魔王城。
入る事は容易く、だが決して生きて出る事はできない伏魔殿。
城内は邪悪な手下共が徘徊し、辺りには哀れな犠牲者達の屍体が積み上がる。
牢屋には捕らえられた人間がひしめき、我が身を呪う怨嗟の声が城内に木霊する。
数多の弱者の嘆き。
死への恐怖から生み出される絶叫。
無謀な戦場に響き渡る怒号。
それらをまるで、至高の楽曲と言わんばかりに酷薄な笑みで楽しむ者。
魔王、それは決して触れてはいけない存在。
魔王城、そこは決して足を踏み入れてはいけない領域。
どんな事情があっても近づいてはいけない。
彼の地には聖なる灯が届かないのだから……。
これは教会での炊き出しの時に修道士が教えてくれたこと。
聞いた時は「へーこわいなー」くらいにしか感じなかったものだった。
そして今、魔王城にいる。
……うん。
たぶん、きっと……。
先ほど会った女性に案内された場所はというと、それほど広くない部屋だった。
中には大きなダイニングテーブルと椅子がある。
他にもサイドテーブルやら収納やら見えるけど、全て手作り感があるものばかり。
椅子は足の長さがまばらなのか、座って身じろぎをするとカタカタ鳴った。
絨毯が敷かれた空きスペースには、子供用のオモチャらしきものが転がっている。
奥には他にも部屋と2階へ続く階段があり、扉や階段は遠目から見ても少し歪んで見えた。
哀れな捕虜や惨殺された屍体どころか、妖しげな道具も禍々しい武器も無い。
ただ不揃いのお手製家具があるだけだった。
もちろん叫び声のひとつも聞こえず、少し遠くなった虫の声以外は静寂そのものだ。
先ほどの女性はというと、突然の来訪者である僕にお茶を入れてくれている。
「座って待っててくださいねー」と気さくに声をかけながら。
つうかこれ、民家?
まるで友達の家に遊びに行って「うちの子はもう帰ってくるから待っててね」と、中にお邪魔しているような錯覚を受けた。
まぁ浮浪者の僕には、こんないっぱしの暮らしをしている友達なんか一人もいない訳だけど。
そもそも魔王「城」じゃなくて、どう考えても個人宅だった。
「決死の覚悟で魔王城に乗り込み、命を代償に願いを叶えてもらう」つもりでやってきたはずだった。
それが「アットホームな家に上がり込み、ゆるふわ美女にお茶をご馳走してもらっている」というこの状況。
あまりに予想外な事態に、されるがままになってしまう。
それでもこんな状況でも、妹のミレイアのことは片時も忘れていなかった。
「あの・・・お姉さんは魔王様・・・なんですか?」
聞くべきか迷ったけど、恐る恐る聞いてみた。
廃墟やこの世の果てのような場所で聞くならまだしも、こんな安らぎ空間で聞くのは流石に失礼だったかもしれない。
そうだ、と言ってほしいような……言ってほしくないような、不思議な心地になる。
頼みごとを聞いて欲しいけど、単身で魔王と向き合うのはやっぱり怖かったからだ。
その女性は笑顔のまま、静かにお茶とお菓子を目の前に並べながらこう言った。
「主はもうじき戻るでしょう。それまで少々お待ちくださいな」
否定しなかった……。
ということはやっぱりここには魔王様がいるのだろうか。
主、と発言したのだからこの女性は手下ということになるんだろう。
魔王の手下というよりは、町でも評判のお姉さんという方がしっくりくるようなこの人が。
改めて目の前に座るお姉さんを観察すると、整った顔立ちに、キメ細かい肌、肩まで伸ばした髪はツヤがあって、黒と蒼の間のような不思議な色をしている。
華奢でスラリとしていて手足が細長く、繊細な印象を受ける。
近くを通った時には、フワリとほのかにいい匂いがした。
非の打ちどころのない外見で取っつきにくそうかと言えば、柔らかい物腰と質素な麻の服装という所が親しみやすさもある。
そんなお姉さんと夜に二人きりで向き合っていると、まだ子供の僕でさえ落ち着かなくなる。
気が動転してせっかくのお茶の味もわからない。
それでも水分補給をと思いながら、乾いた喉を潤していたその時。
入り口が随分と騒がしくなった。
さっきまでの静けさとは雲泥の差だ。
まず銀の甲冑に身を包んだ赤毛の女性が入り、
その女性と口論をしながらローブを着た茶髪の女性が入り、
そして最後にふてぶてしく、不機嫌そうな若い男が入ってきた。
この中に魔王様が、居る?
実際にこの時の予想は的中していた。
この不機嫌の塊のような男こそこの家の主であり、魔王の称号を持つもの。
彼を知る者は、こう呼ぶらしい。
豊穣の森の魔王、アルフレッドと。