人里離れた森の中。
人気の無い森は虫の鳴き声と、風が木々を揺らす音と、僕の足音しか聞こえない。
まるでここだけ、世界から隔絶されてしまったかのようだ。
うっかり悪夢に迷い込んだ錯覚を覚えるけど、踏みしめる枯れ草の音が現実だと囁き続ける。
僕がこんな場所にいるのは、森に住むという魔王に会って願いを叶えてもらうためだ。
でも会えたとして、話を聞いてもらえるのかな。
そもそも魔王なんているのかな……。
不安が形を変えながら頭を回り続ける。
なにせ酒場で耳にした出所の怪しい噂だ。
根も葉もない話かもしれない。
それでも他に当ての無い僕は、僅かな希望を胸に走り続けていた。
僕には妹が一人いる。
父を戦争で、母を伝染病で亡くしてから、街の浮浪児として生きてきた。
まだ10歳の自分と6歳のミレイアだけの暮らしは決して甘いものではなく、偏見や無関心、無意味な暴力や差別が僕たちを襲った。
それでも、お互いを励まし合いながら今日まで耐えてきた。
今となってはたった一人の肉親。
自分の半身とも言える存在。
その妹が奪われた。
今日もいつものように夕暮れ時に、残飯に近い食料を持ち帰ると、出迎えてくれるはずの妹の姿が見当たらない。
不審に思って、近くにいた浮浪者仲間の子供達に聞いてみた。
すると彼らは示し合わせた様にそっぽを向きながら
「知らない」
と答えた。
慌ててこの辺りのまとめ役のおじさんの元に駆け込むと、おじさんは力なく項垂れて教えてくれた。
妹はさらわれてしまったんだ。それも性質の悪い奴らに。
ウィラド商会。
この街でも非道な奴らとして有名な、奴隷商人にさらわれてしまったのだ。
だから「妹はいますか。返してください。」などと言って、乗り込むわけにはいかない。
ダメもとで騎士団に直談判した。
鼻で笑われたあと、野良犬でも追い払う様に帰された。
周りの大人たちに相談した。
肩を竦めながら、諦めろと口を揃えた。
浮浪者仲間も憐れむばかりで、誰も力を貸してくれない。
追い詰められている最中に、かつて聞いた噂話が頭の中に鳴り響いた。
そして今、僕は森に来ている。
「お前知ってるか? 北の森の奥には魔王が住んでるんだってよ。」
地面から突き出た数々の木の根が足をとり、疲れきった体は何度も転びそうになる。
「魔王に気に入られれば、そりゃあどんな願いだって叶えてもらえるそうだぞ。」
伸びた木の枝が顔をうち、しなる雑草が肌を擦る。
身体中がいつの間にか浅傷だらけになり、草花の汁が傷にしみて痛みが走る。
「だがもし、ほんの少しでも気に触ったら……死んだって終わらない永遠の苦しみが待ってるそうだ。」
息はとうに切れて、足も疲れ果ててロクにあがらない。
それでも歩みを止める気は欠片もなかった。
今この瞬間でさえ、妹は苦痛を味わっているはずだから。
まだ幼いミレイア。
たった一人の家族のミレイア。
今ごろ不安と恐怖で震えているんだろう。
今兄ちゃんが助けを呼んでやる。
だからもう少しだけ待っていてくれ!
いまだ変化の見られない森の中で、刻一刻と過ぎていく時間。
焦りや不安で心の中はグチャグチャだった。
絶対に、絶対に諦めるもんか。殺されたって願いを叶えてもらうんだ!
不安な気持ちを押し返そうとした瞬間、その心の動きを嘲笑うように一気に視界がサァッと開けた。
そこは森の中の大平原とでも言うんだろうか、見渡す限りの草原が眼前に映った。
風が吹く度になびいた草が静かに音を鳴らしている。
サァァァッ
サラサラサラ……
サァァァッ
サラサラサラ……。
美しく整えられた世界。
自分の荒い息が酷く場違いで、世界から切り離された存在のよう。
少しだけ恥ずかしいような気分になる。
ここから少し離れた場所に灯りが見えた。
あれが、魔王の住処なんだろうか?
巨大な廃墟やおぞましい城のようなものをイメージしてたけど、なんだか作業小屋にしか見えない。
もしかして、さらに奥があるんじゃないか?
そんな事を考えていると、突然のんびりとした声が聞こえてきた。
「んーーー、お客様でしょうか?」
その人物から敵意を感じなかったが、つい身構えてしまった。
いつからそこにいたのだろう、数歩先に美しい女性が柔らかい笑顔でただずんでいる。
月明かりを背負ったその女性が、幻想的で現実味のない存在に見えた。
一体いつの間に! さっきまで誰も居なかったはずなのに!
動揺と喉の乾きのせいか、言葉をうまく出す事ができなかった。
女性はというと、『あらぁ・・・?』と子首をかしげるだけだ。
そしてその声は、どこまでものんびりとしたものだった。