みたいの」

「解りました」

「風鳴司令には既に話を付けてあるわ。たとえ失敗しても、最初から無かったものが無くなるだけ。黒鉄の右腕の実績も予想外に高く評価されている。申請が通るのも時間の問題という事で、個人の所有物を改修する事には言質こそないけど、暗黙の了解がされたわ」

 

 そして、ただ一人ギアを持たないマリアは、己だけの力を得る為にエルフナインに妹の形見を託す。自分は装者の中では年長者でもある。右腕を失くして尚、例え義手が無くとも戦うと言い切った男に触発もされてしまっていた。その男の右腕を見事に作り上げたエルフナインだからこそ、託したいと思い渡す。

 

「はい。直ぐに取り掛かりますね。必ず、完成させます」

「ええ。期待しているわよ」

 

 そして、マリアは白銀のギアを仲間に託す。本当の強さ。それを知る為にも、戦える力が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふおおお!! にーちゃん何だそれ。超カッケー!!」

「……、そうか、そうだな。男の子だものな。そういう反応になるか」

 

 都市の中にある公園の一角。街中を歩いている途中、トニー少年と出会った為、少しばかり時間を取っていた。その時に、右腕の手袋について聞かれた為、腕を落とされた事を語っていた。内部的には異端技術も用いられている為極秘ではあるが、相手は子供である。義手であるという事だけならば、隠す必要も無かった。黒鉄の右腕を表に出し、少年に見せると、目を輝かせ食いついていた。やんちゃ盛りな年ごろである。機械などにも興味津々と言った年齢だった。格好良い。大抵はこの腕を見ると悲痛な表情を浮かべるので、このトニー少年の素直な反応は、何処か新鮮で嬉しく感じる。失ったものは元には戻らない。とは言え、あまり腫れ物に触るように接せられても息苦しさがあるという事だった。そういう意味では、格好良いと遠慮なく触るトニー少年の反応は小気味が良いとすら感じる。

 

「なぁ、なぁ、ロケットパンチとかできねーの!?」

「流石に無理だな。加速装置ならついているぞ」

「そっちだったか!」

 

 必殺技とか無いのと言わんばかりに聞いてい来る少年に、笑いながら冗談めかして答えた。実際の所、流石に射出機能は付いていないが、血液を意図的に消費、一瞬だけ加速する錬金術ならば行使できると言うのがエルフナインの言である。何故そんな機能を付けたのかと聞いたが、格好良いからです! と真顔で答えられて反応に窮したのを思い出す。

 とは言え、本当に使えるようで一度だけ試した事がある。効果自体は凄まじいが、数秒以上の使用は意識もまた飛びそうになる。とても戦闘中に使える類の物では無かった。錬金術である為、エルフナイン同伴でS.O.N.G.訓練所で試しを行った直後に、まるで見計らったように現れたアルカノイズの反応があったが、自身は最悪の状態であった為、介入する事は出来なかった。それ自体は悔いが残る結果となったが、実感した事もある。エルフナイン曰く、血液の消耗は錬金術としてそれなりの代償であるらしく、確かに効果は大きかった。その分反動も大きい諸刃の剣であるが。血刃との併用はとてもできるものではなく、それこそネフシュタンが安定して起動でもしない限りは使える時が無さそうだ。ちなみに、使用するには拳を強く握り自動錬金(オートアルケミー)と告げれば発動する。黒鉄の右腕となった事と言い、いよいよ以て、黒金の自動人形に近付いてきた気がしないでもない。

 

「しかし、君は俺が怖くは無いのかな」

「怖い? なんで?」

「俺は君よりも遥かに年上であるし、出会いもあんな感じだった」

 

 トニー少年との会話の途中、ふと思い至ったので聞いてみる。ウェル博士に取られた人質。それが、この子との初めての出会いだった。気丈に涙こそ零さなかったが、良い思い出では無いだろう。

 

「ああ、そういう事か。そりゃ、あの時は正直怖かったけど、兄ちゃんが助けてくれた」

「あの状況ではな。助けるなと言う方が難しい」

「だよな。ノイズも一杯居た。けど、兄ちゃんは、必ず助けてくれるって言ってくれて、本当に助けてくれた。俺にとっては、兄ちゃんはヒーローなんだよ。怖い訳ないじゃんッ!」

「……そうか。ヒーローか」

 

 その言葉に少しだけ虚を突かれていた。場所や状況は違えども、自身は父と同じ事をしていたという事なのだろう。ヒーロー。そんな少年の言葉が、面映ゆい。照れ隠しの代わりに、少年の頭を強めに撫でる。黒鉄の右腕で触れると、嬉しそうに頬をかく。

 

「兄ちゃん、特異災害対策なんちゃらの剣士なんだよな」

「ああ。特異災害対策機動部。ノイズを始め、色々な災害に対応するのが仕事だよ」

「すっげーなぁ。俺も、大人になったら、兄ちゃんみたいに誰かを守るような仕事に就きたい!」

「簡単な道ではないぞ。体を鍛えなければいけない」

 

 無邪気な少年の言葉。だからこそ、真剣に応える。何処かの誰かの為に命を懸ける。それは、簡単な事ではない。自分は研鑽の果てに居る。それは、楽な道では無かった。戦いなど、しなくて済むならば、しない方が良いだろう。

 

「俺だって、男だぜ。助けられたんだから、次は誰かを助けたい。その気持ちは、兄ちゃんが教えてくれたッ!」

「そうか、そうだったな。俺が言ったのだったな」

 

 トニー少年がにやりと笑う。これは一本取られたなと、苦笑が零れた。自分が、この少年の中に火を付けてしまったのである。そうであるならば、自分の言葉を撤回させる訳にはいかない。

 

「だからさ、兄ちゃんが暇な時だけでも良いからさ。色々教えてくれよ。身体の鍛え方とか、兄ちゃんみたいな剣の使い方とかさ」 

「……簡単な道ではないぞ。本当に強くなりたいというのならば、身体を鍛えるだけではいけない。男は、強さと同時に己の意思も持たねばならない。何のために強くなるのか。力をどのように使うのか。考える事もまた、強くなるのには必要な事だ」

「んー、難しい事はまだ解んないけどさ、兄ちゃんなら、きっと俺にも教えてくれると思うから言ってるんだ。兄ちゃんみたいになりたい。兄ちゃんにはなれないけど、兄ちゃんみたいに格好良くなりたいんだ」

 

 誰かを守れるようになりたい。生かせるようになりたい。そんな想いは、自分も痛いほど良く知っていた。少年の言葉に、どこか懐かしい想いが顔を見せる。この子は俺と同じ道を歩もうとしているのか。そんな事を一瞬思うが、それは違うと思い定める。近いだけなのだ。自分には自分の想いがある様に、トニー少年には少年なりの想いがあった。それが同じという事は無い。だけど、重なる所もまた確かに存在する。その想いが、何処か眩しく思えた。

 

「解った。君に、色々な事を教えようか」

「ほんとか!?」

「ああ。男同士の約束だ」

「ッ! 約束する!!」

 

 左腕の拳を握り突き出す。トニー少年もまた、己の右腕を握りそれにぶつけた。男同士の約束。確かにそれを結んでいた。顔を見合わせる。少年が嬉しそうに笑う。つられて、軽く笑った。

 

「意外な姿を見た。子供が、好きなのか……?」

「君は……」

 

 そして、予想外な言葉がかけられる。視線、即座に向ける。其処には、青色の外套に黒い大きな帽子。そして、零れ落ちる金髪。錬金術師、キャロル・マールス・ディーンハイムが存在していた。

 

「そう、睨んでくれるな。子供もいる。今日は戦いに来たわけではない」

「この子は、君たちとの争いに関係ない」

「解っているさ。オレも、若き命を無駄に散らせようなどとは思っていない。今は、な」

 

 少年を背後に隠すように前に出る。臨戦態勢。右腕の調整はまだ完全とまではいかないが、十二分に戦える程度には仕上がっていると言える。相手は敵の首魁であるが、撃破では無く、撃退に重きを置く。子供が傍に居る。優先すべき事を間違えてはならなかった。

 

「その子は、家にでも帰すと良い。お前もそうでなければ、警戒を消せないだろう?」

「何の心算だ?」

「言葉通りの意味だ。今日は戦いに来たわけではない」

 

 そう警戒してくれるなと、キャロルは小さく笑った。思わず眉を寄せる。状況が、いまいち読み切れなかった。とは言え、相手からは戦う意思が感じられない。ならば、やる事は一つだった。

 

「トニー。君は直ぐに帰ると良い。俺は、この女とする事ができたよ」

「解った……。兄ちゃん、気を付けてくれよな。兄ちゃんと会えなくなるなんて、俺、嫌だからな!」

 

 背後から少年の声が届いた。それに、右腕を上げる事で答える。相手は錬金術師である。何処からか、自動人形も様子を伺っているかもしれない。視線を逸らす事など、出来なかった。そして、トニー少年の気配が遠くなり、やがて知覚できなくなる。無事、離脱する事が出来た。そういう事だろう。

 

「さて、邪魔者は居なくなったな。とりあえず」

 

 そして、漸く本題に入れると言った具合にキャロルは視線を此方に向ける。これまでの遭遇では、落ち着いて観察する時間は余りなかったが、確かにエルフナインに瓜二つである。とは言え、エルフナインはキャロルを大本としたクローンの様なものであると言っていた。ホムンクルス。確か、そんな名前だったか。エルフナインが、キャロルに似ていると称するべきだろうか。一挙手一投足に注意を向ける。

 

「傷の具合はどうだ?」

 

 そして錬金術師は、予想だにしていなかった事を尋ねてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と皮肉の効いた事を聞いてくれる」

 

 キャロルの言葉を聞いたユキが零したのは、そんな言葉であった。意図の見えない問に思わず眉を顰めつつも、斬り落とされた右腕をぐるりと動かす。そのまま手を開き握るのを繰り返し、問題なく動く事を行動で示す。

 

「エルフナインは、随分と良い腕を作ってくれたよ。これ程であれば、アルカノイズを斬れなくもない」

「そうか。そうだろうな……。お前ならば、例え腕が落とされていようとも、生きていれば立ち上がると思っていた」

 

 返される皮肉にキャロルの表情がほんの僅かに歪むが、次の瞬間には何時もの落ち着いたものに変わる。そのまま、右腕を失ったユキに数歩近付き、お前であればこうなるのは仕方がなかったのだろうと零す。

 

「やはり不便か?」

「……、以前に比べれば、な」

 

 一体何の思惑があるのかと思いつつも、ユキは錬金術師の問いに応じる。相手はキャロル一人ではあるが、自動人形が控えている可能性は否定できない。テレポートジェムと言う空間転移を可能とする異端技術も存在している上、少なくとも二機の自動人形は不可視になれる事を確認している。迂闊に手を出す事も出来ない。アルカノイズでも呼び出されれば、ユキ本人は勿論の事、近隣の住民にも被害が出かねない。故に、今はキャロルの出方を見るのがユキの取った方針であった。まさか無策で赴いた訳では無い。これまでに周到な準備を行い、S.O.N.G.や一課を翻弄してきた錬金術師が相手だからこそ採った方策だった。そのまさかの行動をとったのが、今のキャロルであるのだが、そこまでは流石のユキも読み切れてはいない。

 

「そうか……」

 

 そんなユキの返答に、キャロルの表情が僅かに歪む。キャロル・マールス・ディーンハイムは、フィーネを童子切を以て斬って捨てる為にユキの事をずっと見て来ていた。ユキはキャロルにとって、自分と同じく父に生かされ残された言葉を胸に抱き、その在り方を大きく影響された人間だった。二人は、自分たちにとって偉大な父を持ち、そんな父親の生き方に誇りを持ち、死して尚、その存在を大切に想っている点が共通していた。オレと極めて近い想いを持つ者。父親を大切に想う姿を見て、そんな印象を錬金術師は英雄に見出していたと言える。

 一度は計画の為、確実に殺す決意を固め、黒金の自動人形をぶつけていた。手に入れた童子切の欠片から生成した、決戦兵装。第二抜剣(セカンドイグニッション)。それを以て、片腕を斬り落としていた。此処で、逝ってくれ。立ち上がらないでくれ。そんな、ある種の祈りとも言える少女の願いを、英雄は己の限界を超える事で不可能を押し通し斬り裂いていた。キャロルも知る、運命を斬り拓き続けた剣。それを以て、己の刻んだ軌跡すらも乗り越え、英雄は自動人形を退けたと言える。戦い自体は、人間と言う枷もあり、黒金の自動人形が勝利を収めたように見えるが、キャロルからすればいっそ痛快と思えるほどの敗北だった。一方的に対策を立て、相手の技を奪い、自動人形という人間を遥かに越えるスペックを持つ決戦兵装を作り上げて尚、痛み分けに持ち込まれたのである。胸に抱いた想いを押し殺し、必殺の決意を以て挑んだのにも拘らず、殺し切れなかった。

 そして、その事実に、心の何処かで安堵していた。そんな、一見して矛盾している感情が、少女の中で渦巻いていた故に、本人も気付かないうちに、キャロルの表情は揺れ動いてしまう。

 

「童子切は、お前だけしか使いこなせはしないだろう。それでも尚、その手にする事は出来ないのか?」

「そういう物だ。使用権限は俺に無く、所持権限も無い」

「如何にも、組織と言うものの弱さが出ているな。体面をばかりに気を取られ、優れた道具を腐らせる。研鑽の果てに届くものを分かりはしない。故に、強大な力を持ちながら、その唯一の使い手の傍にすら異端技術は存在しない。全く、馬鹿げた話だ。その真価を理解しない者が、その価値を決める。童子切は、上泉之景が持ってこその異端技術であるというのに、それを解ろうとはしない。衆愚の極みだと言える」

 

 キャロルは、ユキに視線を向けると、全身をゆっくりと見定める。童子切。英雄が辿った軌跡の中で、その剣が振るわれた回数はそれほど多くは無い。しかし、その存在は、上泉之景を語る上で無視できないものだと言える。その剣を手にしていない事に。自分以外の要因により手にする事が出来ない事実に、敵でありながら錬金術師は、まるで己が身に起きた事の様に不満そうに吐き捨てる。研鑽して辿り着いた力の本来の在り方を歪められている姿を見て、少女は父の事を思い出す。敵であるキャロルからすれば、上泉之景の敵は、本当は所属する組織では無いのかと思わずにはいられない。童子切があれば、腕を落とされる事も無かっただろう。けしかけた張本人でありながらも、そんな事を思ってしまう。ユキと、自分の境遇。そして最愛の父が重なってしまうのである。

 

「全ての物事が思惑通りに行くものではあるまいよ。故に、人は己を磨き、存在を鍛え上げる。確かに強い武器はそれその物が力だと言える。だが、使い手が見合わなければ意味は無い。不自由な身は、己を鍛える好機だ」

「ふん、模範的な回答だな。だが、文字通り血を流し研鑽を続けたお前が言うのであれば、素直に認める事もできる。皆が皆お前の様に、足りない物は己を研ぎ澄ませ届かせるように在れたのならば、パパだって死ぬ事は無かった……。私の傍に居てくれた……」

 

 そして、ユキの返答に、お前ならば逆境も己を磨き上げる好機と見るだろうなと小さく笑う。英雄の在り方を、上泉之景の人としての在り方をずっと見ていた。ある時は敵として自動人形を通して。ある時は、同じホムンクルスである、エルフナインを通して見詰めていた。その在り方を見て思ってしまうのだ。

 パパは疫病に苦しむ人たちを研鑽してきた錬金術を以てして助けたのにも拘らず、研鑽を奇跡と貶められ、資格無き奇跡の代行者として焚刑に殉じた。もし、あの時、傍らにユキのような人間が居たらと。或いは大衆の一部にでも良いから、異を唱えてくれる人達が居たらと。研鑽を認めてくれる人間がいてくれたら、パパは死なずに死んだのではないかと思わずにはいられない。それ程に、英雄の在り方には惹かれるものがあった。

 

「君は、昔、父親を失ったと言っていたな。それが、君の戦う理由なのか?」

 

 ユキは、そんなキャロルの表情を見ると、そんな事を聞く。両親の眠る場所。其処で、初めてキャロルと出会っていた。今にして思えば、あれは、キャロルが接触してきたのだろうと容易に思い当たる。だからこそ、そんな言葉が口をつく。静かに流れ落ちた錬金術師の涙。大切な父親を亡くしたと語った事を思い出す。

 

「そうだ。オレのパパは、あの日多くの人々を救ったのにも拘らず、研鑽の果てに辿り着いた錬金術を奇跡という病魔にも似た何の意味もない言葉にすり替えられ、焚刑の煤と消えた。ただ、疫病に苦しむ人たちを救いたかったというパパの想いが、人々を救ったのにも拘らず、だ。何故だ。何故わたしのパパは、イザーク・マールス・ディーンハイムは殺されねばならなかった。何故助けた者達にすら石を投げられ、殺されなければいけなかったッ!?」

 

 少女の慟哭が響き渡る。英雄は、ただその言葉を事実として受け止める。

 疫病に苦しむ村人。資格無き奇跡の代行者。焚刑の煤に消えた。そんな言葉から思い至るのは、現代の光景では無い。エルフナインに聞いた言葉を思い出す。キャロルは、経験、記憶をホムンクルス躯体に転写する事で、常人よりも遥かに長い時を生きていると言っていた。それは彼女がまだ、本当に少女であった時に起こった出来事なのだろう。だからこそ、鮮烈すぎる程鮮烈に記憶に刻まれてしまっていた。キャロルの感情が昂り、当時の言葉遣いが僅かに顔を見せる。

 

「君の父親は誰かの為に、誰かを生かす為に研鑽した錬金術を用いたのか?」

「そうだよ。疫病に苦しむ人々の運命を変えたいと、誰かを生かしたいと言う思いで力を振るった。だというのに、衆愚に貶められ、焚刑の煤と消えたよ」

「煤と消えた……か」

 

 キャロルの言葉をユキはただ眼を閉じ噛み締めるように呟く。

 父の死に様。その姿形、辿った道程や、境遇は違いすぎるほど違っている。それでも、父親は誰かを生かす為にその力を振るい、誰かを助けていた。確かに似ている。ユキの父親がユキを命を懸けて救ったように、キャロルの父親もまた、誰かを命がけで救ったという事だった。その在り方は違う所もあるだろう。だが、確かに重なる所も存在している。その点が、父を失った少女にとって、何よりも鮮明に映ってしまう。

 

「ああ。最後の時、パパはオレに世界を知れと言い残し、死んでいった……。故にパパの死に誓ったのだ。万象に存在する摂理と術理。それらを隠す覆いを外し、チフォージュ・シャトーに記すことこそがオレの使命。即ち、万象黙示録の完成」

「それが、君の目的の到達点、か」

「ああ。だからオレは、世界を壊す。世界を分解し、万象の全てを理解し、誰かを生かす為の研鑽を奇跡に変えたような衆愚を消し去り、パパの無念を晴らすッ!!」

 

 キャロルはユキに強く意志を示す。父に託された想いを何より大切にしており、父と同じように誰かを生かす事を諦めなかった人間に、少女は訴えかける様に言葉を発する。

 

「そうか……。君は、父親を大切に想っていたのだな。君にとって、父親が大き過ぎたからこそ、そのような想いを抱いてしまった。父を愛していたからこそ、父の死を受け止めきれなかった」

 

 ユキは閉じていた眼を開き、言葉を紡ぐ。少女の慟哭。それは確かにユキの胸にまで届いていた。それは、父を大切に想ったからこそ沸き上がった慟哭であったから。

 

「それを俺に語って、君は如何しようというんだ?」

「……ッ」

 

 そして、キャロルの眼を見詰め問われた言葉に、思わずキャロルは思考が停止する。何かを行おうと思っていた訳では無い。ただ、己が作った自動人形の言葉が切欠となり、感情が揺れ動いた果ての行動だった。そこに、錬金術師らしい緻密に計算された計画など存在しない。ただ、感情のままに近い想いを持つ者に、話を聞いて欲しかったのだと気付いてしまう。

 

「オレは……」

「君は、俺にどうしろと言うんだ?」

 

 ただ静かに問われる言葉。少女の、キャロルの胸に澄み入るように入り込む。何故か、心が激しくざわついた。

 

「オレの傍に居て欲しい。オレと同じ想いを持つお前に、ただ傍で見ていて欲しい。オレが万象黙示録を完成させられるのかを……。パパの想いを、受け継いだものを成し遂げる事が出来るのかを……」

 

 そして、自分の胸に湧き上がった想いを錬金術師は英雄に告げる。乙女ですね。キャロルは、何度も青き自動人形に言われていた言葉を思い出す。確かに、そう言われても仕方がない発言をしていると自覚する。羞恥心で、一気に頬が染まった。

 

「……それは、俺に君の手伝いをしろという事か?」

「……ッ」

 

 聞き返された言葉に、ただ静かに頷く。頷く事しかできなかった。そのまますぐに俯く。何だこれは。何か自分は物凄く恥ずかしい事をしているのではないかと思考が逸れる。一度、キャロルはユキの顔を覗き見る。先程のように目を閉じ、まるで一考するように黙り込んでいた。何故か胸が高鳴ってしまう。あり得ない言葉が聞けるのではないかと、心の何処かが期待する。

 

「一つだけ、聞きたい」

「何をだ?」

 

 瞑目したまま零された言葉。それが快諾の意でない事に錬金術師は僅かな落胆を覚えるも、即座に聞き返す。

 

「君の父親は君を愛していたか?」

「どういう意味だ?」

「君の父親は最期の瞬間、君の事を案じていたのかと聞いている」

 

 それは静かに、だが何よりも強い意志を以て問われた質問だった。問われたキャロルもまた。瞑目する。自分の父親が死ぬ直前。そんな禁忌とも言える記憶を想い出すのはキャロルにとっては傷跡に塩を塗られるに等しい行為であるが、それでもこの男の言葉ならばと、何処かで想ってしまう。想えてしまった。そして、明確の答えを己の記憶から得て、刮目する。

 

「オレのパパは、オレの事を愛してくれていたよ。だから、世界を知れと命題を残してくれた。オレに生きる意味を残してくれた。死の間際ですら、誰かを生かす為に戦っていた」

 

 そして、ユキの問いに一切の迷い無く答えていた。パパはオレを愛してくれていた。例え死の間際だとしても、オレの事を想ってくれていた。そう、胸を張って言う事が出来る。

 

「そうか――」

 

 そんなキャロルの言葉に、ユキはただ静かに笑い、頷いた。気持ちが通じた。何故か、キャロルはその笑顔にそんな事を想う。とくんっと、胸がまた激しく脈打つ。心の内が、大きくざわめいた。

 

「では、俺は君の手を取る訳にはいかない。君の父親の為にも、君に世界を壊させる訳にはいかない」

「な……ッ!?」

 

 だからこそ、続けられた英雄の言葉に錬金術師は目を見開いた。言葉の刃が、キャロルの胸を鋭く抉っていた。少女の想いは打ち貫かれる。

 

「何故だッ!?」

「何故、だと? 逆に問おう。何故、君は世界を知る為に、世界を壊す」

「そうするしかないからだ。世界の全てを知るには、世界をバラバラにして知る以外に方法は無い」

 

 思わず出た問いに、英雄は逆に問い返す。世界を知るには、世界を壊して調べる以外に方法は無い。それは、キャロルが出した結論だった。

 

「君の父親は、世界を知れと言い残したのだったな」

「ああ、そうだ。だからオレは」

「世界を壊せと言い残した訳ではあるまい」

 

 それを、英雄は正面から否定する。何を言っているのだこの男はと、キャロルは呆けてしまう。

 

「この方法以外、世界の全てを知る術は無い」

「何かあるかもしれない。君が見つけられていないだけで、何か存在するはずだ」

「では、どうすれば良いというんだッ」

「知らんよ。俺は錬金術師では無い。だから、可能性を提示する事しかできない」

 

 何か方法がある筈だと英雄は告げる。そんな物があるのなら、こんな大それた方法など取りはしないとキャロルは否定する。

 

「オレは数百年探し求め、この方法しか見つけられなかった!」

「君がそう言うのならば、そうなのだろうな。だが、明日見つかるかもしれない」

「馬鹿な。本気で、言っているのか?」

「本気だよ。俺には錬金術の事など解りはしない。だがな、一つだけ解る事がある」

「何が解るというんだッ」

 

 まるで、子供に言い聞かせるように告げるユキの言葉に、キャロルは思わず強く問いかける。ユキはただ、キャロルに視線を合わせ告げる。

 

「君の父親は、世界を壊すという方法は認めない。君の父親が世界を知る為に何かを行ったとしても、絶対に世界を壊すという方法はとらないという事だけだ」

 

 ユキがキャロルに言い聞かせた言葉は、キャロルの胸に深く突き刺さる。

 

「何故、そんな事を言い切れる」

「解るからだよ。俺は生かす事を託された。君の父親が誰かを生かす為に己の全てを賭けたと言うのなら、その胸の内を少しは理解ができる」

「……ッ!? なら、パパは私に何をさせようとしたの? 世界を知れと言ったのは、何を伝えたかったの!?」

 

 父親の気持ちが少しは解ると告げたユキにキャロルは詰め寄る。父の出した命題の答え。パパは自分たちに何を伝えたかったのか。解る訳がない。幾ら似た想いを持つ者とは言え、その答えが解る筈は無いのだ。だけど、それでもこの男ならばと思ってしまう。

 

「知らんよ。君の父親の想いは君の父親だけのものだ。俺如きに、解る筈がない。だけどな、それでも少しだけ解る事がある。断言してやる。君の父親は世界を壊す事など望んではいない。それどころか、君がその様な事をしようとすれば、全力で止めるだろう」

「パパの想いが解らないというのなら、何故そのような事が言い切れる。何故パパならばオレを止めると言い切れるッ!!」

 

 ユキの言葉に、キャロルは感情のまま悲痛な叫びをあげる。世界を壊す事を望んでいない。そんな事、キャロルが一番良く解っている。だとしても、それ以外の方法がキャロルには解らなかった。そして、その唯一を否定された事が、キャロルにとって予想だにしない程の痛みとなって心を斬り裂いていく。

 

「……本当に解らないのか?」

「解らないから、問うている!」

「ならば、君の父親は報われないな。娘を大切に想い、死の間際ですらその生を願い言葉を残した。その想いを、実の娘が解ってくれない。これ程辛い事は無いだろう」

 

 何故そんな事が言い切れると感情をむき出しにする少女に、ユキは少しだけ意外そうに目を見張る。そして、本当に分かっていない事に気付いた時、悲し気に呟いた。その言葉が、更にキャロルの心を深く斬りつける。

 

「……ッ。お前に、パパの何が解る」

「解らんよ。君の父親が残したものは、君だけのものだ。俺に解る筈がない。俺に解る事があるとすれば――」

 

 キャロルの父が、彼女に残したものなどユキに解る筈がない。それを認めた上で、解る事もあるとユキは告げる。

 

「君が、大切な父を失った重さに耐えきれず、託された想いを見失ってしまった馬鹿娘だという事だよ」

 

 そして、最後にそう締めくくり、キャロルの胸を深く斬り裂いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お前なら解ってくれると思っていた。同じ想いを受け継いだお前ならば、オレの気持ちに寄り添ってくれると、そう思っていた……」

 

 少女は酷く表情を歪ませ、そんな言葉を吐き捨てる。信じていた。同じ想いを抱いていると信じていたからこそ、今、示された意志を信じる事が出来ず震える声で吐き捨てる。

 

「同じ訳があるまい。似ている事はあるかもしれない。重なる事はあるかもしれない。だとしても、俺の父が残した想いと、君の父が君の為に残した想い。それが同じなど、あり得ない。君の父親が残したものは、君だけのものだ」

 

 そんな少女の言葉をユキは静かに、だが確実に否定する。ユキの父親が、ユキを想っていた残したものと、キャロルの父親がキャロルの事を想って残したものが同じなどある訳がないのである。重なる所は存在する。だが、相手を大切に想うからこそ、それが同じなどあり得ないとユキは示す。

 

「オレは、世界を壊す……」

「そうか。ならば、俺は君を止めなければいけない。君の父親の為にも、そんな事をさせる訳にはいかない」

「……ッ、まだ、言うか……」

「何度でも言うぞ、馬鹿娘。君の話を聞いて、君を止める理由が出来た。君の父親の為にも、負ける訳にはいかない」

 

 裏切られた。そんな想いだけがキャロルの胸を渦巻く。世界を壊すと告げた言葉。ユキはそんな事をさせる訳にはいかないと言い返す。突如として起こった二人の会合。それは、見事に対極の位置に別れてしまっていた。父に生かされ、生きる事を託された少女。父に生かされ、生かす事を託された少年。似てはいる。だが、その二人の託された想いが、二人の道を明確に違えさせる。

 

「解ってくれると、想っていた……」

 

 キャロルはもう一度だけ、心の底から絞り出すように呟いた。少女は、正論が欲しかったのではない。ただ、よく頑張ったと寄り添ってくれる相手が欲しかった。解ってくれる相手が欲しかっただけなのだ。

 

「……」

 

 それに対して、ユキは言葉を返す事はしない。託された想いの意味は、安易に教えられるものでは無い。自分で考え、至らなければ意味が無いのだと信じているからこそ、その手を取る事をせず、伸ばされた手を振り払うような言葉を告げていた。

 

「オレは、お前を殺す……ッ」

 

 今にも泣き出しそうなほど表情を歪め、キャロルは宣言する。抱いた想いを殺し、決別する宣言だった。

 

「ならば、俺はお前を止めてやる」

 

 その言葉を聞いたユキは、ただキャロルの視線を受け止め、告げる。キャロルに譲れない想いがある様に、ユキにも譲れないものがあった。父親の想いを汲む事が出来ない馬鹿娘の暴走は誰かが止めなければいけない。同じ想いなど存在しない。だが、それでも自分と同じ想いを抱いていると思わせたのならば、その責は取らなければいけなかった。

 

「パパの為、世界を壊すよ」

 

 そして、キャロルは最後にそう言い残すと、テレポートジェムを落とした。魔法陣が浮かび上がる。淡い光と共に、キャロル・マールス・ディーンハイムはその姿を消した。辺りを覆っていた、異質な気配が霧散する。ユキ以外に何物も存在しなくなったという事だった。

 

「世界を壊す、か……」

 

 キャロルが去った後もその場に佇み、ユキは静かに呟く。瞑目。キャロルの話は、確かにユキの戦う理由に成り得ていた。

 

「父が死の間際、己では無く子の事を案じていたというならば。それ程愛していたというのならば。その子との想い出の残る地を、その子が今を生きる世界を壊したいなどと思う筈があるまい」

 

 ユキには負けられない理由が生まれていた。キャロル・マールス・ディーンハイムが、自分と同じように父親を大切にしているというのは痛いほど理解できたからこそ、世界を壊すなどという事、認める訳にはいかなかった。

 

「そんな事も解らないからこそ、馬鹿娘だというのだ」

 

 キャロルが父を愛したからこそ、その在り方を誇りに思っているからこそ、簡単な事を見落としていると気付かせねばならなかった。

 父を愛したが故に壊すもの。父を愛したが故に生かすもの。二つの道は違えられたまま進み続ける。

 

 

 




武門、加速装置とメンタルブレイカーを手に入れる
キャロル、考えなしに会いに行って、メンタルブレイクされる

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