煤に塗れて見たもの   作:副隊長

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番外1.武門と忍者と防人と

 治療を受け幾らかの時が経っていた。既に退院はしている。決して軽い傷では無いのだが、重病人と言う訳では無いからだ。

 腕の傷は既に縫合されており、化膿等の心配も無さそうだという事だった。傷口が開くような事が有ればまた来いという事である。傷の直りが異様に早い。医師がそんな事を呟いていたのを思い出せる。

 

「久方振りだな、緒川と対峙するのは」

「僕とはしてはまだ安静にして頂きたいのですが」

「見舞いに等に来たお前が悪い。寝ているだけでは腕が鈍ると言うものだ。英気を養うにも限度がある」

「せめて糸が切れてからでも良いでしょうに」

 

 自宅で静養している時に緒川が訪ねて来た。その腕では何分不自由だろうと、様々な生活必需品などを届けに来たと言う訳だった。

 猫の餌。クリス辺りから聞いたのだろう。そんなものまで用意してあるのは意外を通り越し、少しばかり呆れた。

 黒猫。自室に戻ると、部屋の片隅に丸まっていた。数日は餌をやっていない筈なのだが、少し意外であった。部屋の窓は少し開けてあった為、出入りする事は可能だが、誰もいないこの場所に戻る程度に愛着が出来たという事なのだろうか。俺が入ると、片目だけ開け見詰め一言にゃあとだけ鳴いたのを思い出す。

 そんな事もあり、緒川が都合良く訪ねて来た事もあり、立ち合いを頼んだという事だった。流石に渋った様子であったが、けがなど起こり得まいと言うと緒川も苦笑して了承した。

 

「久々に見てやると言っている。今でも裏方が多いのだろう。偶には使わねば錆びつくぞ」

「そうですね。とは言え、忍が武門を相手に正面から立ち向かう事は無いと思いますよ」

 

 かつては、よく共に腕を磨いた。武門と忍びである。分かり易く言えば武士と忍者。土俵からして、戦いの場が違う。だからこそ、切磋琢磨する事が出来た。斬る技術に対して、歩行の技術。気を用いた武技に対して、忍び特有の忍術。違う体系の技術であるからこそ、良い刺激であったと言える。

 

「だろうな。だが、剣技を蔑ろにする理由もあるまい」

「尤もです。まぁ、あなたに無策で正面から挑むような事になれば、先ず逃げますが」

「逃げるのにも腕がいる。命の縁を拾える程度の腕がな」

 

 緒川が苦笑を漏らす。正面から戦えば勝てはしないと宣言していた。

 それはそうだろう。緒川は忍の一族である。密偵として、術技を学んだと言える。暗躍こそが奴の本領発揮と言えるだろう。勿論正面からの武技も並み以上の使い手ではあるが、流石に正面から戦う為に武技を磨いてきた武門に勝てる道理は無いのだ。その言葉は謙遜などでは無く、ただ事実を認識しているという事である。

 そもそも緒川が、本気で俺と戦う場面があるとすれば、まず立体的な機動が出来かつ、剣が振るい辛い路地に誘い込む。更には罠をかけ、術や道具で幻惑し、相手に姿を捉えられない様に事を進めるはずだ。

 それ故、今のように正面から対峙していると言う時点で、緒川にとっては土俵に引き摺り込まれているという事になる。そうなる事自体が負けだと言えるだろう。

 

「相変わらず鉄パイプを持つのですね。警棒ぐらいならば手配できますよ」

「いや、良い。アレは軽く短い為使い辛い。ある程度の間合いと重さがなければ、馴染まない」

「と言いつつ、渡せば小太刀の様に使いこなすのでしょう」

「俺にも得手不得手はある。刃であれば大抵の物を使えはするが、武具を選ばない等とはまだ言えないさ」

 

 片手に持つ鉄パイプを見て、緒川が零す。童子切は既に回収されており、太刀など所持している訳でも無かった。緒川も俺が持つ物と似たような大きさの鉄棒を両手で低く構えている。間合いの外、佇んでいるとじわじわと横に動きながら、機を見つめている。

 右手の鉄パイプ。地に擦れるように手にしていた。構えなどは特に必要なかった。来る事が有るならば、それに合わせて動くだけだからだ。

 武器と言うのは、得手な物を使えない事が意外と多い。比較的調達しやすい物に慣れておくと言うのも、武門の考えの一つだった。今の時代、刃を携行するのも骨が折れる。ならば、鉄パイプや木の棒など、ある程度身近な長物を得物と見なす方が色々な場面で生きる事が多い。だからこそ、鉄パイプの扱いには習熟していた。

 勿論、剣を持てるのが一番ではあるが、それはなかなか難しいのだ。まず、剣が一般的ではない。

 

「……」 

「……」

 

 僅かに右手を低く構えた。緒川が一歩踏み込む。睨み合い。数瞬続く。

 新たな踏み込み。もう一歩進んだところで、上段に切り替わっていた。

 睨み合う。ほんの僅かな呼吸が耳に届く。あと一歩。その一歩には決して入ってこようとしない。

 汗が零れ落ちた。

 

「はぁ……」

 

 一歩下がり緒川がため息を零した。そのまま鉄パイプを離し両手を上げる。

 金属の落ちる音。右手を先ほどのように低く置いた。

 

「相変わらず、踏み込めはするのですが。やはり打ち込めはしませんね」

「……鈍っていたと言う訳では無い様だ。剣だけで此処まで肌がひりつくのならば、忍びの剣技としては十分すぎるだろう」

 

 外していた眼鏡を付け直した緒川にそんな言葉を贈る。斬る。その心算で武器を手にしていた。

 緒川も同じで、その流れてくる気配から気迫の強さが感じ取れた。櫻井了子と対峙した時とは異質だが、それでも十分な肌のざらつきに頷く。本職は忍びであるにも拘らずこの武技であった。相変わらず涼しい顔の下に、鋭い刃を隠している物だと感心する。

 

「お二人ともお疲れ様です」

 

 そんな声が耳に届く。立ち合いの最中、この場に来ていた事には気付いていた。

 

「風鳴のか」

「はい。不躾だとは思いましたが、訪問させていただきました。立花と雪音の二人も来る予定ではあるのですが、二人で買い物によるとの事で、私だけ先に訪った次第です」

「……ああ、まぁ、翼さんですからね」

「ちょっと、緒川さん。どういう意味ですか!?」

 

 リディアン音楽院の制服。頭頂で結われた青髪。学業の帰りだろうか、その手には鞄が持たれている。

 緒川との対峙が終わるのを何も言わずに待っている辺り、あの二人とは違いある程度の理解がある。流石に両手で剣を握れば何かを言うだろうが、右手だけならば黙認されていた。

 これが響やクリスであったのならば、問答無用で止められる姿が容易に想像できる。余談だが、響の呼称が立花から響へと変わった。櫻井了子のカ・ディンギルを用いた月の破壊作戦。通称ルナアタック。その一件の後、クリスちゃんみたいに名前で呼んでくださいと頼まれたのだ。妙に懐かれたようだ。風鳴司令を師匠と呼ぶ事といい、何処か人懐っこい印象を感じさせる。猫ならば半ば飼っているが、子犬のようだなっと若干失礼な事を思う事が有った。

 あの二人も来ると言う風鳴のの言葉に頷く。既に学業にも復学しているのだとか。クリスに至っては、編入と言う形で高等部に通っているようだ。響よりも一つ年上の為、二年なのだとか。風鳴は三年な為、短い間ではあるが装者全員で学業に励めるようだ。

 クリス一人では少しばかり心配な面もあるが、学年が違うとはいえ、二人と同じ学院に通うと言うのは喜ばしい事だ。司令の味な計らいに度量の大きさを感じる。一度良かったなと告げると赤くなったのを思い出す。口は悪いが人が嫌いな訳では無いのだ。友達も増やして行ければより良いだろう。

 そんな事を考えていると、緒川の言葉に風鳴のが反応した。確かに抗議を起こしたくなるのは仕方が無い面も否定できないが、あの風鳴である。今回は緒川の言葉に同意してしまうのも仕方が無い。

 

「大方、買い物に行くとなると邪魔なので体よく先触れに出されたのだろうな」

「先生まで……」

「まぁ、この手の話に関して言えば翼さんは前科が多いですからね」

 

 緒川と二人して笑みを零すと風鳴のは恥ずかしそうに赤面する。片付けが出来ない事を筆頭に、家事全般に関して技能が壊滅しているという事だった。緒川に聞いた話ではあるのだが、年頃の風鳴の部屋を緒川が掃除している時点で色々と駄目なのだろう。

 人は何でも出来るなどと言う気は無いが、何事もそつなくこなしそうな風鳴にしては意外な欠点である。まぁ、自分も家事能力に関しては高い訳では無いのであまり言及しないが、大変そうではある。

 先達が二人して笑った所為か、風鳴のが少しむくれた。今は後輩二人もいない。ほんの少しだけではあるが、気を抜いてくれたのだろうか。

 

「私だってその気になれば家事ぐらいできます」

「そうなのか?」

「あはは。なら、何時もその気になって貰えれば良いのですが」

「だそうだよ」

 

 風鳴の何処か可愛らしい反撃に緒川が手痛く返した。まぁ、その気になって直るのならば、緒川が長年面倒を見る事も無いのだろう。この手の話に関しては何を言っても駄目だと理解したのか、風鳴のはそれ以上言い返せずに更に頬を染める。

 

「く……、まさかこのような形で辱めを受ける事になろうとは」

「まぁ、そう言うな。相手をするので、機嫌を直して欲しいな」

 

 そう言い、緒川の手放した鉄パイプを手渡す。一瞬きょとんとした顔を見せる。そんな隙を晒して大丈夫なのかと、苦笑が零れるのも仕方が無いだろう。

 

「見て貰えるのでしょうか」

「そう言っている。それとも、やめておくか?」

「やります」

 

 鉄パイプを手にした風鳴のが、威勢の良い返事を返した。

 自身も鉄を右手に持ち、地に付けるように持つ。正眼。こちらを見据えた風鳴のが構えを見せた。

 緒川が黙り込む。風の音が柔らかい。隅の方で見ている猫が身動ぎをするのを感じた。風鳴。ただ一人静寂を裂くように横に動いた。目を閉じる。二歩三歩。その程度ならば、見なくとも解る。

 じりじりと間合いを計っている気配を感じた。右腕に少し力を籠める。それで風は止んだ。来い。意思を飛ばす。風が動いた。上段。構え一歩踏み込んでくる。

 

「一歩。数年磨き上げた剣であった筈が、たったの一歩か……」

 

 その言葉と共に風鳴の気が霧散した。目を開く。全身から汗を浮かばせた風鳴のが、肩で息をしながらそんな言葉を零す。かつて立ち会った事があった。当時の彼女の剣では、間合いに踏み込んでくる事が出来なかったのだが、今は確かに内側に居る。斬られたとしても斬る。そんな気迫を感じた。

 シンフォギアを纏ってこその装者である。それを纏いもせず、内側に入り込ませた。鍛錬の立ち合いであるからこそ打ち込んでくる思い切りを見せなかったが、仮に戦いの場であったのならば必ず打ち込んで来るだろう。風鳴のがまだ中学の時代の話ではあるが、かつては踏み込めなかった少女が今は内側に居る。一歩である。だが、剣士とするならばそれは大きすぎる一歩なのだ。

 

「踏み込ませてしまったか」

「凄いじゃないですか翼さん!」

 

 肩で息をする風鳴のに緒川が称賛の声を上げた。内側に入られた。

 それは彼女が十分に斬り合うに足る相手だという事だ。シンフォギアを温存して尚それなのだ、空恐ろしい物だろう。

 

「ですが、一歩です」

「ユキと同じ間合いで剣気を押し返した。それが重要なんですよ。ぶつかり合えるという事ですよ」

「あの上泉と、私が……」

 

 緒川がユキと呼んだ。それだけ驚いていると言う事だろう。今よりも若かった頃は名で呼び合っていたが、職を辞した辺りから互いに名で呼び合う事は無くなっていた。久方振りに聞いた友の言葉に、懐かしいものを思い出す。

 

「おい、風鳴の」

 

 両の手で鉄パイプを構え言った。弾かれたように凄まじい速度で風鳴のが正眼に構える。上段。見据えた。

 風鳴。静まった気配の中、それだけが存在する。それを見つめていた。

 

「にゃあ」

「はぁはぁ……」

 

 猫が一鳴きした。刃を下ろす。満ちていた気が霧散する。左腕。少し熱を持っている。

 気当て。全力で風鳴のにぶつけていた。それでもなお踏み止まった。呼吸を乱しているが、こちらを見る目だけは乱れていない。本当に強くなったものだと実感する。これでシンフォギアを纏えばどれ程なのか。見るのではなく、実感すると言う意味で興味はあった。

 

「こんな所か」

「こんな所か、じゃねーよ!」

「そうですよ! 三人で何してるんですかー!」

 

 呟きに、抗議が届いた。視線を移す。クリスと響が怒っていますと言わんばかりに眉を吊り上げ睨んでいた。

 

「どうやら怖い子らが帰ってきたようだ」

「あんたらが鉄パイプ手に睨み合ってるからわりぃんじゃねーか!」

「そうですよ。緒川さんと翼さんがいながら、何でユキさんが武器構えてるんですか!」

 

 お前ら三人で何つー事してんだよとクリスが声を荒げる。響もまた同意し、少し怒ったように詰め寄って来る。

 一応は療養中の身である。そう言われれば強く出れない。武門としてはある程度傷が塞がれば剣を持つ事など大した問題では無いのだが、その理屈は風鳴のと緒川にしか通用しないようだ。

 

「すまない。先生が立ち合ってくれると言う事で、少しばかり舞い上がってしまったようだ」

「上泉の剣ですからね。翼さんからすれば憧れなんですよ」

 

 少し落ち込んだように二人に謝る風鳴と、それをフォローするように緒川が付け足した。憧れと言われると少しばかり面映ゆく感じる。

 

「前から思ってたんだけどよ。その上泉の剣ってなんだ? 鉄パイプ殺法となんか違うのかよ?」

「雪音……、いくら白兵戦に造詣が浅いからとは言え、鉄パイプ殺法と一緒にするな!」

「お、おう。わりぃ……」

 

 そんなクリスの疑問に風鳴のは少し怒ったように声を荒げる。その剣幕に少しばかり勢いを削がれたのか、クリスは素直に謝った。存外押しには弱いのだろう。

 

「あ、でも確かに了子さんも上泉の剣って言ってましたね」

「……大したものでもないよ。上泉の家に、血に伝わる剣術。それだけだよ」

 

 二人の疑問に簡潔に答えた。

 武門上泉。遡れば数百年の歴史を持つ武門だった。自分はその一門と言う事になる。

 長い歴史を持つ上泉の中には、剣聖と呼ばれる類の人間が何度か出現していた。風鳴の家が国防を司り防人を名乗るのと似たようなもので、生かすための剣を長い歴史の中で研鑽してきたのが、上泉と言う家であった。

 その上泉の中でも当代最高峰と言われたのが自分の父にあたり、名の知れた剣士であったと言う。その名に恥じないように研鑽はしてきた心算であるが、まだまだ追いつけている気はしない。

 剣を極め、戦う術を追求した武門。それが上泉と言う家であり、その剣技が上泉の剣と言う訳であった。

 

「ほえー。ユキさんって、そんなに凄いとこの人だったんですか」

「凄くは無いよ。個人的には司令が何故あれほど強いのかが気になる訳だが。風鳴という事を差し引いてもあれは何か違う」

「叔父様は特別ですから……」

 

 風鳴のが遠い目で呟いた。何でも、巨大化させた天羽々斬を拳圧で止めたとか。

 流石にそのような事は出来る気がしない。できたとしても刃に乗るぐらいだろうか。

 

「いや、あんたも大概だろ。すれ違い様にノイズを削り落とすとか、どんな鍛え方をすれば出来んだよ」

「あ、それは私も気になってました。ユキさんって、普段どういう鍛え方しているのかなって」

 

 クリスの言葉に、師匠はご飯食べて映画見て寝る。それで充分って言ってましたけど、他の人はどうなのかなってと響が続ける。

 

「武門の鍛錬は飯食って歴史小説読んで寝る。それで充分だ」

「ええ!? ユキさんもですか!?」

 

 頷くと、響はお前もかと言わんばかりに驚きの声を上げた。クリスも変な物を見るような目で見ている。

 

「そこで変に司令をリスペクトしなくて良いですよ」

「冗談だ。走る。何をするにも基礎体力だな。常に動けなくては話にならん。良く食べて走る。たまに絶食などもするが、基本はそれだ。動ける体を組み上げる。それが重要だと思う」

 

 苦笑いを浮かべる緒川に真面目に答える。司令のあれは本当にそれで強くなったようであるから困ったものだ。

 剣の技なども大事ではあるが、まずは身体であった。動けなければ話にならない。動けるならば、存外気力で何とかなる物だ。

 

「まぁ、おっさんの言葉よりはまともだな」

「良く食べて走る。あれ? 何かあんまり今と変わらないような気も」

 

 まだわかると頷くクリスと、大きな変化は無いのではと首を捻る響。その辺りの呼吸は、同じ剣士でもあり、黙って頷く風鳴のが一番良く解っているのだろう。

 鍛えれば動くようになり、動ければ限界を超える。その繰り返しだと言えた。

 

「まぁ、鍛錬あるのみだという事だよ」

「なるほどー」

 

 そう締めくくると、とりあえずはと言った感じに響は頷いた。が、

 

「だからって、剣持って良いなんて訳じゃないからな」

「まぁ、そうなるか」

「仕方ありません。先生も静養中なのですから、無理はなさらないでください」

「尤もな話ではあるが、一緒に振り回してたやつが言う台詞じゃないだろ!」

 

 雪音クリスは見逃がしてくれない様だ。

 結局、暫く怒り続けるも許してくれた。

 そしてその日は、皆で飯作るから怪我人はゆっくりしとけ。と言い渡されたのだった。

 

 

 

 




G編入る前の小話回。
前回から地味に友好度が上がっている響ちゃん。

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