「そうか、ガリィが逝ったか……」
錬金術師の居城。複合聖遺物であるチフォージュ・シャトー。その深奥。謁見の間とでも言わんばかりの作りの其処で錬金術師の声が響き渡る。想い出のインストール。身体に重傷を負っていた。その傷の修復を行いながら、燃やし尽くした記憶の復元を行っていた。文字通り、記憶の復元である。聖遺物や錬金術を極め、ホムンクルスと言う人造の躯体を作り出す程のものである。人間の記憶の複写もまた、キャロルの持つ力の一端であった。
居城の中に迸る力と、室内に広がる青色の装飾。それを認めたキャロルは、ぽつりと呟く。青色の自動人形。ガリィがその役目を果たしたという事であった。呪われた旋律の収集。その一つを確かに終えたという事だった。
「少々の想定外はありましたが、派手に散りました」
「英雄の剣。まさか、撃破された記憶から力を継承するとは……」
主の言葉にレイアとファラが応える。黒金の自動人形。錬金術で分解と解析。そして再構築。打ち砕かれたガリィの力を、英雄の剣を以て継承していた。黒金の右腕。金色の宝玉以外に、青色の輝きが追加されていた。一切の言葉を発しない人形を見詰め、錬金術師はただその瞳を見る。
「マスター。ガリィは精一杯やったんだ、ゾ」
「ああ。解っているよ。己にできる事をやり切ってくれた。そのおかげで、俺は俺の望むものを掴む事が出来る」
どこか元気のない声にキャロルは視線を移す。ミカ。赤の自動人形は少しだけ沈んだ面持ちで主を見詰める。自動人形の思考の大本にはキャロルの思考の一部が参考にされている。人形でありながら、確かな感情を宿していると言える。その様子に、戦闘特化型のミカは想い出の収集に重きを置いたガリィと共同体であると言えた。力を燃やす事は出来ても、力を供給できないミカにとってガリィの死は、間接的にミカの終わりが確定したという事でもある。元々自動人形は撃破される事が役目である。とは言え、与えられた感情が様々な事を考えてしまうという事であった。
「そっか。マスターがそう思ってくれるのなら、あたし達にも生まれた意味があるんだって思えるんだゾ」
「……。ガリィとお前は最も近かったな」
「ふへへ。大丈夫なんだゾ。ちょっと悲しかったけど、自分の役割はきちんと理解しているんだゾ」
笑みを浮かべた赤に、キャロルはもう行けと告げる。力の供給ができない以上、稼働しているだけで力が減っていく人形であるミカには一刻も早く目的を達して貰わなければいけなかったのだ。その気になれば想い出の収集だけを目的とした人形を作る事もできるが、今更それをする気にはならなかった。これまで戦わせ続けた人形を失くしたから代わりを作る。何となく、そんな行動に移りたくなかったからだ。影響されているのかもしれない。そんな事を自分の内心と、自動人形の言葉から思う。
「ん……?」
不意にミカの声が零れた。気付けば黒金が直ぐ傍らに来ている。右腕で、ミカの持つ四騎士の剣に触れた。そして、ジッと赤を見詰める。右腕。宝玉が、僅かに輝きを放つ。
「使って欲しいって事なのかな?」
暫く考え込み、ガリィの最期を想い出しミカは黒金に問う。反応。黒金の自動人形はこくりと頷いた。
「マスター」
「目的を逸脱しない範囲内であれば、許可する」
「嬉しいんだゾ。これで一番下の妹の願いを叶えてあげられるんだゾ」
短い言葉に許可の言葉を渡す。計画の範囲内であれば、どんな方法でも良かった。イグナイトによって奏でられる装者達の旋律。それさえ手に入れれば、過程は各々の裁量に任せても良かった。何より、黒金の自動人形にはあの男と同じ、何か惹かれるものがあった。計画の邪魔をしないというのであれば、やりたい様にさせても構わなかった。要所で用いさえすれば、黒金は居なくとも問題ない。
「数百年来の大願。万象黙示録の完成。それが近付いてきている。奇跡が邪魔をするというのなら、この手で奇跡を皆殺す……。呪われた力は、その為にくれてやったのだからな」
ミカが姿を消す。キャロルは拳を握り締め呟いた。黒金の金眼が、じっと錬金術師を見詰めている。世界を壊す時は少しずつ迫ってきている。
「こちらになります」
一課医療施設職員に先導され入室する。特別観察治療室。名前は便宜上ではあるが、主に異端技術と接触した後に原因不明の症状が見受けられる負傷者が収容される部屋であった。自分も腕を落とされ負傷した直後はこの場に連れてこられていたのだとか。幸い、あの時は腕を落とされただけに留まっていたので、直ぐに通常の治療室に運ばれる事となった様だが、目を覚まさなかった場合は今もこの場に寝かされていた可能性も充分にあり得るのだとか。
一歩間違えば自分もこの部屋で目を覚まさなかったのかもしれないと思いながら、歩を進める。寝台。この部屋には、二人の男が各々の寝台に寝かされている。腕と足。二人の武門が自ら斬り落としたそれが痛々しい。微かに寝息が耳まで届く。規則的とは言えないが、命の息吹が止まっていない事が、二人の男がまだ死んでいない事をはっきりと告げて来る。
「測定値はどうですか?」
「はい。常人と比べてもむしろ良いぐらいです。各種医療器具で計測しても、四肢の一部こそ失っていますが異常と思われる反応は見られず、正直全く見当がつかないと言うところです」
エルフナインが職員に問いかける。その後詳しい説明を聞きながら、病床録の様な物を確認している。暫くの問答。その会話を思考の片隅に置きながら男たちを見る。武門塚原。武門林崎。共に、武門上泉に並び得る名門だった。
「四肢を無くしそれでも戦い抜いた。強い人たちだ」
恐らく、自分と同じように幼き頃から戦いの為に研鑽を続けて来た者達だった。それでも尚倒れ伏し、目を覚ます事もない。戦いにおける敗北とは、残酷なものである。自身もまた、腕を落とされている。その事について悔いなど無い。だが、果たしてあの子らが同じ目に遭った時、どう思うのか。
「錬金術師として、解析に掛かります」
エルフナインが武門に手を翳す。錬金術。自動人形やキャロルが用いた物に比べれば遥かに規模の小さなソレを作り出し、解析を始める。何処か暖かな光が広がっている。錬金術。戦いの為に用いられているそれしか見る事が無かったが、初めて別の方法で使われている姿をみる。エルフナインの用いる錬金術。それは、キャロルの様に記憶を燃やす程の代償は払わないものだと言う。言うならば、自分の腕に施されている血液を消費するものなどに近いのかもしれない。一度何を代償にしているのか問うてみたが、エルフナインは小さく笑うだけで答える事は無かった。はぐらかしたい。つまりは、それなりの代償を払っているという事なのだろう。錬金術に関して自分は語る程の何かを持ち得ていない。ただエルフナインの選択を見つめ続ける。
「やはり、異端技術に侵されていますね。終わらない蛇の毒とまではいきませんが、似た特製の毒が用いられているようです。恐らく、直接交戦した自動人形が、対象を相当の脅威と判定し、錬金術の試用も兼ねて搦め手で攻めたと言ったところだと思います」
暫く黙って錬金術に集中していたエルフナインであったが、二人の男の解析を終え結論を語り出す。左手。政府関係施設内である為、腰に差していた童子切を外し手に持つ。
「君にならば、治す事は出来るか?」
「……すみません」
短く聞いた問に、エルフナインは悲し気に首を振る。エルフナインの知識はキャロルから与えられているものだと言う。そして伝えられた錬金術の知識も、大本のキャロルのものと比べれば高度なものではないと語っていた。瞑目。少しだけ考える。
「エルフナイン。二人に用いられた毒の特性と言うのは解っているのか?」
「はい。終わらない蛇の毒の様に対象の持つ生命力を糧に循環するものです。とは言え、彼の毒の様に不死性は無く、ゆっくりと確実に衰弱させる類の物です。調べたところ毒はかなり進行していると言えます。初期ならばまだしも、既存技術では恐らく対処する術がないと……」
「解った」
説明の途中で右腕を強く握る。黒鉄の右腕が淡い輝きを放つ。左腕。繋がれているネフシュタンから幾らか力が動くのを感じた。エルフナイン。驚きに目を見開く。何か言葉を発する前に、左腕で童子切を抜いていた。
「――自動錬金」
「なッ!?」
銀閃。宣言と同時に刃が赤色の粒子を纏い血刃に変わる。二人の男を斬り裂いていた。一刃。確かに斬り捨てた感覚が残っている。納刀。童子切の刃を払い、鞘に納める。毒を斬り捨てていた。短く息を吐く。左腕から幾らか力が流れていた。エルフナインが息を呑む。
「何を、しているんですかッ!?」
「斬ったな。錬金術を」
聞いた事の無い声色にただ頷く。錬金術。不死性が無いそれを、斬り捨てていた。血刃の本領は目に見えないものを斬り捨てる。錬金術によって作り出された毒。それを斬る事は、それほど難しい事では無かった。一度己が嗾けられたものも斬っている。思っていたよりも少ない消耗で終わっていた。右腕を握る。少し、気だるさが残っているが問題は無い。
「見れば解ります。ボクが言いたいのは――」
「君が見るべきは、倒れている者達だよ」
「ッ!?」
珍しく怒気を露にしたエルフナインに、今見詰めるべきは自分では無いと教える。その言葉に、はっと視線を向けると錬金術を即座に発動させる。無言。暫くの解析。やがて口を開いた。
「錬金術の反応、無くなりました」
「そうか。それは良かった」
何処か呆然と呟かれた言葉に、ただ頷く。そして、暫く様子を確かめる様に二人の間を行ったり来たりしていたが、エルフナインは一区切りをつける。完治とは言えない。だが、原因の毒は斬り落とされていた。ならば、何れ目を覚ますだろう。そう結論付ける。
「どうして、右腕を使ったんですか……。使わないで下さいと、確かに言った筈です」
「必要があったからだよ。使うなと言われていたのは覚えているよ」
「だったら……ッ」
そして、先ほどの問いかけの続きが始まる。黒鉄の右腕。できる限り使うなと言われていた。簡単な話である。ネフシュタンの力が弱り、浸食が進むからだ。毒と聖遺物。二つの力がせめぎ合っていた。
「エルフナイン。力と言うのはな使い所だよ」
「使い所、ですか?」
それが如何したんですかと、怒っていながらも律儀に問い返すエルフナインの様子が面白く少し笑みが零れる。そんな此方の様子に、流石のエルフナインも眉をへの字に曲げる。いや、すまないと一言謝りを入れ、言葉を繋いでいく。
「俺の持つ力は、何かを斬り捨てる力だよ。敵を斬り、脅威を斬り捨てる為に用いていると言っても過言では無いだろう」
「それは――」
此方の説明に、そんな事は無いと言おうとして言葉が止まる。事実なのだ。別に恥じる事も無ければ、否定する事でも無かった。剣は斬り捨てる力だ。それは揺るがない。
「だが、俺の持つ技は幸い目に見えるもの以外にも斬り捨てる事が出来る力だよ。ならば、それを活かせる事があると言うのならば、出し惜しむ必要はない。ましてや、例え異端技術限定とはいえ剣で誰かを癒せるのだ。誰かを活かす剣。文字通りの活人剣が振るえると言うのならば、多少の代償など如何と言う事は無い」
それを、人を活かす為に用いる事が出来ると言うのならば、それ以上の使い方は無かった。我らが刃生かす為に在る。父の言葉を、限定条件下とは言え文字通り為せると言うのならば、それ以上に望むものは無いと言える。
「ですが、……貴方の身体は何時限界に到達するか解らないんですよ? 今の一振りで、どれだけの時間が無くなってしまったのか。それはボクにだって正確に計測できません。何よりも、皆さんが歌ってくれているのは、あなたに生きて欲しいと思っているからです。死んでほしく無いと、願っているからです」
「……そうだな。その気持ちは嬉しく思うよ」
伝えられる言葉にただ頷く。クリスや響を筆頭に、装者達や小日向まで歌を唄ってくれていた。その気持ちは素直に嬉しく思う。生きて欲しい。そんな気持ちが左腕のネフシュタンの腕輪を媒介に、熱として伝わって来る。
「だけどな、エルフナイン。人にとって生きる事が全てなのか? どんな状況においても、自分が生きる事を選択しなければいけないのか。助けられる者を見捨て、自分だけは生き残る事が正しいのか」
「え――?」
問いかけ。その意図が解っていない様子のエルフナインに更に続ける。
「人には生きて来た道の中で手に入れたものがあり、考えたものがある。人の数だけ歩まれた道程があり、その過程で大切なものを得る。確かに命は大切だよ。だが、全ての人間にとってそれが至上となり得るのか。生きる事だけが、人が生きる目的なのか」
「それは……」
確かに生きる事は大切な事である。多くの人間にとって至上であるかもしれない。だけど、人の生きる道と言うのは一つではない。皆が皆、同じ結論を抱くと言うものでは無いのである。人の数だけ考えがあり、人の数だけ大切なものがある。誰かにとって大切なものでも、他の者にとってはそれほどの価値が無い物もあるのだ。
「違うよ。少なくとも俺にとってソレは重要であっても至上ではない。故に力の使い所があり、己に成せる事があると言うのならば、何かを支払う事も厭う事ではないよ」
「ですが、あなたの言う大切なものの為に払う代償として、あまりに大きいです。生きること以上に大切な事。本当にそんなものがあるんですか?」
本当にそんなものがあるのかというエルフナインの言葉にただ頷く。それこそ、己が歩んだ道が出す結論だった。確かにそれは存在する。だからこそ、俺は生かされた。選ばれた。
「ある。誇れる自分である事。自分の在りたい自分である事だよ」
「誇れる自分である事、ですか?」
「ああ。少なくとも、俺は自分が手を貸す事で誰かを生かす事が出来る道があるならば、その道を行きたい。命を惜しみ、助けられるものを見捨てる様な生き方はしたくはない。自分だけが良ければ他のものはどうなっても良いなどと言うような、弱さは持ちたくはないな」
どんな道を行こうと、ただ自分が生きる事が出来れば良いなどと言った生き方はしたくなかった。人にとって生きる事は重要である。だが、それと同じくらい如何生きるかという事もまた重要なのだ。自分の在りたい自分である事。そう生きる事が出来るのが俺にとっては一番重要だった。
「何よりも、俺の様な者に生きて欲しいと想ってくれる者が居るよ。ならば、その想いに恥じない生き方で在りたいと。誰かに手を差し伸べられたのなら、同じように差し伸べられる人でありたいと、そう思っているよ」
誰かが生きて欲しいと想ってくれている事で生かされていると言うのなら、その想いに恥じない生き方をしたかった。そして、そう考えた時、黒鉄の右腕の力を振るう事に躊躇など無かった。誇りや意地。そんなものの為に生きるのかと問われれば、生きると言い切れた。守るべき誇り。人はそれを持たなければ、時にどうしようもない所まで堕ちる事も充分にあるのだ。
だからこそ、誇れる自分で在りたかった。託された想いに、そして共に歩む者達に誇れる自分で在りたかったのだ。
「誰かの想いに恥じない生き方……」
「託されたものがあり、今また共に在る者達が見ている。ならば、無様な姿は見せたくない。おかしなことを言っているかな、俺は」
「いえ。とても素敵な事だと思います。共に居たものと共に居るもの。その二つをとても大切にしているんだと、そう思えます」
そう締めくくった言葉に、エルフナインは一度頷く。だけど、っと言葉をつづけた。
「だけど、やっぱりボクは大切な人達には皆揃っていて欲しい。誰一人欠ける事無く、皆一緒に、笑顔で会いたいです。だからボクは、誰にも死んで欲しくないんです……」
やっぱり、失くすのは嫌ですっとエルフナインは小さく笑った。
「……。いや、これは、俺の負けか」
「――え?」
「なんでもない。君と話すのは良いな。何か、大切なものを思い出させてくれる」
そんな言葉に思わず口にしていた。人は優しさを無くすべきではない。常々思い続けている事だった。エルフナインの持つ優しさは、その見本のような温かさを持つものだと言えた。託された想い。キャロルを止めて欲しい。その想いはこの優しさからくるものなのだろう。それを何とか叶えてやりたいと、改めて思う。
「戻ろうか」
「はい」
そして、錬金術を斬り落とした事でここでやる事も終わってしまっていた。エルフナインを促し退出する。そのまま、必要な報告を一課の職員に行うのはエルフナインに任せ、自分は帰りの足を手配する事にした。
『アルカノイズの反応を検知ッ!』
一課医療施設からの帰り、外出の為身に着けていた通信機にそんな言葉が走る。即座に通信端末を取り出す。敵対者の出現位置が送られてくる。見詰めた。現在地からは少しばかり遠い位置にあるが、それでも向かえない距離では無かった。
「緒川、後は頼む」
「行きますか?」
「アルカノイズ。そして自動人形。出ない道理は無い。ましてや、俺は戦う事を望まれているよ」
抱えて居る童子切を掴み直し緒川に言った。エルフナインの迎えにやって来たのは緒川だった。武門である自分だけでなく、緒川も使われる当たり彼女の重要性が垣間見れる。武門と忍びが同時に警護している。S.O.N.G.としては、なくしたくはない者ということだった。
「あの……」
「解っているよ。できる限り、右腕は使わない」
通信が飛んでいる。装者は誰もが遠い為、合流するまで少しばかり時間がかかるようだった。車を降りる時、エルフナインが声を掛けて来る。先程の話から、何が言いたいのかは直ぐに分かった。頷く。必要ならば用いるが、不要ならば使わないだけである。ただ、安易に用いないようにしようとは思う。
左手に童子切を持ち、駆ける。既に辺り一帯の封鎖は行われており、少し遠くから喧噪が聞こえてくる程度で人の気配自体は遠い。通信機からくる指示に従い車の無い車道を駆け抜ける。跳躍。複数の建物を足場に飛びあがり高所に立つ。視界が開ける。赤色の自動人形。ミカが佇んでいるのが見えた。一気に距離を詰める為建物を足場に跳躍を重ねる。
「来たなッ」
「どうやら、一番乗りのようだ」
着地。聖遺物の浸食によって強化されて身体能力を以て一気に彼我の距離を縮める。風を切り、視界が流れていく。眼前。自動人形の前に降り立つと、ミカが嬉しそうに声を上げた。
「今日はお前ひとりか?」
「そうなんだゾ。あんた達にやるべき事がある様に、あたし達もやるべき事の為に動いているんだゾ」
一人で来たのかという問いに、ミカは一人だと頷く。尤も、アルカノイズと言う手駒がある時点で、本当の意味で一人では無いのかもしれない。刃を抜きながら言葉を交わす。
「お前たちの為すべき事。あの子の為に、か?」
「そうなんだゾ。あたしたちはマスターに作られた人形。その働きは全てマスターの為」
自動人形は主の為に働くのだと赤は笑う。
「だから、確かめに来たんだゾ。
――
そして、ミカが剣を抜き放つ。同時に、アルカノイズを大量に呼び出し取り囲む。飛行型に武士型。二種のノイズだけを呼び出し、赤は刃を構える。童子切。低く構える。大量のアルカノイズを感知。そんな通信が聞こえて来る。不意に、強烈なノイズが走った。反射的に通信機を外し投げ捨てる。直後、通信機が震え爆散した。錬金術。炎を操るそれが、絡みつくように全身に纏わりついているのを感じる。
「これで盗み聞きされる心配は無いんだゾ。だから、確かめさせて貰うゾッ!!」
赤が指を差し指揮を執る。両手に刃を持つ、一度は天羽々斬を分解したという武士型ノイズと、小柄だが縦横に動き回る事が出来る飛行型ノイズが入り乱れる。同時にミカが姿勢を低くし、ノイズの一団からは迂回、此方を挟み込む様にかけ始めた。一瞬の判断。ノイズはすべて無視し、ミカの下へ駆ける。
「やっぱり、あたしを狙ってくると思っていたんだゾッ」
跳躍。すれ違い様の一閃。童子切での一撃が、ミカの持つ炎剣に阻まれる。一瞬膠着。交わされた刃を支点に、自ら弾け飛ぶ事によって複数の飛行型ノイズの突撃を往なす。着地。既に間合いまで到着していた武士型ノイズの刺突を上体を倒すように交わしながら跳躍する。ミカ。既に体勢を立て直した赤の自動人形が向かって来ている。右腕。左手に炎剣を持ち、空いたその掌から炎柱を生成。打ち放つ。速射。自動人形にとって一撃一撃の威力はそれ程でも無いが、人の身に触れれば一撃で穿たれかねないソレを見据える。斬撃。全ての炎柱の先端を、切っ先で逸らす事で往なし、同時に刃と成す。アルカノイズ。通常のものより分解能力に優れる代わりに、ノイズの持つ障壁。位相差障壁の性能は激減していると聞いていた。それを差し引いても自動人形の力は異端技術である錬金術だ。力の方向だけを逸らしたミカの錬金術が、後方から自分を狙っていたアルカノイズの一団を穿つ。
「ほぉぉ!! 技の切れ、身体の反応、戦闘中の判断。その全てが、普通じゃ考えられないレベルで纏まっているんだゾ」
そのままミカに向け童子切を振り抜く。炎剣が阻んだ。刃がぶつかり合うが、力任せに振り抜く。後退。ミカが力を流すように後退った。追うように飛ぶ。直後にノイズが風を切り突っ込んできていた。無視する。敵の数は数えるのも馬鹿らしくなるほどの量である。そのノイズ全てを相手にすれば囲まれジリ貧になるのは目に見えている。敵の司令塔だけに目を向ける。後を追うノイズなど、風の音と差すような気配が嫌という程存在を主張している。態々見なくとも、動きを把握するのに問題は無かった。
「へぶッ!?」
後退するミカに追い付き刃を振り抜こうとし、その身体を足場に軌道を変えた。飛行型ノイズ。幾筋もの閃光となり、駆け抜けていく。斬撃。煩わしい線を落ちながら斬り落とす。跳躍、反発。着地と同時に迫る武士ノイズの一撃を逸らしながら黒鉄の右腕で殴り飛ばした。ほんの僅かに何かが無くなる感覚が走るが、錬金術の行使に比べれば無いような消耗だった。
「……、煩わしい」
「本当に、凄いんだゾ。戦闘特化のあたしが、決戦兵装を抜き放ち全力で相手をしてるのに、まるで歯が立たない」
とは言え敵の数が多すぎる。此方が単騎であるのに対して、相手は最早軍勢である。自動人形に刃が届く瞬間はあれども、童子切を振り抜く程の暇もない。駆けながら思考する。ミカが、刃を手に走りながら此方を見ている。再接近。一気に距離を詰める。斬鉄。すれ違い様に、自動人形の右腕を刃ごと切り伏せる。二の太刀。振り抜く前に赤が反発する。蹴撃。腕の落とされたミカが放つ蹴りに此方の足を合わせ吹き飛ばされる事で後退。三度集まるノイズの輪から飛び出る。勢いを殺さず反発。吹き飛ぶ方向を変えやり過ごす。
「――ッ」
風。ミカがまるで響がするように推進装置を起動、一直線に突っ込んできていた。左腕、低姿勢から心臓か頭部を穿つ為に放たれる。着地の隙。機動では無く、体勢を落とす様に倒れる。頬に爪が掠める。ミカの本当に嬉しそうな表情が視界に移った。落とした右腕、四騎士の剣を纏う時のような光を纏っている。反射的に童子切を振るった。衝撃。再び現れた腕が炎剣を手に打ちかかって来ていた。ギリギリにの所で防ぐ。完全に崩れた態勢。ノイズが飛来する。
「だけど、あの子に腕を落とされたように、強いけど絶対じゃないんだゾ!」
ぶつかり合った刃。人の腕では無く人形の腕で在る事を活かし、手首からぐるりと動く。咄嗟に流れに逆らわず刃を回すように持ち替える。後退。飛行型ノイズが直ぐ傍らに着弾する。左右から挟み込む様に武士型ノイズが迫る。右腕、強く握りしめた。
「――自動錬金」
呟きと共に動きが加速する。血刃。黒鉄の右腕から噴き出る赤色の粒子纏い血刃を生成。ノイズの刃が届く前にそれを切り伏せる。
「見せて貰うんだゾ」
ミカ。目の前で笑っている。一撃。放たれるそれを受け止めていた。考えるよりも早く右腕を刃から離し、赤を殴り飛ばした。広がった視界。眼前に飛行型ノイズが迫っていた。
「……ッ!?」
反射的に童子切を持つ
「やっぱり……。そうなんだな」
殴り飛ばした左腕に損傷が無い事を確認すると、そんな言葉が届く。左腕が、熱いほど強く力を感じていた。ネフシュタンの腕輪。それが、強く稼働しているのが解る。身体の奥で、何かが零れた。口元を手で押さえる。咳が零れた。赤色。それが広がっている。僅かに体が揺らいだ。
「あんたは強い。だけど、もうこれ以上戦ったらダメなんだゾ」
「なんの、心算だ?」
致命的な隙。それを晒したのにも拘らず、ミカが下した判断はアルカノイズの撤収だった。纏っていた四騎士の剣も解除し、そんな言葉を投げかけて来る。
「あたしたちがやる事は基本的にマスターの為。あんたはこれまで戦い続けて来た。だから最後ぐらい、人として過ごして欲しいだゾ。確かにそれ程の強さがあれば、あたし達のうち一機を討つ事は出来るけど。だけど、ソコまで。それがあんたの終わりになる。人形を一つ壊して終わり。マスターが『英雄』と認めた人間に、そんな終わり方をして欲しくないんだゾ」
先程まで戦いを楽しむ様な笑みを浮かべていた人形が悲しげに笑う。もう一度喉から血がせり上がるのを感じた。同時に、左腕の腕輪が強く稼働し、修復が開始されるのも。
「聖遺物との融合。アルカノイズの分解が殆ど機能しないまで進んでる。アルカノイズの分解対象に人間は含まれているけどネフシュタンは含まれていない。つまり、そういう事なんだゾ。命を惜しんで紡がれる歌では炎は燃え上がりなどしない。命の灯はそんなに軽くはないんだゾ」
想いを込めて歌う程度では何の意味もない。そんな現実を突きつける様にミカは悲しげに笑い、もう戦うなと告げて来る。或いは、自分が戦いを止めろと言われたのは、これが初めてだったのかもしれない。一瞬、言葉に詰まっていた。刃を置いて欲しいと明確に言われていた。それも、味方では無く敵の自動人形に。咄嗟に返す言葉が見当たらない。
「残された時間を大切にして欲しいんだゾ。あんたが死ねば、きっとマスターは悲しむ。だから、大切にするんだゾ。何のために残った命を使うのか、それを考えていて欲しいんだゾ」
そして赤は姿を消した。この戦いに何の意味があったのか、警告に来たのだとしか思えなかった。手にしていた童子切。纏わりついた煤を払う。遠くから、二輪の近付いてくる音が聞こえる。翼が駆け付けてきたようだ。手と口許に残った赤色を拭う。赤の残した言葉を頭の片隅に残しながら、仲間たちと合流した。
「はぁッ!」
飛翔剣が舞い踊る。小日向の鋭い意志と共に、三対のソレが切歌の周りを舞い踊る。同時制御。以前のそれよりも幾分か攻め手が増えたそれを以て、獄鎌に向かい仕掛ける。
「以前よりも早くなってるデスッ。だけど――」
対する暁はリンカーを用いていない為万全の状態には幾らか劣るが、その不足を補う様に声を上げる。肩部にある四つの刃。それを展開し、両手に持つ大鎌も駆使し迫る飛翔剣に対抗しながら一気に加速する。
「――此処」
一撃。迫る飛翔剣を刃で叩き落としながら距離を詰めて来た暁に向け、小日向は両手で持つ一振りで受け止める。推進装置。響や暁のものには瞬間速度では劣るが長時間の飛行を可能とする地力を以て踏み止まる。暁の展開した刃は4本であり、小日向の持つ飛翔剣は3対6本。戦闘技術では未だ比べるべくも無いが、それでも小日向は以前よりも幾らか成長していると言える。イガリマを受け止める事で、暁の長所である機動力を奪う事に成功していた。飛翔剣が動きの止まった暁を狙い走る。
「くぅ……ッ」
「このまま押し切るッ」
動きが止まった瞬間を狙われていた事に気付いた暁が無理やり小日向を弾き飛ばそうとするが、それを上手く往なしている。海での特訓の際、過剰なほどに打倒していた。その経験が、粘り強く刃を往なす事に繋がっている。何処か精彩を欠いた暁の刃を小日向が完全に止め、飛翔剣で取り囲んだ。暫くの沈黙。暁は負けましたと言わんばかりに両手を上げた。ふぅっと小さく息を吐き、小日向は飛翔剣を解除する。
「ま、負けちゃったデス」
「うーん。確かに勝てはしたんだけど……」
「精彩を欠いていたな。刃が普段よりも雑だった」
負けた事に衝撃を隠せない暁に、小日向は苦笑交じりに続けた。刃が揺らいでいる。かつて見たあの子らに近い状態に、何かあったのだろうと結論付ける。立花響の負傷。幸い、大きな傷を負った訳では無かったが、自動人形との交戦という事もあり、S.O.N.G.本部にある医務室で検査を行っていると聞いていた。自動人形との交戦。自分が行ったそれよりも少しばかり前に行われていたようだ。
「調と少し喧嘩してるデスよ」
「ほう。喧嘩か」
「はい。でも、二人があんな風に言い合うなんて珍しいな」
一区切りついた事で二人が力を解除する。そのまま、暁が口を開いた。思い出したのだろうか、少しばかりむくれている様で頬を膨らませている。その様子に、小日向が困ったように笑みを浮かべた。
「調が後先考えず、庇おうとするのが悪いんデス。そりゃ、無理に助けに向かったあたしも悪いところが無かったとは言わないデスけど……」
突出し過ぎた響を助けに向かった時にミカに狙い撃たれていた。極大の一撃。それを、月読がギアを用いて何とか受け止めたのだとか。見た訳では無いが、聞く限り状況的に仕方がない動きであったのだろうと思える。その後も、暁にしては珍しく訥々と紡がれるその時の心情に耳を傾ける
「成程。無理してまで庇って欲しくなかったと言う訳か」
「そうデス。きっと調は、フロンティア事変の時にあたしに救われたってそう思っているんデス。あたしだって沢山助けてもらったのに、自分だけが救われたって……ッ。だから自分の事を顧みずに無理を押し通そうと」
暁は月読が無茶をしてまで助けて欲しくは無いと。自分を助ける為に怪我をして欲しくは無いんだと続けた。
「君たちは、面白いな」
「先生!?」
思わず零した言葉に小日向が驚いたように声を上げる。
「面白くなんて無いデスよ」
「いや、すまない。悪気はなかったんだ。ただな、話を聞く限り二人とも相手を想い合っている。それなのに、ぶつかり合い、すれ違う。何処かの3人娘も、以前そんな事があったと思ってな。似たような道を歩んでいる」
不機嫌そうに此方を見た暁に一言謝る。言うならば、あの時俺が翼の刃を受け止めた様に、今回は小日向が刃を受け止めたという事なのだろうか。幸いあの時ほどに荒れてはいない様だが、小日向に負けた事で自分の動揺をより意識したのか、少し落ち込みながらも暁は静かに言葉に耳を傾けている。
「響さん達も?」
「ああ。融合症例云々の時に、な」
「あの時はクリスもクリスで響にべったりでしたしね」
懐かしい事を思い出すように語る。響を戦わせない様にする為に下手を打った。そんな事もあった。あの頃は皆が皆、自分の想いを上手く見つめていられなかったのだ。とは言え、仕方がない程の理由もあったが。
「あ……。あの頃は、その、ごめんなさいデス」
「大丈夫。気にしてないよ……。ぶつかり合う事もあったけど、解り合う事が出来た。今はこうして手を取り合って話す事が出来てる。それが、嬉しいんだ。響だってそう言う筈だよ」
絶唱を斬り捨てた時、暁とも遭遇していた。その少し後に小日向は攫われ装者と仕立て上げられた。例えその事に直接関与していなかったとはいえ、暁からしたら酷い事をしてしまっている。自然と謝罪の言葉が出ていた。それに、小日向は気にしていないと微笑む。かつてはぶつかり合った事もあるけど、今は手を繋いでいる。それで充分なんだよと暁に教える。
「……小日向に任せておいても大丈夫な様だ」
さて、どんな話をしようかと考えていたが、此処は小日向に任せる事にする。ずっと以前より、強い想いを持っている女子だった。それが、響以外にも向くというのなら悪い事では無かった。暁と言葉を交わす様子に、そんな思いが過る。
「先生」
「ん?」
ならばあとは任せるかと思ったところで、小日向が此方に向かい視線を向ける。その様子に、少しばかり佇まいを正す。
「響と話してあげてくれませんか?」
「響とか?」
そして突然言われた言葉に聞き返していた。
「はい。響はお父さんと再会して、その事について悩んでいるんです」
「そうか、父親、か」
父親に再開した。そんな事を教えられる。立花響の父親。自分が二課に復帰した際、書類上の情報としては教えられていた。立花家の謂れなき迫害。数年続いたそれに耐える事が出来なくなり、父親が失踪したという事だった。そんな父親に再開し、何かがあった。つまりは、そういう事なのだろう。そして、そんな響と話す事をその親友に望まれていた。
「解った。響を訪ねて見るよ」
「お願いします」
「あたしからも、お願いします。響さん、あの時泣きながら拳を振るっていたデス」
そして、暁からも念を押すように頼まれる。誰も彼も、自分の事で忙しいのにも拘らず、相手の事を思っていた。良い所だと、そんな事を思う。
「偶には思いっきりぶつかる事も悪い事ではない。喧嘩などしないに越した事は無いが、胸の内に生じた釈然としないものがあるのなら、それを直接ぶつける事も一つの選択だ」
「本当にそうするかは兎も角として、肝に銘じておくデスッ!」
最後にそんな言葉を残し、二人とは別れる事にする。父親。例えどんな軋轢が生じたのだとしても、向かう先がある事に少しだけ羨ましさを感じた。
「はぁ……」
立花響は小さな溜息を零した。携帯を取り出し履歴を見詰める。立花洸。前回父親と再会する為に交わした連絡先から、何通もの通知が来ていた。自分の父親の名前を見る度に、あの時の嫌な気持ちが沸き上がる。苦しいなぁ。そんな言葉を声に出さず呟いた。なんで、どうしてと、ぐるぐると胸の中に思いが過り続ける。不意に、来客を知らせる音が鳴り響く。怪我人とは言え外傷らしきものも無い為、医務室には響ただ一人であった。立ち上がり扉のロックを外し応対に向かう。
「はいはーい! 今開けますよー」
そのまま特に警戒もせずに扉を開けた。開けた扉の先。上泉之景が立っていた。ユキもS.O.N.G.所属となったため、場所的には訪ねてきても不思議は無いのだが思いもよらぬ来客に、一瞬響の思考は停止する。
「ゆ、ユキさん……?」
「小日向たちに負傷したと聞いてな。様子はどうかと見に来たよ」
そして、思わず零した言葉に来訪者はそうだよと頷く。そのまま、響の姿を一瞥し、まぁ、無事そうだなと小さく呟いた。そんなユキの突然の来訪に動揺しつつも、ありがとう未来と内心だけでもお礼の言葉を発する。どんな理由だったとしても、好きな人が自分を心配して見舞いに来てくれた。その事実は嬉しいものなのである。
「とりあえず、入って下さい」
「では、失礼しようかな」
とは言え、何時までも入り口でまごまごしている訳にはいかない。入室を促し、響が席の準備をしようとしたところで、怪我人は大人しくして居ろと寝台に座らされる。私、大した事ないんだけどなぁっと思うも、些細な気遣いがつい嬉しくて頬が緩むのを自覚する。父親の事で悩んでいた痛みが、好きな人が会いに来てくれた事で随分と気にならなくなる。
「痛みなどは残っていないか?」
「はい。エルフナインちゃんにも検査をして貰いましたけど、異常は無いって言ってました!」
一応はと言った様子で聞かれた言葉に元気よく答える。まぁ、見た目通りだなと苦笑を交じりにユキは頷く。元々それ程問題も無かったところで、ある意味良薬が来てくれたのだ。元気過ぎてお腹減っちゃいましたと、冗談交じりに宣言する。心配してもらえたのは嬉しいけど、好きな人には自分は元気だと思って貰いたかった。そんな響の内心を知ってか知らずか、ユキは、ならそのうち思う存分なにか食べれるところに連れて行こうかと続ける。思いもよらない誘いに誘いに、響は二つ返事で飛びつく。暫くの間、そんな感じで他愛の無い会話が続く。
不意に、響きの持つ端末が音を立てて鳴り響いた。着信。響は慌てて端末を持ち直し、表示された名前を認め、すっと自分の中で熱が冷めるのを感じた。立花洸。何度目かの着信に高鳴っていた胸のときめきが一気に覚まされる。暫くの沈黙。呼び出し音だけが、部屋の中を鳴り続ける。
「出ないのか?」
しばらくの沈黙。電話の音だけが鳴り続ける中で、ユキが響に問う。その一言に、響の肩が大きく揺れる。気付けば対話を拒否するように閉じられている響の瞳を見て、想像していたよりもずっと重症なのかもしれないとユキは思う。返答がないまま、呼び出し音が更に鳴り続ける。
「良いんです……。もう終わった事ですから」
暫くして、思い切って応答を拒否したのか音が鳴りやむ。そのまま、響は辛そうに絞り出す。その様子を見たユキとしては、何処が大丈夫なものかと思わずにはいられない。今にも泣きそうな顔で、終わったなどと言われても、信用できはしないのだ。
「誰から、と聞いても?」
「お父さん、です。もしかしてユキさん、未来から聞いて来てくれたんですか?」
「ああ、そうなる」
そしてユキが電話の相手を尋ねた事で全てに合点がいったのか、響は辛そうな表情のまま聞き返す。隠すような事でも無いので頷く。それに、あははと響は苦笑いを浮かべた。折角隠してた心算だったんだけどなぁっと恥ずかしそうに続けた。暫くの沈黙。
「お父さんと再会したんです」
訥々と、響は思い出す様に語り始めた。数年前のライブ会場での事件。まだシンフォギアの存在も知らなかった頃、ツヴァイウイングのライブを見に出かけた折にノイズの襲撃に巻き込まれた事。その際に重傷を負った事。何とか一命をとりとめ、過酷なリハビリを終え実家に戻った事。そして、その頃には家を取り巻く環境が一変していた事。地域からは迫害され、学校でもいじめにあった事。そんな、辛かった頃の記憶を一つ一つ辛そうに語って行く。そうして、そんな辛い状況の中で、誰よりも信じていた父親は、自分たちを見捨てて逃げてしまったのだと今にも泣きそうになりながら響は締めくくる。
「そんなお父さんと再会した時、凄く嫌な姿を見ちゃったんです。自分のした事が解っていない。無責任で格好悪い、そんな……」
再開した時の父親は、どうしようもない姿を響に晒していた。自分から捨てておきながら、どうにもならない現状を変えようと娘に縋って来ていたのだと、いやでも解ってしまう。そんな格好悪い姿が、どうしようもなく嫌だったと響は続ける。
「響にとって、元々父親と言うのはどんな人だったんだ?」
「え――?」
そんな響の言葉を瞑目して聞いていたユキは、そのまま問いかける。一瞬質問の意図が分からなくて聞き返してしまうが、繰り返される言葉に考え込む。私にとって、元々お父さんはどんな人であったのか。格好悪い姿ではなく、想い出の中にある格好良かった頃の父親を思い出す。胸に、鋭い痛みが走った。だけどっと、食いしばる。今問いかけてくれているのは、何時も護ってくれていた人だった。少しぐらいの痛み、築き上げてきた信頼と好意には我慢できない事では無かった。
「ずっと昔のお父さんは優しくて格好良かった……。色んなところに遊びに連れて行ってくれました。出掛けた時、迷子になって泣いている私を必死になって探してくれました。小学生の時、勉強が解らなかった私に付きっ切りで教えてくれました。卒業式の時、お母さんと一緒に来てくれて思いっきり泣いてる私を慰めてくれました。他にもたくさんの思い出があります……。記憶の中のお父さんは……、とても格好良かった……」
思い出される響の記憶を耳にしながら、ユキはただ小さく頷く。格好良かったお父さん。優しかったお父さん。大好きだったお父さん。そんな言葉にならない言葉が聞こえてくる様である。ユキはそんな事を思いながら、響が言葉を出すのを黙ったまま待つ。
「だけど、そんなお父さんは壊れてしまったんです。格好良かったお父さんは、もういない……」
「壊れてしまった、か」
最後に絞り出された言葉をユキは繰り返す。壊れてしまった。それは、響にとっては真実なのだろう。そう発した瞬間、響の瞳から涙が零れ落ちる。似たような話は未来やエルフナイン、切歌と調にもしていた。その時は涙を堪える事が出来たが、今は大好きで頼る事が出来る人と二人きりだった。傷付いた少女に、涙を我慢する事などできなかった。
「もう良いんです。壊れたものは元には戻らないんです。あの頃のお父さんは、もう居なくなってしまったんです……」
そのまま涙を零しながらも、もう良いのだと響は続ける。あんなに格好悪い姿を晒し続けるぐらいなら、会いたくはなかった。知りたくは無かったと涙を零す。
「お父さんは居なくなってしまったけど、私には未来がいてくれます。翼さんが、クリスちゃんが。マリアさんと調ちゃんと切歌ちゃん。エルフナインちゃんや師匠。S.O.N.G.の皆だって……。だから強くて格好良かったお父さんがいなくたってへいき、へっちゃらです……」
それでも自分には大切な友達が仲間がいる。繋いだ絆がこの手には握られている。だから、大丈夫なんだと響は無理して笑みを浮かべて見せる。
「何よりも、ユキさんが居てくれます。辛くて挫けそうな時、何度も助けて貰いました」
最後に、あなたがお父さんの代わりに護ってくれました。辛く挫けそうな時、何度も助けて貰いましたと、響は想いを告げる。暫くの沈黙。不意に、言葉が紡がれた。
「なぁ、響。俺は強いか……?」
「え――?」
「俺は強いかと、そう聞いたんだよ」
閉じられていた瞳が開き、ユキと響の視線が交錯する。何度も見て来た、大好きだった人の瞳。それが、見た事の無い色をしていた。怒りでも無ければ、悲しみでも無い。勿論喜びや楽しみでもない。咄嗟に、思いつかないけど何か心が揺さぶられる色をしていた。それが良く解らない。だけど、想いだけは溢れて来る。
「凄く強かったです。辛い時、苦しい時。悲しい時、どうにもならない時。どんな時だって、ユキさんは私に手を差し伸べてくれました。護ってくれました……」
想いが言葉となって零れ落ちる。ルナアタックの時。フロンティア事変の時。そして今行われている戦いでも。ずっと護ってくれていた。ずっと手を差し伸べてくれていた。気付けば大好きになっていた。そんな想いが胸から溢れる。
「未来が私にとっての陽だまりで帰ってくる場所なのだとしたら。ユキさんは私にとって、暗闇に飲み込まれどうすれば良いのか解らなくなった時、道を指し示してくれる光でした。夜の闇を照らしてくれる、お月さまの光でした……ッ」
そして、ずっと胸の内にあった想いを告げる。小日向未来が響にとっての日常であり、陽だまりなのだとすれば。上泉之景は、非日常の中でどうすれば解らなくなり真っ暗な闇の中に沈んでしまった時、何時も道を指し示してくれた光であった。月明かりであったのだと、胸の内に存在していた淡い想いと共に伝える。
「そうか……。俺はそれほど強いか……」
そんな伝えられた響の想いにユキは少し驚いた様にしながらも頷く。
「はい。……え、あ、ええ!? ちが、違うんですッ!? 違わないけど、違うんですッ!? 私、急に何を……ッ」
その様子に、響は自分が物凄い事を言っている事に気付き、一瞬で頬を染める。自分でも解る程の羞恥心による発熱に何を言っているのか解らなくなってくる。ただ慌てていた。自分が取り返しの付かない事をしてしまったような気がして、恥ずかしさと、不安と、僅かな期待で訳が判らなくなる。
「そうか。俺は、誰かの道を示す光で在れたのか……」
呟かれた言葉。その言葉に宿っている感情が良く解らなくて、響は思わずユキを見詰める。あの上泉之景が笑みを浮かべていた。何時ものような何処か余裕のある物ではなく、子供が浮かべるような本当に嬉しそうな色に、思わず見とれてしまう。
「ユキさん……?」
気付けば名前を呼んでしまっていた。思うのは、ユキさんでもあんな風に笑うんだという事だけである。
「どうした、響」
「え、あの、何でも……ないです……」
そうして、咄嗟に名前を呼んでしまったことに対する反応に気の利いた答えを出す事も出来ず、何でもないと言ってしまっていた。そうかとまた小さく笑う。その笑みから目が離せなかった。
「護ってくれた……、か。ならば、俺は君に謝らなければいけない」
「え――?」
だからか、紡がれた予想外な言葉に上手く反応する事が出来ず、呆けたような声が口から零れていた。そんな響に、ユキはどこか寂しそうに続ける。
「俺はもう。君を護ることはできないかもしれない」
「ッ!?」
そして、紡がれた言葉に響は言葉にならない衝撃を受ける。なんで、どうしてっと、そんな言葉だけが胸を過る。響の内心を見透かしたように、ユキはただ苦笑を浮かべながら言葉を続ける。
「なぁ、響。人は強くなれるよ。だけどな、人は常に強く在れるわけではないんだ」
そして、ゆっくりと響に言い聞かせるように語り始める。
「今の俺は、錬金術師に狙い撃ちにされているよ」
「それは……」
「この事件になってから腕を落とされ、今は毒を盛られている。正直に言うよ。今の俺には余裕がない。君たちにまで目を配るほどの余力が残ってはいないんだ」
響と目を合わせ、己の考えを伝えていく。狙われている。フロンティア事変で力を示したからこそ、敵対者となる者達から清濁併せた攻めを行われていた。その一端は、響も嫌という程実感している。腕を切り落とされた。それ等は最たるものだ。自分が同じ立場であったのなら、果たして立っていられるだろうか。そんな事を考えると、怖さだけが募っていく。
「護りたくないのではないよ。護れないかもしれないと、そう言っている」
「護れない……?」
「ああ、君たちは強くなったよ。それと同じくらい、立ち塞がる敵もまた強大な力を持っている。そして真っ先に狙われたのが俺だったのだろう。戦いを振り返る時、そんな事を考えていたよ」
S.O.N.G.再編前に日本に姿を現し、陽動に掛かる形で一課へと分断されていた。あの頃から既に狙われていたという事だった。それ程周到でありながら強力な力を宿した敵が相手である。幾ら上泉之景とは言え、余裕がある訳では無い。
「敵は強いよ。だから、狙われたというのならば迎え撃つ必要がある。全力で相対して尚、不覚を取る事が無いとは言い切れない」
「はい……」
ユキの言葉に響も実感を持って頷く。強かった。自動人形も錬金術師も。勝てないかもしれないと思わせるほどに強かったのだ。その言葉には頷かざる得ない。
「君が、君たちのうちの誰かが命の危機に晒されていたとしても間に合わないかもしれない。全霊を賭して尚、すぐ傍にまで辿り着けないかもしれない。今の俺は万全とは言い難い。時が経てば、戦う事すらできなくなっているかもしれない。そんな事まで考えているとな、とても護ってやれるなどと言えはしないよ」
全力で挑んで尚、間に合わない事も充分にあり得る。或いは、その時には戦う事すらできないかもしれない。ユキは響に視線を合わせたまま、静かに伝えていく。戦いの果てにあるのは、想いとは別の結末なのかもしれないと。そんな悲しい終わりも充分にあり得るのだと、事実を伝える。
「或いは、俺が君たちに手を差し伸べられる事すらも充分にあり得る。強くなったよ、君たちは。技術的なところでは負けはしない。だが、それとは違う所で充分な強さをもう手にしている。俺などが守らずとも、一人で立っていられる力は既に持っているよ。だから、すまない。俺にはもう君を守る事が出来ないかもしれない」
そして、そう締めくくられた言葉に響はただ頷くしかできなかった。
「人は強くなれるよ。だから、俺は自らを鍛え上げた。誰かを生かせるほどの力を手繰り寄せる事が出来た。それでも、胸の内の想いとは別に、十全に力を振るう事が出来なくなり始めている。強いままでいられなくなって来ているよ」
「そんな事ありません。ユキさんは、誰よりも強かったです。強くて、格好良くて、優しかったです……」
そんな何時だって一人で立ち続けていたユキらしからぬ言葉に、思わず響はそんな事はありませんと否定する。強かった。例え今がどれだけ苦境に立たされているとしても、ユキが弱くなるなんて信じられなかった。響の言葉に、ユキの表情に苦笑が浮かぶ。
「或いは、君の父親も今の俺と似たような心境だったのではないかな?」
「え――?」
一度響の頭に手を乗せ、親が子供にするようにトントンと落ち着かせるように触れる。
「一人娘が惨劇から生還を果たし、それでも重傷を負っていた。いつ死んでも不思議ではない状態から、奇跡的に目を開ける事が出来た。君が話してくれた父親像通りの人ならば、それは何よりもうれしい事だったのだろう。だからこそ、その喜びが一転した。折角生き残った娘が、死ねばよかったのだと悪意に晒された。仕事を奪われ、社会からは迫害され、どうしようもない自分の弱さを突き付けられた……。それは、とても辛い事だったのではないかな」
「それは……。私もいじめられた事があります。辛くて、でもそれ以上に悲しかった。なんでって、何度も心の中で呟いて……」
いじめられた記憶が頭を過り、その時の辛さが思い出される。ユキの手を握りしめる。振り解こうとしない温かさが、痛みを幾らか和らげてくれる。
「多分な、響。その痛みを君の父親は全て受け止めようとしたのではないかな。父親故に一番前に出て、家族を守ろうと踏み止まり、そして耐えきれなかった」
「そんな事……」
「無かったと言えるのか? 君の大好きだった父親は、格好良かった頃の父親は、自分を守ろうとはしてくれないと、君はそう思うのか?」
「……そんなこと、無いと思います」
父親は守ろうとしてくれた。だけど、そこで踏み止まれなかったのだろうと続ける。
「辛いものだぞ響。自分の手に負えない事を、何とかする事を期待され続ける。どうしようもない現実を突き付けられ、それでもどうにかしてくれる筈だと信頼される。それは、とても辛い事だろう」
少し寂しそうに語られる言葉に、響は言い返す言葉を失う。道が見つけられなかった者に、何故上手くやってくれなかったんだという事がどれだけ残酷な事なのか。そんな事を考えてしまうと、胸の内に蟠り続けていたものが、吐き出せなくなる。
「俺の様に身体的な損傷ならば時が癒してくれる事も充分にある。だけど、心の傷には何が効くのか解るものではない。目に見える回復が実感できないのなら、俺以上に辛かったのかもしれない。逃げだす事しかできなかったのかもしれないよ。全てが嫌になり、本当の意味で壊してしまう前に。そうせざる得なかったのかもしれない」
「逃げるしかなかった……」
そう結論付けられた言葉を自分に言い聞かせて見る。お父さんのした事は許せるものではない。だけど、お父さんの立場からすればどういった心情だったのだろうか。そんな事にまで考えが及ぶ事は殆ど無かった。考え込んでしまう。
「君は、今の父親が嫌いか?」
「それは……、解りません」
許せない。そう思う気持ちはある。だけど、もう一度会ってみようと思った事も事実で。率直に嫌いかと問われた時、即座に答える事が出来ない。
「壊れたものは直らない。確かにそうだよ」
黙り込んだ響を見詰め、ユキは更に言葉を続ける。
「だけどな、人は持ち続けたものに愛着を感じるようになる。だからこそ、一度壊れてしまったものに未練を抱き、涙を流す」
壊れてしまったものは元には戻らない。だからこそ、人は壊さない様に大切に扱うのである。それでも、壊してしまう事はある。自分たちのようなものは、そんな事ばかりだと呟く。
「折れた剣は元には戻らない。例え溶かして打ち直したとしても、それは同じものではない」
「なら、どうしてそんな事を……」
武門など、何かを壊してばかりである。中には愛着のある物も壊していた。だからこそ作り直すのだと続ける。
「それでも情を捨てきれないからだよ。抱いた想いを消せはしないから、新しい形にしてしまうんだろう。壊れたものを元通りに直せはしないよ。だけどな、壊れたものを元として、新しい形に成す事は出来る。人はそうやって長い間、想いと折り合いを付けて来たのだから」
壊してしまったものは元通りには直せない。だからこそ、それでも捨てきれない想いを重ね、新たな形を作り出して来たのだと響に教える。人の営みの中で過ちを犯さない者などありはしない。だからこそ、過ちを犯したと悟った時、どう立て直すかを考える事こそ重要なのである。
「解りませんよ……。どうすれば良いのか、私には解りません」
「考えれば良いよ。父親の在り方に痛みを感じ涙を流す事が出来る。それはまだ、君が家族の情を捨てきれていないという事なのだからな。捨てるのは簡単だ。ただな、想いをぶつける先が無いというのは辛いぞ。完全に手が届かなくなるというのは、今の君の辛さとはまた別の痛みになる」
響がどういった選択をするのかまでは解らない。だけど、納得いくまで考え続けろとユキは言い聞かせる。
「父は俺にとって色々な事を教えてくれたよ。言葉だけではなく、その生き方でも」
「ユキさんの、お父さんですか?」
「ああ。人には守るべき誇りがあると。貫くべき想いがあると。大切な事を示してくれたよ。その感謝を伝える事も、出来はしないがな」
大切だった人に想いを伝える事が出来ない。それは、辛い事だぞと続ける。
「ユキさんにとってお父さんと言うのは、どういう人だったんですか?」
「父上は強い人だったよ。強くて、気高くて、少しだけ優しくて……、そして怖い人だったな」
「怖い、ですか?」
そんなユキの言葉を聞き、響もまた問い返していた。ユキの父親。ところどころで残した言葉を聞く事はあっても、本人の口から聞いた事は無かったのかもしれない。返される答えに、少しだけ不思議に思う。
「そうだよ。強かったなぁ、父上は。何度挑んでも勝てなかった。普段はそうでも無いのだが、鍛錬の折にはその強さが恐怖を通り越して腹立たしい位だった」
思い出す様に零される言葉とは裏腹に、何処か嬉しそうに話す様子が不思議だった。
「君の父親は変わってしまっただけなのかもしれない。だけどな、今の俺と似たような状況であるのならば。傷付き、強く在れないのかもしれない。どうしようもない痛みに、苦しんでいるのかもしれない」
「……確かに、そうなのかもしれません」
すべては想像の域でしか無い話である。だけど、立花洸は上泉之景のような常識の範囲を逸脱するほどの強さを持っていた訳では無い。響ですら心折れそうになった迫害に、一番辛いところで立ち向かい、踏み留まり切れずに折れて傷付いているのかもしれないと、そんな事を思う。暫く響は目を閉じ考え続ける。
「ユキさん」
「ん?」
そして、瞳を開けユキの方を正面から見詰め言葉をつづけた。
「ありがとうございます! 少しだけですけど、気持ちが軽くなりました」
「そうか」
勢いよく下げられた頭を上げると、小さく笑う。
「確かにお父さんは傷付いているのかもしれません。だから、格好良かったあの頃のお父さんに今は戻れないのかもしれません。ユキさんみたいに、無理してきたのかもしれません」
そして、父親も傷ついているのかもしれないと続ける。
「それでも、お父さんとユキさんは違います。同じ何かじゃありません。ユキさんは、私にもう護れないかもしれないと伝えてくれました。勝手に期待していた私の言葉を受け止め、逃げずに本心で向かって来てくれました。すまないって、ユキさんは何も悪くない筈なのに、私の心に寄り添ってくれました。私から逃げずに、もう無理かもしれないって、そう教えてくれましたッ!!」
だけど、それでも逃げなかったユキと、家族から逃げ出した父親が同じとは思いたくなかった。ずっと護ってくれていた大好きな人に、同じなんかじゃありませんと、想いを伝える。
「私と向き合ってくれましたッ。逃げてしまったお父さんと同じなんかじゃないです。全然、違います……」
人の想いが同じである事などあるはずが無い。上泉之景自身が示し続けた事である。似ているところはあるのかもしれない。だけど、やっぱり全然違うのだと響は思う。少なくとも、逃げずに今ここに居てくれている。それだけでも、比べようのない違いだった。
「何時だってユキさんは助けてくれました。だから、今ユキさんが強くなれないかもしれないのなら、私が支えます。傷付き、辛い想いをしているというのなら、私が手を繋ぎます。繋ぐこの手は、その為にあるんです。だから、ユキさんがまた立てるようになるまで、皆で護るんです」
だからこそ響は手を繋ぐんですと言い切っていた。上泉之景の語った言葉は、ユキ自身の心情を反映しているものなのだとしか思えなかった。あの上泉之景が、例え本人にそんな心算は無かったとしても、弱みを見せてくれている。それが、どうしようもなく嬉しかった。大好きな人が自分を信じてくれていると、そう思えるから。
「お前……」
「私なんかじゃユキさんの代わりに立つ事なんて出来ないかもしれません。だけど、皆と一緒なら、ユキさんがまた立ち上がってくれるぐらいまでなら、きっと何とかできます」
そうして告げられた想いに、ユキは目を見開く。話が、何やらおかしな方向に動き始めていた。
「まったく、そんな心算で語ったのでは無いのだがな……。忘れては貰えないか?」
「駄目ですッ! 折角ユキさんが教えてくれた事を聞かなかった事にするなんて、絶対嫌ですッ」
苦笑交じりで忘れて貰えないかと言われた言葉に、響は満面の笑みで答えていた。初めて弱みを見せてくれたのである。はい解りましたと頷ける訳がなかった。視線が交わる。
「……誰も彼も気付かないうちに大きくなる」
「もしかして、私、褒められてます?」
「ああ。あの立花響が、随分と良い女になってしまったようだ」
ぽつりと零される言葉。その言葉の意味に気付いた響は胸の内に暖かなものが広がるのを感じる。
「え、あの、あぅ……」
「知っていたよ。本当は君たちが強い事など、とうの昔に解っていた」
思いもよらない言葉に、響の思考は一瞬で羞恥に染まる。褒められた事が恥ずかしくて仕方がない。半ばパニックに陥っている響に聞こえないように呟く。
「響」
「は、はいッ!」
そして、慌てふためいている響にユキは声を掛ける。強く名前を呼ばれた事で、驚きに直立するように向き直った。
「俺は、ずっと君たちには戦って欲しく無いと言い続けて来たな」
「それは、はい」
上泉之景は、ずっと子供らには戦って欲しく無いと言い続けて来ていた。その言葉に心当たりは多い為、響はただ頷く。
「今でもその想いは変わらない。だけど、その言葉を発するのは今日で終わりにするよ」
「え――?」
「強くなったよ君たちは。俺を護ると言い切るほどに強くなっている。それが嬉しく、誇らしく、少しだけ寂しく思う」
「ユキさん……」
強くなったと告げられる言葉。認められていた。それが嬉しい筈なのに、何故だか悲しくなってくる。それが響には何故なのか解らない。
「嬉しいな。後を任せられる者が居てくれる。そう思えるのが、ただ嬉しいんだ」
本当に嬉しそうにユキは零した。後を任せても良いと思えるほどに成長してくれた。そんな事を、言ってくれている。その言葉がどうしようもなく、悲しかった。なんでっと、響は自問する。
「何を泣いている」
不意に問われていた。涙。何故だか解らないけど、ぽろぽろと零れている。
「え、なんで?」
「そんな風に泣かれてしまっては、寄り掛かる事などできはしないぞ」
自分でもなぜ涙が零れるのか解らない響に、ユキは冗談交じりに告げていた。ポンポンと、あやす様に触れられた手の熱が恋しくなる。手を伸ばそうとした時、伸ばされた手は既に離されていた。あっ、と言葉が零れる。
「響、これからは頼りにさせて貰うよ。だから、まずは身体を休めてくれ」
「はい……」
そして、先を生きるものは、後を行くものに頼りにしていると告げる。繋ごうと思って伸ばしたては、掴んで貰えたのか。それが、響には良く解らなかった。ただ、認めて貰えたことだけは解った。頼りにさせてもらう。確かに、そう言われていた。それが、嬉しい筈なのに、なんだか少しだけ寂しく思ってしまう。
「俺はもう行くよ」
「はい。あの、来てくれてありがとうございます」
そして、そろそろ行くよと告げられた言葉に頷く事しかできなかった。そして上泉之景は医務室を後にする。なんで悲しかったのか。響はその意味を考え続けるけど、結局答えは出ない。ただ、その事とは別に一つだけ失敗したかもしれないと思い至った。
「ユキさん、私を認めてくれた……。頼りにしているって言ってくれた……。これって、告白するのに絶好のチャンスだったんじゃ……?」
確かに上泉之景は立花響を認めてくれていた。それは、想いを告げるには申し分ないタイミングだったのではないだろうかと、そんな事を思うのだった。
キャロル、早起きする
エルフナイン、珍しく怒る
武門、ネフシュタンの侵食が進む
立花響、持ち直すも、告白のタイミングを逃す
どんどん一話あたりの文字数が増えてます。今回は二万五千近く。2、5話分に相当。